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サボテンの花

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作詞:財津和夫、唄:チューリップ

1 ほんの小さな出来事に
  愛は傷ついて
  君は部屋をとびだした
  真冬の空の下に
  編みかけていた手袋と
  洗いかけの洗濯物
  シャボンの泡がゆれていた
  君の香りがゆれてた
  絶えまなく降りそそぐ
  この雪のように
  君を愛せばよかった
  窓に降りそそぐ
  この雪のように
  二人の愛は流れた

2 想い出つまったこの部屋を
  僕も出てゆこう
  ドアに鍵をおろした時
  なぜか涙がこぼれた
  君が育てたサボテンは
  小さな花をつくった
  春はもうすぐそこまで
  恋は今終った
  この永い冬が終るまでに
  何かをみつけて生きよう
  何かを信じて生きてゆこう
  この冬が終るまで

  この永い冬が終るまでに
  何かをみつけて生きよう
  何かを信じて生きてゆこう
  この冬が終るまで
  ララララ……

《蛇足》 昭和50年(1975)2月5日にリリース。フォークがニューミュージックへと変質し始めた時期に現れた傑作の1つです。
 平成5年
(1993)にフジテレビ系で放映された江口洋介の連続ドラマ、『ひとつ屋根の下』の主題歌として使われました。このドラマのパート2は平成9年(1997)に放映されました。

 財津和夫は、 山本コウタローとの対談で、(サボテンの花)は前年の1974年にヒットした山本コウタローとウィークエンドの『岬めぐり』を参考にして"アンサーソングのつもり"で作詞した」と語っています(講談社『月刊現代』 平成19年〈2007〉11月号』
 しかし、この場合、彼は「アンサーソングのつもり」ではなく、「前編のつもり」というべきでした。アンサーソングは、歌詞の内容が元歌より時間的にあとのものをいうからです。

 制作年は『サボテンの花』のほうがあとですが、『サボテンの花』→『岬めぐり』とつなげることによって、1つのストーリーが生まれます。
 『サボテンの花』の恋人たちは、仲睦まじかったころ、どこどこの岬に行ってみようと話していたのでしょう。破局によって、それがだめになりました。ここから、『岬めぐり』の「二人で行くと約束したが、今ではそれもかなわないこと」につながるわけです。

 真冬に彼女が飛び出したあと、彼の胸に生じた「絶えまなく降りそそぐこの雪のように、君を愛せばよかった」という後悔は、春か初夏になって一人で岬めぐりにでかけたときも、「くだける波のあの激しさで、あなたをもっと愛したかった」という哀惜の思いとして残ります。

 この歌にも、『結婚するって本当ですか』にも、「ほんの小さな出来事で」というフレーズが出てきます。実際、青春期の恋には、「ほんの小さは出来事で」壊れてしまうケースが少なくないようです。

 しかし、「ほんの小さな出来事」は、概して一方の主観にすぎません。一方が「ほんの小さな出来事」と思っていても、もう一人には許しがたい重大な出来事だったりするのです。
 もし二人とも「ほんの小さな出来事」と思っていたのなら、口争いぐらいにはなるでしょうが、破局にまでは至らないはずです。

 「ほんの小さな出来事」と思っているほうがまず非を認めること――これが別れを避けるための第一歩です。
 それでも、相手が受け入れず、別れることになったら、少なくとも愛別という思い出は残ったと思って、諦めるしかありません。思い出は、嬉しいものでも悲しいものでも、いつかは資産になるのです。
 ちなみに、『サボテンの花』には、財津和夫の失恋体験が反映されているそうです。

(二木紘三)

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コメント

 チューリップの曲のアップは初めてですね。彼らの曲に青春を重ねて想起される諸氏も多いのではないでしょうか。チューリップの流行した頃私は青春真っ只中、『こころの旅』は学園祭のファイアーストームなどで合唱したものです。高校時代に交際した娘はいてもまだ本当の恋愛を知らない年齢でした。あの頃チューリップの曲に恋の楽しさ、苦しさ、はかなさを想像し、何度かの恋愛を経験した後は、チューリップの曲に昔の恋を想い出します。私にとっても取り立てて歌詞が美しいとか、曲が印象的というわけではないのですが、自然に心の中に沁み込んで来るような音楽です。

