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2014年1月 8日 (水)

襟裳岬(森進一)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:岡本おさみ、作曲:吉田拓郎、唄:森 進一

1 北の街ではもう 悲しみを暖炉で
  もやしはじめてるらしい
  わけのわからないことで 悩んでいるうち
  おいぼれてしまうから
  だまりとおした歳月(としつき)
  ひろい集めて 暖めあおう
  えりもの春は 何もない春です

2 君は二杯めだよね コーヒーカップに
  角砂糖をひとつだったね
  すててきてしまった わずらわしさだけを
  くるくるかきまわして
  通りすぎた夏のにおい
  想い出して なつかしいね
  えりもの春は 何もない春です

3 日々のくらしはいやでも やってくるけど
  静かに笑ってしまおう
  いじけることだけが 生きることだと
  かいならしすぎたので
  身構えながら 話すなんて
  ああ おくびょうなんだよね
  えりもの春は 何もない春です
  寒い友だちが 訪ねてきたよ
  えんりょはいらないから 暖まってゆきなよ

《蛇足》 昭和49年(1974)1月に発売。
 歌謡曲とフォークソングの棲み分けがまだかなりはっきりしていた時代に、演歌歌手がフォークを歌うという画期的な試みで大成功を収めた記念碑的な作品です。
 森進一は、この曲で同年の日本レコード大賞と日本歌謡大賞をダブル受賞し、NHK紅白歌合戦のトリも務めました。

 襟裳岬は北海道の東西の中間線が南に鋭く突き出た突端にある岬で、北海道の背骨・日高山脈の終端部に当たります。先端は約2キロにわたる岩礁群で、沖合は世界有数の漁場になっています。
 行政区分としては、えりも町に含まれます。

 この歌が流行り始めたころ、えりも町の住民から、「えりもの春は何もない春です」というフレーズについて、レコード会社や作詞者に抗議が寄せられたと伝えられています。
 報道の内容を正確には覚えていませんが、「えりもの春はさわやかな晴天が続いたと思うと冷たい強風が吹き、やがて花が咲き、ゼニガタアザラシやラッコがやってきて、浜辺には昆布が打ち上げられるなど、見るべきものがいっぱいある、それなのに『何もない春』とはケシカラン」といった趣旨だったと思います。

 この歌が大ヒットして観光客が増えると、住民の不満は一転して感謝に変わり、岬には歌碑も建てられました。しかし、「何もない春」については納得していない住民がまだ多いようです。

 私は、「何もない春です」を聴いたとき、19世紀イギリスの詩人ロバート・ブラウニングの『春の朝』という詩を思い起こしました。上田敏の訳詩集『海潮音』では、次のようになっています。

時は春、
日は朝
(あした)
(あした)は七時、
片岡
(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(
あげひばり)なのりいで、
蝸牛
(かたつむり)枝に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

 これは、詩人がいちばん好きな季節、そのうちでもとくに気に入っている時間帯を歌ったものです。したがって、「すべて世は事も無し」は、満足感と肯定感、平たくいえば「ああいい気分だ。楽しいなあ」と述べた表現ということになります。
 「えりもの春は何もない春です」もこれと同じで、安らぎや充足感を表現したフレーズではないでしょうか。「何もなくてつまらない場所だ」とは、どうしてもとれないのですが……。

(二木紘三)

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コメント

 この曲が流行した年に大学に入学し、その夏に北海道旅行へ出掛けました。その当時の若者のスタイルは北海道周遊券を買い、旧国鉄大時刻表を片手に、所持金と周遊券の有効期限が許す限りの旅行をするというものでした。襟裳岬へは苫小牧方面から旧国鉄日高線で様似まで行き、そこからバスで行った記憶があります。現地のユースホステルに一泊後、翌日はまたバスで広尾まで行きました。当時は広尾線の愛国の駅が大賑わっていました。理由は同じ広尾線に幸福駅があり、“愛国発幸福行き”の切符を求める観光客であふれていたからです。私はこちらの記憶の方が印象に強く、襟裳岬は歌詞の様に“何もない”という印象しか残っていません。当時の周遊券利用の北海道一周旅行はコースがほぼ決まっていて、同じ学生と行く先々で出くわすことがあり、その後しばらく文通をしたり、後に再会をしたということもありました。SNSが普及した現在からは想像もできない話だと思います。

