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ゆき

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


文部省唱歌

1 雪やこんこ あられやこんこ
  降っては降っては ずんずん積もる
  山も野原も わたぼうしかぶり
  枯木残らず 花が咲く

2 雪やこんこ あられやこんこ
  降っても降っても まだ降りやまぬ
  犬は喜び 庭かけまわり
  猫はこたつで 丸くなる

Yuki
(上の絵は2016年の年賀状用にPhotoshopで描いたものです)。

《蛇足》 明治44年(1911)に発行された第2学年用の音楽教科書『尋常小学唱歌(二)』が初出。
 この教科書では、題名は「雪」と漢字で書かれ、ルビはついているものの、霰、火燵など小学2年生にはむずかしい漢字が使われていました。

 この歌でよく話題になるのは、各聯の1行目に出てくる「こんこ」です。テレビのクイズ番組で、これを「こんこん」と歌って失格になり、笑われるといった場面を何度も見ました。

 私は長い間、「こんこ」は、「雪がしんしんと降る」の「しんしん」と同じく擬態語だろうと思っていました。
 ところが、国語学者
の大野晋は「こんこの元は『来ム来ム』」、国文学者の池田弥三郎は「『来う来う』が語源」であり、いずれも「来い=降れ」の意で、雪を歓迎する言葉だと説明しています。

 この教科書の10年前、明治34年(1901)に発行された共益商社編『幼稚園唱歌』に載っている『雪やこんゝゝ』では、「雪やこんこん、あられやこんこん。もっとふれふれ、とけずにつもれ。~」となっています。作詞は東くめ、作曲は瀧廉太郎です(『池田小百合 なっとく童謡・唱歌』より)
 これも「雪よ降れ」を意味する「来い」がなまったものでしょう。
 ですから、唱歌『ゆき』では「こんこ」ですが、言葉としては「こんこん」でもまちがいとはいえないわけです。

 雪……子どものころの興奮がかすかに蘇ってきます。

 眠い目をこすって障子を開けると、しっかり閉めたはずの板戸のわずかなすき間から白い線が廊下に伸びている。
 ちょっとときめきながら、板戸を開けると、遠くの山の麓まで真っ白。山はずっと前から雪で覆われている。一晩で世界が変わった。「ウヮー」と歓声を上げる。

 おとなが雪かきしてくれた道を通って学校へ行く。雪が止みそうになると、もっと降れと思って、しょっちゅう窓の外を見る。
 「コーゾー君、よそ見するんじゃない!」と先生に叱られるが、心ここにあらず。昼休みはもちろん雪合戦。3年生ぐらいまでは女子も参加したが、その後は男の子だけ。
 帰り道は、雪が増えて歩きにくくなった道を押し進みながら、自分は極地の探検家であるかのように想像する。

 森羅万象に感動した日々は、はるかに遠くなりました。今は、母親に手を引かれた幼児や学校帰りの小学生たちが、埒もないことに歓声を上げたり、笑いこけたりする姿に、かつての自分を重ね合わせて喜びを感じているだけです。

(二木紘三)

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コメント

明けましておめでとうございます。
珍しく雪のない正月に先生の絵をみて昔日が懐かしく蘇ります。子供の
頃はただただ降る雪が嬉しくてたまりませんでした。劣悪な防寒具しかないのに~。
しんしんと降る雪、時折通る馬橇、ラッセル車の音。母親はわずかな現金収入を楽しみに草履編みをしておりました。その草履編みの材料である稲わらを整える仕事が又私たち子供の賃稼ぎでした。居間も作業場も一緒の貧しい暮らしでした。「わらにまみれてよ~♪育てた栗毛」という達者でなの歌同様にわらにまみれての作業でした。
裕福な農家は曲り屋と言って食事の間の目前に馬が飼われておったのも懐かしく蘇ります。
振り返れば数十年はあっという間。大きく大きく
環境が変わり当時から見れば夢にも適わない暮らしながら懐かしく懐かしく胸が熱くなりました。

