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御身を愛す

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:Karl Friedrich Herrosee、作曲:Ludwig van Beethoven
日本語詞:堀内敬三

愛する思いは 朝夕たえず
二つの心は 離るる日なし

なやみも涙も 互いに慰め
憂きも楽しきも 共にわかたん
君と共に

いとおしの君よ
まごころ愛でて

御神は君をば 護り給(たま)わめ
御神は我等を 恵み給わめ
恵み給わめ 我等を


   Ich Liebe Dich

Ich liebe dich, so wie du mich,   
am Abend und am Morgen,
noch war kein Tag, wo du und ich
nicht teilten unsre Sorgen.

Auch waren sie für dich und mich
geteilt leicht zu ertragen;
du tröstetest im Kummer mich,
ich weint in deine Klagen,
in deine Klagen.

Drum Gottes Segen über dir,
du, meines Lebens Freude,
Gott schütze dich, erhalt dich mir,
schütz und erhalt uns beide,

Gott schütze dich, erhalt dich mir,
schütz und erhalt uns beide,
erhalt, erhalt uns beide,
erhalt uns beide!

《蛇足》 K. F. W.ヘルロッセーの詩"Zärtliche Liebe(優しき愛)" に曲をつけたもの。ヘルロッセーの詩は2節ありましたが、ベートーベンは最初の節だけに作曲しました。求愛の歌です。
 わが国では、原詩のタイトルより、"Ich liebe dich" のほうがよく知られています。

 作曲は1795年、ベートーベン25歳のときだったとされていますが、1797年説、1803年説もあります。楽譜は1803年に、ウィーンで出版されました。

 1795年は、ベートーベンの運命が大きく動き出した年でした。その2年前に、ボンからウィーンに移住し、貴族のサロンにおける即興演奏で評判になっていたベートーベンは、1795年5月、満を持して初めての公演を行いました。このとき演奏した自作のピアノ・コンチェルトによって、作曲家・演奏家としての評価が確立されたのです。
 つまり、この小品は、ベートーベンが波に乗り始めた時期の作品ということになります。

 この曲は、テンポによって印象がかなり違ってきます。発表時のテンポがどうだったかはわかりませんが、速いテンポで演奏・歌唱すると、軽快で素朴な民謡調の曲になり、遅いテンポだと、優雅かつ典麗なイメージになります。
 速めのテンポで演奏・歌唱するのが一般的なようですが、ここでは、堀内敬三の荘重な日本語詞に合うように遅めにしました。

 曲の邦題から、大久保武道・愛新覚羅慧生(あいしんかくら・えいせい)の往復書簡集『われ御身を愛す』(鏡浦書房)を思い出しました。第二の"天国に結ぶ恋"といわれた「天城山心中」(昭和33年〈1958〉)の2人で、痛ましい事件でした。これに触れると、ベートーベンの曲より、こっち関係の投稿が多くなりそうだと思いつつ、つい書いてしまいました。

(二木紘三)

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コメント

 おはようございます。この曲がベートーベンだったことをすっかり忘れていました。懐かしく思わず歌ってしまいました。

 中学1年だったと思いますが、ロマン・ローラン『ジャン・クリフトフ』を読みました。確か表紙は緑系で厚さ2センチくらいで上下2冊で2段組みのものだったような気がします。なんで覚えているかというと、兄の新刊より古本のほうがいいよという
勧めがあり、一人で初めて古本屋で買った本でした。表紙の色とロマン・ローランの『大地』を読んでいたので、手に取ってみました。開くと2段組みで隙間なく文字が組まれていました。最初のページに引き込まれてしまいました。

 夢中になり、一気に読みました。この時です、母に「手伝いをしないのなら本を焼く」と言われたのは、読み終わってからの感動は表現のしようがありませんでした。これがきっかけでベートーベンの音楽に夢中になりました。この『ジャン・クリフトフ』は30歳頃まで本棚にありましたが、紙質の悪い本でしたので手放しました。

 第9を作曲するために森(?)の中を散策する描写の雰囲気が今もおぼろげながら感じることができます。

 二木先生、ありがとうございます。このサイトは私にとってなくてはならぬ存在です。「うた物語」で自分の人生の有り様を振り返っている思いがします。ありがとうございます。