投稿: Yoshi | 2015年11月21日 (土) 03時26分

こんにちは。どんな曲でも、癒しの音楽になる演奏は、とても素晴らしいです。このサイトに巡り会えて嬉しいです。時々、聞かせてもらいに来ます。宜しく…(*゚▽゚)ノ

投稿: たまママ | 2015年12月 2日 (水) 13時31分

高校を卒業し30過ぎで結婚するまで一人暮らしでした。3畳、4畳半、6畳一間の貸し部屋を指折り数えると9カ所移り住みました。その間、一度のロマンスも、一人の若い女性の訪れもありませんでした。

小学5年生のとき、祖母が山の畑に柿の木を植えました。祖母は、「桃栗三年、柿八年、と言うんだ、お前が大学生になった時柿がなるから送ってやるよ」、と言いました。また、母は、「お婆ちゃんはお前が大学生になると、一緒に付いて行くと言っている、炊事の世話をする、と言っている」、と言いました。

大学に入学した年の7月、祖母が一人で私の部屋を訪ねてきました。歳とっていて、心臓も悪く、ほんの小さな坂道も苦しそうでした。私は昔祖母が’私のために炊事をしたい’といっていた望みを適えてあげたいと思い、3畳一間の部屋でしたが、炊飯器、電熱器など料理用具を一式買いそろえてその部屋で食事の準備ができるようにしておきました。

大学の講義から帰ってみると家主のおばさんが駆けよって来て、’驚いた’、と話されました。日中私の祖母は○○荘の雑巾がけをしていたそうなのです。玄関や一階、二階の廊下に這いつくばって雑巾がけしていたようです。おばさんは、「長年、学生さんに部屋を貸していますが、ご家族にこんなことしてもらったのは初めてです」、とおっしゃっていました。祖母は3畳の間に3晩泊って帰りました。そして翌8月に死にました。その秋、山の畑に柿が生りました。大収穫でした。

私の祖母は興奮すると私にしがみついて泣く癖がありました。私は祖母の恋人だったんですね。

本当は私もこの曲のようなロマンスに憧れ、恋人も欲しいと思っていたのですが・・・

お婆ちゃんが来てくれて掃除、炊事をしてくれたから・・・、ま、いいか、と思うのは負け惜しみですね。

投稿: yoko | 2015年12月 7日 (月) 23時46分

yoko様
胸が熱くなり朝から目頭を押さえました。
某元首相ではないが「感動した」と書かせて下さい。
追記
私も現在は二人の孫(10才、7才男児)が恋人です。
上の孫は「バーバとママにはボク何歳になってもダッコする」といって今夏バーバを泣かせました。

投稿: りんご | 2015年12月 8日 (火) 08時11分

リンゴ様
過分なご感想ありがとうございます。

女性は男の子のお孫さんをひときわ可愛く感じられるようですね。
私のおそらく最も古い記憶は幼い時いつも祖母と一緒に寝ていたことです。夜トイレに行くときは祖母の手を引っ張って行きました。田舎の家は広くてトイレまでには電燈のない真っ暗な部屋二つ、そして廊下を渡らなければなりませんでした。用をたしているとき祖母にはトイレの外で待ってもらっているのですが、怖くて、心配で、「お婆ちゃんいる?」と声をかけ、「いるよ」と言う返事を聞いて安心していました。祖母からしてみるときっと可愛かったのでしょうね。

一人身で何度も引っ越しした経験からこの歌でもっとも感情移入できる部分は次の節です。

 ♪ 想い出つまったこの部屋を
  僕も出てゆこう
  ドアに鍵をおろした時
  なぜか涙がこぼれた

私の場合、ドアに鍵をかけて数歩あるいて後戻りしました。そしてドアの鍵を開けて、何もなくなった部屋をもう一度見渡して、この部屋とも、もうこれが最後だ、と寂しさを感じました。青春期を思い出します。

投稿: yoko | 2015年12月10日 (木) 09時27分

深夜にこの曲を聴いていると、胸がせつなくなって書けません。年のせいでしょうか?涙もろくなっているこの状態を毒舌の二人の息子に見られたらきっと口をそろえて「オニの眼にも涙?」と、やじられそうです・・・・・・。
若いって、残酷でつらいことをしでかしてしまうものなんでしょうか?

投稿: mitsuko | 2016年1月13日 (水) 04時02分

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