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新雪

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐伯孝夫、曲:佐々木俊一、唄:灰田勝彦

1 紫けむる 新雪の
  峰ふり仰ぐ このこころ
  麓の丘の 小草を敷けば
  草の青さが 身に沁みる

2 けがれを知らぬ 新雪の
  素肌へ匂う 朝の陽よ
  若い人生に 幸あれかしと
  祈るまぶたに 湧く涙

3 大地を踏んで がっちりと
  未来に続く 尾根づたい
  新雪光る あの峰越えて
  行こうよ元気で 若人よ

《蛇足》 昭和17年(1942)10月1日にビクターから発売。ビクターは、翌年4月、敵性語排除政策により、日本音響(株)に改称しました。

 この曲も、佐伯孝夫・佐々木俊一のコラボになる青春歌謡の傑作で、同日に公開された大映映画『新雪』(五所平之助監督)の主題歌です。
 原作は、昭和16年
(1941)11月24日から翌年4月28日まで『朝日新聞』に連載された藤澤桓夫(ふじさわ・たけお)の同名小説。小説も映画も大好評で、歌も大ヒットしました。

 内容は、情熱をもって教育に取り組む小学校教員とその恩師の娘や勝気な女医とのさわやかな恋模様。
 私は、歌詞から漠然と中部山岳地帯をイメージしていましたが、映画の舞台は阪急六甲駅とその周辺だそうです。そうすると、歌詞に出てくる峰は六甲山系ということになるのでしょう。

 公開後しばらくすると、このような明るく楽しい映画は青年の戦意を損なうものとして軍部により焼却されため、プリントもポジも残っていないとされていました。
 ところが、ソ連崩壊後の1996年と1998年の2回、東京国立近代美術館フィルムセンターが
ゴスフィルモフォンド(ロシア国立映画保存所)を調査したところ、オリジナル124分のうち84分のフィルムが保存されていることがわかりました。
 『新雪』のほか、『土』『父ありき』など、戦中・戦後の作品が多数見つかりました。

 それらのなかには、ソ連が対日参戦(昭和20年〈1945〉8月9日)する前に日本から輸入したものもあったでしょうが、大部分は満州侵入後、日本人居住地の映画館などから接収したものだと思われます。
 戦前、日本の傀儡国
(かいらいこく)だった満州国には、満州映画協会という機関があり、在留邦人のために多くの日本映画を輸入・公開していたのです。  

 『新雪』の歌・映画が公開された年の4月18日には米軍機による本土初空襲があり、5月7日の珊瑚海海戦、6月5日のミッドウェー海戦で日本軍は大打撃を受け、さらにキスカ島、アッツ島、ガダルカナル島と敗北を続けていました。しかし、国民の大部分は「勝った、勝った」の大本営発表を信じていたのです。

(二木紘三)

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コメント

灰田勝彦の名曲を有難うございます。六甲山頂は北海道と同じような気候だそうですが、この歌は中部山岳地帯でないと。

投稿: 海道 | 2015年9月29日 (火) 12時26分

この歌がなかなか載らないのをずっと不思議に思っていました。青春の輝きが目の前にパッと広がってくるような歌ですね。2番の「けがれを知らぬ新雪の 素肌へ匂う朝の
陽よ」というところに来ると鳥肌が立つと言った友人がいました。私もそう思います。作詞者の鋭敏な感性が並外れていると思います。素晴らしい歌を有難うございました。

投稿: ハコベの花 | 2015年9月29日 (火) 22時28分

 ハコベの花さん同様この歌を待ち焦がれていました。そしてこの映画の舞台が六甲駅や六甲山周辺だったということを知り無性に映画を観たくなりました。
目の前の遥か近く?の六甲山を眺めながら、新西国33所第22番札所摩耶山天上寺・六甲山牧場・ワイナリー・髙山植物園等々以外のハイキングで猪も度々出会った思い出が楽しく、年に1~2回訪れますが雪は山頂にうっすらと降る程度でスキー場は殆ど人工雪です。
 1月第3土曜日恒例で地域の「新春コンサート」では、元気が出る冬の歌としてこの「新雪」と「銀色の道」を隔年交互に演奏しみんなで歌っています。
 本当にいい歌を有難うございました。もしよろしければ井田・利根の「水色のスーツケース」、佐伯・佐々木の「きらめく星座」をお願い致します。

