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ふるさとの燈台

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:清水みのる、作曲:長津義司、唄:田端義夫

1 真帆片帆(まほかたほ) 歌をのせて通う
  ふるさとの小島よ
  燈台の岬よ
  白砂に 残る思い出の
  いまも仄(ほの)かに
  さざなみは さざなみは
  胸をゆするよ

2 漁火(いさりび)の 遠く近くゆるる
  はるかなる小島よ
  燈台のわが家よ
  なつかしき 父のまた母の
  膝はゆりかご
  いつの日も いつの日も
  夢をさそうよ

3 歳ふりて 星に月にしのぶ
  むらさきの小島よ
  燈台のあかりよ
  そよ風の 甘き調べにも
  想いあふれて
  流れくる 流れくる
  熱き涙よ

《蛇足》 昭和27年(1952)テイチクから発売されました。
 この年、田端義夫は、デビューした昭和14年
(1939)リリースの『大利根月夜』を再発売しています。

 その歌手生命の長さと歌への情熱は驚くほどで、平成13年(2001)、82歳のとき、沖縄出身のBEGINに『旅の終わりに聞く歌は』を書いてもらって歌いました。
 平成25年(2013)4月25日、肺炎のため亡くなりました。94歳でした。存分に歌い続け、ご本人も満足できる生涯だったのではないでしょうか。

 上記の歌詞で、真帆」は順風を受けて十分に張った帆、「片帆」は横風を受けて帆走するために斜めに片寄らせて張った帆で、「開き帆」ともいいます。

 写真は御前埼燈台。レコード発売の年に建てられた『ふるさとの燈台』の歌碑があります。地名は御前崎ですが、燈台名は御前埼燈台。

(二木紘三 )

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コメント

「旅路」作詞作曲徳久広司?1)忘れきれない思い出が、俺を泣かせる、一人旅、何処まで行けば、此の胸の、苦しみ、悲しみ消えるのか2)今の俺には、落ち着く先も、こころ休めるとこも無い、ねぐら持たない、根無し草、明日は何処か、夢も無い~広めたい素晴らしい名曲、カラオケ店では、見当たらない昭和の庶民史を語る会13・04・28

「旅路」作詞作曲徳久広司?3)終わる宛てない、此の旅路、待っているのか、可愛い人よ、ここは見知らぬ旅の宿、つのる思いは、故郷へ ~ユーチュウブでは聞けるので、一度聞いてください。唄い続けたい、知られていない多くの名曲が、埋もれています。何とかしたいものです、広める方法のご教示を!昭和の庶民史を語る会13・04・28

「流浪歌(たびうた)」作詞:吉田旺。作曲:徳久広司1)都落ちする背中の寒さ、誰にわかってほしくはないが、優しき友よ別れめに、せめてうたおか流浪歌を2)独り夜汽車に憂いをあずけ、呷る旅酒、なぜこう薄い、祭りのあとの、侘びしさにひとりうたおか流浪歌を~カラオケ店に無いのは、何故ですか。昭和の庶民史を語る会13・04・26


「流浪歌(たびうた)」作詞:吉田旺。作曲:徳久広司3)星の流れにわが行く末を、重ね合わせる他国の夜更け、瞼とじれば故郷が見える、風にうたおか流浪歌を~こころにしみる、好きな歌が、カラオケから抜けているのは悲しい。どのようにすれば、店に入れて、もらえるのかお教え頂ければ幸いです!。昭和の庶民史を語る会13・04・26

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「流浪歌(たびうた)」作詞:吉田旺。作曲:徳久広司1)都落ちする背中の寒さ、誰にわかってほしくはないが、優しき友よ別れめに、せめてうたおか流浪歌を2)独り夜汽車に憂いをあずけ、呷る旅酒、なぜこう薄い、祭りのあとの、侘びしさにひとりうたおか流浪歌を3)星の流れにわが行く末を、重ね合わせる他国の夜更け、瞼とじれば故郷が見える、風にうたおか流浪歌を13・04・26

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「旅の重さ」作詞・作曲・唄/徳久広司。編曲/馬飼野俊一」1)さみしくて さみしくて 暮れまどう 窓辺に一人 訪ねあぐみし 君何処 想いはつのる  旅の宿~素晴らしい歌なのに、どのカラオケ店でも歌えない。歌える店があればお教えくだされば幸いです。後世に歌い伝えていければ、嬉しですが。 昭和の庶民史を語る会13.04.26

