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20歳のめぐり逢い

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:田村イサ夫、唄:シグナル

風に震えるオレンジ色の
枯葉の舞いちる停車場で
君と出逢った九月の午後
男と女のめぐり逢い

君の話す身の上話が
いつか涙でとぎれてしまう
命を賭けた恋に破れて
心は傷ついて
人を信じる事ができない
そんな女(ひと)だった

月日は流れて季節は変わり
いつしか二人は愛し合う
今日は君の誕生日
ワインを飲んで祝おうね

20歳(はたち)になって 大人になって
出直すんだね 過去など忘れ
手首の傷は消えないけれど
心の痛みは
僕がいやしてあげる 優しさで
君のためなら

20歳になって 大人になって
出直すんだね 過去など忘れ
手首の傷は消えないけれど
心の痛みは
僕がいやしてあげる 優しさで
君のためなら 君のためなら

《蛇足》 フォークグループ・シグナルのデビュー曲で、昭和50年(1975)9月21日にポリドールから発売され、約30万枚売り上げました。

 シグナルは田村イサ夫・浅見昭男・住出勝則の3人がオリジナル・メンバーでしたが、のちに田村イサ夫が抜けるなど、メンバーの入れ替わりがありました。イサ夫のイサ(オ)はにんべんに功ですが、小さい漢和辞典には載っていません。

 この歌詞ですが、私は最初、リストカットまでした苦しい失恋を初対面の人に告白するものだろうかと疑問に感じました。しかし、作詞者が一般的な「出会い」ではなく、「めぐり逢い」という言葉を使っていることにすぐ気がつきました。
 「巡り会う」は、「めぐりめぐって出あう。別れ別れになっていた相手や、長く求めていたものに出あう」ことです
(『デジタル大辞泉』)

 人は、誰にもいえなかった苦しい過去を心を許した人に聞いてもらうことによって、いくぶんかでも傷みを癒やすことができます。この女性は、意識的か無意識的かはわかりませんが、そんな人を求めていたのでしょう。そして、秋の停車場でそんな人に出会ったのです。

 とはいえ、初めて会った人が信頼できるかどうか見極めるのは困難です。したがって、その男性は初対面ではなく、以前知っていた人か何らかの交流があった人と見るのが妥当でしょう。
 『20歳のめぐり逢い』とありますから、その人はそれ以前の知り合い、たとえば高校の同級生だったのではないでしょうか。

 その頃、彼は彼女に心を寄せていたかもしれませんが、友人以上の関係にはならなかったのでしょう。もしかしたら、彼は、彼女が危ない恋にのめり込んでいるのを知っていて、ハラハラしながら見守っていたかもしれません。

 そんな2人が、秋の停車場で偶然巡り会ったのです。そのとき、彼は彼女の手首の疵に気がついたのでしょうが、あえて訊きませんでした。その後交流が続いて、2人の間に信頼感が醸成されたときに、初めて彼は疵について尋ねました。
 彼女は、堰を切ったように苦しかった過去を吐き出しました。そして、2人の間に恋が生まれたのです。

 というようなことを想像していたとき、私はふと夏目漱石『三四郎』の1場面を思い出しました。

 廣田先生、与次郎、美禰子、三四郎の4人が’Pity's akin to love.’をどう訳すのが適切かについて論議しています。なかなかいい案が出なかったとき、与次郎が「ここは俗謡調でいくべきだ」といって、「かわいそうだたほれたってことよ」はどうかと提案します。
 すると、廣田先生は「いかん、いかん、下劣の極だ」と叱ります。そこへ野々宮さんが入ってきて何の話かと尋ねます。美禰子の説明を聞いて、彼は「なるほどうまい訳だ」と感心します。
 廣田先生は、与次郎の翻訳がだめだといったのではなく、伝法なべらんめえ調が気に入らなかったのでしょう。

 余談ですが、与次郎は鈴木三重吉、野々宮さんは寺田寅彦、三四郎は小宮豊隆、美禰子は平塚らいてう(雷鳥)がモデルだとされています。

 それはさておき、『20歳のめぐり逢い』は、「かわいそうだはほれたってことよ」の1つの例だと思います。これはpityを感じたほうについての表現ですが、心を許して告白したほうについては、「打ち明けるとはほれたってことよ」といえるでしょう。

 『20歳のめぐり逢い』もあれば、『22才の別れ』もあります。この年頃には、いくつも恋が生まれ、消えていきます。恋に破れていくら苦しくても、自傷行為はいけません。リストカットしても、その疵は苦しみの記録として残るだけです。
 苦しみに耐えていけば、数十年後には芳醇な恋の思い出に変わっているはずです。破恋でも、というより破恋だからこそ心に深く刻まれ、それによって恋をしなかった場合より財産を1つ多く得たことになるのです。

