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初恋(島崎藤村)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:島崎藤村、作曲:若松 甲

まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畑の樹(こ)の下(した)
おのづからなる細道は
(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

《蛇足》 島崎藤村の第一詩集『若菜集』所収の詩に若松甲が曲をつけたもの。曲は昭和38年(1963)に小林旭の唄で発表され、8年後の昭和46年(1971)に舟木一夫によってカバーされました。

 私は、初恋を歌った曲では三木露風の『ふるさとの(斎藤佳三作曲)藤村の『初恋』がいちばん好きで、この2曲を聴くといつも甘酸っぱい快さがかすかな痛みを伴ってこみ上げてきます。

 それにしても、この2曲をはじめ、藤村の『椰子の実(大中寅二作曲)と『惜別の歌(藤江英輔作曲)、北原白秋の『城ヶ島の雨(梁田貞作曲)、竹久夢二の『宵待草(多忠亮作曲)、石川啄木の初恋(越谷達之助作曲)、北見志保子の『平城山(平井康三郎作曲)、若山牧水の『白鳥の歌(古関裕而作曲)などクラシカルな詩や短歌につけられた曲は、どうしてどれも美しいのでしょうか。

 これにはおそらくこれらの詩や短歌のほとんどが文語韻文で書かれていること、しかもイメージの浮かびやすい、美しい言葉が使われていることが影響しているのでしょう。
 文語という日常生活では使われていない言葉で書かれていることにより、読む人、聴く人は現実から離れ、それぞれの思いを込めてロマンの世界に浸ることができます。
 また、詩・短歌自体に韻律が含まれているため、曲をつける場合、メロディが浮かびやすい、それも流麗なメロディが浮かびやすいと考えられます。

 いっぽう、現代の多くのポップスのように歌詞が口語散文で書かれていると、親しみやすい反面、説明的になりやすいうえに、現実につきすぎていて想像の世界に十分に遊べない憾みがあります。
 また、散文には韻律がないため、メロディをつけても、作曲のセンスや技術が相当なければ単調な、または不自然なものになりがちです。

 藤村の『初恋』は、とりわけ作曲家の創作意欲を刺激するらしく、JASRACの著作権データベースには若松甲のほか、古くは大中寅二、近年では小椋佳など20数名の名前が並んでいます。JASRACに著作権を信託していない作曲者も何人かいるようです。

 明治12年(1879)生まれの私の祖父は新し物好きで、私が生まれた地方では最も早くリンゴ栽培に取り組んだうちの1人でした。
 春は一面の白い花と飛び回るミツバチ、夏は下草が放つ草いきれ、晩秋には木のてっぺんに取り残された紅玉や国光の実……私の幼少時の記憶には至るところにリンゴ園があります。
 残念ながら、そうしたリンゴ園の記憶と結びつく"大黒屋のおゆふさん"
(『初恋』のモデルとされるはいませんでした。リンゴ園から離れれば、心ときめく相手は人並みにいましたが。

 ところで、信州は"ずら言葉圏"です。「……ずら」は「……でしょう(か)」という意味で、疑問や確認の結語として使われます。山梨県や岐阜県の一部、伊豆でも「ずら」は使われていますが、本家は信州です。全県で使われていますから。
 『初恋』の第4聯で、おふゆさんは実際には「あの木の下の細道さ、あれ誰が初めに歩いた跡ずら」といったはずです。それが抒情詩人の筆にかかると、「林檎畑の樹の下におのづからなる細道は誰が踏みそめしかたみぞと」というまことに典雅なヴァースに変わります。
 このように散文的な現実を優雅な幻想の世界に変化させるマジックは、文語韻文ならではのものです。

 昭和63年(1988)、長女が大学2年、次女が高校2年の夏、一家で木曾(南信)を歩きました。長女に早婚しそうな気配があり、4人そろって旅するのはこれが最後になるかもしれないと思っていたので、とりわけ印象深い旅行となりました。
 彼女が結婚したのは大学4年の終わりでしたが、実際にはその後も4人で旅行する機会は何度かありました。

