« 悲しき雨音 | トップページ | ブーベの恋人 »

旅の終りに

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:立原 岬、作曲:菊池俊輔、唄:冠 二郎

1 流れ流れて さすらう旅は
  きょうは函館 あしたは釧路
  希望も恋も 忘れた俺の
  肩につめたい 夜の雨

2 春にそむいて 世間にすねて
  ひとり行くのも 男のこころ
  誰にわかって ほしくはないが
  なぜかさみしい 秋もある

3 旅の終りに みつけた夢は
  北の港の ちいさな酒場
  暗い灯影(ほかげ)に 肩寄せあって
  歌う故郷の 子守唄

《蛇足》 昭和52年(1977)に日本コロムビアから発売。冠二郎の初の、かつ最大のヒットとなりました。

 作詞の立原岬は五木寛之の別名。昭和52年4月7日から同年9月29日まで25回にわたってテレビ放映された朝日系列のドラマ『海峡物語』の主題歌に使われました。冠二郎も出演しています。
 原作は五木寛之の同名小説で、『艶歌』の続編。両作とも、伝説の音楽プロデューサー・馬淵玄三が主人公。馬淵玄三については、『北帰行』の蛇足で少し触れています。

 『旅の終りに』の最初の2行は、戦前に東海林太郎が歌った『流浪の旅』(作詞・作曲:宮島郁芳、後藤紫雲)の歌い出し「流れ流れて落ち行く先は/北はシベリヤ南はジャワよ」に似ています。パクりだという人もいますが、この程度の類似はよくあることで、本歌取のようなものだといっていいでしょう。

 この歌は旅をテーマとしていますが、旅には陽の旅と陰(いん)の旅、もしくは正(プラス)の旅と負(マイナス)の旅があると思います。前者は目的または目的地がはっきりしていて、多くの場合事前に予定を立てて行われるもので、通常は旅行と呼ばれます。
 いっぽう、後者は、その時どきの気持ちや都合で
当ても期限もなくさまようもので、漂泊、流浪、放浪、彷徨、流れ歩き、さすらいといったことばで表現されます。

 江戸時代の旅人いえば、まず浮かぶのが松尾芭蕉。『奥の細道』の冒頭に、「予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ……」とあります。
 漂泊についての当時の語義や、
人びとの語感がどうだったかわからないので、断定はできませんが、私の語感では芭蕉の旅は漂泊とは違うような気がします。

 芭蕉は、ここではこれを見たいと思ったものを見ているし、経路もほぼ予定どおり。宿泊先も、宿屋、俳諧仲間や門人の家です。おまけに、身の回りの世話をする門人も同行しています。
 『奥の細道』の前に東海道を歩いた『野ざらし紀行』もそうですが、漂泊というより長期の吟行あるいは旅行といったほうが当たっていそうです。
 旅行以外の言葉を使うとしたら、回歴、回遊、遊歴、
経巡りでしょうか。

 私が青春期に心惹かれたのは、陰の旅、負の旅のほうです。 大衆演劇に例をとると、赤城山に追い詰められた国定忠治が手下にいうセリフの「当ても果てしもない旅」ですね。これが本来の漂泊、流浪、放浪、彷徨、流れ歩き、さすらいだと思います。
 種田山頭火や尾崎放哉の後半生は、これに近いといっていいでしょう。

 有り余る資金があって、足の向くまま、気の向くまま各地を経巡る、という人もたまにいますが、これは形は漂泊や放浪に似ていても、予定を定めない遊歴、回遊でしょうね。

 陰の旅、負の旅には、うらぶれ感、落魄感が伴っていなくてはなりません。こうした暗鬱な情感は、旅が失望や、それより強い絶望から始まることにより生じます。

 そして、失望や絶望の原因は、多くの場合、失行や自堕落、家庭や仕事の行き詰まりなどによる居場所の喪失ですが、青春期で最も多いのは失恋でしょう。
 厭世感ないし哲学的懊悩から漂泊に出るといった例もありますが、青春期におけるこうした悩みは、たいてい陰に失恋が隠されています。

