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小諸なる古城のほとり

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詩:島崎藤村、作曲:弘田龍太郎

     一

小諸なる古城のほとり 
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊(おかべ)
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
(むぎ)の色わづかに靑し
旅人の群はいくつか
畠中(はたなか)の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
  (曲はここまで)

     二

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれひ)を繋(つな)

《蛇足》 前半の一の3聯は、 文芸誌『明星』の創刊号(明治33年〈1900〉4月)に『旅情』という題で発表されたのが初出。
 後半二の4聯は、文芸誌『文界』の同年4月号に『一小吟』という題で掲載されたのが初出。

 明治34年(1901)に詩集『落梅集』を刊行した際、『旅情』は『小諸なる古城のほとり』、『一小吟』は『千曲川旅情のうた』(目次には「歌」)とそれぞれ改題して収録されました。
 『千曲川旅情のうた』は、大正6年
(1917)9月刊の改刷版『藤村詩集』では、『千曲川のほとりにて』と改題。

 さらに、昭和2年(1927)年7月発行の自選詩集『藤村詩抄』では、両詩が『千曲川旅情の歌』という一つの詩にまとめられ、それぞれ一と二になりました。

 弘田龍太郎が『小諸なる古城のほとり』に曲をつけたのは、大正14年(1925)8月31日のことです。以後、自然に対する藤村の感性を最大限に表現した名曲は、今日も多くの人たちに愛される歌曲となっています。
 同じ頃、弘田龍太郎は、
『千曲川のほとりにて』、すなわち『千曲川旅情の歌』の二にも曲をつけていますが、こちらはメロディが複雑で歌いにくいせいか、あまり人気が出ませんでした。

 私は少年のころ、『千曲川旅情の歌』では、二の「昨日またかくてありけり……」の聯がいちばん好きでした。
 『千曲川旅情の歌』は、基本的には叙景詩ですが、この聯だけが詩人の心模様を描いています。あくせくしないで、十年一日のごとき人生を送りたいと思っていた私の心にピタッとはまったのです。変化を求めるのが普通の年頃の少年としては、かなり異質ですね。

 藤村は明治32年(1899)、旧知の牧師・木村熊二に招かれて、長野県北佐久郡小諸町の私塾・小諸義塾(のちに旧制中学校)に国語と英語の教師として赴任します。
 この時代に、佐久一帯を歩き回り、そこで見聞きした自然や人びとの生活を文章にしたのが、エッセイの傑作『千曲川のスケッチ』です。

 『千曲川のスケッチ』で文章を書くおもしろさに目が開かれたのでしょうか。藤村は詩を捨てて小説へ進むことを決意します。そうして書き始めたのが、『破戒』です。
 この執筆に専念するために、藤村は教師を辞して、東京に出ます。
従来の出版社と著者との関係に疑問を持っていた藤村は、自費出版で完成した小説を世に問う決意をします。

 しかし、もともと薄給の教師だったので、ほとんど貯えがなく、自費出版の費用どころか、生活費にも事欠く状態でした。
 けっきょく、函館にいる妻冬子の父と、小諸時代に親しくなった若い大地主・神津猛の援助で、ようやく出版することができました。

 結果は大成功で、自然主義文学の傑作という評価を受け、ベストセラーになりました。以後、藤村は大作家への道を着々と歩むことになります。
 しかし、『破戒』が成功するまでの生活は悲惨で、その日の食事にも困るような状態でした。そのためか、幼い3人の娘を栄養失調で亡くしています。
 詩人や作家の妻
(夫も)になる人は、相当の覚悟が必要ですね。

(二木紘三)

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コメント


 管理人様、皆様、おはようございます。
 この詩は高校生のとき、教科書で出てきました。三の「嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし」
で詩のロマンを知りました。
 また、この詩は知っていましたが、歌になっているのははじめてです。いい歌なのです。

