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五番街のマリーへ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:阿久 悠、作曲:都倉俊一、唄:ペドロ&カプリシャス

1 五番街へ行ったならば
  マリーの家へ行き
  どんなくらししているのか
  見て来てほしい
  五番街は古い町で
  昔からの人が
  きっと住んでいると思う
  たずねてほしい
  マリーという娘と
  遠い昔にくらし
  悲しい思いをさせた
  それだけが気がかり
  五番街でうわさをきいて
  もしも嫁に行って
  今がとてもしあわせなら
  寄らずにほしい

2 五番街へ行ったならば
  マリーの家へ行き
  どんなくらししているのか
  見て来てほしい
  五番街で住んだ頃は
  長い髪をしてた
  可愛いマリー 今はどうか
  しらせてほしい
  マリーという娘と
  遠い昔にくらし
  悲しい思いをさせた
  それだけが気がかり
  五番街は近いけれど
  とても遠いところ
  悪いけれどそんな思い
  察してほしい

《蛇足》 昭和48年(1973)10月25日に発売された日本のバンド、ペドロ&カプリシャスのシングル。同年3月10日に発売された『ジョニイへの伝言』に続く大ヒットとなりました。ヴォーカルは、両方とも高橋まり。

 高橋まりは昭和53年(1978)にペドロ&カプリシャスを脱退し、髙橋真梨子(髙は"はしごだか")としてソロ活動を開始、現在も旺盛な音楽活動を行っています。

 『ジョニイへの伝言』も『五番街のマリーへ』も、1960年代以前のアメリカン・ポップスのテイストを感じさせる作品。
 五番街は、Fifth Avenueまたは5th Avenueと表記され、ニューヨーク市の中心、マンハッタンをほぼ南北に走る4~8車線の大通りです。
とくに34丁目と59丁目の間は、パリのシャンゼリゼ通りなどと並ぶ世界最高級の商店街になっています。世界各地にある五番街と呼ばれる通りやショッピングセンターの本家です。

 詞は、昔同棲していた恋人のようすを探ってきてほしいと友人に頼む内容です。自分で訪ねていかないのは、何か会えない事情があるか、あるいは別れたからには、あとを引いたりせず、きっぱり絶縁するという気持ちがあるからでしょう。
 しかし、恋の記憶は脳の深いところに保存されていて、折に触れて表に出てきます。その都度、彼女が今幸せに暮らしているか、困難な状況にいたりはしないかと気になるのです。そこで、消息を調べてきてほしいと
友人に頼んだわけです。このへんのところ、身に染みますねえ。

 五番街は約12キロメートルもある長い通りですから、マリーの家が五番街のどのあたりにあるのかわかりません。私は、南の起点、ワシントン・スクエア公園の近くではないかと想像しました。

 『ワシントン広場の夜は更けて』でも少し触れましたが、この公園を含む一帯はグリニッチ・ヴィレッジと呼ばれ、1950年代までは、東海岸におけるビート・ジェネレーションやカウンターカルチャーの中心地で、若いミュージシャンや作家、詩人、美術家が多く住んでいました。
 
私は、『五番街のマリーへ』の2人が、この時代にグリニッジ・ヴィレッジのどこかで同棲していたら絵になるな、と思ったのです。 

 グリニッジ・ヴィレッジは、その後、高級化が進んだため、アーティストたちはソーホーなどに移動しました。そのころから、ビート・ジェネレーションやカウンターカルチャーはエネルギーを失い始めました。

 『五番街のマリーへ』がヒットしたころ、そのメロディラインがスコットランド民謡『ロック(ロッホ)・ローモンド』に似ていると話題になりました。確かに、真ん中の「マリーという娘……気がかり」を除けば、かなりよく似ています。
 私は、『五番街のマリーへ』の歌詞を『ロック・ローモンド』のメロディに合わせて歌ってみましたが、あまり違和感なく歌えました。都倉俊一作曲『五番街のマリーへ』との情感のずれもほとんどなかったように思います。

(二木紘三)

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コメント

この歌の出現に驚きました。といいますのは数年前私は”うた物語”で知り得たこの曲を繰り返し聴いていたことを思い出したからです。この曲はもうすでにうた物語に登録されていたはずでは、と思いました。

丸一日考え込み、やっとその原因に思い至りました。きっかけは”赤い靴”でした。”赤い靴”の二木先生の蛇足にある”麻布10番商店街”をネット検索しているうちに不意に”懐メロカラオケ 五番街のマリー”に遭遇していたのです。その曲に惹かれてこのカラオケを何度も繰り返して聴いていたことを思い出しました。