 それでは、私はなぜ陰の旅、負の旅に惹かれたか。それは、たとえば肌を刺すような寒風の吹く道や、冷たい氷雨の降る道を長時間歩いているようなときに生じる「うらぶれ感、落魄感に似た感覚」が、私の中に一種の快さを呼び覚ましたからです。

 学生時代、自分の愚かさやだらしなさから世の中が嫌になったことがありましたが、実際に漂泊に出ることはありませんでした。
 手持ちの金に加えてわずかばかりの持ち物を売り払ったら、仙台か盛岡あたりまでいけるが、その先はどうするか――こうした計算を始めた段階で、自分が「当ても果てしもない旅」に向いていないとわかりました。

 いろいろ嫌になっても、実家に帰って満面の笑みで迎えてくれる父母を見れば、薄っぺらな厭世感は雲散霧消しました。
 漂泊や放浪は、私の場合、ついに観念的な憧れに終わったのでした。

(二木紘三)

|

« 悲しき雨音 | トップページ | ブーベの恋人 »

コメント

何時もながらの奥深い説明を読ませて頂き、有難うございます。山頭火を知ったのは10代の終わりでした。二人の兄達から【金魚のフン】とか「ひっつきむし」とか言葉で傷つけられながらの日々。父が好きな山歩きのお伴をさせてくれたのは私一人。その時にあれやこれや話をして歩きました。その時の一言、一言が忘れられません。その父から聞いた名前が【山頭火】という名前でした。私が人並みに年を取りしみじみ思うのは「山頭火」に父は憧れていたのでは?・・・・。親族家族を纏めていた立場の父には、彼の人生が内心羨ましく感じたのではと、年を重ねるために申し訳なく思うのです。何しろ喪主を8回も経験したぐらいの父ですから、責任感としがらみにがんじがらめの人生だったのでしょう。ひとしきり「山頭火」の話をしたあと、「彼の話は人にはしない方がいいよ」とぽつりと言いました。正統派じゃないから批判する人も多いからねとも。
あの【小百合さん】は「山頭火」が好きだから【早稲田】に進学しましたとの発言されていました。
60歳代になって、「山頭火」に関する本や句集を買いあさった日もあります。すべてが懐かしい思い出となりました。

投稿: mitsuko | 2016年2月22日 (月) 02時12分

『旅の終りに』は作詞作曲者よし歌手よし背景ドラマよしの3拍子揃いで、昭和50年代カラオケスナックで会社同僚やスナックママと下手クソな音程でよく唄ったものです。
TVドラマ『海峡物語』はレコードディレクター“艶歌の竜”(芦田伸介)が新曲リリース新人歌手と苦闘するといった内容でしたが、挿入歌『旅の終りに』が毎回流れる演出がドラマを盛り上げてました。埼玉秩父出身冠二郎は年齢の5歳サバ読み(66歳→71歳)が去年バレましたが、当方と同年齢で老骨に鞭打ち頑張って貰いたい歌手です。

投稿: 焼酎百代 | 2016年2月22日 (月) 10時16分

 「蛇足」の感想になります。
 山頭火に惹かれる人は、私のまわりにもたくさんいます。なぜでしょうか。
山頭火は、社会的落伍者、社会的不適応者であります。しかし、一本どっこの生き方や、貧苦の中で俳句を追求する姿から、一度知ったら、強い印象をうける人です。
 分け入っても 分け入っても 青い山
いいですねえ、目的のない旅、この年(66歳)になってもあこがれます。

 二木先生の体験、学生の頃、有り金をはたいて仙台、盛岡まで行ってみても、その後どうするかをつい考えてしまった・・リアルなものを感じました。インテリや常識人の弱さでしょうね。先のことを考えろと小さい頃から、ことあるごとに教えられて、大きくなったんですから、それは無理というものです。
 身を捨てて浮かぶ瀬もあれといいますが、あとさき考えずに、身を捨てて飛ぶのは、普通の人には、至難のわざ。ある意味、選ばれた人にしかできない。
 ですが、本当にやりたいことをやろうと思ったら、普通の人にも、身を捨てる瞬間は、かならず訪れると、自分の経験から思います。

