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コスモス街道

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:竜 真知子、作曲:都倉俊一、唄:狩人

1 バスを降りれば からまつ林
  日除けのおりた 白いレストラン
  秋の避暑地で 出会うひとはみな
  なぜか目を 目を伏せて
  なぜか目を伏せ 歩きます
  コスモスの花は 今でも咲いていますか
  あの日の二人を まだあなたは覚えてますか
  愛されなくても 最後まで
  のぞみを捨てずに いたかった
  右は越後へ行く 北の道
  左は木曽まで行く 中仙道
  続いてる コスモスの道が

2 あなたに賭けた ひとつの季節
  優しい日々は 帰らないけれど
  愛の想い出 そっととり出して
  この胸に 暖めて
  暖めなおす 私です
  コスモスの花は 今でも咲いていますか
  心の支えを 今ひとりでたずねてきたの
  愛されなくても 最後まで
  のぞみを捨てずに いたかった
  右は越後へ行く 北の道
  左は木曽まで行く 中仙道
  続いてる コスモスの道が

《蛇足》 昭和52年(1977)8月25日にワーナー・パイオニアから発売。シングルの売り上げは60万枚を記録しました。

 失恋について少しばかり。
 相手が心理的に徐々に遠ざかっていくような状況なら、自分をそれに少しずつ馴らしていくことができます。しかし、相手に急に去られてしまったら、石につまずいたランナーのように、あるいは急停車した電車の中の乗客のように、つんのめり、ときに転倒し、情熱の宛先を見失って惑乱することになります。
 その苦悩を癒やそうと、『エリカの花散るとき』のように恋人の故郷を探したり、この歌のように二人の思い出の場所を訪ねたりします。
 しかし、それはただ情熱の宛先を失ったことを確認するだけで、
苦しみはかえって募る結果になりがちです。 

 苦しさから逃れるために、仮の相手を捜すような一時しのぎは、あまり勧められません。傷が消えたように見えても、それは意識の奥に沈潜しているだけで、折に触れ表に出てきて、自分を苦しめます。
 ならば、最初からその苦しみにどっぷり身を浸したほうがいい。苦しみは続いても、時間と心の絶妙の作り替え作用により、十何年か経つと、それは懐かしさに変わります。何十年かのちには、甘美な記憶に変わっている場合さえあります。
 恋を失って苦しんでいる人に
、共感を込めて私はこういいたい。「苦しみ続けなさい。そして待ちなさい。いつになるかはわからないけれど、光はきっと射してくる」と。

 この歌は、軽井沢町の追分あたりを舞台としています。追分には、歌詞にも書かれているように、旧北国街道と旧中山道の分岐点があります。
 中山道は、江戸時代には中仙道とか仲仙道とも書かれましたが、正徳6年
(1716)に幕府の通達により中山道に統一されました。Oiwake_2

 軽井沢、そのなかでも追分は、多くの文人が滞在し、作品の舞台としたところです。とくに堀辰雄は、療養も兼ねて追分の脇本陣だった油屋旅館に何度か滞在しました。
 彼の代表作の1つ『菜穂子』の前半『楡の家』の最初のほうに、次のような記述があります。なお、『楡の家』は単独の作品としても発表されています。

……私はその時ふとお父様がよく浅間山の麓のOという村のことをお褒めになっていたことを思い出した。何でも昔は有名な宿場だったそうだけど、鉄道ができてから急に衰微し出し、今ではやっと二三十軒位しか人家がないと云う、そんなO村に、私は不思議に心を惹かれた。

 『菜穂子』に出てくる三村夫人や『聖家族』の細木(さいき)夫人は、芥川龍之介の14歳年上の恋人、片山広子がモデルだったといわれます。芥川龍之介は、『楡の家』では森於菟彦、『聖家族』では九鬼という名前で登場します。
 片山広子は、歌人・翻訳家で、松村みね子という筆名を使っていました。

 片山広子の娘・総子(ふさこ)は『菜穂子』では菜穂子、『聖家族』では絹子という名前で描かれています。片山総子も、宗瑛という筆名で文筆活動を行っていました。菜穂子の少女時代にO村で交流のあった都築明には、夭折した詩人、立原道造が投影されているようです。また、『聖家族』の河野扁理は堀辰雄自身だというのが定説です。

