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少年の秋

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・補作詞:佐藤春夫、作曲:渡久地政信、唄:三浦洸一

1 わがふるさとの南国も
  祭すぎての夕風は
  肌ここちよい秋袷(あきあわせ)
  君が窓の灯(ひ)なつかしく
  口笛吹いて行きかえり

2 眼はきよらかに色白の
  おさななじみは丈(たけ)のびて
  御船祭(みふねまつり)の行きずりに
  もの云いかけたおもかげを
  慕わしとする少年の

3 君とその兄さそい来て
  王子ガ浜に月を見る
  心たのしいひと時も
  湧くもどかしさ紛らすと
  月夜の海に石投げて

4 熊野の川に遊びては
  水掛けあいし戯(たわむ)れの
  おさなきころの無邪気な日
  みかんの花が咲いていた
  甘く酸っぱい思い出よ

5 離郷のときに別れにと
  君にもらいしお守りも
  今では悲し初恋の
  淡き思いの心かよ
  紀南の郷(さと)の秋のこと

《蛇足》 NHKラジオ歌謡の1つで、昭和34年(1959)11月9日から6日間放送されました。
 作詞は詩人の佐藤春夫。佐藤春夫の詩に曲をつけた歌曲はいくつかありますが、注文を受けて大衆歌謡の歌詞を書いたのは、この曲が最初で最後ではないかと思います。未確認ですが。

 この作詞をしたいきさつについて、佐藤春夫は、『詩の本』(昭和35年〈1960〉、有信堂発行)収録の『少年と秋―歌謡と唱歌』と題する短文で、次のように語っています。以下、原文を新漢字・現代仮名遣いに直して記載します。
 なお、
『定本 佐藤春夫全集第2巻』(臨川書店)巻末の解題によると、この文章は『詩の本』のために新たに書き下ろしたもののようです。

 NHKの人が来て相なるべくは口語で歌謡を一つ書け、歌う時間の関係で、五行二聯の長さが適当だという。
 十月中ごろに歌う予定で、テーマはわが旧作「少年の日」のようなものが好もしいと聞いたので、それではと「少年の日」のなかの秋の一聯

    君が瞳はつぶらにて
    君が心は知りがたし
    君をはなれてただひとり
    月夜の海に石を投ぐ

 というものを歌謡体に歌い直してみることにして「少年の秋」という題を設けた。「少年の日」のなかの四行に歌謡らしい水を増してみるのである。詩情はおのずと淡くなろうが、わかりよく一般に親しまれる趣をと心がけて初恋の歌というようなものを試みたものである。
 歌謡には何よりも歌い出しの一句が大切と聞き及んでいるが、こんなことではどうであろうか。

(ここに作った歌詞、すなわち上の1~3番が入る。1番3行目の秋袷が初袷になっていますが、これは著者の勘違いだろうと思われます)

 これで詩と歌謡との説明しがたい微妙な区別がわかってもらえたらうれしい。

 (以下省略)。

 歌詞は当初3聯でしたが、詩人自身により2聯つけ加えられました。この補作詞がNHKの依頼によるものか、詩人の意思によるものかは不明です。
 しかし、2聯、とくに第5聯の追加によって、魂のふるさとともいうべき少年時代への懐旧の思いが一段と強まっています。
 大衆向け歌謡ということで、高踏派的性格は抑えられていますが、それでも何か所かそうした傾向を感じさせる表現があり、それがこの歌の格調を高めています。

 この歌は佐藤春夫が生まれ育った紀州・新宮を舞台としていますが、少年時代をどこで過ごしたかに関わりなく、「昔少年」の胸を熱く揺さぶるのではないでしょうか。
 佐藤春夫が少年期を送った明治30~40年代と、私の少年期の昭和20年代とは、時代が大幅に違いますし、
生まれ育った場所の地形や環境もずいぶん異なっています。
 にもかかわらず、幼友達と野山をのたくり遊んだ日々や、同級の美少女に心を躍らせたことなどは同じです。

 TBSラジオの長寿番組だった『小沢昭一の小沢昭一的こころ』で、小沢昭一が「夕方、好きな女の子の家の窓明かりを見るだけで胸がどきどきした」と語っていたことを思い出します。小沢昭一は、生まれも育ちも東京です。