投稿: konoha | 2017年6月 1日 (木) 09時25分

 すみません、また訂正です。お使いの途中で、はたと気がつきました。『大地』はパール・バックでした。先に読んでたロマン・ローランの本の題名が思い出せません。お騒がせしました。

投稿: konoha | 2017年6月 1日 (木) 15時26分

konoha様
主人公ジャン・クリストフはベートーベンがモデルといわれていますね。中1でこれを読むとは、恐るべき早熟。

投稿: 釣り人コマツ | 2017年6月 1日 (木) 15時53分

 はい。ませた娘(こ)と言われていました。(笑)『ジャン・クリフトフ』と『大地』を前後して読んで感動していたもので、間違えてしまいました。

投稿: konoha | 2017年6月 1日 (木) 16時02分

こんばんは 二木先生
  ご無沙汰しております

 全く 知らない曲でした

 先生のつぶやきに誘導されて 少し書いてみたくなりました  先生のページで何度も 心中事件 ボート遭難事件 暗殺の場 などに強く心引かれる 自分の不思議さを述べたことがありましたね

 子供のころから そうだったのですから 不思議 不思議  天国に結ぶ恋 琵琶湖哀歌 青葉の笛 鎌倉 大楠公  大好きな曲が並びます

 好きなお寺の一つに 二尊院があることも書きました
二尊院の墓所で 愛新覚羅慧生さんの墓標にであったことも その後 二三回 墓所を廻る機会はあったのですが
 以後 見つけていないことも

 それだけではありません この物語で 何人かの方が推奨されていた 時雨の記 を読み終えたところでした
 藤原定家の隠遁所 時雨亭 は小倉山にあったのですね
二尊院の墓所から 奥深く 小倉山の斜面をはいった休憩場所をみつけています そうです 祇園小唄 にかきました  近くは 釈迦堂 宝筐院  はるか遠くに 東山の風景がみれる  素晴しい所でした  ここなら 時雨亭跡 といってもいいのではと 自分で納得しています
 時雨亭跡は 特定されていなくて 厭離庵  常寂光寺   二尊院    この三箇所のうち どこかだといわれているようです

"Ich liebe dich" ドイツ語を学んだとき 一番に覚えた Ich liebe dich のセンテンスから 伊豆  天城山をめぐって 小倉山の二尊院まで 不思議です

 何らかの 縁 があるのでしょうか

  時代の潮流に流され 狂わされた女性たち

 川島芳子  山口淑子(李 香蘭)  愛新覚羅慧生  嵯峨 浩 ---
 
 そういう時代が 二度ときてはいけないのです

 何か できることはないのでしょうか
  今は 何を書いても この気持ちに集約されます
   何とか ならないのか?????

 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年6月 2日 (金) 21時00分

想像している間の恋は美しく楽しいのに、結婚してしまうと怒りと虚しさで後悔ばかり、「御身よ遠くへ去れ」と願うばかり。それが現実。初恋の人の美しさよ。永遠の人よ。もし会えたら指先が触れただけでもあふれるような喜びで胸が一杯になるでしょう。ただ並んで歩けるだけでも幸せ、それが『時雨の記』なのでしょうね。
今、日本一傲慢で幼稚な夫と妻が日本を好き勝手にしています。誰が許しているのやら、先行きは真っ暗です。

投稿: ハコベの花 | 2017年6月 2日 (金) 23時00分

能勢の赤ひげ様 Ich liebe dich 私も最初に覚えました。フランス語よりも凛とした感じですね。Der(出る)wine Das(出す)bier 半世紀前の思い出です。横浜日本大通りの「Alte liebe」移転しリューアルして最近「逃げ恥」の舞台にも使われていました。先生が蛇足で懸念されておられる愛新覚羅一家ですが、実家の嵯峨侯爵邸があった横浜日吉と今次女「こせい」さんがお住まいの西宮には多少の縁があるのであえて書かせて頂きます。平成25年に福永「こせい」さんが一家に関する資料を関西学院大学博物館に寄贈され、その後展示会と講演会が行われました。
国策に翻弄された生涯は新潮文庫の「流転の王妃の昭和史」に詳しく述べられていますが、「天国に結ぶ恋」は母浩さんにとっては違うようです。書簡集は見たことがありませんが、文庫本では大久保氏はエキセントリックないわばストーカーのように書かれています。母の欲目ということもあるかと思いますが、昭和32年12月の段階で旧憲兵のピストルと実包を持っていたのは異常でしょう。激動の人生を生きた教養ある若い女性が心中とは考えずらく、無理心中と見るのが妥当かと。 

