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追憶

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


スペイン曲、英語詞:Mary S. B. Dana、日本語詞:古関吉雄

1 星影やさしく またたくみ空
  仰ぎてさまよい 木陰を行けば
  葉うらのそよぎは 思い出さそいて
  澄みゆく心に しのばるる昔
  ああ なつかしその日

2 さざ波かそけく ささやく岸辺
  すず風うれしく さまよい行けば
  砕くる月影 思い出さそいて
  澄みゆく心に しのばるる昔
  ああ なつかしその日

Flee as a Bird to Your Mountain

1. Flee as a bird to your mountain,
   Thou who art weary of sin;
   Go to the clear flowing fountain,
   Where you may wash and be clean.
   Fly for th'Avenger is near thee,
   Call, and the Savior will hear thee;
   He on His bosom will bear thee,
   Thou who art weary of sin,
   O thou who art weary of sin.

2. He will protect thee forever,
   Wipe ev'ry falling tear;
   He will forsake thee, O never,
   Sheltered so tenderly there.
   Haste then the hours are flying,
   Spend not the moments in sighing,
   Cease from your sorrow and crying,
   The Savior will wipe ev'ry tear,
   The Savior will wipe ev'ry tear.

《蛇足》 昭和14年(1939)に古関吉雄が“Flee as a Bird to Your Mountain”という曲に『追憶』というタイトルで日本語詞をつけました。以来、中学や高校の音楽教科書にたびたび掲載されたこともあって、多くの人に親しまれてきました。

 古関吉雄は国文学者で、長らく明治大学の教授を務めていました。平成7年
(1995)没。イギリス民謡『思い出(=久しき昔)』の日本語詞のほか、小・中・高校の校歌を数多く作詞しました。作曲家・古関裕而は従兄弟。

 横道にそれますが、古関吉雄とエスペラントの関係について少々お話ししたいと思います。
 古関吉雄は福島県出身で、東大の学生時代、帰省の車中でザメンホフの伝記を読み、言語の違いから起こる民族同士の争いを避けるには、やさしくてしかも正確にコミュニケーションできる共通言語が必要だ、という思想に感激し、独学でエスペラントを学び始めました。読み書きはすぐにできるようになりましたが、エスペラント普及運動のたぐいには関心がなく、会話をする機会はほとんどなかったそうです。

 そのかわり、講義中にザメンホフの思想やエスペラントについて学生たちにたびたび語ったようです。畏友・松本照男君もそれを聞いた1人で、古関教授から1対1でエスペラントを教わり始めます。彼は行動的な人物で、学び始めてから2か月後に古関教授を顧問として明治大学エスペラントサークルを立ち上げます。

 昭和30年代後半は、昭和40年
(1965)にアジアでは初めて東京で世界エスペラント大会が開かれることが決まっていたため、エスペラント学習熱がかつてなく高まった時期でした。多くのエスペランチストの協力が必要だったため、松本君は古関教授をさまざまな会合に引っ張り出します。そんなこともあって、古関教授はその後、他のエスペランチストたちと交流するようになり、日本エスペラント学会の顧問にも就任しました。

 私は大学卒業後エスペラントをやめてしまいましたが、それでも外国からエスペランチストが来た際などには、昔の仲間から声がかかり、古関教授と酒席をともにすることが何度かありました。温和でエラぶったところのまったくない人でした。

 なお松本君は、大学卒業後ポーランドに渡り、当時世界青年エスペランチスト連盟の書記をしていた佳麗かつ怜悧なる女性
と結婚しました(ワルシャワ医科大学名誉教授)

 話を『追憶』に戻しましょう。
 日本には明治時代に、アメリカの詩人 Mary S. B. Dana作詞による“Flee as a Bird
to Your Mountain”として入ってきました。
 明治12年
(1879)に日本の音楽教育の近代化(欧米化)を目的として音楽取調掛が設けられました。その開設を提唱した伊沢修二は、高嶺秀夫、神津仙三郎らと師範学校教育の調査研究のためアメリカに留学しました。ほかにルートも見つかっていないので、彼らがこの歌を持ち帰ったと見てよいでしょう

 Mary S. B. Danaはサウスカロライナ州出身で、本名はMary Stanley Bunce Dana-Shindler(1810~1883)という長い名前。Danaは最初の夫の姓で、この夫と死別した後に再婚したのがShindlerです。