 渡久地政信の曲がまたすばらしい。洗練された短調のメロディーは、少年時代への追憶の思いを倍加させ、初恋とはいえないほどの少女へのほのかな憧憬を思い起こさせます。

 不思議なのは、歌詞・曲ともすばらしいこの歌が人びとの記憶の網からすっぽり抜け落ちていることです。昭和2,30年代にヒットしたラジオ歌謡やラジオ歌謡ではない抒情歌は、何人かの歌手によってカバーされています。
 それらに勝るとも劣らないこの曲は、ざっと検索してみたところでは、だれもカバーしていません
(平成28年7月18日現在)。この名曲に光を当ててくれる歌手はいないのでしょうか。

 ところで、佐藤春夫の少年時代は、自伝的小説『わんぱく時代』に生き生きと描かれています。自伝ではなく、自伝的小説なので、かなりの虚構が入っているようですが、新宮時代の佐藤春夫の生活をうかがい知ることできます。
 児童向け文芸全集の偕成社文庫に入っていますが、児童向けに書かれた小説ではありません。
 昭和32年
(1957)10月20日から朝日新聞の夕刊に144回にわたって連載された新聞小説です。文芸評論家の吉田精一は、「新聞小説としては、風変わりといってよいほど読者におあいそのないもので、それだけに気品のあるもの……」と評しています。

 この小説は、昭和61年(1986)に大林宣彦によって映画化されました。舞台を監督の故郷・尾道に移し、タイトルは『野ゆき山ゆき海べゆき』となっていました。このタイトルは、『少年の秋』の発想源となった詩『少年の日』の冒頭の1句から取ったものです。そこで、最後にこの名詩を挙げておきましょう。

    少年の日

     1

野ゆき山ゆき海邊ゆき
眞ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは靑し空よりも。

     2

影おほき林をたどり
夢ふかきみ瞳を戀ひ
あたたかき眞晝(まひる)の丘べ
花を敷き、あはれ若き日。

     3

君が瞳はつぶらにて
君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり
月夜の海に石を投ぐ。

     4

君は夜な夜な毛糸編む
銀の編み棒に編む糸は
かぐろなる糸あかき糸
そのラムプ敷き誰(た)がものぞ。

(二木紘三)

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コメント

懐かしい詩です。この歌があることを全く知りませんでした。作詞に合ったメロディですね。昭和34年に聴いていたら忘れられない歌になっていたと思います。小さい時から知っていた近所の2歳年上の少年が出会うたびにじっと見つめてくれていました。恥かしいので私はいつも下を向いていました。黒目がちの美少年でした。彼が自転車の上から抱えていた本を落とした時、拾い上げて「どうぞ」というと「ありがとう」と答えてくれました。10年ぐらいの間に話したのはそれだけです。京大へ進学されたと人ずてに聞きました。彼を思い出すたびにこの詩を思い出します。
 春夫のこの詩の「夏」の聯の「あたたかき 真晝の丘べ」「花を敷き あはれ若き日」の部分が昭和27年発刊の伊藤信吉「現代詩の鑑賞」では「なやましき 真晝の丘べ」「さしぐまる 赤き花にも」になっています。
「さしぐまる」の意味が私は理解できていませんが・・・

投稿: ハコベの花 | 2016年7月19日 (火) 12時26分

ハコベの花様

文学好きの少女でいらっしゃったのですね。佐藤春夫の詩に二通りあることは、ネットに質問と解答があり、解答されたかたによると初出の殉情詩集(1922年)には「さしぐまる」、佐藤春夫詩集(1926年)には「花を敷き」になっていて、作者による改訂とのことです。「さしぐまる」は「君を思うと涙が出る」の意かと推察します。「孝女白菊の歌」が日本の近代詩の源にあることをこの二木様のブログで初めて知りましたが、ハコベの花様が少女時代に親しまれた「孝女白菊の歌」や佐藤春夫の詩には、現代の詩が失っている何かがあるように感じます。ハコベの花様のご投稿に接するうち、お住まいの近くの浜名湖への慕情が湧きました。「おうみ」「とおとうみ」と琵琶湖と併称された湖は、北部は琵琶湖の北部同様のひなびた味わいがあるのですね。「かえり船」「月がとっても青いから」などを作詞した清水みのるさんは浜名市出身で、「わが浜名湖」という詩集も出しておられますね。いつか浜名湖をハコベの花様の恋物語をしのびながら旅したいと思います。