投稿: 今でも青春 | 2018年6月13日 (水) 08時45分

この詩は中学1年生の国語の教科書で出会いました。
私の孫が現在中1ですが果たして今の子たちの心に
響くでしょうか。
当時の私は暗唱しクラス全員の前でも披露しました。
(もちろん教師の指名で)
管理人様同様に「昨日またかくてありけり……」の部分が好きでした。憂い深い文学少女足りし日々が懐かしく甦ります。

投稿: りんご | 2018年6月13日 (水) 09時14分

即の訂正

いくら何でも中1は考えられませんね。
中3であったと訂正致します。

投稿: りんご | 2018年6月13日 (水) 09時16分

 高校2年のとき現代国語の教科書に出てきて、暗唱を義務づけられました。 何か節(メロディ)でもつけて覚えようかな、と思いました。
当時は弘田龍太郎のメロディがあることなど全く知りませんでした。
 復唱に復唱を重ね、なんとか諳んじることが出来るようになりましたが、若かったんですね、こんなに長い詩を覚えられたってことは…。
 後年、弘田龍太郎のメロディを知ることになりましたが、格調高すぎていまひとつ馴染めません。そこで邪道ながら他の歌のメロディを拝借しようとあれこれ探してみましたが、なかなか見つかりません。
 実は、この五七調型式の歌は極めて少ないのです。 七五調の歌はかなり多いのですが…。 やっと見つけたのが、やはり藤村の詩に大中寅二が曲を付けた『椰子の実』でした。 しかし『昨日またかくてありけり…』には合いますが『小諸なる…』には尺が足りません。
 それでも諦めることなく、やっと探し当てたのが、船村徹作曲、舟木一夫歌唱の『夕笛』でした。 これだと『小諸なる…』も『昨日かくて…』も歌えることになりました。
 藤村は弘田に直接曲付けを依頼したそうです。 格調高いメロディに
大いに満足したと思われますが、私としては大中寅二のような「人口膾炙」的なメロディを弘田龍太郎にお願いしたかったです。俗人の願いですが……。

投稿: かせい | 2018年6月13日 (水) 11時11分

二木先生

   こんにちは

  すばらしい この曲のアップ
        ありがとうございます

 日本人のもつ 崇高といえるほどの清らかさ
   穏やかさ  桜をめでることに喩えれる 潔さ

  そういう 日本人の心の原点に 
       至りもどしてくれる曲です

    声楽家こそが歌う  ---
       いい調べです


 僕の私見ですが

  荒城の月  作詞:土井晩翠  作曲:瀧廉太郎
  小諸なる古城のほとり 作詩:島崎藤村 作曲:弘田龍太郎
  白鳥(しらとり)の歌 作詞:若山牧水 作曲:古関裕而
  平城山(ならやま) 作詞:北見志保子 作曲:平井康三郎
  初恋  作詞:石川啄木 作曲:越谷達之助
  ふるさとの  作詞:三木露風 作曲:斎藤佳三

   これらは  僕の頭では
      同じ ジャンルにはいります


  日本人的 堅き涙  へと分類されます

   これらを 基として  唱歌  歌謡曲への
      さまざまな変遷があり
   種々の 名歌が生まれたのでは と思えます

  人口に膾炙しなかったから
     のこっていった 名曲と考えています


 
  少し話しは  かわります

 ドイツリードで 芸大出で日本一になったことのある知り合いがいます 

  彼女たちは ピアノの伴奏の横で
     一時間も 二時間も歌い続けます

  彼らにとっては オペラ??
     これは 休み休み歌えるでしょ
         という感覚です


  プライドがあるから 努力があり
        傷つくこともあり
      また 日本一にもなれるのですね

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年6月13日 (水) 13時20分

中学2年の時の国語の先生は、
授業の前に「波浮の港」「仕事の歌」等を教えてくださり、
色んな詩も暗記させられました。
「小諸なる古城のほとり」 「道程」 「冬が来た」
「はとをとばせにいくんです」「国破れて山河あり」・・