 『生き続けていけ、今にきっとわかるだろう』(ゲーテ)
 これは、私が
高校時代に、早世した友人から教えられた言葉です。

(二木紘三)

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コメント

今日は私の誕生日です。素敵なうたのアップをありがとうございます。そして私も20歳の時、かなわぬ恋をし、高校時代の元彼にその悲しみをきいてもらいました。はじめ二木先生はそのことを知っているのでは?と錯覚しましたが、すぐに笑ってしまいました。20歳のころには多かれ少なかれそのような体験をしている人が多いものだと思い直したからです。だからうたも流行るのだと思います。もう娘が21歳です。先日先生と同じ早稲田の人にフラれたと泣いておりました。娘がめぐり逢いをしたかどうかは定かではありません。

投稿: ぽん | 2015年4月 7日 (火) 20時31分

 『二十歳のめぐり合い』は思い入れが強い曲です。何故ならこの曲が流行した頃に私は成人式を迎えました。つまり二十歳だったのです。
 二十歳と言えば、十代の終わりに読んだ原口統三『二十歳のエチュード』を想起します。当時の自分達と同年代の旧制高校の学生の思索を記した本書は、しばしば友人との議論にも登場しました。思えば“熱い”青春時代でした。

投稿: Yoshi | 2015年4月 8日 (水) 19時47分

Yoshi様

原口統三の「二十歳のエチュード」知らなかったのですが、青空文庫になっていたので読んでみました。難解でしたが、私の心を打つところもありました。「窓のあるところに孤独がある」というところです。外に出られる窓、外の美しい風景を見られる窓があるからこそ孤独を感じる。まさしくそうですね。温もりを知っているから寂しくなるのです。統三は「窓を捨ててしまった」と言っています。自殺なんてしないで誰かとめぐり逢って生きていてほしかったです。

投稿: ぽん | 2015年4月 9日 (木) 13時29分

Pity is akin to love を辞書でみると、中島文雄の岩波大1970版には、(諺)あわれみは恋のはじまり、とありました。斉藤秀三郎英和中には、憐憫は戀愛に近し、とあります。
文学青年を気取ってファウストを読んだことがあり、中のアフォリズム(警句?)のような言葉を蛇足のご解説に誘われていくつか思い出しました。
 天上の序曲の主の言葉
人間は努力するかぎりまようことがあるだろう。
しかし、よい人間はいくら暗黒の衝動にうながされても、けっして正しい道は忘れない、ものだ(←しかし以降は疑問である)
 ファウストの初恋への呟き
何もかもすぐわかって、何もわかっていないのが、青春の最初の貴重な一瞥だ。しっかりとらえておけば、どの宝よりもうつくしくかがやくのに…
 望楼守の白鳥の歌
世界は俺の気に入ったが 俺も俺の気に入った(←自分が嫌いな人もいるのではないか)
幸せな俺の二つの目よ お前が見たものは
何が何であろうと さすがにみんな美しかった
 天使たちの頌歌
たえず努力していそしむものは わたしたちが救うことができます

こうしてみると、ゲーテは、初恋の思い出は大切に、失恋しても耐えて生きて努力すればそのうちいいことがあるだろう俺のように、と言いたかったのでしょうか。「糸車の歌」等恋に苦しむグレートヘンは、大山定一の名訳で泣くことができますね。(←永遠の女性を讃えるならファウストも失恋して泣く姿を物語の頂点に書くべきだったのでは、なら百年以上たった今ももっと同感されて読まれている筈。とんちんかんなことを言ってすみません)

投稿: 樹美 | 2015年4月 9日 (木) 19時42分

私にとって、懐かしい楽曲です。
これを疑っていた「シグナル」は、私が少女の頃聴いていた関西の、「MBSヤングタウン」というラジオ番組にメンバーのひとりがパーソナリティーで出演中のヒットでした。
リスナーとして、とても嬉しかった事を覚えています。

投稿: みやこ路快速 | 2015年4月12日 (日) 17時26分

6,7年前かな、直角座席の急行列車での里帰り(30年前の学生時代)のことでコメントいたしました。 
 あの頃は下手なギターでコピーだコピーだ、それだけでした。 今になって、この歌や他にもたくさん懐かしい曲がありますが、二木先生の蛇足や皆さんのコメントに喜怒哀楽混ぜ混ぜで、楽しんでいます。
 22才の別れ、池上線…
東京が好き(水越けい子)もここに載ればうれしいです!

投稿: 小笠原博文 | 2015年6月14日 (日) 22時19分

縁もゆかりもない者ですが十年以上前のこと、この曲の掲載をお願いしたことがあります。久しぶりの来訪で掲載されているのを拝見しうれしくなりました。それにしても深い洞察、想像力には参りました。どうぞ末永いご活躍をお祈りいたします。

投稿: 仁 | 2016年12月 4日 (日) 16時19分

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