投稿: 尾谷光紀 | 2015年10月 2日 (金) 11時54分

先生の「蛇足」で映画の舞台が六甲と知りびっくりしました。曲はよく知っていて自分でも歌うことがありますが映画を知らないのはそんな事情があったのですね。阪急六甲は昔からの高級住宅地であり、今話題の山口組の本拠地でもあります。尾谷さんも書かれているように六甲山は最高で標高900m、雪が多いとは言えません。山上の小学校でのストーブ火入れが毎年の新聞ネタになりますが。摩耶山へのコースは確かに「尾根づたい」で、わが仏壇には亡妻と訪れた天上寺(火災で移転後の)で買った「お願い地蔵」を置いています。これからは「新雪」を歌ってやります。

投稿: しょうちゃん | 2015年10月 2日 (金) 19時59分

二木先生
一昨日 六甲の山荘から下りてきたばかりで、多少風邪気味です。ひょんなことから六甲山頂に近い山荘の管理人を頼まれ、家でぶらぶらしてるより…と、簡単にひき受けたものの宿泊客の料理までというのはかなり疲れます。
幸いパートナーの助手が頑張って頂けますので助かります。豊中の自宅から山頂まで車で約1時間、春から初夏にかけては 尾谷さんのお好きな「恋を呼ぶ歌」を口ずさみながら山頂まで~翌日夕方、山を下りる時は「朧月夜」等を歌いながら週に1~2回のドライブが、まる4年間続いています。(後任が見つかるまで)
“紫けむる~新雪の~”と歌いながら、山頂までのドライブも今月末まで、12月~3月までは閉館します。

10月2日投稿の 「しょうちゃん」は、わたしの本名と同じ、夢見る乙女 素敵な「 はこべの花」さんは、私の妻と同郷、因みに私達は昭和43年に浜松で結婚式を挙げました。私が28才、妻が24才(誠心女学校卒)の初春でした。

能勢の赤ひげ様 去る9月27日 能勢のコスモス園に
行きました。秋の長雨が続いた中で、この日だけは絶好の秋晴れで満開のコスモスを満喫しました。彼岸花は
やや時期遅れの感じでしたが…。野間の大けやきも毎年のように散策します。

あまりに好きな歌が多すぎて、そこに二木先生の名解説とヘッドホーンを通して流れてくる素晴らしい演奏に酔いながらみなさんのコメントに涙したり、感動したり
お会いしたこともない方々なのに、とっても身近に感じたり…日々の楽しみが増えました。
二木先生 本当にありがとうございます。


投稿: あこがれ | 2016年11月 5日 (土) 15時03分

私は何の疑問もなくこの歌を聴いていましたが、昨年ふと「新雪」という言葉がどういう意味か知りたくなりました。辞書には新しく積もった雪と書いてあります。すると秋の終わり頃の季節でしょうか。でも1番の歌詞の「草の青さが目にしみる」と合いませんね。山にもスキーにも縁がありませんので、これは何月頃を歌った歌なのかわからなくなりました。どのように解釈すれば良いのでしょうか。山をご存知の方お教え下されば嬉しく思います。

あこがれ様 奥様が遠州人とは嬉しいですね。「まぶしい」を「ひずるしい」と言いませんか。熟していないことを「みるい」と言いませんか。私は多分,貴方と同年配だと思われますが、まだみるくて16歳ぐらいだと勝手に思っています。私はフォレスタの吉田静さんと同じ学校です。徒歩で通えるので親が嫌がる私を無理やり入れてしまったのです。毎朝すれ違う男子高校生の容姿に点数をつけて楽しんでいました。一見真面目でしたが心は不良だったかも。今もそうです。隠れ不良かも。楽しいですね。

投稿: ハコベの花 | 2016年11月 5日 (土) 22時41分

二木先生こんばんは

 あこがれさまは 小生と行動範囲のほぼ一致する場所におられるのですね  六甲 豊中 能勢  投稿を前にもどると  天上寺の一願地蔵さんのこともーー

 この 新雪 はスマートという言葉は彼のためにあるような灰田勝彦さんのうたう 大好きな曲なのですが   時代が 僕ら段階世代の一回生には すこし過去のものであり 二木先生の書かれた蛇足から この曲が六甲山系と阪急六甲駅を背景にえがかれたものだとのこと  六甲 摩耶のふもとの学校に通った小生とすれば 何か異和感を感じたのでーー  昨年はコメントしませんでした