 旅行は、妻籠宿(つまごじゅく)から馬籠宿(まごめじゅく)まで中山道の旧道を歩き、馬籠で一泊、翌日は木曽山脈の東側に回って、駒ヶ根市の山麓の宿に泊まり、次の日木曽駒ヶ岳に登ってから帰るという計画でした。

 馬籠では島崎家の菩提寺・永昌寺に泊まりました。夕食のとき、大黒さん(和尚の奥さん)が「明日は藤村忌でこの寺で法要がある」といったので、これはいい機会だと思って、ぜひ参加したいと申し出ました。大黒さんは一瞬怪訝な表情をしましたが、「いいですよ」といってくれました。

 大黒さんが戸惑ったような顔をした理由は、法要に出てからわかりました。私は太宰治の桜桃忌のように文学ファンが集まるものだと思ったのですが、それは基本的には島崎家の法事だったのです。島崎家の一族と地元の藤村顕彰会(正式名称はわかりません)のメンバーによる法要で、部外者は私たち4人だけでした。
 それがわかるとだんだん居心地が悪くなってきましたが、それでも本堂での法要のあと、一族のみなさんに混じって藤村のお墓に線香と花を手向けてから失礼しました。

 藤村文学ファンが集う藤村忌が行われるのは小諸・懐古園にある藤村記念館のほうだと知ったのは、ずっとあとになってからでした。今となってはいい経験をしたと思っています。

 なお、馬籠はかつては長野県木曽郡山口村に属していましたが、住民の生活上の利便性から、平成17年(2005)2月に岐阜県中津川市に越境編入されました。生地が行政上岐阜県に移っても、藤村が信州出身の文豪であることに変わりはありません。

(二木紘三)

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コメント

「初恋」ありがとうございます。
この歌が好きなので、作って欲しいなぁーと思っていました。
若い頃に買って何回も読んだ詩集が本箱にあります。
舟木一夫さんの「初恋」レコードも買っていましたが、
最近でもコンサートで唄ってくださいました。
本当に美しい詩とメロディーですね。

投稿: なち | 2013年2月 2日 (土) 13時44分

初恋と絶唱は舟木一夫の歌の中でも好きな歌です。それにつけても信州の東信地方は何故こんなにも文芸人や知識人を輩出しているのでしょう。島崎藤村は他県に貸し出したとしても、佐久間象山を始め数多くの著名人がいますね。

投稿: 海道 | 2013年2月 2日 (土) 13時48分

昔は詩のアクセントやイントネーションにまで配慮して曲をつくり、歌ったと聞いています。和歌や曲のついた藤村・露風等の詩は七・五調が多いと思いますが、白秋の詩も口語調とはいえ、リズムのある韻文になので美しいメロディーができるのではないかと思います。
今年の歌会始の一般入選歌10作品のうち若い人の作品3作は口語調でした。文語調は次第に減っていくのでしょうか。

投稿: 周坊 | 2013年2月 3日 (日) 09時55分

二木さんの文体がさらに、さらに冴えわたっていますね。なんとも心地よく読ませていただきました。
大学の教養課程で古文の授業のとき、当時万葉研究の第一人者であった教授の音頭取りでこの歌を歌ったものでした。50年も前のことですがジンと来るくらい懐かしいです。ありがとうございました。

