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栄冠は君に輝く

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:加賀大介、作曲:古関裕而、唄:伊藤久男

1 雲は湧き 光あふれて
  天高く 純白の球今日ぞ飛ぶ
  若人よ いざ
  まなじりは 歓呼にこたえ
  いさぎよし 微笑む希望
  ああ 栄冠は君に輝く

2 風を打ち 大地を蹴りて
  悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ
  若人よ いざ
  一球に 一打に賭けて
  青春の 讃歌を綴れ
  ああ 栄冠は君に輝く

3 空をきる 球の命に
  通うもの 美しく匂える健康
  若人よ いざ
  緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉かざす
  感激を まぶたに描け
  ああ 栄冠は君に輝く

《蛇足》 『全国高等学校野球大会の歌』という副題がついていることからもわかるように、夏の甲子園大会の大会歌で、昭和23年(1948)に発表されました。

 学制改革によって中学校が高校と改称されたのに伴い、それまでの「全国中等学校優勝野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」と衣替えすることになりました。これを機に新しい大会歌を創ることになり、公募によって選ばれたのが上の詞です。
 これに古関裕而が曲をつけ、伊藤久男が創唱しました。詞・曲とも格調が高く、若々しい力に満ちたみごとな作品です。甲子園大会だけでなく、地方大会で歌われることもあります。

 作詞した加賀大介は石川県根上町(現能美市)生まれの文筆家で、本名は中村義雄。
 1等当選の賞金が5万円で、公務員初任給
(昭和23年1月時点で2300円)の約22倍と高額であったことから、"懸賞金目当て"と思われるのを嫌い、婚約者だった高橋道子(結婚後は中村姓)の名前を借りて応募しました。

 加賀が妻に固く口止めしていたため、この名曲の作詞者は長らく中村道子と表示されていました。加賀がようやく真相を公表したのは、昭和43年(1968)の第50回大会のときでした。
 金銭に対してこうしたストイックな姿勢もつ人物は、現代の日本では絶滅危惧種のような気がします
昭和48年(1973)没。

 私は、昔も今も野球にはほとんど関心がありませんが、昭和33年(1958)、高校1年の夏、たまたま富山県立魚津高校対徳島県立徳島商業高校の準々決勝戦をラジオで聞いていました。

 いやあ、興奮しましたね。魚津の村椿輝雄投手と徳島商の板東英二投手の息詰まるような投げ合い。双方無失点を続け、18回で打ち切り、翌日の再試合でも3回まで0対0。
 試合は結局3対1で徳島商の勝ちとなりましたが、合計27イニング中21イニング連続で0対0というまさに熱闘でした。
 この大会で板東英二は奪三振83という大記録を作り、これは平成25年
(2013)春現在も破られていません。

 その後も何度か歴史に残る熱戦があったようですが、私の記憶に残っている大試合はこれだけです。

 なお、春の選抜高校野球大会では、過去2度大会歌が創られましたが、平成5年(1993)の第65回大会からは阿久悠作詞、谷村新司作曲による『今ありて』が使われています。

(二木紘三)

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コメント

「栄冠は君に輝く」の《蛇足》、有り難く拝読しました。富山県立魚津高校対徳島県立徳島商業高校の準々決勝戦に関する部分を読んでいたら55年前のことが懐かしく思い出されてきました。当時ぼくは中学1年生、夏休み、家のラジオで聞いていたように思います。この年の秋に開催された富山国体では富山球場に出かけ高校野球を観戦したことも思い出しました。魚津高校の村椿輝雄投手に中学生のぼくは何か人間的な魅力を感じました。そして、今も忘れられない名前です。

投稿: 楽蜻庵 | 2013年3月30日 (土) 11時26分

 ウン十年前いい歌に出会えた感動、そして二木先生の《蛇足》で知った加賀大介のことや究極の大大熱戦の当時の状況をあらためて知り更に感動をしました。
この詞の・・・青春の賛歌を綴れ・・・感激をまぶたに描け・・・等々すばらしいフレーズ!、“棕櫚の葉かざす”は?勝者のオリーブの代わり?と解釈しますが・・・如何?。
 自宅から徒歩10分のところに高校野球や高校ラグビー・高校フットボール発祥地として<豊中百景>にランクされている<高校野球メモリアルパーク>があり、第1回大会(1915年)・第2回大会(1916年)のレリーフが設置、付近は住宅地になっていて塀や所々の溝に当時の野球場に使われていた茶色の煉瓦が再使用されています。
 尚、ラグビーのレリーフは阪急豊中駅前広場にフットボールのレリーフ(ピーターK・オカダ氏がフットボールの種を蒔いた旨の文字入り)は豊中高校の中庭にあります。