あるMIDIのサイトは番号を書いてあるので3番まであると思っていました。
藤山一郎さんの歌を聴いたことがある筈と調べたら、
お気に入りにしているサイトでした。
作曲 唄  岡本敦郎 もあるようですね。
ネットの歌碑も見て来ました。

投稿: なち | 2018年6月13日 (水) 13時35分

私は岡本敦郎の作曲で本人の歌っているレコードでおぼえました。暖かな声で、誰もが歌えるような作曲です。今、㏅をかけて聴いてみました。良い歌です。若い時からこのメロディで聴いていました、弘田竜太郎作曲のCDも持っています。木村宏子が歌っています。難しくて詩情がどこかへ飛んで行ってしまうようです。岡本敦郎はお勧めです。
初春の情景が浮かんでくるようです。
この詩を覚えたのはやっぱり中学3年でした。一生懸命暗唱して、社会科のテストの裏に書いておきました。先生が丸を付けて返してくれました。美しい詩を初めて覚えたと思います。

投稿: ハコベの花 | 2018年6月13日 (水) 14時04分

 皆様のコメントを拝読しながら、授業で暗記させられているんだなあと感心してしまいました。出だしの「小諸なる古城のほとり  雲白く遊子悲しむ」 はまだ見ぬ小諸、千曲川への憧れを募らせました。

 藤村の詩との出会いは、「椰子の実」の歌からでした。ゆったりと大海原をいく椰子の実、子供心にもいいなと思っていました。教科書以外で最初に手にしたのが『若菜集』でした。「まだあげ初めし前髪の  林檎のもとに見えしとき」の初恋、高楼、傘のうちなどは想像を逞しくしていました。ほか何編かの詩を読んだあと『夜明け前』を読みましたが、詩のほうが好きでした。
いつかは千曲川へ行こうと思いました。そして千曲川のほとりで「・・・千曲川柳霞みて  春浅く水流れたり・・・」を想いたいなと思っていたのですが、後年、実際に千曲川沿いを車で走った時は、そのことは忘却のかなたでした。

投稿: konoha | 2018年6月13日 (水) 20時29分

お礼を申し上げます!
学校で習ったと思いますが、義務付けられなくとも詩の美しさに、暗唱せずにはいられませんでした。
私はテレビをほとんど見ないので、最近の消息は存じませんが、若い米良美一さんがバッハ・コレギウム・ジャパンで歌っていたころの、日本歌曲のCDを持っていて、この歌をよく聞いています。澄んだカウンターテナーの歌声がとてもきれいです。

投稿: nobara | 2018年6月13日 (水) 20時37分

 みなさん中学校や高校で暗唱されたんですね。
 後年25、6歳のころ千曲川を見ましたが、印象があまり残っていません。ああこれがそうなんだと思っただけでした。
 なはり感受性の違いからでしょうか。

投稿: 今でも青春 | 2018年6月13日 (水) 20時42分

待ちに待っていた大好きな藤村の詩、UPしてくださり有り難うございます。

しかし、歌曲としての(弘田龍太朗:作曲)この曲は、何度聞いても難解ですっと入ってきません。
弘田龍太朗といえば、童謡唱歌などでも素晴らしい曲がたくさんあり、中でも「浜千鳥」「叱られて」等のように、叙情的な曲調のものもあります。

”人口に膾炙しなかったから、名曲として残っていった”という捉え方も分からない訳ではありませんが、これだけ人口に膾炙した叙景詩ですから、曲も叙情的な流れるようなメロデイーとして欲しかったと思います。

小諸~千曲川~浅間山は、忘れられない思い出の風景です。
懐古園の(小諸城)の天守閣跡から眼下に流れる千曲川、遠くたなびく浅間の煙・・誰でもが、思わず”小諸なる 古城のほとり~”と、口遊んでしまいたくなるような、正に叙情的で表現のしようがありません。

