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青春のパラダイス

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:吉川静夫、作曲:福島正二、唄:岡 晴夫

1 晴れやかな 君の笑顔
  やさしく われを呼びて
  青春の 花に憧れ
  丘を越えてゆく
  空は青く みどり萌ゆる大地
  若きいのち かがやくパラダイス
  ふたりを招くよ

2 囁くは 愛の小鳥
  そよ吹く 風もあまく
  思い出の 夢に憧れ
  丘を越えてゆく
  バラは紅く 牧場の道に咲く
  若きいのち あふれるパラダイス
  ふたりを抱くよ

3 花摘みて 胸にかざり
  歌ごえ 高くあわせ
  美わしの 恋に憧れ
  丘を越えてゆく
  ゆらぐ青葉 白き雲は湧きて
  若きいのち うれしきパラダイス
  ふたりを結ぶよ

《蛇足》 昭和21年(1946)11月、キングレコードから発売されました。
 この頃、私はまだ4歳でしたが、この歌をよく覚えています。その後何年かにわたってヒットを続け、ラジオで何度も放送されたためでしょう。

 昭和21年11月といえば、敗戦から1年ほど。復興が始まっていたとはいえ、戦争で心身が傷ついたままの人も大勢いました。そうした人たちを力づけ、励ましたのが、並木路子の『リンゴの唄』や、岡晴夫が明るく快調に歌ったこの歌でした。

 岡晴夫は陽気な性格だったようで、岡ッ晴(オカッパル)の愛称で多くの人びとに親しまれました。
 昭和24年
(1949)に芸能雑誌『平凡』が行った「花形歌手ベストテン」では、岡晴夫が1位になり、以後3年連続で1位を占めました。昭和20年代、彼のステージは熱狂的ファンで常に超満員だったそうです。

(二木紘三)

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コメント

抑圧されていた戦争の時代が終わり、例え貧しくても自由になった喜びが胸に満ちあふれてくるような歌ですね。小さい時から聴いていた歌ですが、いつ聴いても焼け跡に光が射してくるような感じがします。今の若い人にはわからない感覚かもしれません。青春は良いものですね。聴いていると白い皮膚とのびやかな肢体が戻ってくるような感じがしてきます。心だけはいくつになっても青春でいたいものです。若者から青春を奪う国にならない様にと願っています。

投稿: ハコベの花 | 2015年6月 7日 (日) 22時16分

岡ッ晴の懐かしい歌です。この歌を聴くと、敗戦後のいろいろな思いが、昨日のように甦ります。焼け跡に建つバラック(粗末な小屋)、ごったがえした闇市、たむろする浮浪者(ルンペン)や浮浪児(戦災孤児)、超満員の買い出し列車などなど……。当時は、戦災を受けた都市だけでなく、田舎にも浮浪者が見られました。わたしたちも、父の任地に一家転住したその日に、浮浪者と見間違えられた苦い思い出があります。引き揚げのときは、下関で乞食と間違えられた笑えない話もあります。田舎にいても食糧難は深刻で、栄養失調寸前にまでなったことがあります。こんな荒んだ、暗い世相を吹き飛ばすような、かれの明るい伸びやかな歌声が、今でも耳の底に焼き付いています。
 蛇足ですが、一言付け加えます。この歌がリリースされた11月の3日に、新憲法(現行憲法)が発布(公布)されたことです。もちろん偶然でしょうが、敗戦後、混乱・混迷を深めていた日本の行き先に、この歌ともども明るい希望の光が差し込んだことも記憶に留めておく必要があります。
 