投稿: 加藤 | 2016年7月19日 (火) 21時33分

はじめて聞かせていただきました  こみ上げてくる感傷と得もいえぬ悲しみ 涙ぐまずにはおられない旋律 また歌われたのが三浦洸一さん  素晴しい曲を紹介していただき 涙してきいております  二木先生ありがとうございます  
 
 佐藤春夫さんが 新宮の出身だったとか  全く曲も知らず佐藤春夫さんの詩も文章もあまり読んでいない僕のような者が 書くべきでないとも思うのですがーー
 
 唐突にこみ上げるものがあり 指を動かしています

 私的すぎて 皆さんには どうでもいいことですね
 僕の祖父母の四人のうち 二人が和歌山出身 残る二人が神戸です  ですから 大好きな高校野球の応援も 一
に兵庫 二に和歌山 三に大阪 という具合でした
  
 尾藤監督率いる箕島高校の活躍 どれほど胸踊ったか
 いろんな場面が 思い出されます  東尾からはじまり
 島本講平 春夏連覇の石井.島田兄のバッテリイ 懐かしさだけでも泣けてきます   島田兄が主将で捕手で一番   一番打者.捕手.主将は 他では見たことがありませんでした また ストライクは必ず一球目から振る
 尾藤野球の真髄だったのでしょうね   また連覇することとなる夏の県予選で勝った後 甲子園出場までの間に 島田兄の遭遇した箕島のコレラ事件  ほんとうにいろいろなドラマがありました  春の優勝戦の相手は あの浪商の牛島.香川だったのです (敬称略させていただきました)

 箕島 すばらしかったです

 でも これからが本論です

 新宮ときいて 一番に思い浮かべたのは この投手の名前でした  県立新宮高校の左腕 前岡投手です  右 左の違いはあれ 沢村栄治二世と称され鳴り物入りで 阪神へ入団した方です  何故まだ幼なかった僕の記憶に残ったのかは わかりません  もちろんプロで成功しなかったのは知っておりました
 でも 今になってはじめて 入団してすぐ肩を傷めるような場面があったことを知りました  あまり言い過ぎるといけないので 前岡さんのことはこれくらいでーー
 元気にされていることを 願うばかりです

 二番に思い出したのは 相撲の久島海関です 新宮高校の三年間 高校選手権で優勝 大学は日大にすすみ 四年生のときは 優勝を逃がしますが 三年生までは 学生横綱でした  現在までで もっとも輝かしい成績で角界に入門しています  しかし 最高位が前頭筆頭どまりで 周りの期待まで届かず また 若貴全盛の時代で 貴乃花のヒールとまでいわれました  番付の上げ下げにも相撲界の汚点ともいえる事実が残っています  でも 精進して親方にはなられましたが 弟子をこれからーー というところで早世されています
  
 
 南紀新宮は 神のおられるところ なのに何故か不遇をかこった方々が偲ばれ涙する 満月前夜です 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年7月20日 (水) 00時59分

いい歌です。まったく知りませんでした。三浦さん渡久地さんと言えば「踊子」が有名になりすぎたので陰にかくれてしまったのでしょうか。

投稿: Hurry | 2016年7月20日 (水) 06時26分

ハコベの花様 差し含まる は涙ぐむ の古語かと思いますが

投稿: 夢見る男 | 2016年7月20日 (水) 08時45分

加藤様、夢見る男様
「さしぐまる」をお教え下さって有難うございました。中学生なって一番初めに暗唱したのが、「千曲川旅情のうた」2番目が「少年の日」でした。その時、「さしぐるま」と覚えてしまったのでこの欄の「さしぐまる」に驚いてしまいました。古語なのですね。始めて知りました。花を挿した車だと思っていました。加藤様が仰る「遠つ淡海」はもう昔の面影はないかも知れません。年に何回かは行きますが、東名高速が南にも、奥浜名湖のほうの北にも通り、ひなびた感じが消えています。彼の君の思い出だけが心にあります。