投稿: Yoshi | 2014年1月 8日 (水) 23時40分

温かい’初春’が続く今朝、クロワッサンを手早く焼き、やや雨っぽい森を見つつ、サクサクいただいた。昨日、採取したクレッソンがあり、缶詰クロワッサンに巻き込んだのです。オランダガラシと和名がある野性種で、特有の辛苦味がクロワッサンと合うような気がする。何もない春ながら、歌謡曲だと思っていた懐かしく聞き覚えのあるメロディーが父国をジーンと思い出させてくれます。目頭が熱くなる…

牧草地を区切る綺麗な流れにクレッソンが出始めると、春なのかもしれません。白い花が群れをなすのは四月以降なんですが。

この一年ほど、クロワッサンを数日掛けて焼いています。地をこねて寝かす繰り返し、バターを平たい正方形に生成する、むかしの本格フランス流。いろいろ素材を巻き込む楽しみもある。かんずめ即席クロワッサンは風味と焼き上がりにホームメイドの渋みと厚さに欠けます。けれども今日のような何気ない木曜に、襟裳岬の調べとともに賞味すると、誠に申し分ありません。

投稿: minatoya | 2014年1月10日 (金) 00時27分

 <蛇足>に紹介された「何もない春です」をめぐる、えりも町のクレーム騒動はたいへん興味深いです。
 何もないという言葉は、地方の旅館に泊まるとよく耳にします。
 「何もない田舎ですが、ようきてくれました」
 「何もありませんが、夕ご飯、たべてください」
 当然ですが、本当に何もないのではなく、とりたてて言うほどのものはないという、謙虚な言い方です。
 身内どうしで、「おらの故郷には何もねえ」と認めていても、他所の人から「何もない所だな」といわれると、心穏やかならざるものがあるのでしょうね。
 えりも町への観光客誘致などの思惑のある人々の抗議は別として、故郷をけなされたように思った人もいたでしょう。
 歌謡曲に歌われるとなると、芸能界すなわち、東京の連中から、えりも町が田舎扱いされているような気分もでてきたかもしれません。ばかにするな、いいところたくさんあるぞ、何も知らんもんが無責任なことをいうなと。まあ、しかし「何もない春です」は単なるキャッチフレーズですから、カリカリくることもなかったのではありませんか。
 ともあれ結果的に観光客がたくさん訪れてよかったですね。高速道路がない、コンビニがない、自動販売機がない、煩わしいことがない、心配ごとがない・・
 「何もない」は、レベルの高い褒め言葉であります。

投稿: 七色仮面 | 2014年1月10日 (金) 15時10分

釧路が故郷という女性が「釧路は寂れて何もない所よ」と寂しそうに言ったので「しらじらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かなという素晴らしい歌があるじゃないのそれだけでも羨ましい」と言ったら涙ぐんでしまいました。名歌のある故郷を持っている人は幸せです。

投稿: ハコベの花 | 2014年1月10日 (金) 21時57分

二木紘三(ふたつぎ・こうぞうさん常に心が下降気味になると本当に心癒やさせて頂いています 難しいPCの操作は85年も生き抜いた老体には難しいですが 以前ネットの我にとり忘れられないネット今は亡き友でした。感謝しています。

