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歌の翼に

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詩:ハインリッヒ・ハイネ、作曲:フェリックス・メンデルスゾーン、
日本語詞:門馬直衛、津川主一ほか

                     (門馬直衛)
1 歌の翼に きみを送らん
  南はるかなる 美(うる)わし国に
  花はかおる園に  月影冴え
  蓮(はちす)咲き出でて きみを待つよ
  蓮咲き出でて きみを待つよ

2 すみれ笑いて 星影仰ぎて
  ばらはひそやかに 秘言(ひめごと)ささやく
  カモシカ静けく 耳を傾く
  清き流れは さやに響く
  清き流れは さやに響く

  棕櫚(しゅろ)の葉蔭に 恋に酔いて
  ともに憩(いこ)いて  夢に耽(ふけ)らん
  夢に耽らん 夢に

               (津川主一)
1 歌のつばさを かりて行(ゆ)かな
  幸(さち)にあふるる 夢の国へ
  陽のさす園に 花は香り
  見わたす池に 蓮(はちす)におう
  見わたす池に 蓮におう

2 なつかしきかな 夢の国や
  いそぎて行かな 清き園へ
  可愛ゆきすみれ われを招き
  そよぐ風さえ  友を呼べり
  そよぐ風さえ 友を呼べり

  いざわが友よ たちて行かん
  麗(うるわ)しの 夢はてぬ国へ
  夢はてぬ国へ 国へ


  Auf Flügeln des Gesanges

Auf Flügeln des Gesanges,
Herzliebchen, trag' ich dich fort,
Fort nach den Fluren des Ganges,
Dort weiß ich den schönsten Ort.

Dort liegt ein rotblühender Garten
Im stillen Mondenschein;
Die Lotosblumen erwarten
Ihr trautes Schwesterlein.

Die Veilchen kichern und kosen,
Und schaun nach den Sternen empor;
Heimlich erzählen die Rosen
Sich duftende Märchen ins Ohr.

Es hüpfen herbei und lauschen
Die frommen, klugen Gazell'n;
Und in der Ferne rauschen
Des heiligen Stromes Well'n.

Dort wollen wir niedersinken
Unter dem Palmenbaum,
Und Liebe und Ruhe trinken,
Und träumen seligen Traum.

《蛇足》 ドイツの詩人ハインリッヒ・ハイネの詩集『歌の本(Buch der Lieder)(1827年発表)のなかの『歌の翼に(Auf Flügeln des Gesanges)』に、フェリックス・メンデルスゾーンが1836年に曲をつけたもの。歌曲集『6つのリート(Op.34)』のなかの2曲目。

 冒頭から終わりまで流れるアルペジオの伴奏が安定感を醸しだし、安らぎを感じさせます。アルペジオは、低いほうから高いほうへ、あるいはその逆に奏でる分散和音の演奏法の1つ。

 原詩は、ハスやスミレ、バラの咲き乱れるガンジス川のほとりへあなたを歌の翼に乗せて連れていきたい、といった内容。
 ドイツ語で歌うときには、第2聯、第4聯、第5聯の終わりの2行を繰り返します。

 日本語詞としては、門馬直衛や津川主一のものがよく知られています。両方とも原詩の内容をかなり忠実に反映していますが、ガンジス川は出てきません。久野静夫の日本語詞ではガンジス川が使われています。

 ガンジス川はインド北東部を流れ、ベンガル湾に注ぐ大河。ドイツ語ではGanges(ガンゲス)、英語では同じ綴りでガンジーズ。日本語には英語から入ったようです。
 現地のヒンディー語やサンスクリットではガンガー。漢字ではガンガーを音訳して恒河(ごうが)と表記します。漢字文化圏における数の単位で10の52乗(56乗とも)を示す恒河沙(ごうがしゃ)は、ガンジス川の砂という意味。
 ハイネやメンデルスゾーンの時代には、インドの実像がヨーロッパにはあまり知られていなかったため、神秘の国と憧れる人が少なくなかったようです。

 ロマン派の巨匠・メンデルスゾーンの業績については、よく知られているとおりです。
 フルネームは、ピカソほどではありませんが、ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ
(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy)という、やたら長い名前。
 ヤーコプ・ルートヴィヒは
洗礼時に与えられた名前で、フェリックスが個人名、メンデルスゾーンが第一姓で父方の姓、バルトルディは第二姓で母方の姓。
 
フェリックスの父親がユダヤ人の伝統にこだわる自分の父親、すなわちフェリックスの祖父への反発から、非ユダヤ的なバルトルディを付け加えたといわれます。フェリックスは、父親の言に従って、手紙や名刺には終生2つの姓を書いていたそうです。

(参考:ピカソのフルネーム=パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ〈Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Crispiano de la Santísima Trinidad Ruiz Picasso〉)

(二木紘三)

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コメント

 きれいな曲で平均年齢70歳の「みんなで700曲歌おう会“豊中さくら草”」では津川主一のものを数ヶ月に1回歌っています。
詳細な《蛇足》は何れ皆さんに披露して作曲・訳詞家の思いや、1836年頃は大塩平八郎の乱なども話し合いたいと思います。
 フルネームについては外国でもあるのですね。寿限無の方が長さで勝っていますが・・・。

投稿: 尾谷光紀 | 2014年3月 4日 (火) 22時39分

数周前から、基本ソフト違いの二つのPCが揃ってメロディー読み込みをしてくれず、音無し、悲しいデス。ながらも、楽しい名前トッピックなので参加させていただきます。

先週、ベルギー連邦議会が結婚女性名’自由化’法を採択。従来の伝統だと、配偶者男性姓を優先、その後に誕生姓をつける(場合が多い)方式でした。新法になると、基本的に八ッのヴァリエーションの一つを選択することになるそうです。それに蛇足にある’古式’が存在しますから、日常生活だけでなく行政上の混乱/不便(+悪用/犯罪を生む可能性)が懸念されます。

歴史家、特に家系図専門家は’我が国民性の欠点がまた出た’とご立腹。こんな’ユニーク’はベルギーならですね!

