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古い顔

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


原詩:チャールズ・ラム、訳詩:西條八十、作曲:松島道也

1 子供の頃に 遊んでた
  学生時代に つき合った
  いろんな友が いたけれど
  みんなみんな 今はない
  ああ なつかしい 古い顔

2 夜おそくまで 坐り込み
  わらって飲んだ ものだった
  あの仲良しの 飲み仲間
  みんなみんな 今はない
  ああ なつかしい 古い顔

3 恋もしたっけ 素晴らしい
  美人だっけが あのひとも
  今じゃ会えない 人の妻
  みんなみんな 今はない
  ああ なつかしい 古い顔

※ 心を知った 友達は
  兄弟よりも なつかしい
  おんなじ家に なぜ君は
  生まれて来ては くれなんだ
  
4 そうすりゃ今でも そばにいて
  亡くなった友 去った友
  うばわれた友 いろいろな
  昔の友を 語ろうに
  みんなみんな 今はない
  ああ なつかしい 古い顔

        The Old Familiar Faces

I have had playmates, I have had companions,
In my days of childhood, in my joyful school-days,
All, all are gone, the old familiar faces.

I have been laughing, I have been carousing,
Drinking late, sitting late, with my bosom cronies,
All, all are gone, the old familiar faces.

I loved a love once, fairest among women;
Closed are her doors on me, I must not see her —
All, all are gone, the old familiar faces.

I have a friend, a kinder friend has no man;
Like an ingrate, I left my friend abruptly;
Left him, to muse on the old familiar faces.

Ghost-like, I paced round the haunts of my childhood.
Earth seemed a desert I was bound to traverse,
Seeking to find the old familiar faces.

Friend of my bosom, thou more than a brother,
Why wert not thou born in my father's dwelling?
So might we talk of the old familiar faces —

How some they have died, and some they have left me,
And some are taken from me; all are departed;
All, all are gone, the old familiar faces.

《蛇足》 昭和17年(1942)、講談社(当時の社名は大日本雄辯會講談社)の大衆雑誌『キング』に『古い顔』と題する詩が掲載されました。イギリスの詩人でエッセイストのチャールズ・ラム(Charles Lamb 1775-1834)の詩‘The Old Familiar Faces’を西條八十が翻訳したものでした。

 これを読んで感動した旧制白石中学の生徒・松島道也が曲をつけ、この歌ができました。
 松島は仙台工業専門学校を経て東北帝国大学法文学部美学科を卒業、のちに女子美術大学の学長を務めました。西欧美術史が専門。平成13年
(2001)没。

 学生時代、松島が演劇活動をしていたことから、この歌は仙台市内の演劇サークルの愛唱歌となり、さらに彼の友人を通じて山岳部でも歌われるようになりました。戦後は、早稲田大学バレーボール部など、各地の大学の運動部のほか、歌声喫茶でも歌われました。

 松島は、音楽についてとくに才能があったというわけでもないようで、この曲には、プロの作曲家ならあまり使わないようなメロディーラインが見られます。しかし、その素朴さが旧友たちや思いを寄せた女性を偲ぶ詩の内容に合っており、それが長く愛唱された理由だと思われます。

 戦後、コーラスグループ、ボニー・ジャックスが歌うことになった際、中田喜直が手を入れたため、原曲とはいくぶん変わっているようです。上のmp3には、中田喜直が補修・編曲した楽譜を使いました。

 原題‘The Old Familiar Faces’は、そのまま素直に訳せば、昔なじみの顔、古なじみの顔とか、懐かしい顔となるはずです。それなのに、西條八十はなぜ「古い顔」という、あまり熟していない表現を使ったのでしょう。
 私は次のように推測しました。

 ラムの代表作『エリア随筆』初版の『大晦日(New Year's Eve)』のなかに、「私は前々から、新しい顔、新しい本、新しい年といった新奇なものが苦手で…(I am naturally, beforehand, shy of novelties; new books, new faces, new years…)という個所があります。
 また、ラムの親友の一人、W.ヘイズリット
(William Hazlitt 1778-1830) も、「(ラムは)新しい顔、新しい本、新しい建物、新しい決まり事が嫌いだった(distaste to new faces, to new books, to new buildings, to new customs)」と書いています。
 西條八十は、このnew facesの対語という意味で「古い顔」という言葉をあえて使ったのではないでしょうか。

 それはさておき、この詩には多くの人びと、とりわけ子ども時代や青春時代を懐かしむ年齢になった人たちの胸を強く、また切なく揺さぶるものがあります。
 そのため、この詩はラム晩年の作品のような感じがしますが、実は1803年、28歳のときに書かれ、出版されたものです。

 ただし、ラムの伝記を書いたE.V.ルーカス(Edward Verrall Lucas 1868-1938)によると、初稿は1798年に書かれ、最初の聯は次のようになっていたそうです。

Where are they gone, the old familiar faces?
I had a mother, but she died, and left me,
Died prematurely in a day of horrors --
All, all are gone, the old familiar faces.