投稿: ハコベの花 | 2016年7月20日 (水) 10時53分

「さしぐまる」は「さしぐむ(差し含む)」の未然形「さしぐま」に助動詞「る」(自発)がくっついたものということでしょうかね。 味わいのある言い方ですね。
 漢字表記になってれば、ハコベの花様も間違ってお覚えになることはなかったでしょうにね。でも、ご提起によって勉強になりました。  そういえば、カール・ブッセ 上田敏訳「山のあなたに」に 「涙さしぐみ かえりきぬ」とありましたね。 中三の現国でした。

投稿: かせい | 2016年7月20日 (水) 14時40分

この歌は、1959(昭和34)年11月のラジオ歌謡で放送されたそうですが、知りませんでした。この時期、わたしは大学5年(留年)で就職先が未だ決まらず、落ち着いた生活をしていませんでしたし、寮の部屋にはラジオなんてありませんでしたから、知らなかったのも当然ですが。驚きなのは、『上海帰りのリル』や『お富さん』など演歌・歌謡曲のヒットメーカー渡久地政信(とくちまさのぶ)の作曲だとは。優れた作曲家は、抒情歌でもその才能を発揮しているということでしょうか。
 残念なことに、こんな綺麗な歌がヒットしなかったようですが、なぜでしょうか。考えられることは、三つあるように思います。
①渡久地政信のメロディは確かに優しく綺麗なのですが、高音部と低音部の上がり下がりに急なところがあり、歌唱力に自信がないと、歌いにくい面があります。とくに、3行目から最終行にかけて。
②佐藤春夫の歌詞は、さすが高名な詩人だけに、大衆歌謡の歌詞としては洗練されていますが、それが仇になっている面があるように思われます。この『少年の秋』の歌詞も、抒情詩として鑑賞するには適しているのでしょうが、歌謡詞としては、同じ詩人でも西条八十の方が練れているように思われます。
③歌謡曲(抒情歌も含めて)がヒットするには、その歌に適した社会環境があるのではないでしょうか。たとえば、オリンピックのときには、明るく楽しいリズミカルな歌が適しているように。この『少年の秋』が放送された1959(昭和34)年の11月は、第2次岸内閣による新安保条約が締結される前夜で、全国的に社会騒然とした空気が漲っていた頃ですから、このような文芸歌謡が受け入れられる環境になかったことも一因かと思われます。
 以上、音楽に門外漢のわたしが、臆面もなく愚論を申し述べましたが、お許しください。
 敢えて付言しますが、わたしはこの歌を優れた抒情歌と思っています。その後もカバー曲が出されていないようですが、何とか歌い継いでいって欲しいという思いは強いです。佐藤春夫の地元新宮市では、歌い継がれているのでしょうか。ご当地ソングとして歌い継ぐというと、佐藤春夫に叱れるでしょうか。
 

投稿: ひろし | 2016年7月20日 (水) 14時51分

「差し含む」・・・はじめての漢字です。上田敏「山のあなた」はよく聞きましたが、そのことだったのですね。ありがとうございました。このブログ?はそういう意味でもとても含蓄のあるものです。
 時間のあるときはよく見ています。

投稿: 今でも青春 | 2016年7月20日 (水) 21時11分

 『少年の秋』は、明確に初恋の歌です。島崎藤村の『初恋』を思いだし、比べてしまった。荒々しい熊野灘に面し、神々のいます熊野を背景に歌われた南紀の水辺の詩。雪深い信州の澄んだ空気の下に乙女の姿を歌いあげた林檎畑の詩。風土を溶かした二つの初恋の詩は、心に響きます。藤村の詩には思慕の素直さを感じ、春夫の詩には少年のもつ羞恥心の深さを感じます。三文評論です・・

