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アリラン

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


朝鮮民謡、日本語詞:不詳

1 アリラン アリラン アラリヨ
  アリラン峠を 越えて行く
  私を捨てて 行く人は
  一里も行かずに 足が痛む

2 アリラン アリラン アラリヨ
  アリラン峠を 越えて行く
  晴れた空には 星も多く
  おいらの胸には 夢がいっぱい

3 アリラン アリラン アラリヨ
  アリラン峠を 越えて行く
  あそこの山が 白頭山だよ
  厳しい冬でも 花が咲く


     아리랑

1.아리랑 아리랑 아라리요
  아리랑 고개로 넘어간다
  나를 버리고 가시는 님은
  십리도 못 가서 발병난다

2.아리랑 아리랑 아라리요
  아리랑 고개로 넘어간다
  청천 하늘엔 별도 많고
  우리네 가슴엔 꿈도 많다

3.아리랑 아리랑 아라리요
  아리랑 고개로 넘어간다
  저기 저 산이 백두산이라지
  동지 섣달에도 꽃만 핀다

《蛇足》 『トラジ』とともに朝鮮民謡を代表する曲。南北朝鮮はもちろん、中国領内の朝鮮族の人びとにも愛唱されてきました。

 発生の時期は明らかではありませんが、大院君(興宣大院君)が摂政をしていた李朝末期だという説があります。
 すなわち、1860年ごろ、傾き始めた朝廷の権威を回復するため、秀吉軍による侵略
(壬申倭乱)で焼け落ちたままになっていた王宮・景福宮を再建しようと、大院君が全国から大工や人夫を強制的に徴集しました。そうした男たちの身を案じた妻や恋人たちが歌い出したのが始まりだというのです。1番の歌詞には、そんな女性たちの気持ちがよく表れています。

 なお、1番の4行目は、原詞では「十里も……」となっていますが、朝鮮の十里は日本の1里に当たるので、上の日本語詞では1里としたようです。

 また、アリランの意味や語源については諸説あり、確定したものはありません。朝鮮半島の何か所かにアリラン峠という地名がありますが、これはこの歌が広まってからつけられたものとされています。

 歌詞については、全羅道の珍島アリラン、京畿道のキンアリランなど、地方色を反映したアリランが80以上もあるといわれています。

 少なからぬ韓国人たちが信じているという「『アリラン』は世界で最も美しい曲の1位に選定された」は、眉唾ですが、それでも『アリラン』が世界の民謡のなかでも美しい曲の1つであることにまちがいはありません。かつての歌声喫茶でも、よく歌われました。

(二木紘三)

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コメント

母が留学生の級友に昭和の初めごろ教わったと言って歌っていました。最初の2行だけはハングルで。何となく哀しみが感じられますね。奈良公園では桜の下で、民族衣装に身を包んだグループが歌い踊っている光景が、これは私の学生時代、1964年ですが、見られました。

投稿: Bianca | 2014年12月22日 (月) 14時10分

日中戦争で動員された大陸から帰還した父親に教わりました。まだ開戦2年を過ぎたころで、小学生の私は「アリラン アリラン アラリヨ アリランコゲルノムカンダ アプチチョンガクドリ モルコクチョンハナ シチブカルコシ コクチョンイリセ」と書いて覚えました。父親の派遣された華北には朝鮮人も多く住んでいたようです。後に大学で2人の朝鮮人と知り合いました。この歌ばかりではありませんが、私がカタカナで朝鮮の歌を歌うと、真剣に耳を傾けていたものです。大学卒業後も永年親交の続いた友人と言えば朝鮮系のこの2人だけで、いずれも故人になったことを、アリランを聴くと思い出します。

投稿: dorule | 2014年12月23日 (火) 15時48分

聴く度、胸がジ〜ンする、「アリラン」。
切なく、哀愁のあるメロディー、国は違えど、愛する人を思う心は一途です。
AMラジオを、夜間に聴いていると、韓国KBSラジオから、アリランのメロディーが…。
アリラン峠が発祥だと思っていたのに、後発だったとは。
勉強になりました。(*^_^*)

投稿: みやこ路快速 | 2014年12月25日 (木) 06時13分

12年前、日本語ボランティアの仲間と中国のフンチュンと言うところに行きました。ここは朝鮮族が多い所で、中国・ロシア・北朝鮮が湾の近くに集結しているところなので、経済特区のひとつになっています。

ある高校で日本語の授業の時間に我々が訪問して、日本語での交流をしました。初めてみる日本人に生徒たちは目をキラキラさせて大歓迎でした。日本語の先生も日本人を見るのは初めてでした。

その晩、校長先生がカラオケボックスに我々を招待してくれました。宴が盛り上がって、校長先生がアリランを歌いながら独特な手つきで踊りだしました。我々もみんな立ち上がって踊りながら歌いました。懐かしい思い出です。

投稿: 吟二 | 2015年1月14日 (水) 10時44分

父の任地の関係で、北朝鮮で生まれ、国民学校6年で終戦を迎え、翌年の末に38度線を突破してにたどり着きました。
幼き頃、現地の友達から唄い聞かされた懐かしい曲で、脱出時の苦しかった思い出とともに懐かしい唄です。

投稿: 日出朗 | 2016年10月13日 (木) 19時37分

私が若い頃派遣されてブラジルの現地法人に出向していました。その時親しくなった友人の中に韓国人がいて彼から保証人を頼まれました。そして私のいる会社に就労したのですが、彼のパスポートは白人となっていました。少しだけ聴けたのですが彼はキムイルソンを襲撃し失敗して国外脱出をしたようです。人に言えない事情と経緯で白人パスポートを手に入れ、生活のため日本人の会社で働いたのです。一年もたたぬうちに彼は行方を知らせぬまま立ち去りました。その後会うこともなく私は日本に帰国しましたが何故か彼のキラキラする眼が記憶に残っています。私のいた安マンションで一度だけ飲んだ時、私がこのアリランを歌ったら彼は下を向いてじっと聞いていました。一緒に歌うことはありませんでした。もう40年も昔の事ゆえ彼は祖国に帰っているのかブラジルの奥地にいるのかそれとも鬼籍に入ったか。何らなすこともなく怠惰な人生を生きて来た不甲斐ない自分と置き比べて考えることも諸々です。

投稿: 林 滋 | 2017年5月15日 (月) 16時16分

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