« 耳をすましてごらん | トップページ | グリーン・フィールズ »

涙の渡り鳥

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:佐々木俊一、唄:小林千代子

1 雨の日も風の日も 泣いて暮らす
  わたしゃ浮世の 渡り鳥
  泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
  泣けば翼も ままならぬ

2 あの夢もこの夢も みんなちりぢり
  わたしゃ涙の 旅の鳥
  泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
  泣いて昨日が 来るじゃなし

3 懐かしい故郷(ふるさと)の 空は遠い
  わたしゃあてない 旅の鳥
  泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ
  明日(あす)も越えましょ あの山を

《蛇足》 昭和7年(1932)、ビクターから発売。
 歌ったのは、覆面歌手第一号として知られる小林千代子で、この頃には本名で歌っていました。大ヒットしたので、翌年、松竹で映画化されました。

 作曲者の佐々木俊一は、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)卒業後、ビクターの楽団でドラムを叩いていました。この曲は彼の最初の作品で、それが大ヒットという、作曲家として実に幸運なスタートを切りました。

 その後、彼はおもに佐伯孝夫と組んでヒット曲を連発しましたが、昭和32年(1957)に49歳という若さで亡くなってしまいました。
 『
無情の夢』『燦めく星座』『新雪』『桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン』『明日はお立ちか』『高原の駅よさようなら』『月よりの使者』『アルプスの牧場』『野球小僧』『白樺の小径』は、いずれも佐伯孝夫とのコラボ作品です。

 佐々木俊一は浪曲(浪花節)のファンで、とくに春日井梅鶯(かすがい・ばいおう)が好きだったそうです。常々、「浪曲には大衆の好むものが潜んでいる」といい、作曲の際には梅鶯のレコードに耳を傾けていたといいます。

 この楽譜を見たとき、私は「泣くのじゃないよ、泣くじゃないよ」のフレーズがすぐに口をついて出てきました。生まれる10年も前の流行歌の一節がすぐに出てくるというのは、なんとも不思議です。私が小学生だった昭和20年代にも、この歌がラジオや催し物で流されていたのでしょう。
 もちろん、歌いやすく特徴のあるメロディだったことも重要な条件でしょう。近年、記憶に残りやすい印象的なメロディ/フレーズの含まれた曲が少なくなったのは残念です。

(二木紘三)

|

« 耳をすましてごらん | トップページ | グリーン・フィールズ »

コメント

懐かしい歌をありがとうございます。 1965年ごろ
歌声喫茶の流れをくんで、職場の有志が休憩時間に口ずさんでおりました。 もちろん今のようなカラオケは想像もつきませんでした。

投稿: 河嶋 国盈 | 2015年9月 3日 (木) 19時44分

この曲が流れて來るとは夢にも思いませんでした。
感謝、感激で胸一杯です。ありがとうございました。
このサイトでの演奏では、原曲とは違い特に「リズムセクション」が軽快で素晴らしかったです。
この曲との出会いは、30年程前から戦前戦後の流行歌のSP盤収集に明け暮れておりました。
そんなある日、ある神社での骨董市で出会うことができました。
改めて、蓄音機で原曲を数度聴いてみましたが、購入時を想い出し感無量でした。
小林千代子さんの澄み切った素直な歌唱力には心をうたれます。
ありがとうございました。

投稿: 一章 | 2015年9月 3日 (木) 21時08分

戦前のこと、学齢前の私が「泣くのじゃないよ」と歌って踊り、「「泣ぁけぇばあぁ」の所で腕を組んで足を踏ん張って見得を切ると、正月で京都から来ていた伯父が涙を流さんばかりに腹を抱えて笑い、「もう一度やれ」「もう一度」と繰り返させた、と親が話していました。TVのない時代ですがだれの真似だったか、幼いときにはパフォーマンスの才能があったのでしょうか、その後まったく失ってしまったとは、返す返すも残念です。

投稿: dorule | 2015年9月 4日 (金) 10時34分

小林千代子は覆面歌手のはしりだと聞きましたが、当時はラジオが主流ですから、実際には覆面(仮面)はしてなかったんだろうなと、わたしは想像していましたが、リリースされたレコードジャケットの写真を見ると、実際に仮面を着けていたので驚きました。覆面(仮面)歌手としての名前は“金色仮面”と書き、「ゴールデン・マスク」と英語読みだったそうで、何でも当時人気があった、江戸川乱歩の「黄金仮面」からヒントを得たようです。
 小林千代子に限らず、藤山一郎やミス・コロンビア(のちの松原操)など、昭和初期に出て来た歌手には覆面歌手(表に顔を出さない者も含む)が何人かいますが、これは当時、正規の音楽学校(今の音楽大学)に在籍する学生には、流行歌(今の演歌・歌謡曲)を歌わせなかったという理由によるものです。「ブルースの女王」と言われた淡谷のり子は、経済的事情でやむを得ず流行歌を歌って除籍された過去があります(のち復籍)。
 どうしてこのようなことが起こったのでしょうか。当時の社会は、音楽などの分野では、クラシックやオペラの正統な音楽は上位、流行歌のような大衆音楽は下位とする見方が厳然とあったからです。
 現在でも、その見方はないとは言えません。わたしは芸術などの文化は、上下関係ではなく、並列的に見るべきだと思っています。

