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知床旅情

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:森繁久弥、唄:森繁久弥/加藤登紀子

1 知床(しれとこ)の岬に はまなすの咲くころ
  思い出しておくれ 俺たちのことを
  飲んで騒いで 丘にのぼれば
  はるか国後(くなしり)に 白夜(びゃくや)は明ける

2 旅の情(なさけ)か 酔うほどにさまよい
  浜に出てみれば 月は照る波の上
  君を今宵こそ 抱きしめんと
  岩かげに寄れば ピリカが笑う

3 別れの日は来た ラウスの村にも
  君は出て行く 峠を越えて
  忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん
  私を泣かすな 白いかもめを
  白いかもめを

《蛇足》 昭和35年(1960)に北海道・知床半島の羅臼(らうす)で、東宝映画『地の涯に生きるもの』の長期ロケが行われました。戸川幸夫の小説『オホーツク老人』の映画化で、主演は森繁久弥。

 ロケ期間中のあるとき、森繁久弥は『オホーツクの舟歌』という歌を仲間に歌って聞かせました。それは、知床住民の間で昔から歌われてきた曲を基にした歌で、歌詞の採集やメロディの採譜には、ある若手助監督が重要な役割を果たしたと伝えられます。
 
歌詞は、知床の冬の厳しさに続いて、春の訪れの喜びと国後への望郷の思いを表現したもの。

 ロケの最終日、森繁久弥は集まった羅臼の人びとに、『さらば羅臼よ』という歌を披露しました。それは、『オホーツクの舟歌』のメロディに、今日『知床旅情』として歌われている歌詞をつけたものでした。

 昭和37年(1962)の第13回NHK紅白歌合戦で、彼は『知床旅情』を歌いました。それによって、この歌の存在が多くの人びとに知られることとなりましたが、レコードとしてはあまり成功しませんでした。

 全国的なヒットとなるきっかけに作ったのは、加藤登紀子でした。彼女は、昭和45年(1970)にリリースした自分のアルバム『日本哀歌集』にこの歌を組み込み、さらにシングル・カットも出したのです。

 たまたまこの年、JRの前身である日本国有鉄道が、個人旅行客の増加を目的としたキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」を展開していました。
 その影響もあって、北海道ではカニ族と呼ばれる若いバックパッカーが増えていました。この若者たちが好んで歌ったのが、『知床旅情』でした。

 なお、『オホーツクの舟歌』は森繁久弥自身のほか、倍賞千恵子もレコーディングしています。

 森繁久弥の本業は俳優ですが、その独特の情感を込めた歌い方は「森繁節」として多くの人に愛されました。持ち歌の『銀座の雀』のほか、『カチューシャの唄』『ゴンドラの唄』『戦友』月の沙漠など多くの歌をレコーディングしています。

(写真は羅臼港から国後島を撮ったもの)。

(二木紘三)

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コメント

この歌には思い出があります。昔、アメリカの大学に留学していたとき、加藤登紀子が歌う「知床旅情」のカセット・テープを持っていたので、ときどきこのテープを聴いていました。大学のドーム(寮)のアメリカ人のル-ムメ―トがこの歌はいい歌だ、I like it.と言っていました。卒業後は彼とは音信不通でしたが、2011年3月11日の東日本大地震のあと彼から突然「そちらは大丈夫か」というメールがアメリカから来ました。留学当時はパソコンもインタ―ネットもない時代でしたから、二人ともメールアドレスはもちろんのこと、お互いの住所も知りません。彼は、私の名前を頼りにネットで調べ、私のメールアドレスをつきとめて、安否を問い合わせるメールを送ってきたのです。その後、メールによる「文通」を再開しましたが、加藤登紀子の「知床旅情」の歌がアップされているYouTubeのURLを示して、この歌を覚えているかと聞いたら、よく覚えている、「お気に入り」にいれてときどき聴くことにしたい、と。この歌は、このアメリカ人にとっては、彼が知る唯一の日本の歌かもしれません。

