« 村祭 | トップページ | 芽ばえて、そして »

この空を飛べたら

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:中島みゆき、唄:加藤登紀子/中島みゆき

1 空を飛ぼうなんて 悲しい話を
  いつまで考えて いるのさ
  あの人が突然 戻ったらなんて
  いつまで考えて いるのさ
  暗い土の上に 叩きつけられても
  こりもせずに 空を見ている
  凍るような声で 別れを言われても
  こりもせずに信じてる 信じてる
  ああ 人は昔むかし
  鳥だったのかも しれないね
  こんなにも こんなにも
  空が恋しい

2 飛べるはずのない空 みんなわかっていて
  今日も走ってゆく 走ってく
  戻らないあの人 私わかっていて
  今日も待っている 待っている
  この空を飛べたら 冷たいあの人も
  優しくなるような 気がして
  この空を飛べたら 消えた何もかもが
  帰ってくるようで 走るよ
  ああ 人は昔むかし
  鳥だったのかも しれないね
  こんなにも こんなにも
  空が恋しい

  ああ 人は昔むかし
  鳥だったのかも しれないね
  こんなにも こんなにも
  空が恋しい

《蛇足》 昭和53年(1978)3月10日に加藤登紀子の唄で発表されました。作詞・作曲者の中島みゆきも、自分のアルバムに収録しています。
 フジテレビ系のドラマシリーズ『球形の荒野』
(松本清張原作)の主題歌に使われました。

 各聯、前半3分の2は、"別れ歌の女王"というか"振られ歌の女王"中島みゆきらしい詞句が並んでいますが、サワリ(Sメロ)に来て、急にそれだけで曲として成立しうるようなポエジックな詞・メロディが現れます。この部分が曲全体のクォリティを上げているといっても過言ではないでしょう。

 思春期以前には、空を飛ぶ夢を何度も見ました。
 空を飛ぶ夢は、若くて活力にあふれた時期しか見ないといわれます。私も、大人になってからは何十年も飛ぶ夢を見ませんでしたが、40代半ばだったでしょうか、突然、丘を越えて草原の上を飛翔する夢を見ました。
 まるで『天空の城ラピュタ』の飛行石を持っているかのような、言葉では表現しがたいほど爽快な飛翔夢でした。

 それは、神からの最後の贈り物だったかもしれません。もう一度そんな夢を見たいとは思いますが、果たされずに終わるでしょう。

 "振られ歌"からだいぶ離れてしまいましたが、失恋話はほかのところで何度もしているので……。

(二木紘三)

|

« 村祭 | トップページ | 芽ばえて、そして »

コメント

 私は飛翔の夢をみたことはありませんが、小さい頃から飛行機に憧れていました。今では飛行機は大衆化しましたが、昭和38年の吉永小百合主演の映画『泥だらけの純情』の中で、刑事が「一生に一度でいいから飛行機というものに乗ってみたい」というようなセリフを話します。実際私が小中学生の頃は、飛行機は庶民にはとても高価な移動手段でした。
 私が初めて空を飛んだのは大学のグライダー部に入部した最初の夏合宿です。発動機のないグライダーの機内は予想以上に静かで、旋回とともに傾く地平線はとても綺麗でした。グライダー部は経済的に続かなくなって退部をしましたが、飛行機好きは変らず、今でも新幹線の方が便利な東京‐大阪間でさえ飛行機を利用します。在米時を含めて数えきれないほど飛行機を利用しましたが、窓際の席に座って離陸をする時は今でも興奮を覚えます。

投稿: Yoshi | 2015年7月21日 (火) 17時19分

時折、大空を飛んでいる夢をみます。空を飛ぶ夢はいい夢だと聞いたことがありますが、本当でしょうか?
私が最初に飛行機に乗ったのは、国産機YS11が現役の頃、高松~福岡が最初のフライトでした。
今でも64人乗りのYS11の感触が伝わってきます。

投稿: 一章 | 2015年7月21日 (火) 19時25分

最初に空を飛んだのはいつだろう、と考えてみるのは在りし日の記憶を揺り戻すきっかけになりますね。

25才で転職して間もなくのことでした。
先輩の社員が大阪に出張した際、重要な機械部品を忘れてしまいました。急きょ誰かが後を追っかけて部品を手渡さなければなりません。入社早々の私に白羽の矢が当たりました。