 長老派(プレスビテリアン)教会の牧師の娘として生まれたせいか、非常に信心深く、若い頃から宗教的な詩を数多く書いていました。それらは、1840年に“The Southern Harp”(ボストンのParker and Ditson社)、翌1941年に“The Northern Harp”(ニューヨークのDayton and Saxton社とボストンのSaxton & Peirce社)と題する曲集として出版されました。
 いずれも
“Original Sacred and Moral Songs,Adapted to the Most Popular Melodies”という副題がついています。

Harp この詞は、"The Northern Harp"に収録されたうちの1曲です。ほかの曲は作曲者名が明示されていますが、この曲はSpanish Melodyと書かれているだけです。
 アメリカや日本などで原曲を探す努力がなされてきましたが、現在までのところ、それらしいスペイン曲は見つかっていません。しかし、違うという証拠もありませんので、
"The Northern Harp"に従って、「スペイン曲」としておきます。

 “Flee as a Bird to Your Mountain”は讃美歌集に入れられて今も歌われています。
 アメリカにはヒスパニックが多いことから、スペイン語に翻訳され
(“Huye Cual Ave A Tu Monte”)各地のスペイン語系キリスト教徒たちに歌われているようです。
(図は“The Northern Harp”のおもて表紙と“Flee as a Bird to Your Mountain”の楽譜〈Google Booksより〉)。Flee_2

 なお、彼女はのちに信仰上の疑問から帰一派(ユニテリアン)へ、さらに監督派(エピスコパリアン)へと移っています。いずれもプロテスタントの宗派です。

 この曲に初めて日本語詞をつけたのは、『青葉の笛』や『鉄道唱歌』などの作詞者と知られる大和田建樹です。彼は『故郷の空』『久しき昔』『旅泊(灯台守)』などの外国曲にも日本語詞をつけています。
 彼がこの曲につけた日本語詞は『月みれば』というタイトルで、歌詞は下記です。明治23年
(1890)8月13日発行の『明治唱歌ー第五集』に収録されました。

    1 霞にしづめる 月かげみれば
      うきよをはなれて 心は空に
      海原しづかに 波もなき夜を
      松原ねむりて 風もなき夜半を
      ああ めでてやそらに

    2 布ひく雲間に かかれるみれば
      この世のにごりも 忘れて空に
      萩ちる野末に しかのなく夜を
      花咲く芦辺に かりのくる夜半を
      ああ めでてやそらに

 大正8年(1919)には『故小妹(こしょうまい)』という日本語詞が発表されています。作詞したのは、日本における帰一派(ユニテリアン)のサークルである惟一倶楽部。歌詞は下記のとおりで、昭和6年(1931)には喜波貞子、同8年(1933)には藤山一郎の歌でレコード化されています。いずれもビクターから。

    1 更けゆく鐘の音 思いうつせみの
      果なき面影 結びもあえず
      忽(たちま)ち夢さめて とめし我が手に残しし
      ゆかりの色濃き 若紫の
      ああ ゆかりの小袖

    2 思い出づれば 十年(ととせ)の昔
      はるけき旅路に 我等残しし
      幼き姉妹(はらから)の 夢の面影なれや
      更けゆく鐘の音 昔を語る
      ああ ゆかりの小袖

 明治から愛唱されてきた謎の多い曲です。

(二木紘三)

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コメント

私は学校で習った沢山の歌の中で、この歌が一番好きです。少女の自分がそよぐ木の葉の下を歩いている情景が思い浮かびます。一瞬の間にすぎてしまった夢のような日々、雑駁な日常を忘れさせてくれる大切な歌です。

投稿: ハコベの花 | 2012年6月27日 (水) 16時07分

大好きな「追憶」、うれしく懐かしく聴きました。二木先生ありがとうございます。
この歌を習った頃は、私の追憶の内容はごく薄い新しい本のようでした。
年を重ねるにつれて増して行ったページを時折読み返し、感傷に浸ることもあります。
youtubeには、追憶と同じメロディーの「Huye cual ave 」(鳥のように逃げる)と言う、スペイン語の賛美歌がいくつかUPされています。歌われているかどうかは別ですが、どうやらスペイン語の讃美歌集には載っているようなのです。…英語の賛美歌がスペイン語に翻訳されたのでしょうか…やはり謎が多い曲なのですね。
ちなみに友人が遺した日本基督教団発行の讃美歌集の、「欧米賛美歌」「各国民謡にもとづいた賛美歌」の中には、同じメロディーは見つかりませんでした。