この曲のような恋は羨ましいものですが、経験のない私は疑似体験するしかありません。そこで、マリーを私の妻、マリーの様子を知りたがっているのはマリーのお母さん、に置き換えます。

「お義母さん、大丈夫ですよ。マリーちゃん幸せですよ」と思いながら私は亡きお義母さんに歌います。

「お義母さん、大丈夫ですよ。マリーちゃんしあわせですよ」、と私は妻を横目にニタニタしながら歌います。もちろん妻はうた物語を全く知りません。知られたら大変(パニック)ですからね。

”赤い靴”での大場光一郎様のコメントには感動しました。今でも大場様のブログは時折拝見させていただいております。

投稿: yoko | 2017年10月 9日 (月) 13時46分

昔、「まり子」という知り合いが引っ越しをしました。同僚が「行く先を知ってますか」と聞いたので、「マリーは」と言ったら、聞いた人が「マリーは5番ですね」と言ったような記憶があります。その人も知っていたのですね。五番街のマリーにはそういう話を覚えています。いろんな意味で心に残る歌です。

投稿: 今でも青春 | 2017年10月 9日 (月) 17時22分

 初めて聴く歌です。軽いテンポのメロディで曲だけ聴いていると佳いですね。『蛇足』にありましたように「ロック・ローモンド」と同じメロディラインがひょこひょこと顔を出しますね。

 でも歌詞は頂けません。なんですか、置き去りに(?)した彼女をそっと見てきてほしいって。幸せに暮らしているのなら寄らずに帰ってきてくれだって。じゃあ不幸にしてみじめに暮らしていたら、手を差し伸べるというの? まさかね、あなたはそんな男ではないでしょう。

 女側からいうとふざけないでと言う所ですかね。

 恋の終わりの感傷に耽る歌は数々ありますが、この歌詞はだめですね。男の無責任さで恋の思い出に耽っているだけです。もう一つ嫌いな歌詞があります。都はるみの「北の宿から」です。着てもらえぬセーターをなんで寒さをこらえて編まなければいけないのでしょう。まったくブーイングもいいところです。

 反対に山口百恵の「プレイバックpart2」の歌詞はいいですね。「・・・馬鹿にしないでヨ・・・・・女はいつも待ってるなんて・・・」 小気味良くていいですね。さすが阿木耀子さんと思います。

 因に私はこんなみじめな恋はご免こうむります。

投稿: konoha | 2017年10月10日 (火) 16時26分

確かに若い時に心を寄せた相手の事は、高年齢になっても気に掛かります。折に触れ幸せに暮らして居られるだろうかと思いを馳せます。私はその人がどんな家で育ったのだろうかと気になっておりました。パソコンのグーグルマップを知った時、一番に検索しました。山と川のある静かな山村、思いがけないほどの大きな家で驚きました。どの部屋が彼の部屋だったのだろうか、あの窓の向こうで彼は私に手紙を書いたり、本を読んでいたのだろうか。有島武郎の『星座』に心を惹かれて手紙をくれましたね。
私は貴方の家から貴方と一緒に家を出て歩きます。今日はどこまで行きましょうか。橋を渡り大きな樹木に囲まれた神社の前を通り小川の中を覗きます。白い雲を眺め貴方の好きな野菊を手折り安保闘争の話をします。
ああ、ひょっとしたらこんな生活を送ったかも知れない。もし今もお元気だったら一度こんな散歩をして見たかった。夢でも会えたらどんなに幸せだろうか。夢の中で私を貴方の故郷に連れて行って下さい。貴方は今日78歳になりましたね。生きていて欲しいと願っています。

投稿: ハコベの花 | 2017年10月10日 (火) 16時42分

konoha様

歌詞からだけだと一方的に男を断罪することはできないとおもうのですが・・・

女性が住んでいたところから男が追い出された(すなわち振られた)とも思えますし、女性の両親に反対された、あるいは女性に新たな恋人ができたのかもしれません。
 <悲しい思いをさせた
  それだけが気がかり>

これも、未練のある女性に対する男の常套句、言い訳ともとれます。

 <五番街は近いけれど
  とても遠いところ>

おそらく男は彼女に会いたいのだけれど彼女はあってくれない、のですね。彼はストーカーではないですね。彼女にまとわりつくような男ではないですね。影ながら彼女の幸せを願う良い男のように見えるのですが・・・

・・・・・・・
ハコベの花様のお気持ちがよくわかります。学生時代に好きだった女性(交際したことはありません)がまだ結婚されていないことをかなり以に知りました。彼女の近況を知りたいなぁ、デートしたいなぁ、などと時折思います。ただ、空想だけにとどめています。