投稿: minatoyay | 2014年3月 7日 (金) 22時07分

minatoya様、皆様
このところ、音が聞こえないという通知がいくつか来ますので、新しい配信法を試行中です。
「あばよ」「あふるる涙」「アフトン川の流れ」を聞いてみてください。これらは新しい方法で配信しています。
ただ、この配信法に変えると決めても、変更の作業量が膨大なのでいつ終わるかわかりませんし、作業途中で問題が判明したら、前の配信法に戻らなくてはなりません。しばらく混乱が続くと思いますが、ご了承を。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2014年3月 7日 (金) 22時48分

高校を出てすぐに、初サラリーを握りしめ、目白にあった「徳倉貞子声楽研究所」(柳 兼子さんの愛弟子の方ですが、早世なさいました。)の門をたたき、切に望んでいた、声楽を習うことが出来ました。入所のテストは、「出船」を選びました。(紹介が必要など、露知らずに。)
この曲は、大好きだったので、間もなく、教えていただきました。ドイツ語には、カナを振って。巻き舌での発音も練習いたしました。
アルベジオの伴奏は、私には難しいので、長い間、歌っておりませんでした。
素晴らしい伴奏で、これからは、当時を思い出しながら、歌うことができます! 有難うございました!
             千葉市 井尻 賤子 80才

投稿: 井尻 賤子 | 2014年3月20日 (木) 23時16分

> 目白にあった「徳倉貞子声楽研究所」
目白の下宿オバサンから聞いたような気がします。1950年前後、研究所はあったのでしょうか? 私のなお健在な唯一の叔母を思い、難しい歌を歌われる井尻さんに感銘を受けております。叔母は大正12年うまれ、80の時、カキの実を取る為に、柿の木によじ登る敏捷かつ豪傑女性でした。

余談ながら、本日フラーンデレン(=フランドル)テレビ1(Een)が、先にご紹介した結婚女性の命名法律の再検討案ニュースを紹介していました。採択した議会が喧々囂々の批判にいたたまれず、言わば‘差し戻し‘ふうな塩梅ですね。

投稿: minatoya | 2014年3月21日 (金) 06時42分

minatoba様にお答え申し上げます。
私が、青山学院高等部を卒業したのは、1952年です。{中等部の3年間は、ペギー葉山さんと、同級でした!)
目白の駅への道の途中に、「徳倉貞子声楽研究所」がありました。その後、結婚され、中央線沿線にお住まいでした。もともと、目白の家は、下宿先でいらしたのです。
ご親戚ではないオバサマが経営しておられました。
貞子先生が越されてからは、アメリカ人の下宿になり、その後、学生下宿になり、3~4人の方が下宿されていました。通りのお向かいには高橋さんという豪邸があり、当時のこと、進駐軍に接収されていました。戦後の事情の一つです。
二階でのレッスンをしながら、窓から、お屋敷の様子が垣間見られました。
近くに「徳川さんのお屋敷」がある閑静なところでした。
        千葉市 井尻 賤子 (80才)

投稿: 井尻 賤子 | 2014年3月21日 (金) 09時16分

’徳川さんのお屋敷’近くの写植屋さんにいつも火急仕事を依頼していたので、下宿のオバサンとその辺りの話をして、件の研究所を耳にしたのだと思います。目白3丁目は下落合とも言う界隈だったような…40年前のひなびた印象が残っています。それよりさらに遡る戦後事情を聞かせていただき、井尻さん、誠にありがとうございます。

’南国土佐’に’蔦の絡まるチャペル’の歌手・ペギー葉山がご同級の80才!もっと若い気がしておりました。彼女ならハインリッヒ・ハイネの詩を朗々と歌うでしょうね。

投稿: minatoya | 2014年3月24日 (月) 08時39分

minatoya様、音なしの問題は解決したのでしょうか?実は私のパソコン(vista IE9)もIEでは音が出ないのです。二木先生が書いておられる、丸い矢印をクリックしてもうまくいきません。幸いなことに、Google Chromeを使うと、問題なく音が出るので、このサイトにアクセスするときはそちらを使っています。
ところで、昔よく聴いていたNHKのラジオ番組に、詩人のサトウハチロウが司会をして、視聴者から昔の思い出を聞くという番組があったと思います(あるいは思い出とともに昔別れた人の消息を聴くという番組だったかもしれません)。オープニング曲がこの「歌の翼」で、この曲を聴くたびに、あれは何という番組だったのだろうか、と懐かしくなります。どなたかご記憶の方はおられるでしょうか?

投稿: KeiichiKoda | 2014年5月14日 (水) 08時00分

上のコメントへの追記です。私のパソコンのOSはVistaで、デフォールト・ブラウザーはIE9です。IE9では、上で書きましたように、残念ながらこのサイトの音楽の音がでません。IE9だと、最近(7月以降?)YouTubeのコメント欄にコメントが書き込めない等の不便も出てきました。ブラウザーがIE10、あるいはIE11なら、このサイトの音を聴くことができるし、YouTubへのコメント投稿もできるようですが、残念ながら、VistaとIE10あるいは11とは互換性がないようです。Google Chromeを使うより手がないようです。

投稿: KeiichiKoda | 2014年7月17日 (木) 20時06分

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