投稿: nobara | 2012年6月29日 (金) 14時31分

二木先生、先ほどのコメント大変失礼いたしました。
私の手元の讃美歌集には載っていませんが、「聖歌489番(新聖歌313番)鳥のごと山に」として載っている讃美歌集があるそうです。もう少し調べてみます。

今朝「追憶」を発見したばかり、うれしくて調べたりないまま投稿してしまいました。

投稿: nobara | 2012年6月29日 (金) 16時03分

nobara様
貴重な情報をありがとうございました。これで『追憶』のルーツが突き止められるかも……と思いましたが、Dana夫人の詞のスペイン語訳でした。スペイン本国でもこの翻訳版は歌われているのでしょうか。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2012年6月29日 (金) 17時29分

先生、お騒がせしましたこと、お許しください。
「アメリカにはヒスパニックが多いことから、スペイン語に翻訳され…」と書き加えられたのを拝読して納得いたしました。

スペイン本国でも歌われているかどうかは、私は存じません。
スペインはウイキペディアによりますと国民の94%がカトリックなのだそうです。ですから、プロテスタント系の賛美歌をほとんどの人が知らず、歌わなかったとしても少しも不思議ではないと思います。
ただ、民謡のメロディーなのだとしたら、それを誰も知らないと言うのが謎ですね。

また、聖歌489番、新聖歌313番の「鳥のごとく山に」が収められているのは日本福音連盟が出版した聖歌集だそうです。
原詩は旧約聖書の詩篇11章が下敷きになっているようですね。11章1節に「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。」とあるのを聖書で確かめました。

美しいこの曲を聴きながら、古関吉雄とエスペラントの関係なども、大変興味深く拝読しています。

投稿: nobara | 2012年6月29日 (金) 21時13分

こころが洗われるような、懐かしい『追憶』の調べを聴きながら‥‥60年前の文字通りの「追憶」に耽っています。
 この歌は中学2年か、3年のときに習った記憶があります。当時、わたしが育った新潟の片田舎では、音楽と言えば流行歌か、酔ったときに歌う猥雑な民謡くらいでしたから、この歌のメロディを聴いたときには、異界から聞こえて来るような、大袈裟に言えば、カルチャーショックを覚えたように思います。しかし、異国のメロディとはいいながら、優しいリズムと清らかな旋律は、途中変調があるにもかかわらず、格調の高い訳詞(?)と共に、静かにわたしたちのこころに染み込んできた感があります。生意気を言うようですが、音楽に限らず、真の芸術とは言語、民族、文化や時代を超えて受け入れられるものなのでしょうね。
 先日、ふるさとで中学時代を共にした仲間の同窓会がありました。当時は、わたしを含めて、粗野で、乱暴で、文化的素養とはおよそ縁のない連中も、喜寿を迎えた今、それぞれの人生の荒波をを生き抜いて、社会的常識を身につけた好々爺や好々婆(?)となり、昔の思い出に耽ったのでした。
 
エスペラントについて一言。二木様がエスペランチストとは。二木様の新しい横顔を知ることができました。戦前、戦中は知りませんが(戦中は抑圧されたんでしょうね)、戦後一時期エスペラントの隆盛をみましたが、今はまったくこのことばを聞きません。エスペラントという「人工語」自体に欠陥があるのか、アングロサクソンの使う言語「英語」がグローバル言語として普及しているからか。民族や言語の差異からくる無理解や誤解を解決するために編み出された、エスペラントの産みの親ザメンホフの願いは、これからも顧みられないのでしょうか。

投稿: ひろし | 2012年6月30日 (土) 13時02分

トュートュートュー トュトュトュー、そんな感じで口ずさめるから、不思議。いったい歌手が誰? それとも小中学校時で習った? 神武景気の前後? 私の場合、この調べが半世紀以上昔のどんな事象とも拘らず、ポソッとあるようです。ハコベの花さん、nobaraさん、ひろしさんは新教々会に行かれていたのでしょうか…。