投稿: 中山 隆之 | 2014年1月15日 (水) 12時18分

この歌がリリースされたとき、「何もない春です」のフレーズが物議をかもしたという話は、わたしも聞いています。歌の舞台であるえりも町がいちゃもんをつけたというのですが、わたしには、これには深謀遠慮が働いているように思えてならないのです。何故かと言えば、すでに襟裳岬は島倉千代子のヒット曲「襟裳岬」で全国的に有名になったところです。折からの高度成長の波に乗って、襟裳岬にはたくさんの観光客が押し寄せたと想像できます。ここからは、独断と偏見ですので、あしからずご了承ください。
 しかし、この「何もない春です」が、それに水をさすかも知れない。それを懼れたえりも町および観光業者が敢えて誤解(曲解)してクレームをつけたように思えてならないのです。この歌を素直に読めば、誰だって襟裳岬の自然そのものや風景を詠ったものではなく、日常の瑣事に煩わされ、(友達との)人間関係に悩む「ひと」の心情を詠ったことくらい分かりますよね。敢えてクレームをつけることによって、襟裳岬の存在を再度アッピールし、加えてこの歌の中身を誤解しかねないファンにも理解させる効果を狙ったように思うのですが、如何でしょうか。メディアもこの話題を取り上げたという記憶がありますから、この思惑(?)は見事に成功し、この歌は100万枚を超える大ヒット曲となると同時に、襟裳岬は多くの演歌やフォークのファンのみならず、国民的人気の観光地として再認識されたのではないか、というのがわたしの愚見です。

投稿: ひろし | 2014年1月15日 (水) 15時28分

島倉千代子の襟裳岬も素敵な歌ですが、拓郎の作曲になる襟裳岬は戦後の名曲だと思います。私が襟裳岬を訪れたのは45年も前ですが、襟裳岬の風景を呼び覚ましてくれる曲です。個人的には、拓郎が歌ったフォーク調がベストと思いますが、最近聞くことが出来ないのが残念です。

投稿: 湯本 | 2014年6月28日 (土) 22時53分

大学4年の夏、高校・大学が同じ男子3人で北海道旅行しました。朝4時に京都を車で出発し、青森港に翌朝4時に着きました。24時間かかりました。そして、青函連絡船で台風と一緒に北海道に上陸しました。2週間かけて北海道を走り回りしたが、台風で道が寸断されていたりして、結局、予定していた襟裳岬には行けませんでした。。。。

投稿: 本田雅生 | 2014年8月10日 (日) 22時22分

蛇足の「ブラウニング」の詩。高校かどこかで見た記憶があります。
当時意味は分かりませんでしたが、解説で氷解しました。襟裳岬は行った事はないですが、子どもが転勤で北海道に行っています。もう冬景色だと言っています。襟裳岬のことも聞いてみようと思います。

投稿: 今でも青春 | 2015年11月30日 (月) 14時36分

 「何もない春」という歌詞に抗議が来たという『蛇足』の話は、何度読んでも面白い。
ふつうに使いますけどね。「何もありませんが、くつろいでください」
これは、謙譲、謙遜の表現であって、言う側は使っても、聞く相手側は使ってはいけないという暗黙のルールがある。
 謙譲語としては、いまや死語ですが、できの悪い子どもを親が、「豚児」(とんじ)といいます。最初聞いた時、驚きました。やりすぎです。「おたくの豚児さまは、今、お元気でしょうか?」などと言ったら大変なことになる。
 謙譲語は、おもてなしの心に通じると思いますが、やり過ぎはこっけいです。また外国では、まったく通じない。
 「家を新築しましたので、近所へおこしの節は、ぜひお立ち寄りください」の葉書をもらった外国の人が、不意にやって来て驚いたと、葉書を出した当の本人が言っていた。
 心にもないことを言っているのは、謙譲語をしきたりとして使っている本人が、よくわかっている。教養のある人=プライドの高い人ほど謙譲語を使いたがる傾向があるように思います。
日本の謙譲語の正体を知りうる面白い話です。