投稿: KeiichiKoda | 2014年4月 8日 (火) 10時02分

 「はまなす」「ピリカ」、ローカル色があって、しかも少々難解な言葉を歌詞に折りこんで、この歌を印象づけている森繁久弥は、才能のある人だと思います。
 また森繁は、無名の脚本家だった向田邦子を、『重役読本』の縁で知り合って、その後、尽力して育てていますから、単なる役者ではないですね。
 
 何度も聞いた歌ですが、これは酔っ払いの歌ではないかと、今日気づきました。酔って高い所に登り歌を歌いたがる、酔いの力をかりて女を口説く。呑み助の生態です。また別れを惜しむのが、ひとかたではないのも、酒飲みの特徴。「君に勧む更に尽くせ一杯の酒 西の方陽関を出づれば故人なからん」の例があります。
 
 最近、隠居生活の中で思うのですが、世の中には酒を飲む人と飲まない人がいる。当たり前のことながら、問題は、お互いにその考え方や感じ方が微妙に違っているのではないか、その違いは、結局、双方わかり合えないのではないかと思うのです。
 早い話が、飲まない人は、酒飲みの酔っ払った姿を<醜悪>と思うでしょう。しかし、飲む人は、そりゃあ、酔った姿はほめられたものではないけれど、ちょっと破目をはずしたっていいじゃないか、<醜悪>とは非寛容な考え方だと思う、いや思いたがる。もちろん酔っ払うも程度問題ですが・・
 私は呑み助の側だ。李白の詩、山頭火の句、若山牧水の歌、山口瞳、池波正太郎のエッセイなどで、酒にまつわる部分が多く、(おおげさにいえば)彼らの思想の中心部にある。酒を飲まない人に本当にわかるのかなと思ってしまう。

投稿: 七色仮面 | 2014年4月 9日 (水) 01時09分

万葉集にも、「飲まない人は猿に似ている」という歌もありますから、飲むとそういうクダが巻きたくなるのは古今を問わずでしょうね。別に飲んで楽しけりゃ、一人で楽しめばいいのではありませんか。飲まない人をけなす必要がどこにありますか。酒を飲まなきゃ何も言えない人がいる一方で、一滴も飲まなくても、酔える人もおります。「女類」で太宰治が書いています。それは生まれ持った体質のせいか、または医者に止められているかもしれません。飲みたきゃおとなしく機嫌よくお飲みなさい。

投稿: Bianca | 2014年4月 9日 (水) 08時40分

加藤登紀子の「知床旅情」の思い出を書きましたが、私がこの歌をはじめて聴いたのは、二木先生も書かれていますが、1962年の紅白歌合戦で森繁久弥が歌ったときかもしれません。司会の高橋敬三アナウンサー(?)が森繁自身の作曲だといって紹介したのをよく覚えています。森繁自身が歌う「知床旅情」でもう一つ忘れられないのは1987年の映画「男はつらいよ、知床旅情」(マドンナは竹下景子)ですが、知床の海を行く遊覧船の中で森繁が歌う「知床旅情」がバックグランドに流れている場面があり、実に印象的でした。
七色仮面さんが、森繁と向田邦子との関係を書いておられますが、NHKラジオで森繁と加藤道子出演する、あれは何という番組だったのでしょう、台本のあるディスクジョッキーで、最後に本日の台本は向田邦子作でしたといって締めくくるのです。向田邦子の名前はは当時はよく知られていなかったと思いますが、二人の軽妙なトークとともに私の印象に残りました。その向田邦子が台湾で飛行機事故で亡くなったのは1981年だったと思いますが、私は当時アメリカにいて向こうの新聞で、向田邦子が亡くなったことを知りました。飛行機事故の犠牲者の中に日本の有名な作家がいると報道していました。