ザメンホフのエスペラント話題が巷間にぎやかだったのを覚えています。熱心だった方が近くにいました。ポーランド/リトアニアの人々をついアシュケナジムに重ねます。今たまたまサッカーWC主催国はポーランドとウクライナ。多くの彼らユダヤ人が、ワレサの団結当時にも過去に繰り返されたようにドッと西側欧州に流れました。ポーランド語を話す異邦人に我が村スーパーマーケットレジですら遭遇します。今は数か月または毎年定期的出稼ぎの人々ですが。

二木さんご親友ご夫婦は母国語と共にイディッシュとエスペラントをこなされるのではないでしょうか。共産時代を潜り抜ける困難を体験され、EU/ NATO/加盟国でユーロ圏ポーランドとは言え知識人年金等、歴史からの復興の難題に満ちていますね。 こちらで生きざまを語られ真摯なイサコフスキ―さんをフト連想もうしあげます。


投稿: TangoMinato | 2012年7月 1日 (日) 05時10分

TangoMinato様
 この歌は中学2年生の時に学校で習ったのです。私は信仰心が全くありませんので、讃美歌として歌ったことはありません。教会の思い出は戦後すぐ友人が教会に行くというのでついて行ったところ、訳の分からないお話を聞かされ、挙句に箱が回ってきて私のその日のお小遣い全部を入れなくてはならなくなりました。私は神様が嫌いになりました。小学校2年生の時です。ちなみにお経も訳が分からないので嫌いです。
追憶を聴いていると気持ちが清々しくなります。歌詞もとてもきれいだと思います。

投稿: ハコベの花 | 2012年7月 1日 (日) 12時12分

この曲を初めて聞いたのは昭和27年頃、街の高等学校のコンサートでの事だったと思いますが、憧れの姫君達(高校生)が歌った中の1曲で、伸びやかで透明感のあるソプラノに痺れたのが原点でした。

ところが、最近のことですが、この歌は明治・大正生まれのお年寄りも実に良くご存じで、恰も日本古来の歌のように嬉しそうにお歌いになるのには、本当に吃驚しました。

現在の音楽教科書には、今でも「スペイン民謡」と書かれているようですが、初めて耳にした当初から、この曲は声楽曲と言うよりは器楽的な響きが大きく支配している印象がありました。

そこで、大胆かつ無責任なイメージをそのまま申し上げるならば、例えばヴァイオリンの練習曲として生まれた曲に、北米大陸に移住した初期の人達によって歌詞が付けられ、「歌」としても普及しつつあった過程で伊沢修一らによって採取され、日本へ伝えられたような印象があります。

無責任な推測で失礼しましたが、スペインだけでなく、西欧各国でこのメロディがどのような場で知られているかを調べるのが早いかも知れません。

投稿: たしろ | 2012年7月 1日 (日) 23時02分

ハコベの花さん 
ミサ最後に回ってくるあのお布施の思い出をお聞きして、私も複雑な思いにかられます。敬虔な名もなき信者や奉仕に励む皆さんと無関係に、大本山から末寺に至る組織としての暗い部分があまりにも多い。それら汚い淀みが数十億信者のお布施からなる世界屈指の財力と関わっています。美しい讃美歌の数々がその覆いにならないように…

投稿: TangoMinato | 2012年7月 2日 (月) 22時27分

二木先生
 懐かしい曲、ありがとうございます。私も中学でこの曲を習いました。その後の50年間、聴いたことも、歌ったこともなかったのですが、今回、メロディも歌詞もスラスラとよみがえってきました。不思議な気持ちです。
 ところで、声楽家の柳貞子さんが、ご自身のホームページにスペイン音楽に関するエッセイを書いておられます。そのなかの『追憶』の章に「これは絶対にスペインの歌でも民謡でもなく、当時ニューオリンズにいたフランス軍のマーチのメロディーを借りた黒人霊歌であると言うのが私の結論である」と記されています。スペイン歌曲の専門家の貴重なご意見と思いますのでお読みいただければと存じます。