投稿: しょうちゃん | 2017年6月 3日 (土) 07時30分

 本来ならパソコンでの検索ではなく、きちんとした資料に当たって調べるべきのものですが、ちょっと気になりましてパソコンで検索しました。

 Yahoo JAPAN 「天国に結ぶ恋 戦後最初のストーカー事件(?)高崎経済大学」ここに、しょうちゃん様のコメントにありますように「ストーカー」としての記載がありました。参考になりますかどうか分かりませんが、もし事実でしたら映画の影響は恐ろしいものです。決して心中事件なんぞ流行らなかったと思われてしかたがありません。

 慧生さんの優しいお人柄が仇になってしまったのかも知れません。その後の事件もお気の毒としか言いようがありません。息苦しさを覚えてしまいました。

投稿: konoha | 2017年6月 3日 (土) 14時29分

愛新覚羅事件について詳しく知るものではありませんが、事件の推移をネットで知る限りでは私もストーカー事件だと思います。
獲物に狙いを定め、付きまとい、連れまわし、〇人衝動を生じるのがストーカーです。

普通の男の心理は「別れたっていいじゃないか」の歌詞に示されています。

 ♪ 別れたって いいじゃないか
  恋なんて こうじゃないか
  パッと散る 火花だよ
  それっきり寂しいんだ
  ああ 男涙は
  黙って流すさ

これが正常な男の気持ちであって、交際相手を殺したいと思うストーカーの心理は異常で病気だと思います。

つい最近のうた物語で「みじかくも美しく燃え」が取り上げられていましたが、これも少女が撃ち殺された実話をもとにしたそうですね。これも本当に映像と音楽が示すような美しい悲恋の物語だったのでしょうか。私には疑問に思えます。

投稿: yoko | 2017年6月 3日 (土) 22時50分

いろいろな 問題をかかえての 恋愛

庶民でも なかなか悩ましいものです

いわんや 皇族 貴族 の方々の 恋愛 結婚

 曰く言い難し です

無理心中なのか --- 半分以上は 合意の上では

 と 思っています

 慧生さんの最後の手紙に

 私が大久保さんと一緒に行動をとるのは彼に強要されたからではありません  と心中になるだろうとの予測の気持ちが書かれていることと

 伊豆で二人をタクシーに乗せた運転手から
慧生さんが「帰りましょう、ねえ帰りましょう」「今ならまだ間に合うから、帰りましょう」と繰り返し大久保を引き止めていた様子が語られていることからです

 いずれにしても 悲劇です

慧生さんは 「死ぬつもりはなく」「死にたくなかった」けれども、説得できず 帰るに帰れなくなり、死に引きずり込まれて行ったように読み解けるからです


 大久保家からの お話は まず出ないでしょうしーー

しょうちゃんさま の書かれた  愛新覚羅嫮生さんの展示会と講演会 行きたいなぁと思った記憶があります

 関学を下った 甲東園で 15年ほど住んでおりました

また 満州に関しては 家に満州の写真集があり 幼稚園のころから 何気なく覗き見をしていたもので 親近感がありました

 天城山心中が 学習院の 後の学生たちに 何らかの影響を与えたのか 少し気になって  心中の後 5 6年後に学習院の学生になった知り合いにたずねてみましたがーー やはり 語り継がれるようなことではなかったようです

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年6月 4日 (日) 22時14分

能勢の赤髭様 日中のかけはしー愛新覚羅家の軌跡展が関西学院大学博物館でまた開催されるとNHKで放送がありました。

投稿: しょうちゃん | 2017年6月 5日 (月) 21時57分

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