投稿: りんご | 2016年1月 1日 (金) 12時25分

二木管理人さま
新年おめでとうございます。
松江は雪がなく、ありがたい限り。
≪森羅万象に感動した日々は、はるかに遠く≫
そうですね。大晦日の夕方6時の時報を聞いて、あと6時間で今年も終わりだと、身震いしたのは何歳の時だったか。「校庭の底が抜けるよ」と先生にたしなめられるほど、友と笑いながら下校した小学生のころ。今は子供の声がうるさい!としか思わない私ですが。そういう時代もあったことを思い出しました。

投稿: Bianca | 2016年1月 1日 (金) 17時12分

明けましておめでとうございます。
皆様にとって幸せ一杯の一年となりますよう、心よりお祈りいたします。

祖母が手術、入院する事になり、母と妹の3人で12月から3月の4か月間を岐阜の山奥で過ごすことになりました。一学期だけ通った山の学校での毎日は、ストーブでこんがり焼いた給食の食パンの味と共に、一生忘れられない、大切な「ゆき」の思い出です。
毎日降っていた雪も、今では何とかスキー場が存続できる程度に減っているとか。「おばあちゃん、”ゆき”ってなぁに」と尋ねられる日が、近い将来やってくるのでしょうか。

投稿: ピーちゃん | 2016年1月 1日 (金) 21時57分

 こんにちは。この歌を今日聞いたのです。娘が孫を連れてきていたのですが、ピアノ弾くようなしぐさをしたので娘がこの曲を弾いていました。孫は両手で鍵盤を打つだけでしたが、偶然このブログでも聞いたのです。
 「こんこ」の話をしようかと思いましたが、黙っていました。知っていたのかもしれません。もう帰りました。

投稿: 今でも青春 | 2016年1月 3日 (日) 18時33分

暖地に生まれ育った私にとって、「雪」は憧れそのものでした。 雪国で暮らす人々の辛苦は、子供時代にはとても推し量る事ができず、自分の住んでる町にも適量降ってくれれば雪だるまや雪合戦で遊ぶ事が出来て、さぞかし楽しいだろうなぁ、と思うくらいの「銀世界」「幻想」を描く対象物の大きな要素と思ってした。 中学2年の頃、所謂「38豪雪」といわれた 
大変な降雪がありました。    私の田舎でも雨まじりの雪、つまり「みぞれ」が降ったのです。それさえも初めてのことですから、音楽の授業そっちのけで生徒のみーんなが校庭を眺めていました。 「みぞれ」でも何か幻想の世界へ誘ってくれるような気がしたものです。 あれから52年の長〜い年月が流れました。 いまでもとお〜い国から落ちてくる「雪」は異次元の訪問者盧ような気がするのです。

投稿: かせい | 2016年1月 4日 (月) 02時17分

二木先生、同好の皆さま、明けましておめでとうございます。いつも、楽しませて頂いております。
かせい様、私も暖地の生まれ(北九州)ですが、子供の頃は、年に2^3回は長靴の上辺りまで積雪がありました。雪が融けてしまわない様に、必死で「雪の山」を作りました。
長じて、関東に出て来ましたが、20代前半の頃、2月に山形県鶴岡市まで、屋根まで積もる雪を見てみたいとわざわざ出かけました。残念ながら、60cm位でした。内陸の山間部に行くべきでした。
雪国の方々には、こんな馬鹿げた行動は理解していただけないでしょうね。

投稿: 竹永尚義 | 2016年1月 4日 (月) 06時22分

新年おめでとうございます。
居住地の北関東を含む関東平野全域は、地形の関係で“雪が上越国境でブロック“されるため(阿武隈高地南端、日光連山、秩父連山、多摩丘陵、丹沢丘陵が関東平野の内陸部を取り囲むように“配置”されているため)、冬場は快晴で空っ風が定番で、晴天率国内ダントツです。
昔、勤務先の関係で日本海側の某県某市に住んだ時は豪雪に往生したものです。しかし雪にケチをつけているわけでなく、たまに降る雪ならば風情があってコタツ酒などいいものです。