「旅の重さ」 2)たそがれに たそがれに 誘われて 川面に一人 流るる水に 病葉を 浮かべる我が身の 哀しさよ 3)つれづれに つれづれに かいま見る 君の面影 めぐり逢うせし その時は 熱き唇 重ねよや~日野てる子の「爪をかむ少女」と共に、みんなに歌ってほしい名曲、一度聞いて!。 昭和の庶民史を語る会13.04.26

投稿: 昭和の庶民史を語る会 | 2013年4月28日 (日) 21時28分

 バタヤンが逝かれて残された数々の歌の中で私にとっては何時も口ずさむ最高の歌「ふるさとの灯台」を、どこの灯台でしょうか?御前崎でしょうか?夕焼けのすばらしい景観共に二木先生ありがとうございました。
 
 今年の4/19・12:00~17:00までNHK大阪ホールを借り切っての懐メロ保存会:リベリカ本店主催『第77回昭和の懐メロ大行進!』では、全てバタヤンスタイルで78歳のK.Oさんが歌い大喝采でした。
私は`09年の前回より増員の二胡9名と演奏「チャイナタンゴ」、歌伴奏「支那の夜」と「紅い睡蓮」をソプラノサックスで音響のすばらしさに酔いつつあっという間でした。

 今回NHKに依頼したDVD作業途中にバタヤンの訃報で落ち込んでいた矢先、ビタミン剤ともいえるこのブログのお陰でこの歌を目指しボイス・トレーニングを始めようかと歳を無視した思いも湧いてきました。それほどメロメロにしてくれた「ふるさとの灯台」・・・。
 
 歌碑は静岡の御前崎灯台にあるそうですが、何時か訪れたいと思っています。

投稿: 尾谷光紀 | 2013年4月29日 (月) 12時12分

この方の歌には島、船、ふるさとと郷愁を誘う歌が多いが何となく昔の思い出が残っているのでしょうか。氏より3歳若くして氏より2日前に母が逝きましたご冥福をお祈りいたします。

投稿: 海道 | 2013年4月30日 (火) 12時50分

海道様
 お母様、心からお悔み申し上げます。亡くなられたばかりは気が張っておられますが、時間が経つにしたがって優しかったお母様のことが思い出されることと思います。自分が母親になってみて子供は幾つになっても子供なのだと思い知らされました。海道さんがお元気て生きて居られることが何よりの喜びだったと思います。お母様のご冥福お祈りいたします。健康に生きて親孝行をなさってくださいね。

投稿: ハコベの花 | 2013年5月 9日 (木) 20時55分

昭和27年は小生が田舎の高校に入学した年で一歳下の友と裏山に行きよくこの歌を歌いました。大好きな曲のひとつです。今でもカラオケで歌うと80ウン歳の友人が涙が出そうだと下手な歌を喜んで呉れます。しみじみとしたメロディと詩が心に沁みる名曲ですね。

投稿: 山下 | 2013年5月21日 (火) 23時25分

灯台も灯台守も今は無用ですね。時計につくGPS(Global Positioning System)が1m誤差で、自分の地球上位置を示す時代だから。すると私の灯台の岬、経ヶ岬もあの白い円筒形灯台も、普段に聴けるMP3「ふるさとの灯台」やUSAの曲「灯台守」の中で生き続けてくれるでしょう。 この清水みのる詩と、勝丞夫の「凍れる月影 空に冴えて…」との作詞にも同じ語彙が見出されます。前者に後者のイメージがこだましていたのでしょうか…。

かせいさんから優しい言葉を、「港」と「灯台守」を原風景にする小生にいただきました。音程を違えて歌う輩にとって、誠にありがたく存じます。 田端義夫の詩は歌うには難しすぎます。しかし聴くには何と快く心情に響いてくることか。昭和27年、京都の室町小学校に通っていましたが、この曲と田端の歌を聞いた覚えは全くありません。

投稿: minatoya | 2014年1月21日 (火) 12時57分

確か昭和32年2回目のレコードには、2番と3番の間奏に「ねんねんころりよおころりよ~」と江戸子守歌のメロディが入っており、哀愁にに包まれていっそう郷愁を呼び起こしてくれる嬉しい収録です。

投稿: 尾谷光紀 | 2016年9月 7日 (水) 22時12分

大岡信さんの「折々のうた」に昭和14年の坪野哲久氏の歌
が採録されています。

 少年貧時のかなしみは烙印のごときかなや
       夢さめてなほもなみだ溢れ出づ

大岡さんは「・・定型からするとはみ出しが多い。・・破調の歌を作るには、それだけの必然性があるはずで、・・
少年時の貧の悲しみを知る人は、この字余りのうちに言い難い思いをよむだろう。・・」と書いています。

