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作詞:竹久夢二、作曲:小松耕輔

ふるさとの 山のあけくれ
みどりのかどに たちぬれて
いつまでも われ待ちたまふ
母はかなしも

幾山河 とほくさかりぬ
ふるさとの みどりのかどに
いまもなほ われ待つらむか
母はとほしも

《蛇足》 竹久夢二の詩に、作曲家で評論家の小松耕輔が曲をつけたもの。作詩の時期はわかりませせんが、作曲されたのは大正8年(1919)、小松耕輔が35歳のときです。

 小松耕輔は東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身で、日本初のオペラ『羽衣』を作曲したことで有名。学習院などで永く音楽教育に携わり、合唱活動にも貢献しました。

 成長して遠くに行った息子は、なかなか帰りません。いつ帰るかわからない息子を、母は待ち続けます。
 『谷間のともしび』では、息子が絶対に帰れない状況にいるとも知らずに、毎夜ランプを点して帰りを待ちます。ロシア歌謡『マリーナの鐘』では、母は出征した息子を窓辺に座って待ち続けます。必ず生きて帰ると信じて。

 戦争のない時代でも、息子はめったに帰りません。私がそうでした。そして、母が亡くなってから、『吾亦紅』のように、「仕事に名を借りたご無沙汰/あなたにあなたに謝りたくて」墓参りに帰ってくるのです。

 女性遍歴を重ねる男には、単なる色好みと、無意識に「母」を求め続ける男の2タイプがあると思います。"恋多き男"竹久夢二は、まちがいなく後者でしょう。

 詩のなかで「さかりぬ」は、漢字では「離りぬ」と書き、遠ざかること。
 写真は竹久夢二の生家。

(二木紘三)

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コメント

始めて聴いた歌です。歌は下手なので歌わずに聴いているだけです。でも歌詞の中の母の気持ちはよくわかります。母親にとっては息子は幾つになっても幼い子供と一緒です。男の子は不器用で要領が悪く心配の種が尽きず、いつも懐の中に入れておきたい存在なのです。遠く離れていれば尚更です。会えばすぐ口げんかになるのに、それでも傍にいて守ってやりたいのですね。私の母は兄を溺愛していたのでいつも母親に「あんたは継母だ」と言っていました。今、息子二人を持って母の気持ちが分からない訳ではありません。伊藤久男が歌っている「ふるさとの雨」「母あればこそ」も大好きです。私の母は私が中学の時に亡くなっていますので、懐かしいとか恋しい気持ちがありません。小さい時から冷めた目で母をみていました。母にとっては嫌な娘だったと思います。

投稿: ハコベの花 | 2016年1月30日 (土) 10時41分

続いての投稿お許し下さい。母が急に無くなって家事をする人が無いため、家政婦紹介所から家政婦さんが来てくれました。その中の一人、60代のおばさんが来たとき、夕方になると一目で極道と分かる男が我が家の前に立っていました。そのおばさんの息子でその日おばさんが働いた一日分の給料を取り上げに来ていたのです。働いても働いてもすべて息子にお金を取り上げられていました。他の家政婦に代わって貰ったのでそのあとの事はわかりません。悲しい母の代表だと思いました。親は子供が幸せなら自分の不幸は我慢できます。が食費まで取り上げる極道にだけはならないで欲しいですね。せめて老後は穏やかであります様に。

投稿: ハコベの花 | 2016年1月30日 (土) 19時35分

管理人様、ハコベの花さま、毎夜一度はページを開いて楽しいひと時過ごしております。説明の最後に「夢二」に関して書かれていましたので、80年代からの「夢二」との関わりを書かせて頂きます。岡山市内に【夢二郷土美術館】がございます。岡山の企業家が東京のある画廊で「夢二」の作品に出合われて以来各地にある「夢二作品」が集まってきた(所蔵家の談話)とのことです。見事な作品が展示されております。2000年以降は足を運んでいませんが今もさらに充実したことだと思っています。
企業家が惹かれた作品が、ほっそりとした和服の女性が土手に、座っている何気ない風景がですが、亡くなられたお母上をそこに見つけられて以来「夢二」収集に力を注がれました。偶然私たち数人が企業家のおばさまと言う方と懇意になり、岡山にたびたび足を運ぶたびに、企業家が直接解説して下さるという幸運に恵まれました。
特に最初に出会われた作品を紹介されるときの表情に、人とこういう芸術作品との出会いの「運命」と言うのも存在するのだと信じました。
その後「夢二の生家」も保存されました。その家には夢二のお姉さんが嫁ぐ時、夢二が見送った場所の柱に確か【墨で書いた字】があったはずですが・・・・・
あの日哀しい思いで書いた字を皆でそっとなでた思いでも、はるかかなたに・・・・。足の丈夫な間に頑張ってもう一度、尋ねようと決心しました。
長いメールで申し訳ありません。どうぞお許しを・・・・・

投稿: mitsuko | 2016年1月30日 (土) 22時17分

割り込みめくがご容赦下さい。
ハコベの花様のコメントに触れて遠い遠い記憶が蘇りました。46年前のことです。新婚の私が勤めていた米織の会社社長宅の婆やさんのことです。当時は母屋と工場と寮(女工さん達)が敷地内にありました。その住込みの婆やさん、今の私の年齢より若かったのではと思われます。文盲でした。
月に一度息子から金の無心の封書が届きました。
その度に読んでくれと頼まれました。「なんて親不孝な」と私は胸がつぶれる思いでした。僅か3年後、七人姉兄の末弟ながら転勤族の私たちは資力の乏しい姑を引き取りました。その姑に主人より10才の上の義兄が金を無心していました。若い私は許せませんでした。今になって姑の悲しみが理解できるようになりました。母というものは哀しいものですね。毎日のように亡き姑に詫びています。

投稿: りんご | 2016年1月30日 (土) 22時39分

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