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圭子の夢は夜ひらく

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:石坂まさを、作曲:曽根幸明、唄:藤 圭子

1 赤く咲くのは けしの花
  白く咲くのは 百合の花
  どう咲きゃいいのさ この私
  夢は夜ひらく

2 十五 十六 十七と
  私の人生 暗かった
  過去はどんなに 暗くとも
  夢は夜ひらく

3 昨日マー坊 今日トミー
  明日はジョージか ケン坊か
  恋ははかなく 過ぎて行き
  夢は夜ひらく

        (間奏)

4 夜咲くネオンは 嘘の花
  夜飛ぶ蝶々も 嘘の花
  嘘を肴(さかな)に 酒をくみゃ
  夢は夜ひらく

5 前を見るよな 柄じゃない
  うしろ向くよな 柄じゃない
  よそ見してたら 泣きを見た
  夢は夜ひらく

        (間奏)

6 一から十まで 馬鹿でした
  馬鹿にゃ未練は ないけれど
  忘れられない 奴ばかり
  夢は夜ひらく
  夢は夜ひらく

《蛇足》 昭和45年(1970)4月25日にリリース。 10週連続オリコン1位にランクされ、77万枚を売り上げました。
 昭和41年
(1966)に園まり、緑川アコなどにより競作された『夢は夜ひらく』のカヴァーですが、恋の歌だったこれらのヴァージョンとはまったく違う怨み節系のトーンになっています。

 陶器の日本人形のような整った顔立ちで、アングラっぽいスロー・バラードをかすれ声で歌うというミスマッチな感じが、人びとを惹きつけました。

 藤圭子が『新宿の女』でデビューしたのは昭和44年(1969)ですが、その前年あたりから数年間は"学生反乱の時代"と重なります。

 1968年5月には、フランス・ナンテール大学の学生"赤毛のダニー"ことダニエル・コーン=ベンディットらが大学民主化やベトナム反戦を叫び、全国の労働者も巻き込んでゼネスト行い、ド=ゴール大統領の第五共和政を崩壊寸前まで追い詰めました(五月革命)
 この運動はイタリア、ドイツ、アメリカなど先進各国の大学に飛び火しました。

 わが国では、昭和40年代初め頃から、早稲田、慶応、中央、明治、法政などで学費値上げ反対や大学民主化をテーマとした学園闘争が頻発、それらは昭和43年(1968)の日大全共闘(議長=秋田明大)と東大全共闘(議長=山本義隆)による大学建物のバリケード封鎖と大学当局との大衆団交(大学管理者側にとってはつるし上げ)によって頂点に達しました。
 両方とも翌昭和44年
(1969)春には、機動隊によるバリケード封鎖の強行解除によって収束しました。この年、東大入試が中止されたことは多くの人の記憶に残っていると思います。

 学園紛争以外では、安保条約延長反対をめぐって、昭和43年以降、羽田闘争、新宿騒乱事件、国際反戦デー闘争、佐藤首相訪米阻止闘争など、相次いで紛争が起こりました。
 この「70年安保闘争」は、ベトナム反戦運動や成田空港反対運動、沖縄返還運動と結びつきましたが、佐藤政権による徹底的な取り締まりと学生運動の内部分裂や内ゲバによって、次第に力を失っていきました。

 こうした流れのなかで挫折感や敗北感に襲われた学生たちの胸に沁みたのが、「赤く咲くのはけしの花/白く咲くのは百合の花/どう咲きゃいいのさ/この私」と歌う『圭子の夢は夜ひらく』でした。
 第一次安保闘争
(60年安保)のとき、同じような状況に追い込まれた学生・青年たちが愛唱した『アカシアの雨がやむとき』と同じような役割を果たしたわけです。
 この時期に学生生活ないし青春期を送った人たちには、忘れられない歌の1つでしょう。

 藤圭子は、娘・宇多田ヒカルがまだ子どもの時代に心の病を発症したようで、奇矯な言動がいくつか伝えられています。平成25年(2013)月22日、西新宿で自死。62歳。
 多くの人たちの胸に響いた歌をいくつも遺したこと、天才的な歌唱力が娘に受け継がれたことをもって瞑すべし、でしょう。

(二木紘三)