投稿: KeiichiKoda | 2014年4月 9日 (水) 09時11分

「日曜名作座」動画サイトへ行って来ました。
テーマ曲も懐かしいですね。

投稿: なち | 2014年4月 9日 (水) 10時07分

私の上のコメントへの追記です。なちさん、有難うございます。森繁と加藤道子が出演したNHKラジオ番組は「日曜名作座」ですね。1957年から2008年まで50年にわたって続いたNHKラジオの(最?)長寿番組だそうですが、私が上で「台本のあるディスクジョッキー」と書いたとき頭にあったのは、「NHKラジオ喫煙室」という番組でした。たしかに、向田邦子が脚本を書いて、森繁が読み上げ、合間にレコードを流すDJ風の番組でしたが、加藤道子は出演していません。私の頭の中では、「日曜名作座」とごっちゃになっていたようです。

投稿: KeiichiKoda | 2014年4月 9日 (水) 15時54分

人によって酔う酒の量は違うのでしょうね。「5勺の酒に酔って・・・・」「一日2杯の酒を・・・・」「冷で5合温めて5合・・・・・」私などは酔う前に気持ちが悪くなってしまいます。体質なんでしょうね。

投稿: 海道 | 2014年4月10日 (木) 12時52分

私が中学1年生の時、兄が ”山と渓谷” という雑誌を買ってきました。
見開きは、知床の流氷の写真でした。
そこには、森繁久弥さんが映画の撮影の後、お世話になった村人たちに自作の歌をプレゼントしたという話が掲載されていました。(元歌があったんですねえ)
後々、ああ、あれが ”知床旅情” という歌だったんだと、思いました。
社会人になってから、会社の山岳部に入ると、部員みんながこの歌をうたっていました。
そして間もなく、テレビで加藤登紀子さんが歌うと、今に歌い継がれる歌になりました。

映画をテレビで見る機会がありました。
過疎化の問題、北方領土の問題、漁業の不振・跡継ぎ問題、独居老人の問題・・・・・50年も前からあったんですねえ。

投稿: 里山子 | 2014年4月10日 (木) 18時44分

 「森繁版」、「おトキさん版」、どちらを聴いても充分な旅情感をたっぷり味わうことが出来るような気がします。
 森繁バージョンは気取った所のない、優しさに満ちた遊子の語らいに似た歌唱、加藤登紀子バージョンは波のウネリを思わせるような、開放感も感じさせる歌唱。どちらも好きです。
 ところで、二つのバージョンの歌詞は幾箇所か異なります。
    森繁久彌          加藤登紀子   
2番 「酔うほどにさまよい」   「飲むほどにさまよい」
   「君を今宵こそ」      「今宵こそ君を」
3盤「知床(しれとこ)の村にも」 「ラウスの村にも」
   「白いカモメを」      「白いカモメよ」
 どちらかというと、加藤登紀子バージョンの方が良く歌われているみたいですが、複数人で歌われる時(あれっあれっ?)と戸惑わないようにご注意を・・・。

投稿: かせい | 2014年4月13日 (日) 01時11分

旅情歌としてよい歌だとは認めますが、歌詞の中に?と思う箇所が何か所かあったので、調べを進めていくうちに元歌の「オホーツクの船(舟)唄」に辿り着きました。解説(蛇足)にもありますが、この元歌を採詞・採譜したのは、映画「地の涯に生きるもの」(監督 久松静児、主演 森繁久弥)の助監督だった 吉松安弘だということが分かりました。吉松安弘といえば、ノンフィクション作家で「東條英機暗殺の夏」を書いた、かれかと思い調べましたら、やはりそうでした。助監督から監督になったのに辞めて、大学教授になり、一方で、作家活動もしていたのですね。
 『知床旅情』は作詞・作曲 森繁久弥になっていますが、長期ロケ期間中に本職の仕事の傍ら、埋もれていた元歌を掘り起こした、かれ(吉松安弘)の努力がなければ、多分『知床旅情』は日の目を見ることもなかったように思います。その後、加藤登紀子がカバーして、レコードの売り上げ140万枚を記録したそうですが、かれにいくらかでも印税が入った、ということはなかったようです。