 フィクションですから、いずれの人物についても、実像とは違います。作者がイメージを膨らます基になったというだけです。

 私は高校1年のとき、『美しい村』を読んで以来、堀辰雄の虜で、今も何度か読み直しています。大学3年のときには、『聖家族』『燃ゆる頬』『眠れる人』をエスペラントに訳して小冊子にまとめました。エスペラントを学び始めて2年ほどの時期でしたから、ひどい直訳調でしたが、それでも日本エスペラント学会から賞をもらいました。
 今はエスペラントからすっかり離れてしまいましたが、堀辰雄からは離れられずにいます。

(二木紘三)

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コメント

大好きな曲をありがとう御座います。この曲も「あずさ2号」も後半が高くなり歌いこなすには困難な曲ですね。信州人でも「コスモス街道」がどこにあるか知らない人が多いですね。「何十年かのちには、甘美な記憶に変わっている場合さえあります。」そのとおりですね。

投稿: 海道 | 2014年10月25日 (土) 15時08分

 懐かしい曲のuploadをありがとうございました。
 以前に『あずさ2号』でもこの曲に関するコメントを書かせていただきました。堀辰雄記念館には、昨年長男を連れて雨の中を訪れました。訪問者は堀辰雄ファンと思われる中高年が中心で若者の影はありませんでした。苦肉の策と申しましょうか、宮崎駿のアニメ『風立ちぬ』のポスターが貼ってありましたが、私には場違いな印象でした。
 堀辰雄に限りませんが、最近の若い人は文学を読まないようです。私は我が国の秀才が集まるとされる国立大学の非常勤講師をしていて、学生と話す機会があります。残念なことですが、私の学生時代は言うに及ばず(出身大学は異なりますが)、この大学で小講義を始めた10数年前より、確実に文学の話題が通じなくなっています。
 コスモスは信州の街道沿いに植えられていて、初秋の風に揺られているのはとても可憐です。コスモスは「宇宙」ですが、可憐な花に何故そんな名前が着いたのでしょう。

投稿: Yoshi | 2014年10月25日 (土) 15時12分

私は歌よりも蛇足が好きで楽しませて頂いております。この歌は全く知らないのですが、今まで読んだ蛇足の中で一番心に響きました。私は堀辰雄ではなく福永武彦の虜になったのですが、未だ恋への憧れが消えていません。恋すると言うことの謎が解けない限り憧れは消えてなくならないだろうと思います。愛されることは喜びではなく、愛することの切なさや悲しさのほうが貴重だと思えるよになってきました。
切なさは甘美なものなのですね。生きていく私の心の糧になっています。

投稿: ハコベの花 | 2014年10月25日 (土) 22時07分

狩人の歌と言えば「コスモス街道」と「あずさ2号」ですね。
2曲とも好きな歌です。
Google地図のストリートビューでゲームのように楽しんできました。

ストリートビューで、想い出の場所や行きたかった名所を探して、
昔写した写真と、ネットの風景を比べたりしています。
ふるさとの狭い場所にもカメラが入っていますが、
新しい広い道が出来て、草の生えていた道が懐かしいです。

投稿: なち | 2014年10月26日 (日) 07時20分

今は便利になりましたね。私はその人が18歳まで育った但馬の山里を1度訪ねてみたいと思っていました。山々に囲まれた小さな集落なのだろうと思っていたのですが、ストリートビューで検索したら、何と思ってもいなかった大きな山村で戦災に合わなかった所らしく長い塀囲いの豪邸の多い所でした。若い日の彼が歩いている姿が見えるようです。訪ねて行かなくてもいつでも会えるような気がします。空き地にコスモスが咲いています。東京で故郷を思っているその人もパソコンで故郷を眺めているのかもしれません。ああ、蟹の美味しい季節になってきました。「美味しい蟹をお腹一杯食べさせてやる」と言ってくれたのに、結婚してしまった私は食べることが出来ませんでした。冬になると蟹への思いもひとしおになります。ロマンから少し遠のく様な気がしないでもないのですが・・・・

投稿: ハコベの花 | 2014年10月26日 (日) 09時23分

 失恋の思いというのは、人によってずいぶん幅があるのではないかなと思う。
 好みのタイプだから惹かれてデートなどしたが、ダメだった。
片思いの気持ちをあたためていたが、うまくいかなかった。
相手が去って行く時、命がけで相手を追っかけることもしなかった。
私はそういうのを失恋と思わない。失恋もどきでしょう。
 失恋の歌というのは、自分の失恋もどきの体験を失恋であったかのごとく昇華させてくれるような気がする。
 結局は、恋愛も失恋も命がけなんですが、そういうものに命をかけるのは、よほどの伊達か酔狂の人ではないとできない。至難の業ゆえ、恋の歌、失恋の歌はいつの世でも人気があるのではないでしょうか。

