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旅姿三人男

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:宮本旅人、作曲 鈴木哲夫、唄:ディック・ミネ

1 清水港の 名物は
  お茶の香りと 男伊達(おとこだて)
  見たか聞いたか あの啖呵(たんか)
  粋な小政の 粋な小政の旅姿

2 富士の高嶺(たかね)の 白雪が
  溶けて流れる 真清水(ましみず)
  男磨いた 勇み肌
  何で大政 何で大政国を売る

3 腕と度胸じゃ 負けないが
  人情からめば ついほろり
  見えぬ片眼に 出る涙
  森の石松 森の石松よい男

《蛇足》 昭和14年(1939)にテイチクから発売。
 幕末から明治にかけて、"海道一の大親分"と謳われた清水の次郎長の子分のなかでも、とりわけ人気のあった3人をテーマとした股旅演歌。

 ジャズ・ブルースなど洋楽系を得意としたディック・ミネの歯切れのよい、小粋な歌唱が大ヒットにつながりました。

 清水の次郎長の元の名前は高木長五郎。子どものなかった母方の叔父・山本次郎八の養子になったため、山本長五郎が本名になりました。「次郎八のところの長五郎」から次郎長と呼ばれるようになったといわれています。

 子どものころ、私はいろいろ覚えるのがおもしろくて、真田十勇士、水滸伝の108人の統領たち、清水二十八人衆の名前などを暗記しました。年を経て、今ではもう主だったキャラクターの名前しか出てきません。

 少年雑誌の付録で清水二十八人衆の名前を覚えたとき、何回数えても27人しかいないのを不思議に思いましたが、最近、次郎長も入れて清水二十八人衆ということを知りました。

 今日に至るまで、多くの人に知られている次郎長伝は、一時期次郎長の養子になった天田五郎(別名・鉄眉、のちに出家して天田愚庵)が書いた『東海遊侠伝 一名 次郎長物語』(明治17年〈1884〉輿論社)が基になっています。
 この本は、博打規則違反の罪で収監されていた次郎長を援護する目的で書かれたため、次郎長を美化しているうえに、
かなりフィクションが加えられています。

 このストーリーを脚色して講談に仕上げたのが、三代目神田伯山で、それを浪曲(浪花節)にしたのが二代目広沢虎造です。昭和2,30年代には、ラジオで盛んに浪曲が放送されたため、私も、広沢虎造や玉川勝太郎の次郎長伝を何度か聞きました。

 とくにおもしろかったのが、『石松三十石船』のくだり。次郎長に金毘羅宮代参を命じられた石松は、船客のひとりが次郎長の子分で誰が強いかと話しだすのを聞きます。
 「一番はなんたって大政だな。二番は小政……」と続けますが、なかなか自分の名前が出てきません。
 石松は、「江戸っ子だってねェ、スシ食いねェ」と
おだてて、なんとか自分の名前をいわせようとします。そのうち、江戸っ子は彼が石松だと気がつきますが、わざと「そうだ、肝心なのを忘れていた。森の石松、これは強い。強いが馬鹿だ。馬鹿は死ななきゃ治らねェ」とからかいます。

 このくだりには笑いましたね。もちろんこのエピソードはフィクションです。
 次郎長伝には、このほか黒駒の勝蔵との抗争や荒神山の大でいりなどもありますが、子どもの私は、石松三十石舟のくだりがいちばん好きでした。

 次郎長伝にはいくつかフィクションがありますが、登場人物にも、実在が疑問視されている者が何人かいます。たとえば、追分の三五郎は神田伯山の創作だとされています。

 森の石松も、出自がはっきりせず、存在が疑問視されていますが、静岡県周智郡森町の大洞院(曹洞宗)ほか、数か所に墓があり、実在説を唱える人もいます。
 実在の人物だったとしても、片目は疑問で、喧嘩で片目・片腕を失った
三保の松五郎を、天田が石松に移し替えたか、石松と松五郎とを混同したのではないかといわれています。三保の松五郎は、豚松という名前で小説や映画によく登場します。