投稿: モハンデス | 2012年7月 5日 (木) 20時56分

何人かの方から、「ニューオーリンズに駐屯していたフランス軍のマーチが原曲」とする説があるとお知らせいただきましたが、これは具体的な根拠ないし典拠に基づいた説ではないようです。ご本人にお聞きしましたが、納得のいく説明はいただけませんでした。
この説には以下の点で疑問があります。
マーチは、『葬送行進曲』のように静かなものもありますが、一般的にはアップテンポで軽快、かつ長調なのが特徴です。とくに軍の行進曲であれば、兵士の士気を高めるように勇壮活発なメロディのはずです。いっぽう、『追憶』はスローテンポで静謐、途中に長調が挟まるものの、基本的には短調です。
軍のマーチがどういう過程を経てこのような大変化を遂げたかの説明がつきません。
曲のテンポが変わることはありふれた現象ですし、長調の曲が短調に、短調の曲が長調に編曲されることもまま起こっています。ですから、軍のマーチがテンポと調を変えて黒人霊歌に入ったというのはあり得ないことではありません。そこのところを、断片でもいいから、採取された音または楽譜に基づいて説明していただければ、民謡研究史上画期的な成果になったのに、残念です。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2012年7月 6日 (金) 17時40分

>スペインだけでなく、西欧各国でこのメロディがどのような場で知られているかを調べるのが早いかも知れません。
たしろさんのこのアイディアになるほどと思い、60越えのスペイン人を亭主に持つ知人に本頁を添えて尋ねています。でも19世紀半ばから末までの民謡があったとしても現在まで生きているかどうか、現地でよほど探らないと分らないのでは…と彼女から言われました。なお亭主は今ハンブルグで帰宅は数か月後で、見込薄そうに思います。

YouTubeにて倍賞千恵子の追憶を聞きました。二木さんが紹介されている歌詞通りで、それはそれで素晴らしい。ところが出だしも経過中も、全く異なるメロディーのように聞こえるのです。私の音痴と音学無知の所為だと思いますが、、悲しくも辛い気持ちで不思議です。


投稿: TangoMinato | 2012年7月12日 (木) 07時18分

TangoMinato様
お聞きになった倍賞千恵子の歌は、バラード風に編曲されものです。彼女はいろいろ歌っているので、元のメロディラインで歌っているヴァージョンもあると思います。(二木紘三)

>YouTubeにて倍賞千恵子の追憶を聞きました。
>二木さんが紹介されている歌詞通りで、それは
>それで素晴らしい。ところが出だしも経過中も、
>全く異なるメロディーのように聞こえるのです。

投稿: 管理人 | 2012年7月12日 (木) 21時22分

管理人と言うより主催される二木さん、丁寧な解説をいただき誠に有難うございます。バラードと言う語彙を聞き知っていても、意味内容を知らず…、無才に悲しくなります。私の「追憶」は一つしかありませんが、なるほど、左様な`別物`への自由な展開がある音楽世界の深さ・広さを想像することが出来ます。

複数教会コーラスに属する熟年知人たちや歌好きの娘たちに本頁を添えて尋ねてみました。初めて聞くメロディーだそうです。狭い範囲ですが、こちらでは知られていない歌のように思われます。

投稿: TangoMinato | 2012年7月18日 (水) 05時43分

久しぶりにこのサイトを見て、追憶の解説を読みました。
20年以上も前に、韓国で自動車工場の建設にかかわっていたころ、スペインGMのマネージャーと酒の席でこの歌を歌いました。彼は当然、自国の歌だという認識でした。
掲載されている楽譜を見て、オヤっと思ったところが3小節目と7小節目で、私たちが中学で習ったのとは違っていますね。二木先生の演奏は中学のときと同じですが。

投稿: 吉岡英介 | 2012年11月 2日 (金) 18時24分

はじめまして。横浜を中心に活動しておりますギタリストです。このたび「追憶」をクラシックギター曲に編曲しようと思い、メロディの出所を探しているときに、このページに遭遇いたしました。

とても貴重な資料と情報、大変興味深く読ませていただきました。

直観的なもので、仮説なのですが、18世紀に活躍したスペインのギタリストで作曲家のフェルナンド・ソル(1778-1839)の練習曲集に、このメロディに似た曲があります。Op60-no.4です。彼は当時のフランスやスペインの流行歌を好んで取り入れて変奏曲などを書いていますので、彼のオリジナルかは特定できませんが、良く似ていると思います。

Youtubeからの拝借ですが、こんな感じの作品です。
http://www.youtube.com/watch?v=lFUb-hDev-0

やっぱり別の曲ですかね。

東隆幸

投稿: 東隆幸 | 2013年1月30日 (水) 23時56分

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