 歌詞の中の?の部分は何か。「白夜」は北海道にあるのか、「君」とは誰か、「ピリカ」とは何か、などを調べてみるのも面白いかも知れません。

投稿: ひろし | 2014年4月15日 (火) 16時39分

当時から強く思っていました。「白いカモメを」と「白いカモメよ」では意味が全く違ってしまうが、加藤登紀子はどういうつもりでこの歌を歌っていたのか理解できない。

投稿: 慎兵衛 | 2014年5月11日 (日) 18時12分

ピリカ・・・ピリカメノコ、美しいアイヌ娘のことではないのですか。エトピリカという海鳥がいることを後に知りましたが・・

白夜・・・白々と夏の夜が明けていく様では

今、歌詞を見てみると、不思議なのは、~君は出て行く 峠を越えて~、旅人は、俺たちではないのか、~俺たちは出て行く~。
~忘れちゃ嫌だよ、気まぐれカラスさん~、カラスとは「君」か、それとも知床の鳥カラスのことか?
~私を泣かすな白いカモメを~、カモメは誰?此処のところも分からなくなりました。

投稿: 華 | 2014年5月15日 (木) 15時39分

 華様がコメントされているように、3番は主体と客体が混沌としています。1番も矛盾の多い叙述が見られます。
①季節
『ハマナスの咲くころ思い出しておくれ』ということは、この詩が書かれた季節は夏になる前ということになります。しかし『飲んで騒いで丘に登れば….白夜は明ける』ということ、季節は夏でハマナスが咲いている筈です。

②白夜
白夜は太陽が沈まない状態ですから、北半球では北緯66.6度以北の地でないと見ることができませんし、厳密には白夜が明ける筈はありません。しかし。北緯60度くらいの高緯度地域では、太陽は完全に沈むものの、真っ暗にならない薄明のまま朝になることがあるのでこれも白夜ということがある(ウィキペディア)とのことですので、この程度の緯度の地域では『白夜が明ける』という現象はありえます。しかるに知床地方は北緯44度に過ぎません。
 題名の無い音楽会で故黛敏郎氏が、日本の歌詞は西洋の詩では絶対あり得ない叙述――特に過去から現在、そしてまた過去というような時系列の混沌――がある、ということを述べていましたが、上記の矛盾も日本の歌詞の特徴として理解すればよいのかも知れません。しかし、かなり破天荒な詩ではあります。

投稿: Yoshi | 2014年5月15日 (木) 23時55分

この歌で使われている「白夜」は、北欧地域など高緯度で観られる「白夜」のことを表しているのではなく、華さまがおっしゃっているように、「夜が白々と明けて行く様子」のことじゃないかなと、私も思います。  『思い出しておくれ‥‥』
は、季節が巡ってまた来年になってハマナスが咲く頃になったら思い出しておくれ、ということじゃないでしょうか。
 『主体、客体の混沌』のことですが、確かに、1番に俺たち、
2番に君、3番にまた君、私、と出て参りますね。難儀ですね。
 そこで私はこう考えました。1・2番は『旅人』側から、3番
は『地元娘』側からの歌詞ではないかと・・。
  2番 君を今宵こその『君』=地元娘=3番の白いかもめ
  3番 君は出て行くの『君』=旅人= きまぐれカラス
 3番は1番・2番の「返し歌」と考えたのですが……、ちょっと
苦しいかなぁ‥‥。
 深夜にコメント書くと、眠さ半分でマトモな文章にならないです。ごめんなさい。
 

投稿: かせい | 2014年5月16日 (金) 01時26分

 羅臼へ何度か行きました。もうだいぶ昔のことです。この地で生きるというのは、大変なこと。そんな感想を行く度に思ったものです。オレはこの、シレツクの地には住めない、と。サツマの嫁と1歳になったばかりの娘を乗せてこの地に”遊び”にも行きました。5月になっても雪がありました。
 ”お父さん、もう帰ろう”
 そうサツマの嫁は言うので、この地からも、この生まれ故郷からも、”帰り”ました。時々、酒を飲んではこの曲を歌います。酒もそうであるように、この”地”で歌わないとダメなようで、しばらく歌っていませんでした。ちょっと昔を思い出させてくれました。その娘もこの5月に38歳になりました。子供はいません。