私は最寄りのバス停の時刻を調べ始めました。それを見た上司は、「何をしてる、空港までタクシーで行け」、と命じました。「え~っ」、と私は驚きました。空港までは遠いのに・・・

飛行機に乗ったのも初めてですが、ビジネスホテルに泊まったのも初めてです。一泊4,500円のホテルでした。毛の長いふかふかの絨毯に感動しました。翌朝、ドアに朝刊が挟んであったのにも驚きました。

なんだか一端のビジネスマンになったかのような気分でした。

きっと、その時、私は浮き浮きと胸を張って通りを歩いていたんじゃないかと想像します。

投稿: yoko | 2015年7月22日 (水) 09時32分

この楽曲を耳にするたびに、私は高校2年の現代国語の教科書に載ってた、国木田独歩の短編小説「春の鳥」という作品を思い出します。空を自由に飛び回る鳥にあこがれる、知能に障害をもった少年「六蔵」と、その彼に心を寄せる主人公の『私』。
六蔵の死によって、様々なことを考えさせられることになる「私」。独歩が描きたかった真のテーマは何だったのか、当時私にはハッキリとは理解出来なかったのですが、深い感銘を受けたのは確かです。 人間は今、あらゆる科学技術を使って空を飛翔する夢を叶えて来てますが、自分の五体を使って大空を自由に飛び回る事を夢見ているのでしょう。こんなにも、こんなにも、空が恋しい・・・。

投稿: かせい | 2015年7月23日 (木) 00時22分

 名にし負う別れ唄うたいの極めつきの未練の極みを引き立てる、きっぱりとした演奏に感動しました。歌は、加藤登紀子さんたちよりも、シャンソニエ本人のLPが断然よかったですね。
空を飛ぶ夢は、私も一時期、40代のころ、何度か見ました。REM睡眠の研究者によると夢はずっと見ているのだが、覚め際に見た夢だけが記憶に残るということで、それなら実は何度かでなく、何十回も、あるいは何百回も見ていたのかもしれません。私は空で鳥のように羽ばたくのでなく、水中で立ち泳ぎするときのように、足で空気をぐんぐんと蹴ると上がって行くのでしたから、空を飛ぶのでなく、空を跳んでいたようです。どちらかと言うと地上であまり跳べずに鬱屈していた時代だったと思います。中島みゆきの歌に出合って、アパートの下の貸しレコード屋のおじさんからLPを借りてはテープに録りためていました。あの商売は間もなくなくなりましたね。

投稿: dorule | 2015年7月24日 (金) 10時21分

こどもの頃は誰もが、鳥のように「空を飛びたい」という願望や夢を持っていると思いますが、おとなになるにしたがってそれから離れて行きます。おとなになっても、そんな夢を持つ稀有なロマンチストが、ついに大空を飛ぶ「飛行機」を発明することになったのでしょう。
 
 こどもの頃に、姉の教科書(国定)で、日本最初の「飛行器」を作った二宮忠八のことを知り、感動を覚えた記憶があります。
 
 啄木の作品に「飛行機」という自由詩があります。
   見よ、今日も、かの蒼空に
   飛行機の高く飛べるを。
で始まる短い詩ですが、途中、結核の母親を看病しながら苦学をしている一少年の現実(啄木自身になぞらえて)を詠って、再度この2行で終わっています。当時(1911年)飛行機はまだ珍しく、かなり危険な乗り物だったはずですが、それにもかかわらず、かれは「飛行機」に新しい時代を切り開いていく夢を託していたのでしょうか。そうだとすると、やはりかれはロマンチストだったのですね。 

 去年、妙高高原で一泊したとき、ここがサマージャンプの競技会場だったので、偶然、このシャンツェで練習していた高梨沙羅さんのジャンプを眼にすることができました。鳥人になった沙羅さんの飛行体を生で見るのは初めてで、感動しました。飛行中の沙羅さんは何を考えているのでしょうか。間違いなく「鳥になった」なんて、ロマンティックな気分でないことだけは確かでしょうね。
 
 

投稿: ひろし | 2015年7月25日 (土) 12時27分

22歳の時、8か月のフランス語の訓練を受けていました。そのころ田中のり子の「鳥になった少年」が好きで、山歩きの途中、その歌を歌っていたら、同級生に「その歌は気持ちが悪い」と言われ不思議でした。早大政経卒で、評論家の小林秀雄にぞっこんの年上の友ですが、人の感じ方はそれぞれだなと、あとで分かるようになりました。