投稿: ノムラ ヒデキ | 2013年2月 3日 (日) 14時42分

二木先生   
  ご無沙汰いたしております

 先生が蛇足に書かれているのを 何度も頷きながら読ませていただきました。それは金曜日の日でした、この曲にはいくつのコメントが寄せられるだろうと期待しておりました。今所定の位置にもどり、先生のページを開けたところです。なち様はじめいくつかのコメントがーーー  
 ノムラ様
 どうも僕は 二三年後輩になるようです。万葉集の授業の最初の一時間目でしたよね。大学生となり、期待と不安一杯の初心の時間に そのまるまるの時間を大講堂一杯の仲間たちと声一杯に初恋を歌ったーーー夢のような時間でしたね 涙涙の時間になってしまいました
 でも ノムラ様 先輩と呼ばせていただいてよろしいでしょうか でも先輩 犬養先生が教えてくださった初恋の曲は違ってますよ この舟木一夫さんの唄った初恋のメロディではないのです もっと唱歌のような曲だったのです  今でもときには口ずさみます You Tubeにでているいくつかの初恋のメロディーはききましたが犬養先生から教えていただいたのと同じと判断できるのはないのです 二木先生がここにアップされたのを良い機会として、どなたか犬養先生の初恋を提示していただけないでしょうか 小生には その能力も技術もありません   犬養先生に教えられ皆で歌った あの大講堂のあの瞬間にもどりたいと強く強く思うことがあります
 十分なことができてこなかった自分に対する悔しさと
できることならリセットして自分をやりなおせたらーーという望みと 人生とはこんなものなのでしょうね
 なち様に花の街で 好きな町 を教えていただいて以来の涙でした  ノムラ先輩 今後ともよろしくお願いいたします

投稿: 能勢の赤ひげ | 2013年2月 3日 (日) 20時16分

大中寅二 作曲のことでしょうか?
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html

芦野宏さんの歌は持っていますが、唱歌のようではありません。
三木鶏郎 作曲(ABCホームソング)昭和31年11月

投稿: なち | 2013年2月 3日 (日) 22時21分

能勢の赤ひげ様
確かにメロディは違いますね。初めて小林旭のこの歌を聴いたときは、「あの頃合唱した歌ではないな」と思いました。犬養教授の曲はまったく思い出せませんが、当時「お経みたい」と思った記憶があります。とはいえ、なんとも粋な方でした。
確かにあれから半世紀、そんなに悪くはない人生を送って来れたことを感謝しつつ、昔の書物、歌、映画などに触れて妙にセンチメンタルになっております。
二木さんの文章に触れるのが楽しみでこのサイトも毎日のように開いております。可能な限り長く続けていただきたいものです。

投稿: ノムラ | 2013年2月 4日 (月) 13時53分

「もっと唱歌のような曲だったのです」と書かれていたので 
大中寅二 作曲のを紹介したのですが・・

>「お経みたい」
三木鶏郎 作曲 のは、お経みたいです。
動画サイト以外の他の曲は分かりません。

投稿: なち | 2013年2月 4日 (月) 14時35分

なち様 ノムラ様

 さっそく お返事をいただけて恐縮しております
 
大中寅二先生の曲は 全くそうでしたとはいえないのですが 似ているところは多くあります  最後の四行目はまず同じです  しかし 入りの まだあげ染めしーー は違います 
 
あくまでも僕の推測ですが この大中先生の曲を犬養先生が少し手直しされて学生に教えてくださっていたのか

単なる僕の記憶違いかーーー

ほんとうに大好きな歌について 思いを巡らせられる喜びに浸っています  連夜の涙も良いものです

 二木先生には 勝手なと叱られるかもしれません藤本久子さん 作曲・歌唱の 初恋 も犬養調ではなく泣かされるものでした  http://www.youtube.com/watch?v=5aBizDF94QA

http://www.youtube.com/watch?v=-gBo8PYt364

投稿: 能勢の赤ひげ | 2013年2月 4日 (月) 22時12分

初恋にメロディが付いていることをずっと知らずにおりました。この詩を覚えたのは中学2年生だったと思います。美しい恋に憧れましたが、まだ恋しい人はいませんでした。正直なところ、この詩が美し過ぎて、どのメロディも私の感覚と違うように思います。それぞれの人の心の中にある初恋への思いによってメロディが異なるからかもしれません。ぴったりのメロディをいつか聴いてみたいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2013年2月 7日 (木) 23時36分