投稿: ひろし | 2015年9月 6日 (日) 12時18分

ひろし様へ 詳細にわたるコメンを拝読させていただき大変勉強になりました。ありがとうございました。
音楽分野等での文化についてのとらえ方について、私もひろし様と同じ考えで、上下関係なく並列だと思っています。
小生、以前からハーモニカを少々吹きますので、公民館での出前講座や福祉施設等に訪問をいたしておりますが、私の知人(ピアノ・ヴァイオリン・ギター等)からは、残念ながらあまり評価を得られていないように思います。
どうしたものでしょうか?・・・よく分かりません。
特に戦前・戦後の流行歌は、時代の流れの中で国民生活の中に密着してきたものと思っておりますが。

投稿: 一章 | 2015年9月 6日 (日) 21時40分

一章 様
 わたしのコメントを評価していただきありがとうございます。お断りしておきますが、わたしはけっして音楽の知識に詳しいわけではありません。したがって、わたしのコメントについては、いろいろご批判もあろうかと思います。
 あなた様のコメントにある「知人の評価を得ていない」という内容を、わたしなりに解釈しますと、①ハーモニカ演奏で取り上げる曲目が、あまりに戦前・戦後(昭和30年代)の曲目に偏り過ぎている(もっと昭和40年代以降の曲目も入れて欲しい)②曲目に演歌・歌謡曲が多すぎる。もっとジャズやロック調、ポップス調のものを入れて欲しい、のどちらか。あるいは、両方ではないかと思われます。あなた様のコメントからだけでは、知人の方の評価の理由は判断出来かねますが、まさかジャズやロックなどの欧米系音楽が、演歌・歌謡曲の和製音楽より上(高尚・高級の意味)だと思っておられるわけではないでしょうね。

投稿: ひろし | 2015年9月 7日 (月) 10時51分

ひろし 様
 早速、詳細にわたりご意見をいただき恐縮いたしております。
 私のコメントの内容が不十分であったことにお詫びとともに反省をいたしております。
 私が現役の頃(25年程前)に、職場内のロビーで月1回「昼休みコンサート」が開かれていました。
弦楽四重奏・ギターアンサンブルの演奏で、曲目はクラシック系が中心でした。
 ある日、代表世話人の方に「ハーモニカ演奏」の概要について話をしましたが、自分たちのグループで継続して行う旨を伝えられ断わられました。同じ職場の仲間ですからそれ以上のことは言えませんでした。ハーモニカ音楽について少しは理解してほしいと思いましたが・・・
 ところで、私とハーモニカとの出会いは、小学5、6年の時に、当時の器楽合奏部でハーモニカを担当したのがきっかけで、40歳代にプロから2年程指導を受け、その後は独学です。
 演奏曲目は主に、童謡唱歌・昭和期の流行歌、歌謡曲が中心で、他のジャンルは少ないですが、自分にとっては、今のスタイルで日本文化の継承に役立てばと思っております。
(私も昔人間、昭和期の曲に拘りがあるかもしれません。)
 最近では、私の住む町でもハーモニカ人口も増え、愛好者によるコンサートなどもあり、以前からするとハーモニカ音楽に対する理解度も上向きのように思えます。
 貴重なご意見ありがとうございました。


 

投稿: 一章 | 2015年9月 7日 (月) 20時16分

涙の渡り鳥のコメントに「ハーモニカ」評価の上下についてコメントを拝見しました。
私もハーモニカを楽しんでおり、KハーモニカCでボランチィア、文化祭、ハーモニカコンサート等で演奏しております。年配の方が多いですが、若い方も見えられて楽しんでおります。今は「青葉の笛;幻想曲」を練習中ですが、分散和音が難して閉口しています。(演奏期間=4年)
次回の発表会で吹く予定です。
さくらんぼより。

投稿: 荒沢 信一 | 2015年9月26日 (土) 10時09分

70年以上も前、まだ幼少の頃、母が家事をしながら「涙の渡り鳥」をよく歌っていたので、この歌を憶えました。美しいメロディは口遊みやすく、やはり、~泣くのじゃないよ 泣くじゃないよ~の部分が特に心に響きます。
 時代は進んで、昭和30年代前半、しばらくの間、私は東京の町中の住宅街に下宿して予備校に通っていました。近くの店には、パンやコロッケを買いに行ったものですが、時々、ちんどん屋さんが近所を回って、商店会の売り出しの宣伝をしていました。記憶は定かではありませんが、演奏曲には「涙の渡り鳥」もあり、クラリネッが主メロディを、鉦(かね)や太鼓が調子をとって、派手ななかにも物悲しさを漂わせた演奏で、道往く人の気をひいていたように思います。
 その後、社会人になって関西に移り住み、会社の寮、団地、郊外の住宅地などと住まいが変わりましたが、時代の変化もあってでしょうか、ちんどん屋さんの演奏に巡り合うことはありませんでした。「涙の渡り鳥」を聴くと、当時の光景が懐かしく思い出されます。

投稿: yasushi | 2016年2月17日 (水) 14時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 耳をすましてごらん | トップページ | グリーン・フィールズ »