 この曲のつくられた時代には 六甲には雪も多く 交通事情の問題 戦争という抑圧もあり 三番の ーーー 尾根づたい  新雪光る あの峰越えてーー という歌詞も自然だったのでしょうか  

 僕の通った高校では 年二回のマラソンがありました 
 もちろん 42.195㌔のものではない 短縮版です
 そのうち一回は 六甲山頂近くを走ります   全員参加ですから 仕方なく走りました  冬 白い息をはきだしながらーー

 摩耶山の天上寺近くには高校のヒュッテもあり クラブとか 何かの行事でよく泊まりました  キャンプファイアー も フォークダンスも 懐かしいいい思い出です 

 一願地蔵さんは 僕の部屋で 僕を向いてにこやかに立っておられます  僕の地獄の時代に 友がわざわざ天上寺まで行き 求めてくれたものです  きつい試練だけれど あなたは乗り越えれるはずだから 神さまがお与えになられたのよ といわれたのが 昨日のようです   人のことだと思ってよくいうよ とひねくれたりもしましたが
 それから十六年たったのでしょうか  今では大変素晴しい言葉と心遣いだったと感謝しています  ほんとうなら 天上寺に願がかなった御礼に行かなければならないのですがーー   きっちりとしないといけないですね 

 あこがれさま 野間の大けやき のことまでかかれていて これは ご挨拶をしておかねばという気持ちになりました  けやき に近いところで 毎日のように雑事におわれています   ついさっきも つらいことを経験してきたところです  また 能勢にくるきっかけになったのは 阪急六甲のたばこ屋さんの 看板娘の一言 だったと思うと 人の世のつながりの不思議さを痛いほどに感じます

 こういう流れで心は浄化されていきます  よし また がんばっていこう

 あこがれさま ありがとうございました 
 人生の後輩です 今後とも よろしくお願いします

 ハコベの花さま りんごさま ひろしさま いつも 何かしら気づかせていただいております
  ありかとうございます

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年11月 6日 (日) 01時21分

能勢の赤ひげ さま

今日の六甲は あつい雲におおわれて山頂を望むことはできません。つい今しがた日曜礼拝を終えて神戸市内の教会から帰ってきたところです。シーズン中は土日は殆ど山で、礼拝に行けませんので、せめて行ける時には必ず行くようにしています。私も「新雪」がまさか六甲山系を背景に書かれたものとは全く知りませんでしたが、我が事のように嬉しくなりコメントしました。
二木先生の解説からは、いろんな事を勉強させられて楽しくなります。ありがとうございます。

ハコベの花 さま
さすが浜松きっての 名門お嬢様学校 のご出身だけあって、才能豊かな方だと納得いたしました。
ハコベの花さまは、白い花とか白い雲とかがお好きのようですね。花ことばの歌では、白い花なら 別れの涙~と
歌われていますが、純白なカラー(calla)の花言葉は
素敵な美しさ、素晴らしい美と言うそうで、貴女にぴったりのような感じがすると、私の家内が言ってます。
りんご さまとハコベの花さまのお互いを思いやる やりとりも楽しく拝見させて頂いています。

投稿: あこがれ | 2016年11月 6日 (日) 15時28分

前の投稿に身にしみるを目にしみると書いてしまいました。私が間違えてこの歌を覚えていたせいです。すみません。それで考えたのですが、山に新雪が積もったころはまだふもとの丘には夏草が青々と茂っているのではないかと思ったのですが、間違っているでしょうか。山際にお住まいの方ならご存知ではないかと思いますが、いかがでしょうか。季節の感覚がわからないのでお教え下されば嬉しく思います。

あこがれ様 私は男兄弟の中で育ちましたので、箒とハタキで兄と取っ組み合いをして育ちました。白い花は好きですがお上品にはなれませんでした。上級生に白い花のような方がいました。憧れでした。今でも美しいそうです。振り返れば夢のような中学、高校時代でした。あこがれ様の奥様の学校も垢ぬけた制服で素敵でしたよ。いつかお会いしてみたいです。