 旧制松本高校生にとって「初恋」といえば田中惇作曲のそれで、 JASRACのデータベースにはないようですが、同じ藤村の「小諸なる古城のほとり」と並ぶ愛唱歌ナンバーワンです。
 田中惇は松本高校寮歌「遠征」の作曲者でもありました。これは昭和19年度寮歌、つまり敗戦の前年、学業半ばで出陣する僚友を送る歌で、上條彰次作詩の四番は次のように終わっています。
   みすず刈る信濃の空に 若き日の真実求めし 
   今はしも万里の天に 炎なす運命描けや
   遠征の空ゆ果て 魂と呼ぶは君が名
 旧制松本高校寮歌は名曲揃いと定評があるようですが、学校存続の30年間に寮生により毎年作られた数十曲の中でも、昭和19年度の「遠征」は五七調の悲愴な調べが胸を打ち、最も愛されている傑作の一つです。
 その「遠征」の作曲者田中惇は年若く応召はしなかったのですが、寮歌発表の翌昭和20年、勤労動員先の工場で、栄養不足と過労のため発病、2月21日、半年後の終戦を待たずに逝きました。
 田中惇作曲の「初恋」は八分の六拍子で、二木先生の「クラシカルな詩や短歌につけられた曲は、どうしてどれも美しいのでしょうか」と嘆じられるのもむべなるかなの流麗優美な趣深い曲です。
 私の入学は敗戦の2年後でした。最初のコンパで地元出身の新入生が歌うので(松本では中学生も知っていたのでしょうか)聞きおぼえて、当時は作曲者については知らぬまま、昔からある歌と思っていました。近頃は寮歌祭のような集まりでもいつも歌われる歌です。「初恋」にはほかのメロディもあるということを私が知ったのは最近のことでした。

投稿: dorule | 2013年2月24日 (日) 15時59分

なち様にお尋ねします。

実は、忘れられない「初恋」のメロディーがあります。
>芦野宏さんの歌は持っていますが、唱歌のようではありません。
>三木鶏郎 作曲 のは、お経みたいです。

それそれ、きっとそれではないかと思われますが、昭和27~8年頃、学校が休みの時にラジオから聞こえてきたホームソングだったように記憶していますが、あれ以来一度も耳にすることのなかった、またこれまで何処を探しても見当たらなかった懐かしいメロディーです。

低いラ音から始まる聞き覚えメロディーは次のようなものでした。
(ニ短調だったように思いますが、八分音符単位で階名で書きます。)

まだあげそめし-|まえがみの---|
ラソラドシラソ-|ラララソラ---|

りんごのもーとに|みえしとき---|
シーシラシレドシ|ミミミレミ---|

で、続く部分には変拍子が入りますが、島崎藤村の「初恋」に最も相応しい曲ではないかと今でも思っています。

投稿: たしろ | 2013年3月 2日 (土) 14時22分

はい、そのメロディーです。
芦野宏さんの「初恋」を聴かれておられましたね。

「田園ソング」は聴いてから登校していましたが、
「ABCホームソング」は午前10前後でしたから、
家にいた時しか聴けませんでた。
「踊子」に書いていますが、
数年前に「甦るABCホームソング」があり、その時に録音をしました。

番組で放送された歌は大阪の朝日放送が保存しています。
レコードの歌は後にレコード会社で別に吹きまれたのです。
別の歌手が吹き込んだり、
レコードになっていないのも大分あるようです。
「ABCホームソング」ラジオの番組で放送されたCDが何曲か出たようです。
芦野宏さんのは残念ながら入っていません。
レコードになっていなかったのでしたら、
聴かれる機会はなかったと思います。
http://www.cdjournal.com/main/news/awaya-noriko/43940
ABCラジオを聴いていると時々ホームソングが流れますよ。

試聴のページがありました。
http://www.amazon.co.jp/ABC%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%A4%A7%E5%85%A8%E3%80%90%E7%89%B9%E5%85%B8CDR%E4%BB%98-%E5%BD%93%E6%99%82%E3%81%AE%E7%95%AA%E7%B5%84%E5%86%92%E9%A0%AD%E9%83%A8%E5%88%86%E5%8F%8E%E9%8C%B2-%E3%80%91-VA/dp/samples/B005NXPC4S/ref=dp_tracks_all_1#disc_1

三木鶏郎さんの作品集として出ているのでしょうかね。
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E9%B6%8F%E9%83%8E%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9-%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%90%E3%82%B9/dp/tracks/B0037XSM3E/ref=dp_tracks_all_1#disc_1