 佐藤春夫といえば、『好(よ)き友』という文章をまず思いだします。新宮中学、12歳頃の出来事を回想して書いたものです。
 体育の授業が雨で中止になり、先生が紙を配って「自分の友達の名前を5,6人書きなさい」という。思春期の子どもにとってはなやましい問題だ。出し終わった後も、誰の名前を書いた、誰は書かなかった・・が話題になった。
 一人の学生が春夫のところに来て「あんたは誰を書いた」という。春夫は、父親が医者で、名士のお坊ちゃま的存在、成績も優秀で、敬して遠ざけられる存在。春夫の高踏的な性格も加わって、ひとりも友達がいない。
春夫は、体育の先生が時間つぶしに出した課題だと見切っている。いいかげんに自分の座席の周りの学生の名を書いた。春夫の座席の真後ろの学生が「あんた誰書いたんな?」と聞いてきた。
 
ーーここから原文です。
「おれはあんたの名前を書いたんぢゃ」
その答へとともに、彼のはしゃいでゐた顔は一刹那にがらりと変化した。しばらく無言だった彼はやっと私に言った。ーー
「こらへとおくれよ。なう、わあきあ、あんたをわすれたあつた。わあきあ、ぎやうさんつれがあるさか」
 二十年を経た今日、彼のその言葉をそつくりと田舎訛のままで思ひ出す。さうして私は彼の正直な一言に無限の友情を見出すのです。ひよつとするとと、これが私のうけた第一の友情ではないかとさへ思はれるくらいです。・・・

--この学生の田舎訛りの詫びの言葉を、佐藤春夫は文語調で訳しています。「恕せ友よ、余は君を失念しゐたり。余は多くの友を持つが故に」
何度読んでも、『好き友』は私にとって名文です。
 

投稿: 越村 南 | 2016年7月22日 (金) 12時25分

元の詩の「少年の日」に曲が付いていたらもっと感動した人が多かったような気がします。短い詩の中に思いが凝縮しますから。
ところで今の若い人にラブレターを貰った事があるかと聞いてみたら一人もいませんでした。メールになってしまって字など書かない時代になってしまったのですね。それと道路が広くなってしまってすれ違っても顔を近くで見る事もない上に、車の中では路地の小径で出会うこともないのでしょう。すれ違った時のドキッとする感覚は何にも代えがたいものなのですが・・・恋の前段階が今の人には無くなってしまっているのでしょう。その前段階が一番美しい思い出になっているのですが、何にか勿体ないですね。叙情と情緒が無くなってしまったようです。山茶花の白い花の咲いていた小径で本を拾って手渡したのですが、彼も覚えていてくれると思います。

投稿: ハコベの花 | 2016年7月22日 (金) 17時59分

ラジオ歌謡は良い歌が多く、1曲の放送期間は短かったのですね。

「少年の日」佐藤春夫の詩による「5つの歌曲」
 作曲 西出次郎 があるのでは?
佐藤春夫 作詞の歌は沢山あるのですね。
http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/main.jsp?trxID=F00100

http://home.u05.itscom.net/soujutei/comp_ni.htm


ママさんコーラスの県大会で「秋の女よ」を唄ったことがあります。
作詞 佐藤春夫 : 作曲 塚谷晃弘

投稿: なち | 2016年7月22日 (金) 19時19分

なち様 やはり『少年の日』の曲があったのですね。なちさんならご存知かもと思っておりました。やっぱりでした!曲が聴けないのが残念です。思春期の頃の自分が戻ってくるようです。、
加藤様 旅情を削いでしまうような事を書いてしまいましたが浜名湖を私が見慣れているから昔よりつまらなくなったと思うだけで、初めての人には素晴らしいと思われる所もあります。でも旅は出会った人とか一緒に行った人との思い出のほうが風景より心に残りますね。浜名湖の橋を東名高速や新幹線で通る時に素敵な少女が貴方を見つめていると思って下さい。勿論、貴方も「野ゆき山ゆき」の少年です。

