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れんげ草

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:安東 久、唄:ビリー・バンバン

1 山のふもとの 小さな村に
  咲いたかわいい れんげ草よ
  おぼえているかい あの娘(こ)のことを
  えくぼが可愛いい 娘だったね
  黒いひとみで (黒いひとみで)
  ほほえんで (ほほえんで)
  れんげ草を 僕にくれたっけ
  あの日は霧が かかっていたね
  おぼえているかい れんげ草

2 おぼえているかい あの日のことを
  おぼえているかい れんげ草よ
  あの娘のおとした 涙のことを
  えくぼに真珠が おちてたね
  あの娘の肩に (あの娘の肩に)
  手をおいて (手をおいて)
  うつむいたまま 僕にくれたっけ
  あの日も霧が かかっていたね
  おぼえているかい れんげ草

《蛇足》 昭和47年(1972)、日本コロムビアから発売。菅原孝・進兄弟のハーモニーが快く響きます。

 この4年後、歌に対する姿勢の違いから解散しますが、ビリー・バンバン復活を求めるファンの声に応えて、昭和59年(1984)に再結成、以降は、それぞれの活動と並行して、デュオとしての活動を行っています。

 作詞・作曲者の安東久の経歴がわかりません。JASRACの著作権データベースでもネット情報でも、この曲についてしか名前が出てきません。この曲の制作時にだけ使ったビリー・バンバンの筆名ではないかと推測していますが、事情をご存じの方はお知らせください。

 レンゲ草は漢字では蓮華草と書き、漢名は紫雲英、翹揺で、別名ゲンゲ(玄華)。マメ科の二年草で、窒素の固定力が強いため、江戸後期から緑肥として水田で栽培されてきました。

 高さ4、50センチぐらいまで伸びるので、花盛りの時期に水田の真ん中あたりに身を伏せると、周りからは見えません。
 私は小学生時代――昭和20年代の終わりぐらいまでですが――学校の帰りにレンゲの花の中に仰向けに寝転んで、青い空を眺めたり、揚げ雲雀の鳴き声を聞いたりするのが好きでした。水田の湿気が背中に染みてくるので、ほんの数分間の愉楽でしたが。

 春には日本中の農村地帯で見られた風景でしたが、化学肥料が普及してくると、目にする機会が非常に少なくなりました。近年、有機栽培が見直され、レンゲ草を復活させたところも増えているようです。

(二木紘三)

 

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コメント

懐かしい歌です。20代最後の頃と記憶していますが、組合活動で文化部長からギターで教えてもらった歌です。難しい歌だと感じました。

投稿: 海道 | 2013年6月12日 (水) 08時34分

幼い時の畑一面のレンゲはこれでなかった。白か赤のツメクサ(同じマメ科でクラーヴェル/クローヴァー)をレンゲと思っていたんです。ところ変われば品かわる、、、でしょうか。

‘20代最後の頃`、終電がとっくに過ぎ、暖簾をしまう寸前に駆け込んだおでん屋。あるいは締切間際で徹夜続き、肝心の会議で居眠り大失策。あの頃、大馬力の日本に尽くした名無しの権衛兵こと一兵卒だったような気がします。こんな歌があったのか…と思っても、もう取り返しがつかない。

投稿: minatoya | 2013年8月19日 (月) 07時14分

この歌は知りませんでしたが、私はれんげ草が大好きです。二木先生のおっしゃるとおり、こどものころ、れんげ草の咲き乱れる休耕地に寝そべって空を見上げるのが好きでした。15年ぐらい前にこどもの幼稚園のPTAで広報の担当をしたのですが、その広報誌が「れんげ草」という題でした。そしたらお母様方の中から「れんげ草って何ですか?」という質問が出て、私がお答えした記憶があります。れんげ草にねっころがって、「れんげつもう はなつもう ことしのれんげはよう咲いた・・」という歌を歌っていた記憶があるのですが、忘れてしまいました。

投稿: ぽん | 2015年6月 2日 (火) 14時36分

小学生の頃、祖母にくっ付いて田圃の仕事を手伝っていました。ついでに、セリやタニシを採ったり、フナを捕まえて遊んでもいました。

ある日、田圃に沿った小道を通学用かばんを抱えたセーラー服姿の少女が通り過ぎました。

私と同学年の小学生の女の子にはない眩しさに魅せられて彼女が去って行く姿をずっと目で追いかけました。彼女は中学一年生頃だったのだろうと思います。きっとそのとき私は女学生というものに初めて魅せられたのだと思います。優しい風に彼女の黒髪が揺れて・・・

そんな私を見ていた祖母は、私の背中から「○○さん家(ち)の娘さんだよ」と言いました。”○○さんち”という祖母の言葉が聞き取れませんでした。またそのとき恥ずかしくて聞き直すこともできませんでした。

中学生になって田圃や畑の手伝いをすることも無くなりましたが、高校生になって通学の列車の窓からその田圃を眺めることができました。

春、咲き乱れたれんげ草で一面に埋め尽くされている田圃の美しさに息を飲みました。そして、小学生の時の手伝いやあの少女のことを思い出し、ずいぶん昔のことになってしまったなぁ、と懐かしんだものです。

その高校時代からももはや50年過ぎ去ってしまいました。あの少女、幻だったのだろうか・・・

投稿: yoko | 2015年6月 2日 (火) 22時28分

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