投稿: ひろし | 2015年6月10日 (水) 10時58分

太平洋戦争末期、海軍燃料所のあった四日市は大空襲に襲われ、妹と一緒に母親の乳母車に乗せられて炎や煙の中を街外れの畑に向かって逃げていたのを覚えています。その日私の家は負傷者の収容所になりましたが、少年が1人亡くなったそうです。母親の話では、その当時、人の死に対しては感覚が麻痺していて、悲しむ余裕も無くなっていたとのことです。その空襲の後、近郊の農村に疎開して、3歳になった直後に終戦を迎えました。高校生の頃、戦争が終わった時どう思ったかを母親に聞いたら「軍人が威張っている世の中が嫌でたまらなかったからとにかくホッとした」と言っていました。敗戦を悲しむというようなことは無かったようです。
戦後の混乱期には、ラジオや闇市のスピーカーからいろんな歌が聞こえてきました。先ず最初に大ヒットしたのが「リンゴの唄」でしょう。この「青春のパラダイス」や「南の薔薇」などもよく覚えていて時々カラオケで歌っています。「シベリアエレジー」も自分としては「異国の丘」より好きです。メロディは耳に残っているものの曲名や歌詞の分からなかった曲をこのサイトで見つけることができたのが「誰か夢なき」と「夢去りぬ」です。良い曲ですね。これからもこのような懐かしい曲をよろしくお願いいたします。

投稿: 山下仁平 | 2015年7月 8日 (水) 22時13分

岡晴夫の仲では一番好きな歌でした。
昭和21年11月と言うと私は2歳10ヶ月なので、その頃の記憶には何にもなくて、戦後7,8年の頃に覚えたように思います。
あの時代にこんないい歌があったことに嬉しくてなりません!

投稿: ゆく | 2015年8月 3日 (月) 20時45分

 山陰地方から卒業後就職した現場は「おっとろしいオッサン」がウヨウヨしていると(あくまでも私の印象)感じた印刷工場でした。その中で、いつもちょっとした休憩時間に津村謙や伊藤久男のはやり歌を口ずさむ先輩がいました。
 そして後に知ったのがこの「青パラ=青春のパラダイス」でした。 オカッパルの全盛期(実演会場の様子)を熱く語るさまにたちまち魅了され、やがて「岡晴夫歌声全集」のCDを購入。二人の息子が幼いころから「魚のようにはねおきて…」とか「ヘビの料理はうれしかないいが~」などと子守歌がわりに歌ってました。今この終戦記念日をむかえるに、「パラオ恋しや」を歌うにはせつないものと感じます。

投稿: 国境の春 | 2015年8月 6日 (木) 22時28分

私感ですが、岡晴夫は藤山一郎と歌い方が似ていて小節の最後を下げずに前音を伸ばすので、歌にスケール感がありましたね。54歳の若さで早世されたのが惜しかった。

投稿: 海道 | 2015年8月30日 (日) 16時41分

戦後の、貧しいながらも歌謡曲黄金時代に少年期を過ごした私にとって、「青春のパラダイス」は、お気に入りの歌の一つです。短調の美しいメロディ、若さと明るさを感じさせる歌詞が、伸びやかな歌声と相まって、”望みなきにしも非ず”という気持ちにさせてくれるところが好きでした。
当時小学生だった私が、学校の休み時間に廊下でこの歌を口ずさんでいるのを、運悪く先生に見つかってしまい、”流行歌を歌うとはけしからん”とお叱りを受けたことが思い出されます。
これからも、この歌と大事に付き合って行きたいと思っています。

投稿: yasushi | 2015年12月23日 (水) 17時04分

川崎の「昭和歌謡の会」に参加するようになって7年になります。歌い継ぎたい昭和歌謡を探し続けています。YouTubeを検索していたら「青春のパラダイス」が見つかりました。岡晴夫さんの明るい歌声、元気をいただける曲だと思います。この曲が戦後わずか1年で発売されたことに驚かされました。
同じく先生のうた物語に出ている「東京の屋根の下」も戦後間もない東京を歌っています。歌詞に キャピタル東京 世界の憧れ とあり、服部良一さんの明るいメロディーに魅了されました。復興した東京は世界でも有数の都市になりました。レコードが発売された昭和23年にはこうなってほしいという願いを託した曲だったのでしょうね。  

投稿: 蒸しパン | 2016年5月15日 (日) 12時40分

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