投稿: 尾谷光紀 | 2013年4月 5日 (金) 23時50分

甲子園と言えば松山商と三沢高校の決勝も名勝負でしたね。

投稿: 海道 | 2013年4月 6日 (土) 11時33分

子供の頃から毎年夏になるとこの歌を耳にしておりましたが、この歌が作られたのが私の生まれた年だったのですね。先生の編曲を聴いておりますと高校球児たちの躍動する情景がまぶたに浮かんでまいります。心地よいテンポとリズムに感動しました。ついでながら、素人ですが私も編曲者の感動を味わってみたいと思い、過日この曲に挑戦してみました。お暇なおりにご覧いただけたら望外の喜びです。場所は以下のとおりです。

http://www.youtube.com/watch?v=CM_g4P50IRI

投稿: 荒木義雄 | 2013年6月24日 (月) 11時26分

『第95回全国高校野球選手権記念大会』は残りの準決勝・決勝だけとなりました。
いくつになってもこの歌の特に
   ・・・若人よ いざ ~~~~~~~・・・・・
のフレーズは心に熱く響き、七十余年間は反省~満足~止むなしの思いが募り、出場校49校だけでなく全校の球児やさらに全国の若人にエールを贈りたい!昨今です。
荒木芳雄様のGoodな制作がさらに心を高揚させてもくれました。
このブログ共に感動をいただき、しばしあの頃にタイム・スリップができてありがとうございました。

投稿: 尾谷光紀 | 2013年8月20日 (火) 09時27分

しょぼくれジジイが言うのもおこがましい限りですが、古関裕而と言えば、歌謡曲(とんがり帽子、黒百合の歌、イヨマンテの夜)だけにとどまらず、軍歌(露営の歌、暁に祈る)、マーチ(東京五輪マーチ)、プロ野球球団歌(闘魂こめて(巨人)、六甲おろし(阪神))、大学応援歌(紺碧の空(早大))、高校野球大会歌(栄冠は君に輝く)に至るまで、多彩な作曲活動に瞠目させられる昭和を代表する大作曲家です。
毎年夏になると選手権大会(夏の高校野球)を中継するNHKから流れてきますが、この歌を聴く度に、某県某市の高校で応援団幹部として硬式野球部の応援に熱中していた昭和35年頃が懐かしく思い出されます。出身高校は甲子園出場3回の中堅校でしたが、応援団をやっていた頃はベスト4がせいぜいでした。それはともかく、去年夏の甲子園で活躍した平沢大河(仙台育英→ロッテ)やオコエ(関東第一→楽天)などにはプロ球界に新風を吹き込んで貰いたいもんです。

投稿: 焼酎百代 | 2016年1月 7日 (木) 13時47分

今年の選手権大会は作新学院の54年ぶり優勝で閉幕した訳ですが、「栄冠は作新に輝いた」ことは同じ北関東在住者として喜ばしい限りです。今年は下馬評が高かった4強を始め有力校が次々敗退した波乱大会でした。
10年以上前定年退職した企業を含む企業社会全般は序列社会でしたが、はるか昔所属していた応援団も“序列社会”でした。応援団長―副団長―幹事長―幹部(自分はだたのヒラ幹部でした)と序列は絶対でした(旧制中学からのバンカラ男子校だったため)。しかし各地方予選では女生徒が学ラン着て黄色い声を張り上げる光景を多々見かけ、時代は様変わりしたものです(鶴田浩二と同じ古~い人間です)。

投稿: 焼酎百代 | 2016年8月21日 (日) 17時40分

作新学院の名前はなぜか記憶に残っています。
54年ぶりの優勝だというと1962年、
私は高校3年でした。私のごとき運動音痴でも興味を持ったのが不思議で、ちょっと調べてみました。
史上初の春夏連覇だそうです。
きっと受験勉強漬けの暗い日々にあって
疑問を持たずに邁進する彼らが羨ましかったのでしょう。