投稿: 音乃(おとの) | 2014年10月27日 (月) 01時32分

どこの国の歌でも、恋愛や失恋をテーマとした歌が多いので、歌ブログはどうしても恋愛ブログになりがちなのでしょう。二木先生の恋愛論を軸として交わされる皆様の恋愛・失恋談義を遠隔の地で楽しんでいます。

投稿: 田代 | 2014年11月 1日 (土) 08時23分

狩人、私は弟さんの方のファンでした。(確か、高道さん)
二木さんのブログは、歌謡曲で、判らない事があると、こちらで、知識を仕入れています。
どこよりも、知識が豊富で、助かっています。
これからも、宜しくお願いします。m(__)m

投稿: みやこ路快速 | 2014年11月 9日 (日) 18時57分

二木先生
お懐かしゅうございます。
以前、川崎市麻生区の区民講座で先生に文章表現を教えていただいた者でございます。だいぶの前のことですし、受講生が5,60人もいたので、名前をいってもご記憶はないと思います。1年間、とても楽しい講座でございました。
この夏、上田のほうに参りましたので、途中下車して追分のあたりを少し歩いてみました。コスモスの季節には早かったので、花は見られませんでしたが、とても美しいところでございました。
 先生にはお体に気をつけられ、このブログをいつまでもお続けになるように祈っております。

投稿: N・A | 2014年11月20日 (木) 22時20分

二木先生
この歌の切なさも好きですが
二木先生の蛇足に魅かれます。
りんごも先生のような方を講師として文章修業できれば
本望です。博識で多彩な先生のブログを生きる縁とも
しております。

堀辰雄、立原道造ともに高校時代に心酔。
国語の教科書で堀辰夫の「浄瑠璃寺の春」という随筆に出会ってとても心惹かれました。
いちど訪れたいと強く強く念じました。
それから約25年後、今から20年ほど前に
一人で浄瑠璃寺を訪れました。近鉄奈良駅からつづら折りの道をバスに揺られて。

投稿: りんごちゃん | 2015年1月26日 (月) 17時11分

「高校1年の時『美しい村』を読んで」とありますね?私の手元に角川書店の昭和35年発行の高等学校国語1(表紙は赤い)が。その冒頭に堀辰雄の「美しい村」が収録されています。この教科書をなぜか捨てずにとっておいたのです。初めて読んだとき、日本の南方に住んでいたせいでしょうか、軽井沢は西欧風に垢抜けたあまりに遠いところに思えました。尤も私より歳上の管理人様は、この教科書は使われなかったのでしょう。

投稿: Bianca | 2015年1月27日 (火) 18時36分

Bianca様
『美しい村』は中編なので、教科書に載っていたのはその一部ではないでしょうか。
高1のとき私が『美しい村』を読んだのは、筑摩か河出の文学全集のうちの堀辰雄集だったと思います。
その本に収録されていた『風立ちぬ』の冒頭から数行目に、「……遥か彼方の、緑だけ茜色を帯びた入道雲の……」という個所がありました。この意味がどうしてもわからず、「緑の黒髪」という言葉があるのだから、そういう表現もあるのかなと思っていました。緑が縁(ふち)の誤植だとわかったのは数年後のことです。ばかでしたねェ。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年1月28日 (水) 00時21分

 二木先生のコメント、 久しぶりに腹のそこから笑いました。
何か、にたような笑いがあったな・・えっと・・
で、『徒然草』の聖海上人というえらい坊さんの話。
丹波・亀岡の神社に背中合わせの珍しい狛犬があり、これは何かいわれがあるに違いない、みなの衆、よく聞いておくように、と説教した後、神主におごそかに聞いてみた。
神主は「ああ、近所の悪ガキのいたずらですよ」とこともなげに答え、もとどおりの向かい合わせの姿にした。
単なるいたずらではすまないものがあるように、単なる誤植ではすまないものが、ここにもあるようにおもいます。