投稿: なち | 2013年3月 2日 (土) 15時31分

なち様
 早速いろいろ教えて頂き、有り難うございました。
折角のご案内ながら詞も作曲者も別人のため求めていた情報に関しては試聴確認は叶いませんでしたが、これまでの調査でどうやら芦野宏らしい(聞いたラジオも男声の端正なソロでした)ので、三木鶏郎リリカル・ソングス [Original recording remastered] を手に入れるべく発注を致しました。
 それにしても島崎藤村の「初恋」は、あまりにも多くの方が作曲をなさっているので、試聴するか楽譜を見るかしないと確かめようが無いというのは不便ですね。(公立図書館での確認を希望しましたがこれも叶いませんでした。)
 CDが届きましたら、結果についてご報告をさせて頂きます。

投稿: たしろ | 2013年3月 2日 (土) 17時46分

 なち様・管理人様
 CDが届き、長年探し求めていた曲にようやく再会致しました。
私がラジオで聞いたものは、ホームソングとして歌唱指導を伴うものでしたので、演奏も編曲も伴奏も全く別のものでしたが、なるほどこのCDのものは、お経のような印象がつきまといますねぇ。(笑)
 お陰様でようやく作曲者と曲が特定出来てほっと致しました。なにしろ島崎藤村の「初恋」と言えばこの曲しか知りませんでしたので、次々に記憶とは全く違う別の曲しか出てこないと言うのは辛いものがありました。
 三木鶏郎資料館によりますとオリジナルは昭和13年に繁田裕司の名で作曲され、クラシックの歌曲として桜井直子/渡辺暁雄弦楽四重奏団により初演されたもののようですので、昭和20年代の後半頃に別の編曲でホームソングとして紹介されたのでしょう。

 管理人様には、ご紹介の曲とは別の曲探しを、この場をお借りしてさせて頂きご迷惑だったかと思いますが、お陰様で懐かしい曲の特定が出来まして大変嬉しく思っています。お詫び旁々お礼を申し上げます。どうも有り難うございました。

投稿: たしろ | 2013年3月 4日 (月) 13時02分

懐かしく読ませていただきました。私が小3の頃父親の転勤で妻籠に移りました。姉はそこでおふゆさんにお琴とお茶を教えていただいてました。おふゆさんは色の白い品の良い面長で白髪の方でした。姉について行ったのはもう60年も前の話です。 T.K

投稿: 小林登美子 | 2013年6月 6日 (木) 06時03分

私は現在伊豆に近い神奈川県に住んでいますが、こちらでは「ずら」も出てきますが、飛んでくる(走ってくる)、今日は天気です(晴れです)も良く聞きます。まるで信州にいるようです。昔イッツ ファイン ツデイ.を今日は天気ですと訳してXをもらった事があります。

投稿: 海道 | 2013年6月15日 (土) 17時34分

私にとっての初恋はやはり舟木一夫が歌う初恋です。もう四十二年近く前になりますか、紅白で当時の司会者宮田輝さんが、明治の御代にはいい詩がありました。島崎藤村若菜集より初恋、舟木一夫さん。今も耳に残っている。抒情歌謡の第一人者でもある舟木一夫の初恋はヒットした。若松甲さんの作曲も舟木の初恋に合っていたのだろう 薄くれないの秋の実に人恋そめし初めなり。藤村の心を舟木一夫は見事に歌い上げている。今も舟木一夫のコンサートで聴くことがあるが、六十代後半の舟木が若く見えてくる。舟木は惜別の歌も歌っているが、今の歌謡界で藤村を歌うのは舟木一夫だけと言っても過言でないし、舟木一夫が相応しい。舟木には藤村を歌い続ける使命があるとも言える。それは西條八十の作品も同じである