投稿: ハコベの花 | 2016年7月23日 (土) 12時22分

ハコベの花様
浜名湖の旅について優しいお言葉をありがとうございました。私は実は米国に7年間住んでおりまして、二木先生のこの歌物語のブログを、故国の心にふれる最高のよすがとして、ありがたく拝聴拝読いたしております。米国は日本よりはるかに広いですが、日本もかなり広いと思えるところがあります。この歌物語から感じることですが、日本には山があり谷があり、その場所ごとにいろいろな村がありいろいろな町があり、それぞれの土地の歴史や伝統があり、石仏もお祭もあります。ご先祖たちの涙や情愛が、風に土に混じり、今の人たちを見守ってくれているように思えます。ハコベの花様の示唆くださいますように、日本を旅する事は、眼前の景色を味わうこともありますが、目に見えぬ過ぎし日の人の心にふれる事でもあると思います。琵琶湖畔と浜名湖畔は遠い昔の巨大な銅鐸が出る所で、淡海から遠つ淡海へ銅鐸の文化を持つ人々が移動したと思われます。そのような昔に思いを馳せ、私の大好きな「ふるさとの燈台」の歌(この歌物語で知った歌です)を作詞された、浜名湖畔で育った清水みのるさんをしのび、ハコベの花様と彼の君がかつて浜名湖でボートに乗られたことをしのび、古い歴史と哀しく美しい歌のある日本を味わいたいと思います。

投稿: 加藤 | 2016年7月23日 (土) 21時00分

うた物語をしばらく振りで開いてみて、びっくり。 「少年の秋」が瞬間的に目に飛び込んできたのです。
時代が変わり、詩情貧しき、今の人たちには歌われず、消え去った歌、楽しんでいるのは我一人と思っていました。私が高校生から大学生のころ、ラジオ歌謡をよく聞いていました。歌詞は新聞に小さく載っていましたのでそのスクラップが残っています。しかしメロデーは55年も経ってうろ覚えです。聞きたいラジオ歌謡をリストアップしてNHKのラジオ深夜便にお願いしたのですが、梨の礫で受け入れてもらえませんでした。
ラジオ歌謡の歌詞は抒情が豊かであり、曲もすばらしく、歌手の歌い方も声も何年経っても耳に残してくれます。
すばらし歌の文化と思っております。思い出に残る歌の数々がたくさんあります。その中で一番 私の好きな
歌が「少年の秋」でした。 二木紘三先生は素晴らしい、解説も素晴らしい。いつもありがとうございます。
因みにNHKへ放送依頼をした歌は少年の秋(三浦洸一)/木陰の夢(福本泰子)/山あじさいの歌(楠トシエ)/夏への挽歌(ビショップ節子)/それは秘密(中原美紗緒)/バラは見ていた(ビショップ節子)/今は秋(柴玲子)/街(高英男)/秋の思い出(ビショップ節子)/微風と街路樹(芦野宏・中原美紗緒)/早春のベープメントで(武井義明)/アネモネ(ザ・ピーナッツ)/春とお嬢さん(山本四郎)/いつの日あえる(フランク・永井)でした。


投稿: 田中一郎 | 2016年7月24日 (日) 10時25分

ハコベの花様、先の私の投稿をおわび致します。ハコベの花様の大切な思い出にさわるようなことをしてしまいました。いつもハコベの花様の、詩や歌へのお言葉に共感させていただいたり、女心に疎い者として、女心について教わったり、ご投稿をありがたく拝読いたしてまいりました。これからもいつまでもお元気でとお祈り致します。

二木先生もいつまでもお元気でこのすばらしい歌物語を続けていかれますようお祈り致しますとともに、この歌物語に集う皆様いつまでもお元気でとお祈り致します。

先の投稿で、清水みのるさんの出身地浜松市を、浜名市と誤記しました。
この佐藤春夫の詩や三木露風の「ふるさとの」などの詩を、中学か高校で読んだのですが、恋の詩の味わいは、失恋とか、ああすれば良かったのではと後でわかるとか、いろいろを経て年をとればとるほど深まるのではと感じております。