投稿: 焼酎百代 | 2016年1月 4日 (月) 16時08分

どなたも雪にはいろいろと思い入れがあるようです。
私は終戦の年(1920年)の正月に韓国の大邱(テグ)市から現在は北朝鮮の安岳という村に引っ越しました。国民学校一年生でした。大邱は寒くはあったのですが雪はそれほど積もらなかったように記憶します。しかし安岳は日本人は60世帯ほどしかいない寒村で、いきなり腰まであるような積雪をかき分けながら登校したのを覚えています。しかし雪が解けて夏になるころにはカッコウが鳴きアカシアが白い花をつけてそれはいい気候でした。8月に終戦になりソ連軍が侵入してきてからというもの季節のことなど記憶にありません。

投稿: 周坊 | 2016年1月 8日 (金) 20時03分

朝からひとしきり降った雪が止んで、校庭も道路も町も真っ白な雪で覆われました。
担任の女先生が、「今日は雪の遠足をしましょう」とおっしゃいました。子供たちは「ワ~!」と歓声を上げていたと思います。

私は慌てました。私はその日下駄履きでした。さらに悪いことには登校時下駄の鼻緒がゆるゆるで危ないことに気付いていました。不安な気持ちで遠足に参加はしたものの、皆が楽しそうに雪のなかを飛び跳ねている中、私は下駄をいたわってそろりそろりと足を引きずって歩きました。でもついに鼻緒は切れてしまったのです。

遠足の復路、そして学校からの帰り道では、雪の交じったぬかるみを手に下駄を抱えて裸足で歩く羽目になりました。散々な雪の日でした。
でもこの出来事で小学校3年生(昭和32年)頃まではまだ下駄をはいていたんだ、という記憶がよみがえりました。

投稿: yoko | 2016年1月13日 (水) 23時01分

生まれ育った暖地・離島は「雪」は降らなかったものの、「あられ」はよく降りました。あられが降る充分な寒さがあるのに
なぜか雪は降らないのです。 小学校の頃は古い木造校舎の教室でしたので、窓枠や床板の隙間から冷たい風が容赦なく吹き込んで来て、寒い事寒い事。あまりの寒さに手がかじかんで鉛筆が上手いこと握れずに困りました。 北国のダルマストーブの上で弁当を温める話などを聞いたりすると、とてもうらやましかったです。ここへ来て、暖冬と言われながら大寒波襲来で
大雪の心配も考えられますね。「ゆき」の歌のように穏やかな雪の情景とはいかないものでしょうか。

投稿: かせい | 2016年1月22日 (金) 00時23分

私の住んでいる九州の某市では、これまで平地では数センチの積雪でしたが、今年の降雪量は最大7センチが観測され、記録的寒気にみまわれ県内では大雪となり、35年ぶりの真冬日となっています。
小生、昨年の10月に後期高齢者に入門・・・?
現在、毎朝5時半起床~7時前後に出勤~弁当・食材等の宅配で、1日約70キロほど走行しています。
ちなみに、車の運転歴15年目・特に安全運転で頑張っています。
今日は、大雪で宅配業務は休業です。
今、このサイトで、皆さんのコメントに酔いしれています。
早く通常の天気に戻ってほしいものです。

投稿: 一章 | 2016年1月25日 (月) 10時06分

一章 様

私は、北九州市小倉北区の生まれ育ち、現在、遥か遠くの常陸の国で、定年農業に従事している前期高齢者4年目の者です。九州地方の「大雪」のニュースに感慨深いものがあります。故郷を離れて、今年で46年目です。
 「二木紘三のうた物語」の何かの曲に投稿させていただきましたが、幼い頃の北九州では、年に何回かは、子供の長靴の上位まで、雪が積もっていた様に思います。でも、最近はそんなに降っていなかった様ですね。
 因みに、今回、当地は低温ではありましたが、晴の天気でした。
 今では、九州まで出かける事も少なくなりました。お元気で、ご活躍ください。

投稿: 竹永尚義 | 2016年1月25日 (月) 15時42分

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