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若い二人

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:杉本夜詩美、作曲:遠藤 実、唄:北原謙二

1 君には君の 夢があり
  僕には僕の 夢がある
  二人の夢を よせあえば
  そよ風甘い 春の丘
  若い若い 若いふたりの
  ことだもの

2 君には君の 歌があり
  僕には僕の 歌がある
  二人が歌を おぼえたら
  たのしく晴れる 青い空
  若い若い 若いふたりの
  ことだもの

3 君には君の 道があり
  僕には僕の 道がある
  二人の道は 遠いけど
  昨日も今日も はずむ足
  若い若い 若いふたりの
  ことだもの

《蛇足》 昭和37年(1962)にコロムビアから発売、年末から翌年にかけて大ヒットしました。北原謙二の最初のヒットで、『ふるさとのはなしをしよう』と並ぶ彼の代表作です。独特の粘るような発声が印象的でした。

 平成3年(1991)に脳内出血で倒れ、左半身マヒになりましたが、リハビリを重ねて3年後に復活。相当人柄のいい人だったようで、復活に当たって多くの歌手仲間や芸能人が支援したと伝えられています。
 平成17年
(2005)1月26日没。

 この歌が流行り始めたのは、私が大学に入って2年目。東京の生活にも慣れ、女友達もできたりして、自由気ままな、というより自堕落で怠惰な生活を送っていました。
 放埒な日々のなかで、心に多少傷を負うこともありましたが、今考えると、それも含めてまあまあ楽しい生活だったと思います。

 しかし、そのツケはすぐに回ってきました。卒業してしまうと、時間と規律に縛られ、勤勉さを求められる社会に出なければなりません。なんとかモラトリアム期間を延ばせないものかとジタバタしましたが、ムダなあがきに終わり、何の覚悟もできないまま、社会に押し出されてしまいました。
 そのせいで、現実社会の厳しさに適応するまで、人一倍苦労しました。しかし、結局組織に適応できず、はじき出されてしまうのですが……。

 『若いふたり』を聴くと、大学生活のなかで最も自由で、感情の振幅も大きかった2,3年次のさまざまなシーンが浮かんできます。

(二木紘三)

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コメント

 私も自由を学風とする関西の大学へ進学しました。現在は知りませんが、東のW大学と並んで留年・中退が多いことでも有名で、在学当時の友人で行方のわからなくなった人も多いです。しかし、自由な発想という人生訓を学ばせていただいたと母校に感謝しています。
 ところで、この曲はいわゆるドドンパの部類に入る曲ではないでしょうか。私の誤解でしたら申し訳ありません。また私の見解ではないことを明記しておきますが、諸外国に類がなく、あまり‘品のない’(故黛敏郎談)リズムだそうです。私は音楽には造詣が深くないので、どういう経緯でこういうリズムが生まれたのか教えていただけたら幸いです。

投稿: Yoshi | 2015年1月24日 (土) 05時49分

Yoshi様
おっしゃり通り、この曲はドドンパですね。ドドンパのリズムにしたかったのですが、私の腕ではできませんでした。
ドドンパの起源については、私もよく知りません。ウィキペディアによると、戦後フィリピンバンドが持ち込んだカリブ海音楽がもとで、4拍子の2拍目にアクセント置き、3拍目と4拍目を3連符にして「ゥン パッ タタタ ドッド」というリズムを編み出した、とあります。また、このリズム形式をドドンパと名付けたのはアイ・ジョージだったといわれています。
ドドンパは日本で生まれたリズム形式ですが、ヒットしたのは『東京ドドンパ娘』と『若いふたり』ぐらいで、ほとんど広まりませんでした。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年1月24日 (土) 17時16分

この楽曲も好きな楽曲のひとつです。
北原さん、病に倒れる前は甘いマスクと歌声で、万年青年というイメージの方でした。
復活された時は、嬉しかった。
歌詞の、「君には君の夢があり、僕には僕の夢がある。」には、自由な時代の薫りがしました。
激動の戦後にこんな素敵な楽曲を、創りだされたなんて…。
今尚、聞き継がれ、歌い継がれている、歌謡曲って素敵ですね♪

投稿: みやこ路快速 | 2015年1月25日 (日) 07時27分

当時、中学生だったころに流行した歌でした。ああ、なんとなつかしい歌。「あかいろの花、あのこと摘めば…」といった歌もはやっていましたね。北原謙二さんのすべての歌の数々が、今はなき中学校舎の音楽室のうす暗いイスを思い出します。

投稿: 国境の春 | 2015年2月27日 (金) 01時01分

北原謙二の曲は独特の牧歌的な香りがありました。ヒルビリー歌手の日本の代表でしょうね。色白で童顔で、私は母親から「似ている」なんて言われました。イケメン度は人によって評価が分かれるような顔立ちで、私は言われてもさほど嬉しくありませんでした。

でも、歌は結構好きでした。ヒルビリー風の歌い方が雰囲気があり、上手で好きでした。彼は確か私と同年齢だったと思いますから、彼の死は私の青春がまた一つ消えたような気がしました。

投稿: 吟二 | 2015年5月14日 (木) 22時23分

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