投稿: 加藤 | 2016年7月26日 (火) 04時29分

加藤様 実は清水実の生家は昔は浜名郡だったのです。浜松市が浜名郡を併合し、何年か前に浜北市も(昔はここも浜名郡でした)そして今は広範囲を寄せ集めて政令都市の浜松市になってしまったのです。私たちは清水実は浜名郡伊佐地生まれだと今でも思っています。浜名湖に面したひなびた田舎でしたよ。何といっても浜名郡は、水泳の古橋選手で有名ですね。うなぎでも有名です。穏やかで良い所です。私は浜松駅の近くで生まれ育ちましたが、今は昔、浜名郡だった半分、田舎に住んでいます。所々に田んぼが残っていて夜になるとカエルの合唱が聴こえます。雨が静かに降ってきました。青い稲の上を燕がスイッと飛ぶときもあります。水路には大きな鯉が泳ぎ、鴨も泳ぎます。もう戦後ではない証拠に捕まえて食べようとする人がいなくなりました。昔の少年たちはここで泳いだそうです。目に見えるような気がしますね。時々、この歌を聴いて少年や少女に戻ってみましょう。心は自由です。

投稿: ハコベの花 | 2016年7月26日 (火) 14時03分

ハコベの花様

お優しいお言葉ありがとうございます。この歌の少年が、思いを寄せる少女から優しい言葉をかけてもらったかのようです。

投稿: 加藤 | 2016年7月26日 (火) 14時16分

”少年の秋”という歌名ですが、私は”夏”を思い出します。夏休みに入り盆が近付きますと、田舎ではよく都会から帰ってきた家族を見かけました。

ある夏の日、そんな都会から来たらしき少女に出会いました。少女雑誌から抜け出してきたような少女でした。どんなきっかけだったのか思い出せないのですが彼女と少し話すことができました。彼女は「’しんし’って字書くことできる?」と私に問って、棒きれで道に”紳士”と描いて見せました。

彼女と話せたそのひとときの楽しさが忘れられず、その後数日間、彼女を見かけたその通りを何度も行き帰りしたのですがもはや彼女と会うことはできませんでした。

小学生の頃、夏が来るたびにその甘酸っぱい記憶が思いだされ、今年の夏は彼女と会えるかもしれない、との淡い期待を抱いたものです。忘れられない幻の少女と夏でした。

投稿: yoko | 2016年7月28日 (木) 19時10分

佐藤春夫といえば
「海辺の恋の儚さはこぼれ松葉の云々」が好きで、高校時代に暗唱したものです。
少年の秋も叙情的で心に染みる詩ですね。二木先生ありかとうござます、
初めて知りました。
ハコベの花様と加藤様の交換日記風なコメントも微笑ましい限りです。
NECのWindows7を10にアップしたのが触ったのが立ち上がらなくなり、点検入院中です、
今宵はスマホで此処にお邪魔致しました

投稿: りんご | 2016年7月28日 (木) 19時57分

 中学生の頃、いいなと思う女の子の家に近づくだけで胸がさわいだ。彼女の家を間近に見るとか、のぞくということはなかった。それをやったら昔なら出歯亀、今ならストーカーだ。過度の興味、過剰なる関心は、日常の平安をそこなうものであります。ま、それは後の講釈でありまして、当時の私は、今にもまして、女性に対し小心でした。
 この詩にある「君が窓の灯 なつかしく 口笛吹いて行きかえり」の心情は、おおいにうなづけばす。
<蛇足>に紹介されている小沢昭一的こころの「夕方、好きな女の子の家の窓明かりを見るだけで胸がどきどきした」の言葉も、素直に同感します。
梶光夫の歌に「流れる雲よ 城山に のぼればみえる 君の家」があり、
石橋正次の歌にも「鉄橋渡れば 君の家が見える」がある。
家や窓を見て、少女のイメージをふくらませ、陶酔を深めようとする詩人の心か、単なるのぞき根性の延長なのか・・おそらく半々ではなかろうか。聖俗あわせもつ人間のやることだから。聖俗一如という言葉もあります。

投稿: 紅孔雀 | 2016年8月 1日 (月) 11時07分

「青春の城下町」もこの歌と同じ、青春の入り口を思い出させる良い歌ですね。大好きです。温かな日だまりにいるような優しく甘酸っぱい気持ちで胸が一杯になります。
もう一度その時代に戻れたら、その人に「ありがとう」と手紙を書いて送りたいですね。それとも少しだけ一緒に並んで歩いて見たい気もします。夢の中のほうが良いかも知れませんが・・・


投稿: ハコベの花 | 2016年8月 2日 (火) 00時26分

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