投稿: Bianca | 2016年8月22日 (月) 22時31分

  白球にのせて球児の夏がゆく   ひろし
 毎年、夏の高校野球が終わると、行く夏を惜しむ感慨が一入湧いてきます。近年は処暑を過ぎても、猛暑・酷暑は衰えを知りませんが、気分的には初秋を感じさせます。
 わたしが高校野球(正確には「全国中等学校優勝野球大会」)に関心をもったのは、昭和22(1947)年、小学校5年生のときでした。たまたま目にしたスポーツ誌に、その夏の大会で優勝した北九州代表の小倉中学(旧制)が特集されていたのです。戦後いち早く復活した人気のスポーツは野球でした。わたしの住む新潟の片田舎でも、初めは自家製のボールやバットで、のちには布製のグローブやミット(革製は高価で手が出なかったのです)で、草野球に熱中したものです。わたしも、下手ながら草野球チームの一員として一生懸命でしたから、白黒写真で見る、優勝した小倉中学の選手たちはみんな英雄であり、中でもエースの福嶋選手は「野球の神様」のように見えました。その「野球の神様」は、翌年(昭和23年、この年から新制高校による「全国高等学校野球選手権大会」となる)もエースとして投げ、連覇を達成しました。小倉高校は翌々年(昭和24年)も出場し、3連覇が期待されましたが、残念ながら準々決勝で敗退しました。「神様」の肩が酷使に耐えられなかったと言われています。わたしはラジオにかじりついて応援をしていましたが、がっかりすると同時に、「神様」も「人間」だったと、改めて思い直しました。このとき優勝したのが、神奈川代表の湘南高校で、初出場・初優勝でした。巷では、33年ぶりに「真紅の優勝旗」が箱根の山を越えたと、大騒ぎになったそうです。
 勉強そっちのけで、草野球に熱中したこども時代。学制が変わって「六三制野球ばかりが上手くなり」と揶揄されましたが、人生のある時期、脇目も振らず一つの事に熱中することは、人間の成長にとって大切なことです。今の高校球児たちも「神様」になるためにではなく、「人間」として成長するために、夢の甲子園に向かって頑張って欲しいものです。
 
 

投稿: ひろし | 2016年8月29日 (月) 11時32分

今年も夏の高校野球(選手権大会)の開幕が間近ですが、昔、応援団ヒラ幹部として対戦校応援団との間で若気の至りで?軽い暴力沙汰?などやっていた頃を懐かしく?思い出す今日この頃です。
ン年前に古希を過ぎた乏しい年金暮らしの中、好物の薩摩イモ焼酎など飲みながら高校野球中継を見るのが楽しみですが、カミさんの怖い顔(また昼間から酒か…)につくづく申し訳ないと思う今日この頃です。

投稿: 焼酎百代 | 2017年8月 5日 (土) 13時23分

焼酎百代さん「栄冠は君に輝く」のコメント有難うございます。二木先生に この歌を2013年にアップしていただき有難うございます。

甲子園で行われる高校野球中継で何度もこの曲を耳にしていましたが「栄冠は君に輝く」という曲名であることを知りませんでした。
私も少年の頃から野球少年でした。また相撲も好きで栃錦の大ファンでした。中学卒業まで高校生になったら野球をして甲子園を目指そうと淡い思いもありました。越境入学した高校は地方の進学校・・。身体も大きくスポーツ万能で中学時代野球で名をなした生徒が野球部に入部するので怖気付きました。私はチビで野球も普通のレベルなので
選手にもなれないと野球部入りを諦めました。

夢の叶わなかった私は高校生の甲子園を目指す一生懸命な姿や、甲子園で真摯な姿に感動したり涙したりしています。焼酎百代さんと同じ焼酎党で、ダレヤメではイモ、麦、米の焼酎甲子園を仕切っています。素敵な曲に感謝!

投稿: けん | 2017年8月 5日 (土) 16時58分

焼酎百代さま いつもながらユーモアのあるコメント楽しく拝読いたしております。
今の時期になると、何といっても高校球児の夏の甲子園大会の開幕が待ちどうしいところですね!
それに、この「栄冠は君に輝く」の曲を聴けると思えば胸がワクワク最高に盛り上がります!
この曲は、昭和期の大作曲家・古関裕而の作曲によるものですが、他に彼の作品で私が特に好きな曲には、「雨のオランダ坂」「フランチェスカの鐘」「長崎の鐘」などが印象に残っています。
(私のSP盤コレクションの中にも入っていますが)

けんさま 先日は、「瀬戸の花嫁」のコメント、恐縮です。ありがとうございました。
けんさまも 焼酎党との由、私も先ほどまで芋焼酎「鹿児島産・薩摩一」で晩酌をいたしておりました。
焼酎好きの仲間が一人増え大変嬉しく思うばかりです。
できることなら、百代さまと三人で、焼酎で乾杯できれば最高に幸せと思いますが・・・ちょっと無理のようですね!
コメント上で乾杯といきますか?
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 一章 | 2017年8月 5日 (土) 20時11分

連続投稿で大変失礼します。
九州の一章様だけでなくけん様も焼酎党だったですか。「うた物語」ファンで焼酎党が焼酎飲みながら名曲を聴くと安酒も高級酒と相成ります。西九州、南九州、北関東の3人で「うた物語」で乾杯だっぺなー(北関東弁です)。
なお栃若時代は大の栃錦ファンでした。草野球経験(捕手)しかないですが応援団で硬式野球部を裏方で支えていました。

投稿: 焼酎百代 | 2017年8月 5日 (土) 21時20分

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