投稿: yoko | 2017年10月11日 (水) 00時07分

yokoさま
 そうですね、おっしゃりたい気持ちは分からないでもありません。諸々のことがあって別れざるを得なかったことは理解出来ますが、最初のフレーズ 「マリーの家へ行き、どんな暮らしをしているかを見てきてほしい」、そして 「・・・悲しい思いをさせた・・・今が幸せなら寄らずにほしい」

 ここに引っかかりを覚えたのです。彼と別れたあと、マリーは立ち直って彼女なりの生活をしていると思えます。この歌が出来たのは『蛇足』によりますと、昭和48(1973)年で,米国人を想定したとしてもまだまだ女性の経済力は男性には及ばなかったと思います。ウーマンリブ(女性解放運動)は1970年代でした。そのような時代背景を考えると、最初のフレーズに男の身勝手さが透けてきてしまいました。

 まあ私がこの歌詞に文句をつけたかったのは、そのようなことを思った訳です。

ハコベの花さま
 私の場合はちょっとふざけていますが、やはりどんな所に住んでいるのか知りたいと思った思い出があります。

 高校を入学したてのころ、私の教室は2階で、時たま、下のベンチに座って話をしている生徒がいました。よく見ますので友達と顔が見たいねと、彼が座っている時、上から物を落としました。見上げる彼にドキッとしました。・・・(・・・は私の気持ち) 都電通学でしたが、なんと彼も同じ都電でした。ある日彼と乗り合わせて、友達と彼が降りる駅までいってみようとなり、彼が降りたあと2停留所先まで行ってから、折り返し彼の下車駅で降り、彼の住む町を散策しました。

 心を寄せた人はどんな所に住んでいるのだろうと気になりました。 

投稿: konoha | 2017年10月11日 (水) 11時44分

世の中には悪い男もいて、悪い女もいます。騙されて家屋敷や田畑を取られた人を何人も知っています。退職金をそっくり取られた男性は、死ぬまで「あの女は悪くない」と奥さんに言い張ったそうです。狂うということは恐ろしい事です。狂った本人は幸せだったのでしょうね。何が良いのか悪いのかは本人しかわからないようです。

投稿: ハコベの花 | 2017年10月11日 (水) 15時20分

konohaさんは、おそらく幸せな交際に続いて幸せな結婚生活を送り、幸せな老後を送っていらっしゃる方だと推察いたします。一度も辛い別れを経験したことがない人には、恋人と別れてからずいぶん経っても、その身を案じる男の気持ちはわからないと思います。私も、恋というほどのものではなく、高校のとき1年ほどつきあった人と別れたぐらいの経験ですが、こういう男の気持ちはよくわかります。

投稿: 釣り人コマツ | 2017年10月12日 (木) 00時35分

釣り人コマツさま
 ありがとうございます。まず幸せ論はあちらにおいて、マリーのお話をします。私はマリーの気持ちになりました。

 彼とマリーの間はいい時もあり、そうでなかった時もあったと思います。でも結局はひとりは残り、ひとりは出て行きました。男の優しさから出た「悲しい思いをさせた」は百歩譲りましょう。

 残されたマリーはとても悲しくみじめで後悔もし、己れのだめさ加減をいやっと言う程思い知ったことでしょう。ひとり残され、悲しみの中でどうすることもできない波紋が次から次へと生まれては広がっていき、それが限りなく続いているような時期があったとおもいます。

 やがてどの位の月日が流れていったでしょうか、最後に残った小さな悲しみの雫が音もなく落ちてゆき、静かで薄くなった波紋がすうーと広がって消えていったでしょう。

 それからのマリーは自分を取り戻し、マリー自身の生活が始まり、歳月が経ちました。でもマリーの経済は大変だったかも知れませんし、病気をしたかも知れません。そのような生活を送っていたかも知れないし、それこそ幸せな暮らしをしているかも知れません。

 でもずうーと「5番街にいる」と思うのは、彼は一緒に暮らしたマリーの性格や生活振りを知っているのだと思います。だからマリーのことが気になるのでしょう。ですが、マリーにとってそれは迷惑なんです。せっかく立ち直って穏やかに暮らしているのに、彼の感傷から発露した気持ちだけで、マリーは自分を訪ねてきてほしくないと思う訳です。

 一つの見方かも知れませんが、これは男と女の違いだと思うのですが、どうでしょうか。

 さて幸せ論ですが、幸せは十人十色で人様が決めるものでもありません。幸せの度合いは上を見たらきりがなく、下を見てもきりがありません。気の強い女は折れやすいのです。

 かって私は両刃の懐刀を持っていました。ですから返す刀で自分も傷つけてしまいました。因果な性格です。歳とともに刃こぼれをおこし、今はすっか両刃のないまあるい懐刀になってしまいました。それこそ幸せなのかもしれませんね。