投稿: 紅孔雀 | 2016年3月18日 (金) 05時52分

 高3の大晦日、紅白歌合戦とチャンネルを入れ替えながら見ていた日本レコード大賞・・・総合司会(今はMCですね)の高橋圭三さんが明朗な声で「昭和49年、輝く日本レコード大賞は・・・襟裳岬、森進一さんです」、母が傍らで「よかったねェ、よかったねェ」少し涙声だったような・・・。

 思えばその5年前、「港町ブルース」が大ヒット、演歌大好き、森進一大好きだった母と僕はその年の大賞は必ずこれだと疑うことは無かった・・・高橋MCが「昭和44年、輝く日本レコード大賞は・・・」、港町ブルースに決まっとろうもん(笑)、母も僕もそう思ってワクワクしていた・・・「いいじゃないの幸せならば、佐良直美さんです」・・・しばらく声がでないどころかテレビの音声も聞こえなかったくらいの静粛な時間が流れた・・・。

 父のお酒のお替りを取りにいって戻ってきた母がおもむろに「残念やったねェ・・・この歌は歌詞が公募やったけん審査の先生たちが票を入れんやったちゃろうねェ」・・・。
贔屓というものはいろんな形で薄々感じ始めていた中1の僕にはけっこうこの事件は重かった・・・。

 しかし、港町ブルースで大賞が取れなかった森進一が吉田拓郎の曲で大賞に輝いた・・・現実にこの歌で取れていなかったらもう大賞に輝くことは無かった・・・そう思うと嬉しいけど、嬉しいんだけどなにか違う・・・きっと、母も同じ気持ちで襟裳岬を聞いたと思います。


投稿: まこ | 2018年8月30日 (木) 17時26分

  宗谷岬からこちらへ来ました。これもいい歌ですね。森進一の泣き節的な歌い方が好きになれずにいたのですが、あの涸れた声がよく合っていて、これまたいいなぁと思いました。彼が歌う冬のリヴィエラも好きです。

 襟裳岬に行きましたが、海から吹き上げる潮風が強く本当に何にもないところでした。でも良い所でした。ウニがとても美味しかったです。

投稿: konoha | 2020年7月26日 (日) 19時36分

 konoha さま
 
  こんばんは

  襟裳岬  いい曲ですね

  襟裳には 昭和42年 8月17日に行っていました
   広尾からバスで 襟裳に

  記憶では 広尾で野宿したことは残っていて
   襟裳は スルーしたとばかり思っていました

  北海道一周のアルバムを引っ張り出して
   分かりました  行っていました
    記憶とは あやふやなものです

  というところで
    笑い話 ?? 失敗談を ひとつ

  北海道へ着き 直ぐの 函館でのこと
   屋台のカニを食べようと
   仲間4人で 毛ガニを買いました

   それが また 4人ともが カニを食べたことがない
   というわけ  店の人に聞けばよいのにーー
   見栄張り 4人

   誰も 足もたべず 甲羅をあけて
    肺を食べたお話  カニみそのことももちろん知らない
    こんなまずいもの 皆 よく食べるのだな
      と 勝手に思った次第

   その時代 贅沢な食事は珍しい頃でしたね

    ここまで 飽食の時代がこようとは
      思いもしなかったですね

   襟裳からは 登別へ行き
    17日は 登別泊となっています

   福田旅館 1020円 その20円は入湯料だったようでーー

    懐かしい懐かしい お話でした

投稿: 能勢の赤ひげ | 2020年7月27日 (月) 23時10分

 襟裳岬も冬のリヴィエラもサビの部分が大好きです。森進一自身が語っていたのですが、辛く苦しい時期にこの歌に出会い励まし助けてくれたそうです。襟裳岬の冬は海から吹き上げてくる強風が凄いでしょうね。この歌は襟裳岬の早春賦みたいに感じられます。襟裳岬の風景は心地いいです。

 赤ひげさまは「カニ族」だったのですね。毛ガニのお話面白いです。せっかくの現地での毛ガニだったのに残念でしたね。(笑)

投稿: konoha | 2020年7月28日 (火) 10時16分

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