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おもいで

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:中原淳一、作曲:石川皓也、唄:高 英男

1 ふたりはうれしくて 笑っていたのに
  なぜだか涙が ほほを流れた
  そよ風がふいていたよ
  雲も流れていたよ
  遠い山なみも見えたよ
  ふたりは楽しくて 夢のようだった
  黙っていても切ないまでの
  しあわせ……

2 ふたりは幸せで 言葉もなかった
  あなたの瞳は かがやいていた
  あかるい空だったよ
  雲が散って飛んだよ
  あなたは花を摘んでいた
  ふたりは幸せで 夢のようだった
  やがて別れの時が来るのも
  知らずに……

3 幸せはみじかく 夢のようだった
  つめたい涙が ほほを流れた
  そよ風がふいていたよ
  花が散っていたよ
  別れの手紙の白さよ
  ふたりの幸せは 虹のように消えた
  別れは人の世のかなしい
  さだめか……

《蛇足》 昭和28年(1953)に発表されたNHKラジオ歌謡の1つ。放送後は、ほかの何十というラジオ歌謡と同じく忘れ去られていました。私も、一度も聞いたことがありませんでした。

 自然の中で生い育つ少年を歌った『少年時代』、幼なじみに心を寄せる思春期の少年を描いた『少年の秋』。その延長線上に、青春期の短い恋と別れをテーマとしたこの『おもいで』があります。

 『少年の秋』と『おもいで』は、私が70代半ばになって初めて知った歌で、その出会いをうれしく思います。
 青春期の恋と別れを歌った作品は数多くありますが、
それらのなかでも、この静かな歌は、とりわけ自分の青春期を思い起こさせ、枯れかけた心に一掬の水を注いでくれる歌になりそうです。

 「うれしくて笑っていたのに、涙がこぼれた」「黙っていても、切ないまでのしあわせ」……いとおしさが深まると、悲しみが出てくる。「愛(かな)し」は「悲し」と背中合わせなのです。悲しくなるまでに人を好きになれる人は少ない。
 しかし、それほどの恋でも、別れはやってくる。別れが苦しければ苦しいほど、その恋の自分にとっての価値が高かったことになります。別れで恋が終わるわけではありません。別れたあとの苦しさまで含めて1つの恋なのです。

 作詞者の中原淳一は、昭和2、30年代に思春期・青春期を送った人、とくに女性ならだれでも知っている名前で、今さら紹介するまでもありませんが、ほんの少し述べてみましょう。

 終戦後、若い女性向けの『それいゆ』『ひまわり』『ジュニアそれいゆ』『女の部屋』を創刊、編集長として女性誌の基礎を作りました。画家として、それらの雑誌に独特の少女像を描くとともに、ファッションデザイナー、スタイリスト、インテリアデザイナー、人形作家、詩人などとして多彩な才能を発揮しました。

 当時の少女雑誌や女性誌では、日本画の伝統を引いた挿画が主流でしたが、彼の描く少女像は、長いまつげに大きな瞳の西洋人形のような顔立ちでした。黒目の中に白い点を入れる手法は、その後の女性漫画家たちに大きな影響を与え、「大きな黒目の中のキラキラ星」という女性漫画特有の描画法が編み出されました。
 多くの詩や訳詞も書いています。シャンソンのなかで私が最も好きな『ロマンス』の日本語詞は、中原淳一によるものです。

 石川皓也(いしかわ・あきら)は、作曲家・編曲家として多くの作品を作っていますが、とりわけビゼーの曲をベースに編作曲した『小さな木の実』は、彼の創造力が遺憾なく発揮された傑作で、多くの人に感動を与えました。

(二木紘三)

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コメント

物侘しい曲で「霧と話した」を思い出しました。
遠い昔の悲しい思い出を連れて来ました。
肌寒い中で聴くと、余計に心が傷みます。

CD ラジオ深夜便 『ラジオから聞えてきた思い出の歌、懐かしの歌』
http://www.nhk-ep.com/products/detail/h15163B1

投稿: なち | 2016年9月23日 (金) 06時14分

思い出というものは、年月を経ないとその時が自分にとってどのくらい価値があったのか、気が付かないものなのですね。悲しいことや辛いことに出会うと過去の楽しかったことが燦然と輝くのです。別れの悲しさまでが切ない甘さに変わってしまうようです。別れの歌を作る人はその切なさを何回も経験されているのでしょうね。私は今、何人の人に恋をしたのだろうと考えます。そして一番好きだった人は誰だろうと思います。真面目な秀才、容姿端麗で80歳になってもきちんとしている人、手紙を段ボール箱2杯くれた人、私を困らせた夫、あの世に逝く時、手を繋ぎたい人は誰なのか自分でもわかりません。
思い出に残る人は誰になるのでしょうか。ちょっと楽しみです。恋というものは不可思議なものです。