 この1798年という年、およびのちに削られたこの聯は、ラムが背負った多難な運命を物語っています。また、発行された1803年という年は、完成稿の第3聯に関係してきます。

 ラムにはジョンという兄がいましたが、年が離れすぎていたため、11歳年上の姉メアリー(Mary Lamb 1764-1847)が家庭内での遊び相手でした(以後ラムとだけ書いた場合はチャールズ・ラムを示す)
 幼児期のラムに文字を教え、読書の楽しさを覚えさせたのはメアリーでした。

 7歳のとき、ラムはクリスツ・ホスピタル(Christ's Hospital)という寄宿学校に入りました。16世紀末に創立された伝統校で、現在もあります。
 ホスピタルがついていても、病院付属の学校だったわけではありません。hospitalはhostelやhotelと同語源で、「客をもてなす所」が原義です。寄宿学校なので、そう名付けられたのでしょう。

 ラムが学んだころの校長、ジェームズ・ボイヤーは、のちに古典語教育で知られるようになった人物ですが、生徒に対しては残忍で、容赦なく体罰を加えたといいます。ラムの後輩で、のちに著名な詩人・エッセイスト・小説家になったリー・ハント(Leigh Hunt 1784-1859)は、「歯を折られた」と自伝に書いています。

 上級生からのいじめもあり、あまり楽しくない学校生活でしたが、最高の収穫もありました。それはサミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge 1772-1834)と知り合い、生涯の友人となったことです。
 コールリッジは、ロマン主義の先駆けとなった人物で、イギリス・ロマン派の代表的詩人の一人です。
 リー・ハントは、ラムとコールリッジが卒業した少しあとに入学したので、友人になったのは、青春期になってからでした。

 1792年4月5日、16歳のとき、ラムはイギリス東インド会社に入りました。東インド会社は、アジア地域との貿易独占権を政府から与えられた特許会社です。イギリスのほか、オランダ、フランス、スウェーデンにもありました。
 ラムは、ここで事務員として働き、
33年後、年金が得られる年齢になってから退職しました。本分である文芸活動を続けるために安定した収入を確保しておくというのは、賢明な生き方だったといえるかもしれません。

 ラムの作品が初めて世に現れたのは1796年で、コールリッジが編んだ詩集’Poems on Various Subjects’に、チャールズ・ラム作として4つのソネットが収録されました。
 これがきっかけとなって、W.ワーズワース
(William Wordsworth 1770-1850)やP.B.シェリー(Percy Bysshe Shelley 1792-1822)、前述のW.ヘイズリット、リー・ハントなど、若い詩人や作家たちとの文芸グループが形成されました。

 ラムが最初の試練に見舞われたのは、1795年のことです。この年、ラムは精神疾患のため、6週間の入院を余儀なくされました(1796年5月27日付のコールリッジへの手紙)。鬱病だったようです。

 精神のバランスを崩す傾向は、姉メアリーに強烈に現れました。
 1796年9月22日、母親とメアリー、奉公人の少女の3人で夕食の準備をしていたとき、突然メアリーがわめいて少女を激しく突き飛ばし始めました。母親が大声で止めると、激高したメアリーは包丁で母親の胸を突き刺したのです。
 騒ぎを聞いたラムが飛び込んで包丁を取り上げたときはすでに遅く、母親は息絶えていました。

 当時の法律では、精神障害者施設に終身収容されるところでしたが、ラムの友人たちが奔走したおかげで、ラムが責任をもって監視するという条件で放免になりました。
 しかし、疾患が治ったわけではないので、治療しなければなりません。兄のジョンは、費用の安い公立の精神病院に入れようと提案しましたが、ラムは拒否して、乏しい収入の相当部分を割いて、友人の医師が薦めた私立病院に入れました。

 治療を終えて退院したのちも、メアリーは何度か発作を起こしました。1800年に病気がぶり返して病院に入れなければならなくなったとき、ラムはまた鬱病っぽくなり、「メアリーが死んでくれたら、と思うことさえあった」とコールリッジに書いています。

 しかし、症状が出ていないときのメアリーは、才気にあふれ、活動的でした。文芸サロンに出入りするとともに、ラムと共著でいくつもの作品を発表しています。とくに1807年に発表した『シェークスピア物語』は傑作で、今も刊行されています。
Photo_2 これは、シェークスピアの劇を子ども向けの読み物にしたもので、ラムが悲劇、メアリーが喜劇を担当しました。
 私は、小学生のとき、講談社発行の児童向け世界名作全集で『シェークスピア名作集』
(右の写真)を読みましたが、これはラム姉弟の作品の抄訳だっただろうと思います。