 マリーも彼も甘いも酸いも解る高齢になって、かって深く愛し合った二人が再会する時がくるやもしれません。そしてまた二人で生活を始めるかも知れませんね。

投稿: konoha | 2017年10月12日 (木) 11時02分

これだけのセリフの中からでは、どうだったなんてくみ取れません。多分二人の間には、色んなわけがあったのでしょう。でも男性の愛を感じます。この曲が成り立っているのは、彼女の愛も感じられるからです。それは今でもそこに暮らし、その場所を否定していないからです。

投稿: junko | 2017年10月12日 (木) 13時16分

なるほど・・・

何らかの理由で彼は出て行った。しかし彼女はいつか彼が帰ってくると信じ五番街のアパートで待っている。そして月日が経ち彼は帰って来た。五番街の近くまで来て彼はためらっている。もし彼女が結婚して幸せになっているのなら逢わずに黙って去ろうと考えている。

この構図ですとなんだかハッピーエンドが予感されますね。

投稿: yoko | 2017年10月12日 (木) 17時03分

そうですね。マリーと彼は5番街のあのアパートで、とも白髪で穏やかで素敵な愛に包まれて暮らしているかも知れませんね。

投稿: konoha | 2017年10月12日 (木) 17時21分

この歌はハッピーエンドで終わっては歌になりませんよね。桃太郎さんではないのですから、もっと厳しい結末でなければ余韻を残す歌にはならないと思います。最低の結末になってこそこの歌の意味があると思います。それぞれの心で考えたらいかがでしょうか。

投稿: ハコベの花 | 2017年10月12日 (木) 19時32分

yoko様、konoha様                                    上手くまとめてくださいました。幸わせにしてくださってありがとうございます。  でもマリ-はまだ白髪ではないのです。今でも髪の長いかわいいマリ-なのです。 
       

投稿: junko | 2017年10月12日 (木) 20時00分

外国の哀しいお話より、戦後の焼け跡の子供のほうが私には悲しみが身近に感じられます。結核、肺炎、疫痢、日本脳炎、などなど栄養失調のためにどれほどの子供が命を落としたことか、戦後に生まれた方々には理解できないと思います。それ以上に戦火で焼かれた子供のほうがもっと多かったと思います。運よく生きながらえましたが、何回か私も風邪がもとで死にそうになりました。子供の命が断たれないような国になって欲しいですね。マリーさんは大人ですから最低でも飢えてなくなる事は無いと思います。

投稿: ハコベの花 | 2017年10月12日 (木) 23時52分

マリーが元恋人であるとは、内容からは必ずしも断定できないですよね。
一緒に住んでいた彼女の子どもかもしれません。
彼女と喧嘩をするなどで、悲しい、あるいは怖い思いをさせたので、ちゃんと成長しているか、あの可愛いマリーが嫁に行ってるかどうかが気になる(複雑な感情がある)という受け取りかたも可能でしょう。

投稿: 通りすがり | 2017年10月13日 (金) 09時40分

1979年に一年間ニューヨークにいて、コロンビア大学で英語を学んでいました。フイールド・トリップでワシントン広場に行きました。同行した日本人の若者(私より10歳ほど若かった)は「ワシントン広場の夜は更けて」を知らなかった。構わずに歌ったことでした。

投稿: 江尻陽一 | 2017年10月14日 (土) 06時07分

 マリーに背を向けて出て行った彼は、ワシントン広場を襟を立てて歩き、「黒い落ち葉がただひとつ 風の吹くまま舞っている ・・・男心を誰が知る」

投稿: konoha | 2017年10月14日 (土) 06時39分

この欄のコメントが「五番街・・・」で10人分埋まることを期待しています。歌詞のことはあまりコメントしたことがありませんが、ときに参考になることがあります。作者が思いをこめた時はよく伝わります。この歌は男の人が昔の女の人を思いやったと思っています。

投稿: 今でも青春 | 2017年10月15日 (日) 10時51分

junko様の、マリーが今も同じ場所に住んでいることに彼女の愛が感じられ、それがこの歌を支えているというお考えを拝読し、歌への理解を深める事ができました。
阿久悠さんの歌詞の「悲しい思いをさせた」の所を心に沁みる美しい歌詞と感じ、男の共にくらした女に対する普遍的ないたわりの結晶のように感じます。(たとえ別れなどと無縁なカップルでも、わがままや不如意やいたらなさで悲しい思いをさせることがあると思いますから)