懐古園から、千曲川よりに歩いて間もない所に、藤村が小諸義塾時代に足繁く通ったといわれる中棚荘(中棚鉱泉)があります。
千曲川いざよう波の 岸近き宿にのぼりつ・・・と、ある 岸近き宿が、中棚荘で、シニア向けのゆっくりと落ち着ける宿です。内湯や露天にも たくさんのりんごを浮かべて、湯船のそばまで畳敷き、思わず長湯をしてしまいそうです。

6~7年前に、再び訪れた時に、懐古園のすぐ側に、寅さん記念館が出来ていたのには、驚きました。

投稿: あこがれ | 2018年6月13日 (水) 22時46分

 なち様とハコベの花様のコメントで、岡本敦郎の作曲・歌唱があることを初めて知りました。 残念ながらYouTubeには揚がってませんでした。
 藤村は弘田龍太郎に作曲を依頼する時に、歌曲風にとお願いしたのかも知れませんね。 あくまでも憶測ですが…。
 北原白秋作詞の『砂山』が中山晋平と山田耕筰の二人によって作曲されていますが、藤村は山田耕筰風がいいなと思ったのかも知れませんね。 
 小諸にある「懐古園」には二度訪れました。一度目は24才の頃、まだ暗唱効果が残っていました。二度目はそれから30年後。 『小諸なる古城のほとり…』はしっかり残っていましたが、『昨日またかくて…』は
所々どこかへ飛んでいってました。 そういうことがあって、他の歌の
メロディを借りて覚えることにしたわけです。 甲斐あって、また通して暗唱出来るようになりました。 おまけに弘田龍太郎のメロディでも
唄えるようになりました。 皮肉なものです。
 
 
 

投稿: かせい | 2018年6月13日 (水) 23時31分

岡本敦郎さんの試聴のページを見つけました。
このメロディーは覚えやすいですね。
http://mora.jp/artist/127351/list

YouTube 唄 ベルトラメリ能子 は、1903-1973
1936年3月発売ですが、最初に唄ったのは誰でしょうね。

投稿: なち | 2018年6月14日 (木) 06時52分

なち様
ありがとうございます。
しみじみと胸に染みてきます。
一方で弘田龍太郎の高尚な曲にも魅かれます。

昨夜遅くまで検索しても辿りつけずあきらめていたので
嬉しさ一入です。
お助けマン?お助けウーマン?のなち様ですね。

投稿: りんご | 2018年6月14日 (木) 07時52分

 なち様
 試聴ページのご教示ありがとうございました。
声楽曲と違い、気負いのない岡本敦郎の歌唱がいいですね。
曲調を知ることが出来てあり難く、嬉しいです。

 私も、りんご様同様、なち様は探索女史なのかなぁ、と文体から感じたり
することがあります。はてさて……? …。

投稿: かせい | 2018年6月14日 (木) 11時35分

歌曲としての「小諸なる古城のほとり」は、確かに格調高く品位に溢れていることは、間違い無いと思います。
それに、五七調の文体は、今まで私達が聞き慣れた「山のけむり」や「あざみの歌」のような七五調の叙情的で流れるような曲作りは、難しかったかも知れません。

因みに、かせい様 の仰る舟木一夫の「夕笛」に合わせて歌うと、ぴったりと当てはまります。しかし、ぽつんぽつんと単調なメロデイーのくり返しになりがちで、ともすれば曲全体のふくらみと情緒に欠けてくるような感じがします。
もし、弘田龍太朗なら どんな感じで作ったのだろうか?という思いもしますが、ここは素直に歌曲としてのこの曲を讃えます。

蓋し、七五調は五七調に比べて軽快な感じがしますし 普段からそのテンポや口調の良さから、口遊みやすいという先入観もあります。
例えば、”石川や 浜の真砂はつきるとも 世に盗人の 種はつきまじ”のような、歌舞伎の名セリフなどの軽快な口調に慣らされているから、口遊みやすいわけです。