投稿: 西園寺公彦 | 2013年10月 9日 (水) 07時15分

藤村の詩に曲が作られていたこと、はじめて知りました。
兄達に精神的に虐げられて育ったわたしは(時節柄しかたなかったでしょうが)ずっと男性に対して、甘い思いや夢が持てず一人の男性に夢中になることは、ほとんどありませんでした。登山部だったので毎週のように近場の山や、時には【上高地】から登れる山をあちこち登りました。当然男性との友情も生れることもありましたが、好意が感じられてもほとんど町に帰ってきたときには、ふたりであうのが面倒くさくて、友達を誘い距離を置いてきました。
そんな私にも好きな男性のタイプは決まっていて、【顔は四角】【大きくて高い鼻】【目も大きく】【口も大きく】
或る時はっと気づきました。幼いころから同じ年のいとこが、(彼は母親がなくて)ある時期私の家族と同居していました。私にとってはナイトのような存在でした。彼は自分の境遇をよく知っていて、私を大切に大切に扱ってくれたような気がします。中学生のころには彼は父親の身内のほうへ引き取られていき、ずっと疎遠になりましたが、彼は「なぜか若死に」してしまいました。その存在が私にとっての『理想の男性像』の原点のようなきがします。
俳優で言えば「三船敏郎」や「仲代達也」「山崎務」のようなタイプでした。父だけが最後まで会っていたのですが、ある日父が真正面向いたままで、たばこを吸いながら「とうとうあいつが死んでしまった」とひとりごとのように・・・・・。私は無言で【お手洗い】に飛び込んで泣きました。しばらくして出てくると父の姿はそこらあたりになくて、父もどこか一人で泣ける場所に行ったのでしょう。
幼い時に心の中にで~んと居座ってしまった心の傷は、いくつになってもきえそうにありませんが、なかったよりは幸せだったと思って生きています。

投稿: mitsuko | 2016年1月12日 (火) 14時52分

管理人様のおっしゃる通り美しい文語体で小生の好きな歌の一つです。
そんな自分は二番の歌詞「薄紅の秋の実に」を、つい最近まで「薄紅の秋の陽に」と覚えていました。
自分の初恋は、教室の曇りガラス越しに差し込む秋の夕日、そこに映し出された紅の片頬と長いまつ毛のシルエット、この印象がてっきり「藤村も同じイメージを持ったのだ」と勝手に解釈、それが原因です。
藤村詩集を読み直しているうちに、自分の粗忽さに気づきました。

投稿: 山ちゃん | 2016年6月13日 (月) 22時22分

 藤村のこの詩を知ったのは中学の頃だったように思う。当時の私には、人を恋した時の心のざわめきなどわからず、林檎のイメージだけが強く心に残った。詩の1番、2番、4番とくりかえし林檎が出てくる。林檎の木、乙女の白い手に握られた林檎、林檎畑の道・・いわば近景、中景、遠景として林檎が出てくる。この清潔感あふれる赤い果物に仮託して初恋の人を歌おうとした藤村を、すばらしい感性の詩人だと今も感心するばかりです。
 瀬戸内気候で育った私は、林檎狩りの経験がないので、二木先生の写真、林檎の木に鈴なりになった赤い実を見るとおもわず見入ってしまいます。林檎はいまだに神秘的な北国の果物です。
 二木先生の文章の中で、娘さんの結婚が予想される時期に、家族全員がそろった最後の旅行のつもりで、木曾に行くというくだりがあります。小津の映画『晩春』のラストに出てくる笠智衆と原節子の結婚直前の京都旅行を思い出しました。父と娘のお互いに思い合う気持ち、聖なる感情です。まあ、今どき絶滅寸前の感情かもしれませんが・・

投稿: 越村 南 | 2016年6月14日 (火) 06時08分

 全く方向違いな感想ですが。「・・・ずら」について。
 私は岐阜県の東濃地域東部(三河信州境)の生まれで、岐阜県内各地を転勤で巡った者ですが、岐阜県内で「・・・ずら」を使う地域はなかったように思います。もし「・・・ずら」を使う人がいたら、私の偏狭な印象から『この人は静岡県生まれの人か?』と思ったことでしょう。
 奥三河から三河境の東濃の一部では「・・・だら」=「(肯定賛同を求める)・・・でしょう」は、いまでも地元人同士では普通に使います。(「アホンダラ」のだらではありません。石川県の人とはケンカになります)

 なお、藤村の「初恋」は、詩はもちろん小林旭の歌唱も心を揺さぶります。

投稿: 慎兵衛 | 2016年10月27日 (木) 00時40分

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