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波をこえて

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作曲:Juventino Rosas、日本語詞:きた・ひろし

1 大波をこえて さあ行こうよ
  さわやかな しお風に吹かれて
  白い帆は 青空にふくらみ
  ぼくたちの 歌声はひろがる

2 コバルトの 海原にひとすじ
  しろじろと シュプールをのこして
  エンジンの 音たかく走るよ
  空をとぶ あのジェット機のように

3 はてもなく広がる この海の
  むこうまで 行ってみようみんなで
  夕焼けに あかあかと燃えたつ
  夏雲が 呼んでるぼくらを

           Sobre las Olas

                                         作詞:Pedro Infante

En la inmensidadde las olas flotando te vi
Y al irte a salvar por tu vida la vida perdí.
Tu dulce visión en mi alma indeleble grabo
La tierna pasión que la dicha y la paz me robo.

Si dentro de mi dolor tu refugio llegara a turbar
Te seguire con amor note niegues mujer a escuchar.
El viento te llevara los gemidos de mi corazon
Y siempre repetirá los acentos de mi canción.
La tempestad en su furia del mar

Y del relámpago en duro fragor
Solo podrán débilmente escuchar
La tempestad que hay aquí con tu amor.
Por doquiera que voy tu recuerdo es mi guía
En la noche es mi fe pues mi sol en el dia.

Mi suspiro es mi ideal o mi acervo dolor
Mi doliente quebranto es por ti por tu amor.
Con mi gemido te envió el corazon
Y en mis ojos te mando mi ser.
Mas no, no quiero de ti compasión
Yo quiero amor o por el perecer.

En la inmensidad de las olas flotando te vi
Y al irte a salvar por tu vida la vida perdí.
Tu dulce visión en mi alma indeleble grabo
La tierna pasión que la dicha y la paz me robó.

《蛇足》 メキシコの作曲家でヴァイオリニストのフベンティノ・ロサス(Juventino Rosas 1868-1894)が1884年(諸説あり)に発表したワルツ。楽譜の発売は1888年。

 これがヨーロッパに伝わり、ドイツやオーストリア、スペイン、フランスなどのダンスホール、公園、市場などで盛んに演奏されました。ヨーロッパでは、ヨハン・シュトラウス2世あたりが作ったウインナ・ワルツだろうと思っていた人が多かったようです。
 実際、この曲はあまりメキシコ音楽ぽくなく、ヨーロッパのセミクラシック音楽の特徴が認められます。

 1893年にロサスがバンドを率いてアメリカ各地を巡業したことから、アメリカにも広まりました。
 原題の"Sobre las olas"は「波の彼方へ」とか「波を越えて」といった意味ですが、それをそのまま英語化して"Over the waves" というタイトルで、ジャズやブルーグラス、カントリー・ウエスタンなどに編曲されて演奏されました。
 わが国では、『波涛を越えて』というタイトルで親しまれています。

 原曲は器楽曲でしたが、のちに各国でさまざまな歌詞がつけられました。1890年代の前半にスペイン語の歌詞がつけられましたが、作詞者は不明です。
 上のスペイン語詞は、メキシコの俳優で歌手のペドロ・インファンテ(Pedro Infante 1917-1957)が1954年に作ったもの。
 これも含めて、各国でつけられた歌詞のほとんどが恋歌です。

 いっぽう、上の日本語詞は童謡のようです。それもそのはずで、この歌詞はNHK『みんなのうた』のために作られたものです。編曲した服部公一が、「きた・ひろし」というペンネームで作詞し、昭和37年(1962)7月に、東京少年少女合唱隊の歌で放送されました。
 大人向きの日本語詞はないかと探しましたが、見つかりませんでした。

 フベンティノ・ロサスは、驚くべき音楽的才能に恵まれる一方、悲運にも見舞われた人物です。
 フベンティノは、グアナフアト州サンタ・クルスの貧農の子どもとして生まれました。父親は音楽的才能があり、軍楽隊で演奏したこともありました。彼は、兄にはギター、姉にはハープ、フベンティノにはバイオリンを教え、彼自身はハープを弾きました。どの楽器もごく粗末なものでした。
 子どもたちがある程度弾けるようになると、バンドを組み、民族衣装を着て、州内各地で催される祭や市を演奏して回りました。

 フベンティノが7歳のとき、一家はよりよい生活を求めて、400キロ離れた首都のメキシコシティまで歩いていきました。フベンティノは、この頃すでにヴァイオリンを完全にマスターしていたといわれます。
 一家が腰を落ち着けたのは、メキシコシティのなかでも最も悪名高い一角で、小さな家が密集し、通りは悪臭に満ち、悪徳と犯罪がはびこっていました。

 そんな場所でも、フベンティノは急速に才能を伸ばしていきました。代表作の"Sobre las olas"を作曲したのは16歳のとき。18歳のときには、ビッグバンドのリーダーを務めるまでになっていました。国立劇場でソロ演奏をしたこともありました。
 名声を得る一方で、いくつも苦難に出会っています。父と兄・姉を早くに亡くし、一家の生活のためにかさんだ借金の返済に追われました。手ひどい失恋も味わったようです。

 借財を返すために、フベンティノは作品の権利を一括して、ヴァグネル&レビエン(A.Wagner y Levien)社に譲渡しました。代金はわずか45ペソ。同社は、作品の楽譜を販売することで10万ペソを得たといわれます。
 芸術的才能と経済的才覚とのなんという落差。過去、多くの天才が味わってきた悲劇です。

 フベンティノは、1894年7月9日、滞在先のキューバで亡くなりました。わずか26歳半の人生でした。
 しかし、故郷の人びとは、彼の業績を忘れませんでした。生地のサンタ・クルスは、現在サンタ・クルス・デ・フベンティノ・ロサスが正式名称になっています。

(二木紘三)

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コメント

 私もウィンナーワルツとばかり思っておりました。ワルツはクラシック音楽に分類されることも多いようですが、19世紀に大流行したことがあって、今日でいうポピュラーに近いものがあるようです。
 二木先生は『異邦人』の蛇足の中で「歌い継がれる1曲は、すぐに歌われなくなってしまう大ヒット10曲に勝ると思います」と述べられています。『波を越えて』の他に『ダニューブ河の漣』(イヴァノビッチ)など、ただ1曲だけを後世に残した作曲家がいます。シュトラウス親子によるものが殆どという印象のワルツの中で『波を越えて』や『ダニューブ河の漣』は珠玉の名作ですね。

投稿: Yoshi | 2016年7月 4日 (月) 12時35分

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