それに比べて、五七調は 諳んじるにはよいが、曲を口遊むには少し慣れにくいと感じたりもしますが・・

あくまで 私の勝手な主観です。

投稿: あこがれ | 2018年6月14日 (木) 13時46分

 YouTubeで弘田龍太郎メロディ、またなちさま紹介の岡本敦郎メロディを聴いていまして、誰か別のトーンで曲を創っている人はいないかなと探してみました。六条時雨作曲でありました。多分本人が歌っている感じですが、フォーク調といいますか、ポップス的なメロディでした。歌曲も好きですが、六条時雨曲がなんとも言えない旅情を誘ってきます。

YouTube「新 千曲川旅情の歌 小諸なる古城のほとり 六条時雨」で聴けます。

投稿: konoha | 2018年6月14日 (木) 15時02分

konoha 様
六条時雨氏の曲の紹介ありがとうございます。
konoha 様、なち様の情熱と探求心に感銘です。
このうた物語はまたとない癒しと向上心を誘うブログです。
二木先生に感謝いたします。

投稿: リンゴ | 2018年6月14日 (木) 15時21分

  皆様の コメントに目をやりながら

   やはり 聴きたいのは
 
  弘田龍太郎氏 作曲の 

   この  小諸なる古城のほとり (歌曲) なのです

   皆様に  平に平にご容赦を  
     と 頭をすりつけるつもりで
            書いています

  頑固で こだわり屋の 赤ひげ ここにありです
    
    神々しいまでの 清浄な情景
      光あり 霞あり 影もある
         朝があり  夕がある

     小諸 浅間 佐久
       信濃の 地名もふんだんに容れ

    文字を使って  絵が描かれていく

   詩人 島崎藤村氏の 稀有な才能 面目躍如の詩
      なのでしょう

  また その詩に あわせられた 弘田氏の曲づくり

   どれだけの 推敲がなされたのだろう

  何度も 書いては破り 書いては破りしたのでしょうね

  これしかない これ以上ない
   この感覚で   練りにねられた 曲と思えます

  この曲の作成時の 藤村と弘田氏の 係わり合い
   はどういうものであったのか  興味深いです 


  僕の診察室の真正面 シャーカステン上方に

    三点の絵が飾ってあります

  美術教師 をしながら  画家として  個展もよくひらいた 
     同級生の遺品です

   その 向かって右にかけているのが
     「しろがねの丘辺」
    副題として 
      藤村の
    「千曲川旅情のうた」の一節よりイメージして

      と書かれています

  やや 抽象的に書かれているとおもうのですがーーー
   三号の絵の  下部九割が白のペイントで塗りつくされています
   横線が  近景と思われるところはやや太く
    遠くなる 上部になるほど細く
    黒 黄色 の線 が何本か 描かれています

   その白色部の下三分の一には

    ブルーで  短冊形の模様が
    その両端は 強調されており 真ん中は
    かすれたタッチで 下の白色が強く主張されています

  上方に目をやると 黄色とブルーが基調の 夕焼けを
     描いているかな と思える部分があり

  そのなかには 小さな縦線がかかれ  
   佇む人の後姿が  日が落ちるのを愛おしく思っている
     ようにもとれる  
      情景となっています

  友が  何を連想し 自分のどういう心持を伝えたかったのか  
   今となっては 解りえません

  しかし 色遣いといい  ペイントの乗り具合といい
   僕にとっては とても 心落ち着く一品です


  かせいさまが

  砂山について 記述されています

  僕が  堅き涙 と書いた六曲には  砂山
   は いれなかったのですが

  次に 入れるべきは
   作詞 北原白秋 作曲 山田耕筰
     の 砂山だと 考えていました

   同じことを 考える その偶然に驚きました
   申し訳ないのですが 中山晋平作曲ではないのですね


  どの曲も
    歌う方も 演奏されるかたも  また 聴く人間も  
   姿勢を正し 裃をつけるような 感覚にされる
      曲たちです

   素晴らしい  先人 に乾杯
     
       感謝 感謝です

   


  