投稿: 紅孔雀 | 2015年1月28日 (水) 23時27分

 軽井沢は、小学生1~2年生の頃に父親に連れられてスケートセンター(今はもうありませんが)へスケートをしに行ったのが初めてだと記憶しています。堀辰雄の『美しい村』『風立ちぬ』は現在も新潮文庫の一冊にまとめられていますが、17歳の頃に初めて読み、その夏に友人と訪れた旧軽井沢は高校生の私には眩しい避暑地でした。ただ、そんな文学的な趣味が気恥ずかしく、友人には堀辰雄を読んでいることを伏せていました。
 その後何度となく軽井沢・追分周辺を訪れましたが、小説に登場する水車の道、巨人の椅子、幸福の谷(堀辰雄は死のかげの谷と呼びましたが)などが何処に位置するのか、未だに知りません。
 浄瑠璃寺は私も好きな場所で、京都の大学生の頃に2回程訪れました。昨年出張のついでに足を伸ばしましたが、現在でも辺鄙な場所にあります。何故か惹かれるお寺です。

投稿: Yoshi | 2015年1月28日 (水) 23時52分

紅孔雀様
博識にして機知に富んだコメント、いつも楽しみにしております。過去ログのハコベの花さまとの掛け合いもなかなか深い味わいがあります。
Yoshi様
堀辰夫愛読を友人に伏せていた~繊細な文学青年でしたね。含羞は紳士の嗜みです。
さて、貧農の娘りんごは自意識過剰の余り、高3の折、就職試験に「愛読書」の設問があり嘘を記入。太宰かぶれであったが「人間失格」などと書けば判定にひびくと思って無難に志賀直哉の「小僧の神様」と記入。
貴方様は京都の大学をお出になられたのですね。
長女が京都の大学卒業後も京都住まいなので、京都を起点として隈なく歩き回っております。遠いみちのくから上洛の折。浄瑠璃寺行は高校卒業後30年でした。5年違いました。堀辰夫の「浄瑠璃寺の春」で馬酔木を知りました


馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺じょうるりじ 
 <水原秋桜子>
「馬酔木咲く金堂の扉にわが触れぬ<秋桜子>」

投稿: りんご | 2015年1月29日 (木) 16時44分

りんご様 
 おほめのことばをいただき、恐縮です。
私も、りんご様の乙女チック、ロマンチックな文章を楽しませていただいています。
 私は、単なる冗談好きの人間で、ハコベの花様の胸を借りて、横綱に稽古をつけさせてもらっているという感じです。
 あ、セクハラになったかな、最近の日本、むつかしいわ。

投稿: 紅孔雀 | 2015年1月29日 (木) 22時45分

紅孔雀様 貸してあげられる程の胸がなくてすみません。でも、ウフフと笑えるお話は大好きです。この歌には相応しくないお話ですみません。私は先日後期高齢者になってしまいましたが、全く自覚がありません。金融機関の集金に来る20台の青年たちと恋の話をするのが大好きです。
昨年2人の青年が失恋してしまいました。大ショックだったという割に元気でした。「失恋も良い経験だよ」と慰めています。年を経ると失恋も美しい思い出に変わります。「相手にも貴方は永遠の人として残る」とも言ってやります。身体は年を取りますが、頭はあまり年を取りませんね。美しい青年に「貴方はハンサムねぇ」と平気で言えるようになったのは少し年を取ったのかも知れません。でも、若い時より今のほうが楽しいのです。りんご様まだ美少女だと思って暮らしませんか。青年が、皆、美しく見えますよ。

投稿: ハコベの花 | 2015年1月30日 (金) 23時11分

ハコベの花様
貴重な助言ありがたく身に沁みます。
胸にも沁みます。
コメントから伺えるハコベの花様は「ハンサムウーマン」
りんごの心はあえかな美少女です。
一方で青年に「貴方、イケメンね」と臆面もなく言える程の華麗なる変身を遂げ、尚進化しつつあります。
これからも薫陶よろしくお願い致します。
ご自愛ください

投稿: りんご | 2015年1月31日 (土) 08時44分

二木先生
ハコベの花様のおっしゃる通り含蓄のある解説に感銘。
宮本輝の「錦繍」藤沢周平「海鳴り」高樹のぶ子「時を蒼く染めて」が私の選ぶ恋愛小説ベスト3です。若かりし頃は中里恒子さんの「時雨の記」に心酔も加齢と共に「そりゃないでしょう。相手の男性が可哀想でしょう~不倫相手の男性に同情するのも変な話だが」に変化。その後「時雨の記」を除外、水村美苗さんの「本格小説」を感動の恋愛小説に加えたりんごです。支離滅裂なコメントをお許し下さい。