 大政・小政は実在の人物。本名は大政が原田熊蔵、小政が吉川冬吉ですが、次郎長の子分になったあと、その養子になり、ともに政五郎という名前を与えられました。
 同じ名前では識別しにくいので、体の大きい
熊蔵が大政、冬吉が小政と呼ばれるようになったそうです。

 江戸中期から明治維新前後に活動した侠客・ヤクザのなかでは、次郎長はずば抜けて人気があり、芝居はもちろん、何度も映画化されています。

 上の写真は荒神山抗争の手打ち式後の記念写真で、明治4年(1871)に撮られたもの。ほぼ全員の名前が判明しており、前列向かって左から3人目が次郎長、後列左から4人目が大政。

 2番の「国を売る」があまりよく理解されていないようですが、人を斬るなどの軽罪や義理を欠く行為を犯したために、郷里を出奔したり追放されたりすることです。今日の売国奴の売国とは意味が違います。

(二木紘三)

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コメント

懐かしいですねぇ。小さい頃ラヂオで聴いていました。遠州森町は我が家から車で小1時間でいけます。昭和20年6月のはじめ疎開するために、捨て子だった石松を育てたという森町の旅館の下見に母にくっついていきました。着いたとたん空襲に遭ったので森はあきらめて他に疎開しました。流れも清き太田川は確かに清流できれいでした。裏山でカッコウが鳴いていたのを覚えています。ですからずっと石松は実在の人だと思っていました。「寿司食いねぇ」がないとこの浪曲は面白くなくなります。もう一度聴いてみたくなりました。

投稿: ハコベの花 | 2015年12月 4日 (金) 20時19分

懐かしい!明治40年代に生まれで30年前に80歳で亡くなった父が常日頃はオペラのアイーダや、ボレロとか良く聞いていました。他にもジャズやラテンのレコードをあつめていたり・・・・
その父が、なぜか「股旅物」の歌謡曲がだいすきでした。
私の長男が3歳の時次男が生まれ、やむなく実家に預けたのですが、夜になると母親の私のことをおもってか、ぐずって泣くので父が自分の帯で背負って、丹前を背中にかけて、泣きやむまで近所を歩きまわってるので、おまわりさんに不信がられ、職務質問されたりしたそうですが、その時に口ずさむのが、また旅ものの歌謡曲で周囲のものを、不思議がらせたそうです。
私の記憶にも「あれをごらんと~」とか、「惚れた女房に三行半を~」とか、自然に口に出る「股旅物」のうた。
きっと私も父の背中で、聞かされたのでしょう。
趣味も広くて、終生母がついていけない複雑怪奇な父だったようです。
そういえば、この歌をうたっている歌手のことで、私の大好きな叔母と父が言いあいになり、【あなたはどっちなの?】と迫られ困った私はあいまいにごまかしたのですが、【そういう態度を優柔不断】というのよと、大好きな叔母に難しい単語をはじめて教えられました。
三味線が入ってるから、また旅物はひかれるのでしょうか?

投稿: 伊藤 光子 | 2015年12月 6日 (日) 02時59分

実は私もフォレスタの榛葉樹人さんが歌う名月赤城山を聴いた時、これはオペラだと思いました。オペラも股旅歌にも物語があるからではないでしょうか。歌い手の声にもありますね。光子さんのお父様も面白い方でしたね。私の父もめちゃくちゃな父でした。明治生まれの男にはそんな人が多かったのではないでしょうか。ただ私の父は歌よりも浪花節の愛好者でした。戦災で家が焼けた時、防空壕に蓄音機と虎造のレコードが1枚残っていました。

投稿: ハコベの花 | 2015年12月 6日 (日) 22時20分

二木先生の歌詞と解説、ハコベの花さん、光子さんのコメントを、映画を観るように、ドラマを観るように、拝読させていただきました。様々な物語が一つの歌から生まれているのですね。歌の力って素晴らしい!

