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カミニート

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:ガビノ・コリア・ペニャロサ、作曲:ファン・デ・ディオス・フィリベルト
日本語詞:藤沢嵐子

カミニートよ 愛の小径
二人歩みし小径
君の胸に寄りて笑みし
忘れえぬ径
白き花こぼれ咲きて
細き径に匂う
花の今は散れど
今も夢の消えず

思い出の細き径
夢を慕いて さまよえど
君の影 今はなく
胸に迫る わびしさよ
  (最初から繰り返す)

    Caminito

1. Caminito que el tiempo ha borrado
   que juntos un día nos viste pasar,
   he venido por última vez,
   he venido a contarte mi mal,
   Caminito que entonces estabas
   bordado de trébol y juncos en flor,
   una sombra que ya pronto serás,
   una sombra lo mismo que yo

   Desde que se fue,
   triste vivo yo,
   caminito amigo,
   Yo también me voy
   Desde que se fue,
   nunca más volvió,
   seguiré sus pasos,
   caminito, adiós

2. Caminito que todas las tardes
   feliz recorría cantando mi amor,
   no le digas si vuelve a pasar
   que mi llanto tu suelo regó,
   Caminito cubierto de cardos,
   la mano del tiempo tu huella borró,
   yo a tu lado quisiera caer
   y que el tiempo nos mate a los dos

   Desde que se fue,
   triste vivo yo,
   caminito amigo,
   Yo también me voy.
   Desde que se fue,
   nunca más volvió,
   seguiré sus pasos,
   caminito, adiós

《蛇足》 アルゼンチンタンゴのスタンダードナンバーの1つ。
 1903年に発表されたガビノ・コリア・ペニャロサ
(Gabino Coria Peñaloza)の詩に、ファン・デ・ディオス・フィリベルト(Juan de Diós Filiberto)が曲をつけたもの。1926年にブエノスアイレス市主催の歌曲コンクールに応募して優勝し、以後、世界中のタンゴファンに親しまれてきました。

 日本には昭和8,9年ごろに入ってきました。淡谷のり子、藤沢嵐子、高英男、芦野宏、グラシェラ・スサーナ、冴木杏奈など多くの歌手が歌っています。
 藤沢嵐子は、昭和20年代半ばに起こったタンゴブームのときに、"タンゴの女王"と呼ばれた人。彼女が『カミニート』につけた日本語詞は、原詞の意味と情感を簡潔に表現したみごとなものです。

 カミニート(caminito)は小道という意味で、ペニャロサはこの詩を、故郷チレシートでの思い出の道をイメージして書いたと伝えられます

 今はカミニートというと、ブエノスアイレスの海側、ボカにあるカミニート通りを指すようになっています。
 ここは、もとは
リアチュエロ川に流れこむ小川でしたが、埋め立てられて近くの港に貨物を運ぶ鉄道が引かれました。港が衰退し、貨物線も廃線になると、一帯は荒廃した街になりました。

 フィリベルトの親友でボカ生まれの画家、キンケラ・マルティンは、成功すると、得た資金でボカ一帯に幼稚園や学校、美術館などを建てました。
 カミニートに
は、地元の人たちと相談して、大胆なカラーリングを施した建物をいくつも建てました(写真)

 ボカを中心とするブエノスアイレスの南東部地域は、タンゴ発祥の地とされます(『エル・チョクロ』参照)。『カミニート』の大ヒットもあって、このあたりはタンゴの聖地のようになっています。
 今ではブエノスアイレスを代表する観光名所になり、
大道芸人が本場のタンゴを踊り、画家の卵たちが自作を売るために集まって、観光客たちを楽しませています。

(二木紘三)

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コメント

カミニート・・・懐かしいタンゴ曲です。
藤沢嵐子が現役時代に地方巡業のコンサートを聴きました。やや彼女のピークを過ぎてはいましたが、円熟した歌声は絶品でした。

その時舞台の前座を務めたのが学生服姿の菅原洋一です。学生服はおそらく舞台衣装ではなかったかと思われますが、まだほっそりとした姿が初々しくよく似合っていました。またその歌声の若若しく魅力的だったこと。無名の彼の素晴らしい歌唱力に酔いしれた思い出があります。

投稿: おキヨ | 2013年7月17日 (水) 11時51分

懐かしいですね。高校の音楽の時間に覚えたか、歌声喫茶で覚えたか今や思い出せませんが、この歌を歌うときいつも、クラス仲間として集団で付き合っていたものの、こちらの貧しさと成績の悪さが壁と思い、思いを伝える機会がなかった同じクラスの女生徒を、思い描いていました。

投稿: ケン | 2013年7月26日 (金) 22時17分

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