ハコベの花様
加齢なる変身と書いたつもりが華麗なるとなっているのに今しがた気づきました。華麗ではぼやけますので訂正。

音乃様
いつも特異な切り口にくすっとするりんごです。
漢字の印象から女性とばかり思ってました。
お名前の由来など伺えたら幸いです。

投稿: りんご | 2015年2月28日 (土) 21時46分

二木先生
連続のコメントをご容赦下さい。
先生のコメントを拝読して益々先生のファンになりました。先生の蛇足(解説)に接しては知識と感銘を深め生きる糧としております。おっしゃる通り私信ならいざしらず配慮に欠けました。
蛇足ですが、狩人のお兄さんの方の次男の活躍が(バレエ)昨日の産経新聞紙上に写真入りで掲載。ご長男も国内のバレエ団で活躍なされてるそうです。

先生ご自愛なされて末永く蛇足を拝読させてください。あつかましくも佐藤宗幸さんの「昔聞いたシャンソン」をリクエストさせてください。

投稿: りんご | 2015年3月 1日 (日) 08時23分

度々の投稿お赦し下さい。追分の現状について私の知るところを記述してみます。
 高校の同級生が、脱サラをして追分で喫茶店を経営しており、私も一度だけ尋ねたことがあります。豊かな自然に囲まれているものの、新幹線の開業に伴って軽井沢の駅が移転した後は、比較的近距離だった旧軽井沢もかつての賑わいを失い、追分周辺は以前より更にさびれたようです。油屋は廃業して、地元の有志が追分地区の町おこしの一環として、宿泊も可能なイベントスペースとして油屋の管理・運営を行っているとのことです。追分には、友人のように第二の人生の場として移住して来た人も多く、油屋の管理人も含めて、交流を深めながら助け合って暮らしているようです。
 二木先生の蛇足の中で森於兎彦という芥川龍之介の偽名が目に止まりました。森於兎は実在の解剖学者で森鴎外の長男であり、芥川より2歳年上です。ともに一高、東京帝大に学んでいますので、交流があったのかも知れません。森鴎外はドイツ留学が余程想い出に残ったのか、子供に洋風の名前をつけています。於兎はオットー、茉莉はマリーであると推測されます。茉莉は別として、於兎という名前は他では目にしません。

投稿: Yoshi | 2015年3月 1日 (日) 10時17分

りんご様
「音乃の名前の由来」をお尋ねの件、
私としては、少し困る質問ですが・・
長い逡巡の末、お答えすることにしました。
聞かなければよかった話になるのは、火を見るより明らかですが・・

昔、病院で診察の順番待ちをしていたら、「00番、おとのさま~」とだれかを呼び出す声がしました。
「世の中にはふざけた人がいるもんだ。お殿さまと呼ばせて喜んでいるとは」と思いました。
今では、そのおふざけのパクリをしています。(笑)
今から思えば、実際そういう名前があったのか、聞き間違いだったのか、はっきりしません。
ま、いずれにせよ、優雅や典雅の心はかけらもございません。
ご期待にそえないようで、申し訳ございません。

投稿: 音乃(おとの) | 2015年3月 2日 (月) 16時43分

音乃様
早速のコメントを嬉しく存じます。
どうしてどうして「オトノ」を音乃と表意するところが既に典雅そのもです。
りんごも物好きで八方手をつくして調べました。
何~ネット上の検索ですがね。
まずは珍名(苗字)出てこないので次は「現存する苗字一覧」あるわ!あるわ~ありました。あから始まりややしばらくマウスを押しっぱなし~「音納」オトノ
大阪に集中のようで、珍名には相違ないと思います。
これをご縁に当地の珍名をご紹介致します。
当県は蔵王とさくらんぼとラフランス、奥の細道の山寺が有名です。
七五三(しめ)八月朔日(ほずみ)寒河江(さがえ)など

音乃様のコメントに冒頭から笑ってしまいました。
感謝、感謝,深謝です。

投稿: りんご | 2015年3月 2日 (月) 21時42分

津軽海峡・冬景色の歌詞「北へ帰る人の群れは誰も無口で」とこの歌の「出会うひとはみななぜか目を目を伏せてなぜか目を伏せ歩きます」は同様な意味だとブログで読みましたが詩人はこうゆう言葉を使うのですね。

投稿: 海道 | 2017年9月20日 (水) 17時06分

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