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会いたい

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:沢ちひろ、作曲:財津和夫、唄:沢田知可子

ビルが見える教室で
ふたりは机 並べて
同じ月日を過ごした
少しの英語と
バスケット そして
私はあなたと恋を覚えた

卒業しても私を
子供扱いしたよね
「遠くへ行くなよ」と
半分笑って 半分真顔で
抱き寄せた

低い雲を広げた 冬の夜
あなた 夢のように
死んでしまったの

今年も海へ行くって
いっぱい映画も観るって
約束したじゃない
あなた 約束したじゃない
会いたい…

波打ち際 すすんでは
不意にあきらめて戻る
海辺をただひとり
怒りたいのか 泣きたいのか
わからずに 歩いてる

声をかける人を つい見つめる
彼があなただったら
あなただったなら

強がる肩をつかんで
バカだなって叱って
優しくKissをして
嘘だよって 抱きしめていて
会いたい…

遠くへ行くなと言って
お願い一人にしないで
強く抱き締めて
私のそばで生きていて

今年も海へ行くって
いっぱい映画も観るって
約束したじゃない
あなた 約束したじゃない
会いたい…

《蛇足》 平成2年(1990)6月27日にトーラスレコード(現:ユニバーサルミュージック)からシングルが発売されました。
 売り上げ枚数は、シングルが約106万枚、同年9月5日に発売されたアルバム『TO YOU!』が約46万枚。文字どおりミリオンセラーです。財津和夫が歌唱・演奏・作曲など何らかの形で関わった曲のなかでは最大のヒットとなりました。

 歌詞としては、フォー・セインツの『小さな日記』や、さだまさしの『精霊流し』と同じく、女性が恋人に死なれてしまうというパターンですが、この2つは恋人の死からある程度時間が経っていて、在りし日の彼を静かに偲んでいるといった設定になっています.。

 いっぽう、『会いたい』は、恋人が死んで間もない時期の心情を歌っています。急死だったため、彼女はその死をなかなか受け入れることができません。
 最初は2人のつきあいを静かに回想していますが、すぐに思いが急速に募り、「今年も海へ行くって/いっぱい映画も観るって/約束したじゃない/あなた 約束したじゃない」と、恋人を責めるように、訴えるように激しく嘆きます。
 聞く者にとっては、回想場面から嘆きの場面に移るにつれて、切なさがどんどん高まっていき、最後に「会いたい……」とつぶやくように歌うところで、ぽろりと涙がこぼれます。
 彼女のやり場のない悲しみが、ひたひたと伝わってくる歌です。

(二木紘三)

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コメント

比較的新しい曲のアップロードをありがとうございます。私はこの曲がリリースされた当時は多忙のため、ヒットしたこと自体を知りませんでした。その後海外勤務を経て帰国後に、若い人たちとカラオケに行く機会が増えてこの曲を覚えました。本当にいい曲です。
 この曲は恋人の死の後の心情をうたっていています。イギリスの精神分析学者、ジョン・ボウルビィは、親しい者の死に代表されるような、大切なものを失った後の人の心の動きには『喪の作業の4段階』があるとしています。詳述は避けますが、第1が無感覚・情緒危機の段階、第2が思慕と探究・怒りと否認の段階、第3が断念・絶望の段階そして第4が離脱・再建の段階とされています。この曲の主人公は恋人の死を事実と受け止められない第1段階を過ぎて、死を事実と受け止め始める第2段階にいます。しかし恋人の死を受け止めながらも、まだ強い愛着が続いています。そして彼はまだどこかにいるのでは?と錯覚したり、自分をひとり置いて逝ってしまったと怒りを覚えてみたりという心情がよく表現されています。
 人は誰しも肉親の死や恋人との別れなど、多くの喪失体験を背負って生きていますから、この曲のもつ悲しさが身につまされるのでしょう。

投稿: Yoshi | 2014年4月18日 (金) 14時11分

かすかにメロディーを聴いた覚えがあるようにも思いますが、きちんと歌詞も含めて聴いたのは初めてです。泣けました(いい年をして)。この女性のように20歳前後(おそらく)で恋人と死別することの悲嘆の深さは計り知れませんね。本当に傷ましいことです。50年近く前、自分の場合は生き別れ(まあ、ざっくばらんに言えば「失恋」)でしたが、深い喪失感と精神錯乱状態の中で、それでも、「この広い空の下、この日本のどこかに、あの人は、今でも生きているんだ」という意識がギリギリのところで自分を支えてくれたことを、はるかに想い出します。

死別の場合はそのようには想えないわけですね。「波打ち際 すすんでは 不意にあきらめて戻る 海辺をただひとり 怒りたいのか 泣きたいのか わからずに 歩いてる」 というこの女性の状況は傷ましい限りです。

Yoshi様のおっしゃるように、精神分析的には何段階もの「悲嘆のプロセス」があるようですね。……精神のショックとマヒ状態、否認、パニック、怒り、恨み、罪悪感、幻想、孤独感、などなどのステップを経て、最後は、現実を受容し、立ち直り、新しい自分のアイデンティティを再獲得してゆく。……悲嘆のドン底まで突き落とされた人がみな、このように立ち直れれば素晴らしいことですね……。

この歌が出来たのは24年前とのこと。もしもこの歌の女性が今も元気なら我が娘と同世代の40代でしょうか? この人は今、どのような人生を送っているのだろう、などと想像してしまいます。一方、自分自身の今でいえば、様々な意味で、配偶者との死別への準備(これはどちらが「先」かははっきりしませんが)が、当面の最大の課題でしょうか。

投稿: Snowman | 2014年5月 2日 (金) 12時18分

54歳の時、高校1年生からずっと一緒だった家内を亡くしました、しばらくこの曲が歌えませんでした。それから11年が経ち、何故、という怒り、悲しみから哀しみに変わりやっと歌えるようになりました。私にとって哀しく、そして懐かしい曲です。

投稿: marchan | 2015年1月 6日 (火) 15時13分

 marchanさまのお話にもらい泣きして、私も同じようなコメントを。
私は、13年前に妻を病気で亡くしました。
あまりいい亭主ではなかったので、悔いる気持ちは大きかった。
その後、やってきた寂しい気持ちは、襲いかかるというほど激しく私をさいなみました。
やけ酒に似たような、アルコール三昧の日が続きました。
 その暗いトンネルを抜けることができたきっかけは、大学時代の友人の奥さんの言葉でした。その奥さんは彼と同じようによく知っている人です。
私のさえない顔を見たのでしょう、「さしでがましいようですが・・、音乃さん、亡くなった奥さんは、あなたを今も見守っていると思います。あなたの悲しげな顔をいつまでも見るのはつらいでしょう。はやく明るい笑顔が戻ってくれればいいのにときっと思ってますよ。女の私にはわかります。気持ちを切り替えて人生を楽しんでくださいね」
今考えれば、ありふれた励ましの言葉のようにも思えますが、この言葉は、生きる希望を半ば失っていた私の心に、杭のように突き立ちました。
妻の死から2年半たったころの話です。
まことに人は言葉によって救われる、と強く思いました。

投稿: 音乃(おとの) | 2015年1月 7日 (水) 10時09分

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