投稿: 樹美 | 2015年7月25日 (土) 17時10分

 他の歌を検索していたら「この空を飛べたら」の歌が偶然見つかりました。加藤登紀子さんが歌っているのは知っていましたが、作詞、作曲が、中島みゆきさんだとは初めて知りました。みゆきさんの歌は体の中から力が湧き立つような歌が多くて大好きです。「時代」「ヘッドライト、テールライト」が特に好きです。この空を飛べたらの歌も無限の可能性と、希望を感じさせてくれる素晴らしい歌だと思います。74歳の私ですがハーモニカで施設訪問やら老人会の席で童謡、唱歌、昭和の歌を歌っていただいています。元気を更に頂きました。

投稿: 八木敏光 | 2015年8月 1日 (土) 22時05分

八木敏光様
 素晴らしいコメントを拝読させていただきました。
 八木様とは、年齢も趣味も同じでしたので親しみを感じ、今、パソコンに向かっています。
 定年退職後、普通車の免許を取得、仕事の空き時間を利用して、公民館での高齢者学級・福祉施設・敬老会などへ訪問していました。活動内容は、30分~90分の間で、三部構成で、一部では、「南京玉すだれ」・二部では、蓄音機によるSPの演奏(旅の夜風・啼くな小鳩よ・あゝモンテンルパの夜は更けて・・・)・三部では、童謡、唱歌を皆さんと一緒に歌うようにしていました。
 何よりも嬉しかったことは、毎回、自分自身に明日への活力を頂くことでした。
 現在では、ある営業の仕事を始めましたので、一時休止の状態です。
 八木様におかれましても、今後のご活躍をお祈りいたしております。

投稿: 宮原  章 | 2015年8月 2日 (日) 17時24分

この美しい歌を聞くと、時に、悲しくなってきます。そして何故か、航空機事故を思い出してしまうんです。そして何故か、不吉な予感も心に湧いて来るような気がします。あれは、偶然かも知れないし運命かもしれない。祈りましょう。美しいこの世の風景の中で。

投稿: 高橋芳人 | 2015年10月28日 (水) 18時27分

ひとり寝の子守唄♪や帰りたい帰れない♪など、数多くのヒット作品を手掛けている、実力派シンガーソングライター加藤登紀子が、第6回「世界歌謡祭」で、グランプリを受賞した中島みゆきをテレビで見て、主催したヤマハ音楽振興会へ電話をかけ、中島みゆき本人に会わせてもらい、加藤登紀子の依頼を受けた中島みゆきが作成して彼女へ提供した、また、某テレビ番組の主題歌にもなった、この空を飛べたら♪
加藤登紀子に、自分の曲を依頼したいとまで思わせたもの、ギターを抱え、受賞曲の時代♪を歌っている、中島みゆきのテレビに映るその姿に、何を思い、また何を感じたのか、その動機にも、私はとても強い興味を覚えます。
また、私は子供の頃から飛行機に興味が強く、いつも空の上の小さく見える飛行機を見上げたり、小遣いを貯めて買うおもちゃはブリキの飛行機などで、紙飛行機やプロペラ付き模型飛行機を作っては、飛ばしたりして遊んでいました。
そして、プライベートの海外旅行で5回、北海道を初め、国内旅行でも7回、どこへ行く時も、空からの景色見たさに、極力飛行機を利用してきました。

ああ人は昔むかし 鳥だったかもしれないね
こんなにも こんなにも 空が恋しい♪

特に、心打たれるこの部分の歌詞には、そのようにも感じてきたこともある私には、中島みゆきが人の心に放った、神業のように思える時さえあります。

投稿: 芳勝 | 2018年2月10日 (土) 02時34分

 昭和20年代に飛行機が葉書大(だと記憶していますが)の宣伝チラシを降らしていました。太陽にキラキラ反射させて、空から舞ってくるのを思い出します。母から危ないから追いかけてはいけないと言われていて、運良く空から舞って落ちてくるのをキャッチしてがっかりした記憶があります。そういえばチンドン屋にもついて行っては駄目とも言われていましたね。

 羊に羽がつくとこの歌のようです。羊が飛ぶ「飛翔」。 2015.7.21のYoshiさまのコメントで意味深く思いました。そして飛んだ羊は祥い(さいわい)になりました。中島みゆきの歌詞は地上にいても、終わりは俯瞰していくのですね。
 