投稿: 紅孔雀 | 2016年2月22日 (月) 12時56分

うらぶれ感の快さ、それはうすっぺらな厭世感・・先生の言葉に全く同感です。もう一つ「本歌取りのようなもの」にも啓発されました。長いことこの2つの歌さらに裕次郎最晩年の「北の旅人」が頭の中でもやもやしていました。本歌取りが認められる条件はテーマが異なることですが流浪の唄は日清日露の戦を越え最後の帝国主義国に滑り込んだ日本の海外拡張が下敷きですが、旅の終わりは恋をなくしてやけになった男の心を歌ったということで全然違いますね。

投稿: しょうちゃん | 2016年2月24日 (水) 18時17分

 この種の私の好きな曲を少しあげますと、三橋美智也の「北海の終列車」や小林旭の「さすらい」、水森かおりの「五能線」のように失恋の傷心を癒やしに、旅に逃れる歌は辛く、哀しくなりますが、 織井茂子の「君の名は」や藤圭子の「京都から博多まで」、北島三郎の「伊勢の人」、舟木一夫の「高原のお嬢さん」、美川憲一の「釧路の夜」、石原裕次郎の「北の旅人」のように別れて、去っていった恋人を探しに、あるいは会いに行く歌は、せつない中にもどこか希望があって好きです。例えば「高原のお嬢さん」のように、♬ 東京の空のどこか-あの人は住んでいる-♬・・と言うのが、又、いつか二人がひょっこり逢えそうでいいですね。「釧路の夜」でも、別れてしまったが忘れられなくて、いつもデートをしていた幣舞橋に行けば、ひょっとしたらあの人も来ていて、逢えるかも知れない・・と思う気持は痛いほど分ります。            
 でも、余り恋に盲目になると周囲から次のように笑い者にされますのでほどほどに・・
 それは、昭和の「君の名は」におけるユニークな謎掛けにあります。私も答えを聞いて大笑いした一人ですが、陳腐化した話しで申し訳ありません。高齢者の皆さんは知っておられると思いますが披露させていただきます。 
質問は
後宮春樹の職業とその理由を当てるものです。
 ご存じのように、後宮春樹は北から南まで女《氏家真知子》を探し回っている青年ですが、視聴者から「あの男は仕事もしないで女の尻ばかり追いかけている。一体何者だ?と言う声があったそうです。
 さて、その職業とは何でしょう?
[ヒント]
①国鉄職員 ②航空会社の職員 ③新聞記者 ④警察官
*答えは、交通費が安上がりだから①の国鉄職員?ブー:正解は④の警察官です。警察官も交通費が安いかも知れませんが、でも、その理由は彼は佐田啓二だから刑事だそうです。「何だつまんねい!!」と言う声が聞こえますが、そのとおり、後で調べてみると本当は雑誌社の記者だったとありました。残念!どれも不正解・・ お後がよろしいようで・・・                 
                   〈迷える老子羊〉


投稿: 芦田伸介は渋かった | 2016年9月14日 (水) 14時57分

実年齢を5歳若くサバ読んで去年カミングアウトした冠二郎は自分と同じ生まれ年のため(昭和19年)、これからも頑張ってほしい歌手です。
毎回『旅の終りに』が流れたテレ朝連続ドラマ「海峡物語」(昭和52年)は、今日ビの原作も脚本もパッとしないTVドラマと違い、五木寛之ワールドにぐいぐい引き込まれ毎週欠かさず視たものです。
主人公「高円寺竜三」(艶歌の竜)のモデルは、伝説の音楽ディレクター馬淵玄三(元日本コロムビア常務→日本クラウンの設立に参加)だそうですが(Wikipedia)、ドラマの進行とともに『旅の終りに』が出来上がっていく盛り上げ方の演出は実に見応えあったものです。

投稿: 焼酎百代 | 2016年9月17日 (土) 19時52分

五木作品で最も好きなのが
「旅の終り」です。
モデルがいらしたのですね。
漢気に満ち溢れた「高円寺竜三」に
魅了されました。
山本周五郎の「さぶ」も同様に時折読み返しては
「漢気」に酔いしれます。

投稿: りんご | 2016年9月18日 (日) 08時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 悲しき雨音 | トップページ | ブーベの恋人 »