2011.12.10 の読売新聞に特別編集委員の橋本五郎氏によって明治16年生まれの高名な社会学者・高田保馬博士の
父を失った少年時の話が紹介されています。
「佐賀中学時代、往復4里の道を通い、粗末なおかずの弁当
を道路脇のやぶに隠して帰りに食べた。町の子のように
奈良漬のおかずが欲しかったが貧しい母に願うわけにはいかない。昼食時には一人で鉄棒した。」というエピソードである。
ところで、田端さんも舞台の上で同じような話を歌と歌の間でギターを爪弾きながら低い声で遠慮がちに語っている
のをみたことがあります。姉が早くに芸者に出たこと、貧しくて弁当を持っていくことができなかったので、弁当の時間には運動場で遊んでいたこと、小学校を終えて働きに
でるとき途中まで母が見送りに来てくれ、別れてまたふり
返ると丘の上で母がいつまでも手をふりつずけていたことなど。
流行歌手が大勢の観客を前にしてこういう語りををすると
どうしてもお涙頂戴の浪花節にきこえてしまいますが、ぼくはたぶんそうではないと思っています。やがて <まほ
かたほ 唄をのせて通う> と歌いはじめたころ彼の頬に
一筋の光るものが落ちてゆきました。パーフォーマンスとは思えない。
高田博士の話にも田畑さんの話にもともに「弁当」が出て
まいります。この「弁当」こそこの時代の少年のかなしみ
を解くかぎがあります。冒頭の坪野氏をみてください、たぶん弁当なしで一人鉄棒をしている健気な自分を回想しつつ「なみだ溢れ出づ」。

正統な教育をうけることができなかったひとが独力で自分
を鍛え磨き上げたとき、類をみない深い味わいの作品を
生み出すことがあります。田端さんの歌唱は詩の高みにまで達しています。人のこころをとらえるのはそのせいです
「ふるさとの灯台」は田端さんの歌手人生のゆきついた
絶唱にちがいありません。

投稿: 村のしぐれ | 2016年10月 9日 (日) 22時57分

長津義司とくれば『大利根月夜』『玄海ブルース』『チャンチキおけさ』『大利根無情』…多数のヒット曲がありますが、特に『ふるさとの燈台』は実にしみじみとした曲です。九州の一章様と同じく芋焼酎(鹿児島産が好物)など飲みながら聴くと、長津義司曲良し、バタヤン歌唱良し、二木先生演奏良し、酒良しと相成ります。
作詞の清水みのるは長津義司と同じ静岡県出身だそうですが、「御前崎灯台」を想定したのか?、それとも「犬吠埼灯台」か?、「潮岬灯台」か?、「室戸岬灯台」か?と勝手に想像するのも一興です。

投稿: 焼酎百代 | 2016年10月23日 (日) 21時36分

私もこの曲が大好きなバタヤンの大フアンです。
バタヤンがギターを胸に切々と唄う姿には感動の連続でした。
先ほどまで、焼酎百代さまと同様、鹿児島産の「芋焼酎」を飲みながらこの曲を聴いていました。
それにしても、いつもながら二木楽団の演奏には心が吸い込まれます。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: 一章 | 2016年10月24日 (月) 20時40分

正統的な混声合唱団で歌うことと同時に、仲間に誘われて区の施設を利用して、週一二度、カラオケの集まりに加わり、そこでも声を出しています。仲間たちが歌う歌の七割ぐらいが、今の演歌で、正直食傷気味なのですが、お一人、日本のスタンダード的ないい歌を歌われる七十代の男性がおられて、その方が歌われたこの歌の素晴らしさ(ご本人の歌唱もすばらしかったですが)に感激し、自分も覚えようと思い、田端義夫のレコードを再び取り出して聞いてみたり、二木先生のこの楽器バージョンを聞かせていただいだりして、自分のレパートリーに加えました。先日、小生、恥ずかしながらこの歌をカラオケの会で歌ったのですが、さきほどの男性から褒めて頂き嬉しくなりました。二木先生、これからもいい歌をご紹介ください。

投稿: 朝風呂 | 2017年3月31日 (金) 05時14分

能登半島のわたしの故郷にも小さい灯台がありました。その下での堤防釣りも思い出です。今は離郷の身ですが心にはいつも古里があります。

この歌は難しいですね。でも、よくカラオケで歌います。DAMのカラオケ映像はばたやん自身が墓参している場面を含んでいて臨場感があります。わたしも自分なりの体験に基づいた情景を思い浮かべて・・・。不覚にも”熱き涙”が”流れくる”ことがあります。

投稿: ザジ | 2017年3月31日 (金) 10時09分

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