投稿: kazu | 2017年10月16日 (月) 02時01分

 「五番街のマリーへ」を聴くと、美しいメロディに乗せて、遠い昔に別れた女性に対する男性の切ない思いが伝わってきて、昔から現在につながる長い時の流れを思い起こさせます。昔愛した女性が(何らかの理由で恋愛が成就せずに別れた)、現在、この空の下で、元気で幸せに暮らしているだろうかと思う男性側の心情は、一男子として、そのようなこともあろうと、共感できます。男性側の身勝手、あるいは、思いあがりでしょうか。
 なお、「五番街のマリーへ」のメロディが、スコットランド民謡「ロッホ・ローモンド」とかなり似ていることにつきましては、確かに、聴くたびに多少は気にはなります。思うに、欧米の原曲に日本独自のタイトル・歌詞を付けた、例えば、「故郷の空」や「冬の星座」は聴いても、歌っても何ら違和感がありませんが、その違いは、メロディが100%同じではないというところにあるのかも知れません。
 

投稿: yasushi | 2017年10月16日 (月) 10時49分

別れた理由は人によっていろいろあると思いますが、Yasushi様が言われたように長い年月、彼が私の事を心の片隅ににとどめて置いてくれたら、それだけで本当に幸せな事だと思います。恋するということは永遠なのですね。
いつも元気で生きていてほしい。素敵なお嫁さんを貰ってほしい、そればかり思っていました。私が哀しい時「大丈夫だよ」と言ってくれているようでどんなに慰められたことか。別れてもいつも私の心の中にいてくれた人、貴方に出会えたことで生きていられました。感謝しています。

投稿: ハコベの花 | 2017年10月16日 (月) 21時35分


この曲をきくと

 ある友人の人生を考えてしまいます

 ドイツに十数年暮らし 正真正銘マリーと恋をし
   結果 日本に帰り 親の薦める結婚をした彼です

 ドイツで哲学を 学び 教え 家のことを考えず
   そのまま 教員としての生活を選択しておればーー

 彼には 小市民的幸せが永遠にあったのでしょう

 でも その決断はしなかった

 華麗なる一族に匹敵するほどの名家  その唯一の男子の後継者  親の病気のタイミングで 社長業をつぎ 日本に帰る決心をした    40年ほど前に ある病院で初めて出会った   関西ではもっとも高級病院で オーブンシステム (患者さんが好きな主治医を他の医療機関からつれてこれる 手術も高名な尊敬できる医師にしてもらえる) ここは全室個室なので 誰かどこにはいっているのかもわからない
 部屋代は 一泊4.5万円  保険診療は適応されない  医療費は 自費 でした

 一人が二三週間入院すれば 当時 BMW を一台買えるくらいかかったでしょう 

僕とほぼ同い年の患者さんが 部屋からちらっと見えたりして  ここな病院にこんな若い方がおられるのが不思議でした  気になって カルテに目を通したりはしていたのですが  主治医でもなく 何も手を出せず 傍観者だったわけです  翌日の勤務帰り 先輩の外科の部長が 彼 電解質が可笑しくなって痙攣していたのですよ  なんておっしゃり 自信なげなので 明日から僕が診ますといって 主治医になりました  みてみると 炎症が強く 虫垂炎と右尿管結石の同時発生と診断し 手術をしたのです
 一般の方は わからないですね
 虫垂の手術と 尿管結石の手術では腹を切開はしますが
 創部へのアプローチが異なります
 虫垂の手術は僕が主に 尿路系手術は 奈良医大の前助教授が執刀しました  術後二日目 腹部のレントゲンを見ると なんと ガーゼが一枚腹部に残りうつっているではありませんか  レントゲンの位置から 写っているのは尿路系のほうで 僕の責任は少ないとは思えましたが  誰ががきっちり謝り できるだけはやく除去しないとどうなるか心配ですので  僕が行きますと いい
 謝り ガーゼ除去をさせていただきました
 そのときの 僕の態度に共感・信用いただき そのご絆のつよい友人となっていきました

 その後 彼が社長となり 約二年(従業員一万人ほどの大会社)ほどして 詳しくはわからないし 真実はわかりませんが 銀行融資をストップされ あれよあれよというまもなく 倒産  500億の倒産劇でした

 彼が何とか 満足できるだけの生活・地位にもどれないかと いろいろ骨を折ってみましたがーー  世の中 思うようにはいかないものですね  人間関係にも あらぬところからもひびが入り 友情崩壊  マリーを聞くたび
 過去の平穏な明るかった若い時代を思い出し      涙します

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年1月 8日 (月) 17時24分

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