投稿: にしちゃん×2 | 2014年5月19日 (月) 10時10分

この歌、難しく考えすぎの嫌いがあるように思えるのですが・・・

昭和35年ころの日本は、海外渡航もままならぬころで、作者とて厳寒の国の「白夜」など思いも及ばなかったのでは。
29年ころに「白夜の妖女」という映画が有りました(原作・泉鏡花「高野聖」)。たぶんこの白夜は、この歌同様「月夜」のことではないでしょうか。
「月の砂漠」の二木先生の「蛇足」に、「朧にけぶる月の夜を~」砂漠で、おぼろにけぶる月夜のような現象はありえないというような記述があったと記憶しております。(削除されていました)
歌の世界では、そんなに厳しく考えることもないのでは。

峠の向こうの部落からピリカがロケ現場に見物(あるいはお手伝い)にやってきました。このピリカはコケテイシュで手強く、気まぐれで、森繁さんの恋心?も翻弄されっぱなしだった、というようなところではないでしょうか。~抱き寄せんと岩陰によればピリカが笑う、この「笑い」の意味も解るような気がします。
白いかもめは、チュホフの「かもめ」を考えてみました。チエホフも、飲んで騒いで夜を彷徨するような人であったようです。

この歌の出だしは、~春は名のみの風の寒さや~の「早春賦」のメロデイですね。


投稿: 華 | 2014年5月27日 (火) 11時52分

何人かの人が指摘していますが、「知床旅情」の森繁久弥版と加藤登紀子版の歌詞の違いについて。
この歌が大ヒットして、何かの週刊誌にお二人が対談している記事を読んだ記憶があります。

その時に森繁さんがお登紀さんに、”「私を泣かすな 白いカモメを」と「私を泣かすな 白いカモメよ」の歌詞では意味が違ってしまうので、この箇所は「私を泣かすな 白いカモメを」と歌わなければいけないのです” と言っていた事を今でも覚えています。

その後、加藤登紀子さんは時々「白いカモメを」と歌っていたようでしたが、なんせレコードが「白いカモメよ」で録音されているし、懐かしの歌などで「知床旅情」を歌うときは、もう完全に「白いカモメよ」と歌っていましたね。

投稿: kai | 2014年7月 8日 (火) 23時39分

まだ紅顔の青年の頃、採用の仕事で寅さんの如く単身で各地を旅していました。昭和44年と思いますが北見から札幌への特急の中、若いお母さんが娘さんに教えていたのが知床旅情でした。なんとなく覚えてしまいましたが、翌年旭川の駅前でスピーカーから大きく流れていたことを思い出します。加藤さんとの歌詞が問題視されていますが私もラウスの村では詩的でないと感じます。「かもめを」か「かもめよ」かについては、森繁さんの元歌が良くわかりますが加藤さんのように女の立場からすると「(私は)白いかもめよ」と今にも泣きそうな余情が感じられるのですが。かつてのソ連の有人宇宙機での「ヤーチャイカ(私はかもめ)鷲よ応答して」を思い出します。

投稿: しょうちゃん | 2015年3月 8日 (日) 20時50分

今夜ABCのTV歌番組でオホーツクの舟歌を森繁久弥が歌う映像が流れました。「オホーツクの海原・・」で始まる1番だけの放送でしたが、格調の高い詩だと感じました。

投稿: しょうちゃん | 2015年6月21日 (日) 21時48分

数ある青春歌のなかでもこの歌は特別な存在です。
目を瞑れば二十歳代の自分と友人たちがいます。
8月の上旬、私を除いて当時大学生だった彼等、彼女らとの蔵王登山の一日が蘇ります。
にわか雨に降られながらも、高山植物を愛で一緒に歌ったのがこの曲でした。昨日、級友女子4人でランチ会をしたばかりなので今夜はこの歌に酔い痴れたい気分です。
「私たち、もう高齢者なのよね」と語り合いながらのランチ会でした。(お互いに気分は高校生の乙女のまま)往時茫々。