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コメント

‘‘‘‘
夢は夜ひらく
藤圭子が、自殺しましたね;
なんか、昔の思い出が、なくなってしまうのは、寂しいですね~
‘‘‘‘
六日前に届いた我が五指に入る悪友のメイル。
さっそく二木さんの激しいあの時代への読みと彼女への思いが こうしてファンの私どもに届く。

悪友の何気ない、しかし万感の胸の内と共に、MP3演奏を響かせています。合掌。

投稿: minatoya | 2013年8月29日 (木) 02時32分

亡くなる数カ月前からYOUTUBEで美空ひばり「みだれ髪」を彼女が歌っているのを聞いて、登録してました。少し巻き舌で、ドスの効いた歌い方を気に入ってました。同じ出身地のせいか、新宿西口の通称、小便横丁で鯨肉のトンカツと安酒をあおりながら、よく歌ったものです。歳を重ねると、歌もよく聞こえるようになるのでしょうか。大学紛争、当時は闘争と言ったのですが、自然と転向してしまい、あの当時のドスのきいた己の声も険しい目つきも好々爺になってしまいました。会うは別れの始めとは言いつつも、別れるのは、やはりさみしいですね。

投稿: にしちゃん×2 | 2013年9月 3日 (火) 21時45分

藤圭子はお河童のさみしげな風情とあの美貌、あの迫力ある歌声、そして絶望的な中に仄明るさを感じさせる歌詞、1969年の紅白に出たとき、いえそれ以前からですが、忘れられない歌手です。しかしその公式イメージとは別にお茶目な一面もあり、TVで「キャベツ炒めが一番好き」なんて言っていました。時々わが家でも作っては彼女を偲んでいます。最後は衝撃的でしたが、彼女らしい潔さも感じますね。私はその真似はせず「女ですもの、生きて」いきますが…。

投稿: Bianca | 2013年9月 5日 (木) 13時40分

 藤圭子さん、本当に残念な亡くなり方をしましたね。サルトルの言うように「人生の選択肢は、つねに自分にある」。自殺も選択肢の一つですが、残念です・・。最近はサルトルはうそつきと思っている私です。
 この歌に男性遍歴がでてきます。
♪  昨日ター坊、今日トミー、明日はジョージかケン坊か
でもなにか心に響いてこない。
あ、そう、あなたは悲惨な思春期だったのね、だから何なの、という感じ。

 この時期に流行った「いいじゃないの幸せならば」の歌詞に、格の違いを感じたからでもあります。
その歌のフレーズに
♪  あの晩 あの子の顔を忘れて
 あの晩 あなたに抱かれた私
 悪い女と 人はいうけれど
 いいじゃないの 今がよけりゃ
子持ちの女性のいわゆる不倫です。
 挑発的な題名であり、歌詞ですが、モラルというのは他人からとやかく押し付けられるものではないし、人間の心の深淵にはなにが潜んでいるか、誰にもわからないということを歌っています。
この女性はこどもにごめんねと叫んでいます
 相良直美のさっぱりとした歌い方とともに、いい歌だなあと思いました。二つの歌を比較しながら味わう、そういうこともありではないかなと思います。

投稿: 浮舟 | 2013年10月26日 (土) 23時05分

浮舟様

佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」のフレーズの(あの子)は大人の男子であって、主人公の子供のことじゃないと思うのですが。当時流行っていた、そういう冷めたというか、ドライというか、そういう類いの女性の心情を歌ったものではなかったのかと…。
歌の雰囲気、ニュアンスなるものは少々違いこそすれ、「圭子の…」も「いいじゃないの…」もおおかたはおなじではないかとおもうのですが…。私はそういう風に(あの子)を解釈しました。いろいろですね。

投稿: かせい | 2013年10月27日 (日) 01時19分

「昨日ター坊、今日トミー、明日はジョージかケン坊か」には「きのう勤王、あしたは佐幕」に通じる日本的な心性が感じられますね。ところで「子連れ」ってことは、たぶん無いでしょう、相良直美ですから。
★「いいじゃないの幸せならば」の作詞家、岩谷時子さんがお亡くなりになったと新聞で知りました。ご冥福を祈ります。

投稿: Bianca | 2013年10月29日 (火) 11時32分

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