 私はすっかり中島みゆきワールドに嵌まって、You Tubeで毎日様々な曲を聴き、歌詞リストも読んでいます。汲めど尽きぬような沢山の歌詞に書かれている世界は驚嘆の一言です。芳勝さまの「神業のように思える時さえあります」、まさにそう思う歌詞がキラキラありますね。また、槇原敬之が歌う「銀の龍の背に乗って」(中島みゆき作詞作曲)は槇原敬之の歌いかたによって、より中島みゆきワールドの入っていきます。

 私が生まれて初めて飛行機を乗ったのは新婚旅行で北海道のニセコへスキーに行ったときでした。雲上の丸い虹を見たとき、感激してしまいました。

投稿: konoha | 2018年2月10日 (土) 20時32分

konoha様
あれは終戦後4,5年経ってからでしょうか。飛行機が赤いビラを沢山撒きました。私は11枚拾いました。松下幸之助が宣伝で1枚につき1個の電球をタダでくれたのです。フィラメントの物が悪く電球は長持ちしなかったので我が家もおそらく随分助かったと思います。まだ自動車があまり走っていなかったので道路にも沢山ビラが落ちていて我が家だけでも20個以上は電球を貰ったと思います。面白い時代でもありました。今でも飛行機が飛んでいると憧れを感じます。何か知らない世界が開けるような気がするのです。ひろし様の書かれた啄木の詩、私も中学の時暗唱しました。空を飛ぶ夢は何回か見たことがあります。人間にも羽があったら良いのにと思います。

投稿: ハコベの花 | 2018年2月10日 (土) 21時40分

konoha様のコメントに触発されて、早速YouTubeで槇原敬之歌唱の、銀の龍の背に乗って♪を聴いて見ました。彼の声量と歌唱力には、さすがに圧倒されてしまいますね!
そして、彼の歌に聴き入っていると、確かに仰るとおり、中島みゆきの世界へと引きずり込まれて行きます。また、この歌を聴くと、私はどうしても、テレビ番組Drコトー診療所を想い出してしまいます。毎週欠かさず見ていた中での、いろんなシーンが頭に浮かんできます。
そして、エンディングに流れだす、中島みゆきの、銀の龍の背に乗って♪が、いつも感動の余韻を残してくれました。

投稿: 芳勝 | 2018年2月10日 (土) 23時51分

まさ偏見と独断で投稿しています。
 この処、Tou Tubu で中島みゆきの歌を二日を空けず聴いています。結構coverもされていて、それらを聴いて思ったのですが、彼女の歌はきれいに歌っては駄目だなということです。
 
 中島みゆきの歌詞はどこか俯瞰したドラマティックなものだと思っていますし、どこか土臭い彼女の歌い方、また、「あれ?」と思わせる少女っぽい声がふっと入っていたりしています。力強く歌っているいる中に時折みせる少女っぽい声、これがより一層ドラマティックに聴こえるのかなと思ったりします。

 槇原敬之の歌う「銀の龍の背に乗って」は、中島みゆきの曲を歌うだれのcoverの中でも、彼自身の作詞作曲で歌っているように聴こえてきます。ずいぶん昔、彼の母親が息子が10代の頃、たまたま息子がいない時にノートを見てしまった話をTVで聞いたことがありました。10代の槇原敬之が書き綴った詩が幾編もあり、息子がこんなに悩み苦しんでいるんだと改めて知ったと語っていました。

 「銀の龍の背に乗って」の歌詞は槇原敬之の心情のように聞こえます。それゆえなのか、彼の持ち歌のようです。中島みゆきの歌は全部とは言いがたいですが、いいですねえ〜。「ヘッドライト・テールライト」いいですねえ〜。

投稿: konoha | 2018年2月23日 (金) 10時21分

これまでを通した中で、私が常に思ってきたことなのですが、この度の、中島みゆきを語られているコメントを拝読しておりますと、konoha様の的確に捉えられた視点と鋭い感性を、改めて再認識いたました!

「銀の龍の背に乗って」

まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている♪

さりげないようにも思えるこの歌詞に、私は泣きたくなるほどの何かを覚えてしまい、中島みゆきの卓越した凄さを感じています。

投稿: 芳勝 | 2018年2月23日 (金) 14時31分

芳勝さま
 ありがとうございます。感じたままの偏見と独断の投稿でした。

投稿: konoha | 2018年2月23日 (金) 18時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 村祭 | トップページ | 芽ばえて、そして »