投稿: りんご | 2015年6月24日 (水) 20時23分

加藤登紀子と森繁久弥の歌詞の違いについて、
詩を忘れて感情論で言ってる人が多いような気がします。

忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん
私を泣かすな 白いかもめを

出て行くのは「黒いカラス」であり、
残されるのは「白いカモメ」であるので、

意味的にも「白いカモメを」が森繁の意図するところでしょう

投稿: 丸めがね | 2015年10月19日 (月) 22時13分

丸めがね様
仰っている意味が、何度読んでも、わかりません。
わかるように教えてくださいませんか。
なぜ、そういえるのか、詩の中に根拠をしめしながら。
他の方々の御意見も、感情論とも思えませんが。

投稿: 紅孔雀 | 2015年10月19日 (月) 22時35分

名曲であるが為に拘りが生ずるのでしょうね。
頬笑ましいと思います。
これも平和であればこそと思えます。
さて、私は丸めがねさまに賛同いたします。
出て行くのは気まぐれカラス置き去りにされるのはカモメ
私は「かもめ」
当時は「を」と「よ」の違いに拘泥することもなく聞いたものです。むしろ語感から「かもめよ」が正しいのではと思っていました。しかし人生の黄昏時を生きる今、そこはかとない乙女心の哀れが偲ばれます。
白夜云々は「月の砂漠」同様あえて名曲の浪漫を科学で検証するのは野暮というものではないでしょうか。

投稿: りんご | 2015年10月20日 (火) 08時46分

この歌を聴いたり、口ずさむと20数年前に亡くなった親父を思い出します。酒席での親父の持ち歌でした。
大正3年生まれの親父は タバコが好きで、酒を愛し、男気があり、正義感が強い人情家でした。貧乏暮らしでしたが毎日「お客さん」が来て酒を飲みながら「封建的な村の民主化」、「産業振興」などを論じていました。

母が小学生だった私たちのために夕食のおかずを作っても、不意にきたお客さんの酒のツマミになってしまうことも度々ありました。私たちはご飯に醤油をかけて・・。
親父は宮崎大学を卒業して満鉄に合格、満州にわたりケナフの研究などをしていたようで、その話を村の青年たちが聴きに来ていました。話の途中から酒盛りにかわり みんなで歌ったり、踊ったりしますので、私たち子供は小学校の宿題もできなくなり親父を恨んでいました。
宴が盛り上がる頃 親父の十八番「知床旅情」が出てきます。森繁久弥と親父は満州で親交があったようです。

私が大人になったら「酒飲みで貧乏をなんとも思わない親父みたいにならない」と何度も思いました。
親父が亡くなると親父の生き方が羨ましく、「もう少し親父に優しくして置けばよかった・・」と思うようになりました。親父みたいに「知床旅情」を情感込めて歌えませんが、この歌を聞くたび親父を思い出し懐かしくなります。

2016年9月6日、友人と知床峠に旅をして「知床旅情」を歌えたことで親孝行できたように思いました。
そしてし知床峠を降りて「森繁久弥」の名前のある碑まで行ってきました。 
 この「うた物語」に「知床旅情」をとりあげていただき感謝しています。

投稿: けん | 2016年11月23日 (水) 13時48分

若いころ定年したら幸せの黄色いハンカチの竹田鉄矢のように北海道一周旅行して知床にも寄ろうと夢見ていました。実際には、孫の世話や諸事に追われ実現しそうにもありません。そのうちに体力も気力も弱まってきました。今はせめてもの慰めで時折風呂で歌い心の夢の旅行をしています。その夢の旅行の中で、知床で知り合った素敵な女性から、気まぐれの黒いカラスのようなあなたは大阪に帰るけれど、この白いかもめのような私を忘れないでねと言われているのです。

投稿: SK2 | 2017年3月24日 (金) 18時05分

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