投稿: ハコベの花 | 2016年9月26日 (月) 21時01分

なち様のご紹介くださった「霧と話した」という歌を始めて聞きました。恋をした時の霧の中に迷い込んだような不安感が戻ってきたような気がしました。私の22歳は希望と不安が入り混じったまさに霧の中に包まれたような状態だったと思います。今でもその感覚は残っています。
加藤様、舘山寺を訪ねて下さって有難うございました。私が彼とボートに乗った日は初夏の穏やかな日でした。彼が入社した会社のヨット部だと言ったのでボートぐらいは漕げるだろうと思ったのです。私も何回か漕いだことはありました。おまけに言ってしまったのです。ボートが転覆してもこの湖の距離ぐらいは泳げるから大丈夫と・・・
何年かしてあのロープウエイの掛かっている距離を見た時、何と恐ろしいことを言ってしまったのだろうと、ぞっとしました。湖と言っても海と同じです。湖面の下は流れも速いし、服を着たままでは100メートルも泳げなかっただろうと。彼は慣れた手つきで漕いでいたから何事もなくて良かったと今でも思います。それとも二人で湖底に沈んでしまったらもっとロマンチックではなかったかと、恋は永遠になっていたかも。指先も触れないで別れてしまったけれどボートに乗って本当に良かったと思っています。
心の片隅にいつもボートに乗っている2人がいます。この思い出がなかったら私は夫との気の合わない結婚生活に耐えられなかったと思います。加藤様青春時代に帰ることができました。有難うございました。

投稿: ハコベの花 | 2016年9月29日 (木) 20時49分

この歌は初めて聴きました。もっとも、ラジオ歌謡は昭和21(1946)年8月から37年(1962)3月まで、全846曲(日本ラジオ歌謡研究会調べ)が放送されたそうですから、わたしの知らない歌が圧倒的に多いのも当然ですが。
 それにしても、ハコベの花様はお幸せですね。叶わなかったとはいえ、若い頃の甘美な恋の思い出を詰めた「宝石箱」をお持ちなのですから。そして、今になって、その「宝石箱」をそっと開ける楽しみをお持ちなんて羨ましい。わたしの持っているのは、「箱」は「箱」でも「パンドラの箱」の類で、開けたら何が飛び出すか、危なくて閉めたままです。出来れば死ぬまで開けたくありません。まあ、これは冗談ですが。閑話休題。
 作詞家の中原淳一は画家としてだけでなく、作詞家としても活躍していたのですね。《蛇足》に「長いまつげに大きな瞳の西洋人形のような顔立ち」の少女を描いたとありますが、わたしがこどもの頃、かれの絵にカルチャーショックをうけたことを思い出しました。確か小学校5年生の頃です。教室の片隅にある学級文庫、といっても小さな本棚が一つだけの、粗末な文庫ですが、児童図書とともに、少年・少女用の雑誌類も置かれていました。その中に、「ひまわり」という少女雑誌がありました。この表紙絵が「西洋人形のような顔立ち」の少女だったのです。5年生くらいになると、意識的に異性の雑誌を見ようとしません。みんなに冷やかされるのが嫌だったからです。見たい欲求はあるのですが、わざと関心がないように装うのです。わたしもそうでした。ですから、わたしがこの「ひまわり」を手に取ったのは、誰もいない放課後でした。この時のドキドキ感と、その「西洋人形のような」少女の絵の強烈な印象は、今でもよく覚えています。明らかに、それまでの竹久夢二や蕗谷虹児の描く「線の細い、なよなよした」感じの、伝統的な少女の絵とは違ったものでした。今の漫画やアニメに登場する少女の原型が、中原淳一にあるのも頷けます。

投稿: ひろし | 2016年10月 3日 (月) 15時26分

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