投稿: ピーちゃん | 2015年12月 6日 (日) 23時59分

この曲のコメントが続いていますが、私にとってもほんとに懐かしい曲です。
今から四十数年も昔のことでしょうか。
当時は、勿論「カラオケ」もなかった時代・・・
勤務先での「宴会」の際や、仲間と居酒屋で飲む時などに必ず歌っていたのが、この「旅姿三人男」でした。
また、町内会や商店街での「夏祭り」で歩行者天国となり、仮設舞台が設けられ、「歌謡コンクール」で歌ったのもこの曲でした。
機会があれば、昔を想い出し「石松節」を歌いたいと思います。

投稿: 一章 | 2015年12月 7日 (月) 20時59分

二木先生《蛇足》に「次郎長はすば抜けて人気があり、芝居はもちろん、何度も映画化…」とある通り、映画で清水次郎長物と言えば、東映の正月オールスター映画『任侠中山道』『任侠東海道』『勢揃い東海道』が思い出されます(戦争末期生まれのせいか?昭和30年代東映時代劇ファンでした)。
東映オールスターの次郎長役は重役俳優や御大と言われた片岡千恵蔵で不動、もう一方の御大・市川右太衛門を吉良の仁吉役や国定忠治役とすることで、千恵蔵とのバランスを取ったと言われていたものです。
中学生の頃、ポン友と、清水28人衆とか何人衆とか、名前(大政、小政、森の石松、増川の仙右衛門、法印の大五郎、大瀬の半五郎、三保の豚松、桶屋の鬼吉、追分の三五郎、大野の鶴吉、関東の綱五郎、舞坂の富五郎、小松村の七五郎、興津の清之助、由比の松五郎…)を何人言えるか競ったものです(全く、しょうもない話ですが)。

投稿: 焼酎百代 | 2015年12月 8日 (火) 22時19分

東映オールスターの次郎長映画、法院大五郎役は田中春雄、あれほどのはまり役はありません。

投稿: 谷野力 | 2015年12月10日 (木) 15時43分

焼酎百代さんの書かれた名前、面白く読みました。小政は浜松駅の近くの私の実家の近くにあったようです。小学校の先生が同じクラスの男子に、お前は小政の子孫かと聞いていました。今私が住んでいる隣町、小松に何年か前まで「七五郎最中」というのがあって、よくお使いものにしていました。まあ、娯楽性の強い浪曲ですから、正邪は問わずに聴いて楽しめれば良いのでしょうね。浪曲も聴かれなくなって七五郎最中も消えてしまいました。

投稿: ハコベの花 | 2015年12月10日 (木) 21時55分

カミサンの目を盗んで昼間っから安焼酎飲みながら(毎日でなくたまにですが)、細々と年金暮らししているジジイとしては(カミサンからは安焼酎でもタダではないと小言)、庶民にとっては暮らしにくくなっている殺伐とした御時勢で、『うた物語』はオアシスのようなものです。ネット検索すれば歌謡曲でもジャズでもフォークでも何でも当該歌手の歌が聴けますが、PCを使った二木先生単独演奏による戦前戦後の“セリフの無い歌謡曲”は、この殺伐とした御時勢でまさにオアシスです。
さて、田中の春ちゃん(役者仲間からはこう呼ばれていたようです)は正に、はまり役でした。なお、蛇足ながら、東映オールスターでは、月形龍之介が黒駒の勝蔵、山形勲が安濃徳でした。また、清水28人衆の名前は前回記載した以外にも、清水の岡吉、四日市の敬太郎、問屋場の大熊、相撲の常吉、伊達の五郎、寺津の勘三郎、国定の金五郎、辻の勝五郎、鳥羽の熊…など実に多彩です。

投稿: 焼酎百代 | 2015年12月10日 (木) 23時02分

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