投稿: ハコベの花 | 2016年11月 6日 (日) 21時34分

ハコベの花さまと同じ境遇の私は、兄達には全く優しくしてもらえず、ただ兄の一人の友人がスキーを始めて【六甲山ゴルフ場」で、教えてくれました。阪急六甲駅からスキーを担いで登りました。20歳を過ぎていましたが、ほんとうに「しんどかった!」けど、忘れられない思い出です。
何十年振りかの豪雪で、登山バスも通らず前も後もスキーを担いだ若者の列でした。ゴルフ場の柵をのりこえてから、はじめてスキー靴をはかせてくれた兄の友人は「いけるところまでいけ!」と大声でさけび、はじめて雪の上に立つ私の背に向かってさけび、ど~んと背を押したのです。おそらく平坦な場所だったでしょうが、嬉しいのと恐い思いが胸いっぱいに広がったのです。その夜に風呂場の鏡で見ると、後ろ全体に「アザ」らしき跡が見事に・・・・・
翌日全身の痛みも忘れて、どうしたら次連れて行ってもらえるかという「悪だくみ」にわが身の痛みも忘れる始末でした。結局職場の「登山部」に入っていたのが幸いして、登山部の冬の行事に、母の反対も父の後押しが功を奏して成功しました。それ以来息子ふたりと夫も巻き込んでの趣味となり、毎年年末年始は【大山】で年越しが我が家の行事に・・・・・。
おかげさまで「生れた時から、長生きしそうでない」と陰口を言われていたらしい私が今では【後期高齢者】にまで、生きてこられました。
母の口癖は、「娘なのに、ドタグツをはいて汚らしい服装では、暗くなってから帰ってくるように」と絶縁の宣言も受ける羽目になりましたが、後悔は一切ありません!
二人の息子たちは腕をあげて、私は見捨てらましたが、それはそれでうれしい結果となりました。

投稿: mitsuko | 2016年11月 8日 (火) 01時04分

mitsuko様は運動神経が発達されているのですね。私は動くこと自体が嫌いな人間で、山は遠くから見るものだと思っていました。スキーをする人にも出会ったことがないのです。野球好きの人がプロ野球の話をしてきたので、「私は金田と青田と別当と別所と大下しか知らない」と言ったらカンカンに怒って半年口を効いてくれませんでした。昔,少年クラブで覚えた名前です。彼女は何を怒っているのだろうかと思いました。今でも理解できません。運動会の朝、兄が姪に「速く走って転ぶと痛いから、ゆっくり走れ」と言ったそうです。私もそう思います。
登山は荷物を見ただけでダウンしそうです。リンゴ様もmitsuko様も私と正反対の活動的な方だと尊敬します。何事もさっさと動いてきれいにされているのでしょうね。でも、私は「新雪」も「野球小僧」の歌も大好きです。憧れなのかも知れません。数学が好きな人も憧れます。ここで色んな方々と出会うことが出来て本当に楽しいと思います。尾谷様またいつか「新雪」の演奏聴かせて下さいね。

投稿: ハコベの花 | 2016年11月 9日 (水) 22時06分

ハコベの花さま。
いつもあなたの文章を拝見した日は、私も頑張って生きなくてはと、あらためておもうのです。弱く生まれた私は(姉は誕生を待たずになくなったそうです)父がいつも膝に抱いて(食事中も・マージャンをするときも)気遣ってくれていたのですが、戦時中と戦後「裏六甲方面」に住みついたお陰で、父が好きな山歩きに私を連れて行き二人の時間を持ったおかげで、今も元気にいきております。
お陰で母とは溝が深く、最後まで母は兄達を生きがいにして、私は冷遇されました。
さてこの曲をを聴いたとき、「灰田勝彦」の声が子供心に【聞いたことのない不思議な声】と気になっていました。メロデイも魅力的でしたが・・・・・
ずっと大人になって「うらごえ」だったのだと理解しました。裏声と言えば「ウイリー・沖山さん」がリサイタルでは「ヨーデル」とか聞いた記憶がありますが、最近の歌手は声の良しあしでなく、歌詞が心に響かなくて「サザン」の曲などは、聴きとるだけで疲れてしまいます。何とか戦争を超えて生き延びた私たちだけでも、古い曲や懐かしい曲を大切にして、歌い続けたいですね。
作詞家と言えば私の頭では「さだまさし」辺りでストップしています。じわじわと「老化」が押し寄せてくる気配がします。あ~あ、おそろしや!

投稿: mitsuko | 2016年11月10日 (木) 00時57分

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