 ラムは姉の面倒をみるために、生涯独身を通しましたが、恋はしました。
 おそらく初恋だっただろうと思われるのが、東インド会社に入った1792年にしたアン・シモンズへの恋。数年間にわたり、何度も求愛しましたが、結局振られました。この女性は、『エリア随筆』にアリス・Mという名前で登場しています。

 『古い顔』の第3聯で歌われているのは、へスター・セイヴァリー(Hester Savory)です。クエーカー教徒の金細工師、ジョセフ・セイヴァリーの娘で、東インド会社におけるラムの同僚の妹でした。
 セイヴァリー家が近所だったので、ラムは彼女を何度も見かけましたが、一度も話しかけなかったといいます。
 彼女は、1802年7月にC.S.ダドリーと結婚しましたが、翌年の夏に急死してしまいます。

 彼女の死の1か月後、ラムは‘Hester’と題する挽歌を書いて、トーマス・マニングに送っています。その手紙(1803年3月23日付け)のなかで、ラムは「前にお話ししたかと思いますが、私は何年間も彼女に恋していました」と書いています。その詩の第3聯は、次のようになっています。

A springy motion in her gait,
A rising step, did indicate
Of pride and joy no common rate,
     That flush'd her spirit:

 美しく、はつらつとした女性だったようですね。

 44歳のときには、ラムはロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)の女優、ファニー・ケリーと恋仲になり、求婚しますが、拒否されました。拒否の理由は不明ですが、もしかしたらメアリーの存在だったかもしれません。

 1834年7月25日、ラムの最も古く、最も親しかった友人、コールリッジが亡くなります。死の直前、コールリッジはラム姉弟を呼んで形見の指輪を渡しました。その半年後、ラムは親友の跡を追うようにして亡くなりました。
 メアリーはその13年後に亡くなり、弟の横に葬られました。

(上の絵はヘイズリットが1804年に描いたラムの肖像。ナショナル・ポートレイト・ギャラリー所蔵)。

(二木紘三)

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コメント

 まったく知らない歌ですが、「古い顔」とは、変な題だなと、まず思いました。
「古い顔」・・おじいさん、おばあさんの古ぼけた顔がずらりと並んでも、あまり華がないなあ・・
「なつかしい顔」くらいの表現をすてば、よいのに・・歌の題は、人をひきつけるのに大切なはず。
西條八十は、なぜこんな題をつけたのか。
「蛇足」の推測に、断然同意します。1942年、当時50歳だった西條は、ラムの嫌ったnew facesの対語を意図的に使ったと、私も思います。「なつかしい顔」では、新しいものを厭うというラムの立ち位置が表現できない。
 単に新しい顔だけではなく、新しい時代や新しいルールや新しい本を厭う、イギリスの伝統主義を体現する詩のようにも思います。伝統主義には、新しいものに飛びついていく軽薄さをわらう一面もあります。
 西條は、72歳の時、舟木一夫のために『花咲く乙女たち』(1964年)という歌を作詞しますが、その2番に
みんなみんな 今はない
町に花咲く 乙女たちよ
みんなみんな 今はない
町に花咲く 乙女たちよ
というくり返しのフレーズがでてきます。
西條にとって、晩年になっても、ラムの「みんなみんな 今はない」は、忘れられない表現だったのでしょう。

投稿: 紅孔雀 | 2015年4月24日 (金) 13時29分

中学生が作曲したと聞くと不思議な魅力を感じます。

「古い」と訳したのは「新しい」ものを否定する詩人の感覚からでしょうね。「新しい顔、新しい本、新しい建物」が苦手、実は私もそうです。

ラムは昔「シェイクスピア物語」を、最近「エリア随筆」を読みましたが、姉のために身を犠牲にした生き方とか「へスター」と言う名前などで「赤毛のアン」の世界を思いだしました。

投稿: Bianca | 2015年4月25日 (土) 22時22分

胸にジ〜ンと来る、素敵な楽曲ですね。
作者ラムさんの、この詩に込めた思いに、気持ちを動かされました。
寄宿舎時代のラムさんと似たような、あまり楽しくない、少女時代を過ごした私には昔の事は、思い出したくありません。
だからでしょうか、作品の解説が、胸に突き刺さるようです。
「私だけじゃないんだ。」という、慰めにもなりました。

投稿: みやこ路快速 | 2015年4月26日 (日) 07時08分

国際共通語関係でお名前を存じ上げており,当方自作のHPにもリンクを張っております。リンク集の「諸言語」の項目の中に「うた物語」が入っていますから,多くの人にはなぜか分かりにくいかもしれませんが。
コメントを差し上げるのは,初めてです。

さて,「古い顔」は懐かしい歌です。
四十数年前,某国語国文学科の学生でした。平安朝文学の先生が,アルコールが一定量を超えると必ずこの「古い顔」を口ずさんでおられました。なぜこの歌なのか,うかがわないまま,その先生は定年前に亡くなってしまいました。
今回の「蛇足」で理解できました。
その先生は,東北大学のご出身で,大学と大学院時代が仙台在住だったわけです。多分,中田喜直版ではなく,松島道也版だったんでしょうね。

ラムといえば,庄野潤三や小沼丹のエッセイを思い出します。
All, all are gone という言葉も彼等のエッセイのどこかにあったようです。
そんな思いをすることが多くなってきました。休日ですから,庄野たちのエッセイを読みなおしてみます。

投稿: きつどん | 2015年5月16日 (土) 15時31分

初めて聞く曲です。《蛇足》を拝読していて、「古い顔」という言葉が心に留まりました。古い顔もはじめは新しい顔だったのでは、古い顔とはいつ頃の顔なのかな、などと、取り留めもなく思い巡らしました。そして、古い顔とはいろんな理由でもう会えなくなった人達を思い出した時に、心に浮かぶ顔のことかなと思い付きました。ラムの『エリア随筆』にある「夢の中の子供 幻想」を読んだ時に感じた気分を思い出しました。

投稿: 楽蜻庵 | 2015年5月18日 (月) 17時53分

大変懐かしい歌を紹介いただき感謝しています。50年ほど昔に住んでいた尼崎市の文化会館で満員の聴衆を前に男声カルテットで歌ったことがあります。同時期に別のカルテットでもトップテナーで「古い顔」をよく歌っていましたので、青春の一番思い出深い歌です。手許に昭和37年音楽之友社発行の男声4部合唱楽譜(定価50円)がありますが、中田喜直氏が採譜、伴奏譜、合唱編曲に関するコメントを載せています。

投稿: 大伴焼餅 | 2015年8月18日 (火) 14時28分

本日「ことの終り」という英国の映画をDVDで見ていたら、どこかで聞いたBGMが流れています。ようやく、この「古い顔」W連想させるのだと気がつきました。(はたして、それほど似ているのか、私の勝手な思い込みかもしれませんが、耳の良い方一度聞いてみてください)戦時中の若い日本人、しかも素人の作った曲が今を時めく映画音楽作曲家マイケル・ナイマンの作品と通じるとすればちょっと愉快な気がしますが……。

投稿: Bianca | 2016年3月12日 (土) 18時00分

懐かしい歌です。仙台市内の高校時代によくコンパで歌っていました。当時はガリ版刷りの歌集がありましたが、歌詞の一部を忘れていたのでことに懐かしい。
40年ほど前に北九州戸畑の行きつけの飲み屋で、おばさんが新日鉄関係者から聞いて覚えたといって、よく一緒にうたっとことも思い出です。

投稿: Blanco | 2017年1月29日 (日) 12時00分

 タイトルに引かれて開きました。この曲は初めてです。訳詞がいいですね。懐かしい想いがこみあげてきて、胸がキュンとします。曲も訳詞のもつ静かな懐かしさにとても合っていて、豊かな懐かしい想い出がよみがえってきます。

 このサイトでじっくり作詞や作曲にふれたり『蛇足』を拝読していますが、いつも驚かされるのは作った人たちの年齢の若さです。多感な時期の思いがどんなに歳月が経っても、私たちの心に直接響いてきます。

 若い時間は長い人生を振り返ってみてほんのひと時でした。自分の若いころ書いたものを引っ張りだして読み直してみて、はっとすることがあります。やはりあの若い時でないと書けない感性の文に我ながら驚かされます。

 言うまでもありませんが、小説家の初期の作品を読んでみてもあのみずみずしさは永遠のものですね。

 『蛇足』の写真の本の表紙、びっくりしました。二木先生、よくぞ載せてくださいました。この全集にはいっぱいの想い出があります。小6の時、毎月一冊分の本代をもらって、友達と池袋の東口の今はない三省堂まで買いに行き、お互いに交換しながら読みました。

 写真の本は大きくなったら、ちゃんとした本で読んでみたいとおもっていました。大人になり翻訳本で戯曲を読みました。

 次からはそれこそ蛇足になりますが、20年以上も前に神奈川近代文学館で中村真一郎監修で「芥川龍之介展」がありました。言ったら笑われるだろうと思っていたことがありました。展示パネルで中村氏の文のなかに「芥川龍之介、シェークスピア、・・・に共通したものがある」と書かれてあった記憶があります。私は「やっぱりそうだよねえ」と得心したことを思い出します。

 

投稿: konoha | 2017年5月10日 (水) 12時59分

konohaさんの投稿があったので初めてこの曲に接しました。素直ないい曲ですね。最初のところが、「薪割り 飯炊き 部屋掃除」の「山の友に」と同じに聞こえました。

投稿: しょうちゃん | 2017年5月10日 (水) 20時50分

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