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年6月14日 (木) 17時32分

舟木一夫の「夕笛」を初めて聴いたとき、あれ、これ三木露風の「ふるさとの」のパクリではねえの、と思ったものです。出だしは、言葉は違うものの、「ふるさとの」のイメージだし、3番の「君泣くや妻となりても」にいたっては、母を妻に置き換えただけ。しかも、全体として口語なのに、この部分だけ文語。ああ、西條老いたり、と思いました。

投稿: 通りすがり | 2018年6月14日 (木) 18時56分

 『小諸なる古城のほとり』を藤村が七五調型式で創っていたら、弘田龍太郎は『浜千鳥』のような、もっとわかりやすいメロディを付けていたのかもしれないなぁ・・と思ったりします。
 『浜千鳥』『鯉のぼり』『雨』『春よ来い』は七五、『叱られて』は八五と、五七調はありません。作曲家にとって、五七調は作りにくいのかもしれません。 そういう意味では弘田龍太郎は、この『小諸なる…』をよく仕上げたなぁと感心します。
 そもそも私は、この『小諸なる…』を暗唱するのは好きですが、節を付けて唄うことは良しとしません。 高校のとき、強制的に暗唱を課せられたので、何かいい方法はないかと思いついたのが、メロディに乗せることだったわけです。 ですから現在、弘田龍太郎のメロディでも
『夕笛』のメロディでも通して唄う事はないのです。
 
 世の中に五七調の歌がいかに少ないか、この『小諸なる…』の一件で
よくわかりました。「うた物語」で探せたのは、『川は流れる』『栄冠は君に輝く』『小諸なる…』『椰子の実』の4つだけでした。 
 そして、藤村の詩も七五が殆どで、私が知り得た五七は『船路』『椰子の実』『千曲川旅情の歌』の3つだけです。 雑学的ですみません。

投稿: かせい | 2018年6月14日 (木) 20時30分

 連続投稿 平にご容赦ください。
 「うた物語」にある五七調の歌、『ふるさとの』を忘れてしまいました。
 4つですね。まだあるかもしれない・・・。

投稿: かせい | 2018年6月14日 (木) 20時50分

藤村は詩の韻律研究のため明治31年に東京音楽学校のピアノ専科に入学しています。『落梅集』が刊行されたのは明治34年で、その中に「千曲川旅情の歌」も「椰子の実」も含まれています。藤村は曲になることをある程度意識して、あえて五七調を選んだのではないでしょうか…?あくまでも私の勝手な想像ですが。

投稿: nobara | 2018年6月14日 (木) 22時26分

 あこがれ様
 五七調と七五調の比較は難しいと思いますが、私の卒業した中学校は五七調でした。後年、いろいろ調べてどっちだったか確認しました。七七調も交じっていました。
 やはり、どうも歌いにくい感じではあります。高校は五七調、七七調、七五調が交じっているようです。
 どうも難しい話になって参りました。申し訳ありません。

投稿: 今でも青春 | 2018年6月15日 (金) 17時10分

6月14日22時26分の投稿で、変換ミスをしました。
詩の韻律研究のため、明治31年に東京音楽学校のピアノ選科に入学、とすべきところ、ピアノ「専科」と変換しました。
新潮社の古い藤村の詩集を見ながら書き込みました。
ミス続きでご迷惑をおかけしているので、体力が回復するまで
投稿を自粛いたします。

投稿: nobara | 2018年6月15日 (金) 17時58分

nobaraさま
 まだお身体は本調子でないようですね。でも自粛なんておっしゃらないで下さい。私は根がおっちょこちょいな上、右手の塩梅が悪く、一本指打法なもので、タッチが弱いと文字が抜けてしまいます。それでも楽しくて止められません。
ゆっくりと続投をお待ちしています。

投稿: konoha | 2018年6月15日 (金) 18時17分

nobara様

ミスは、誰にもありますし、殆ど気になさることはありません。
私などは、ミスや失敗だらけで、未だに削除して貰いたいようなコメントがたくさんあります。

ご体調が優れないようですが、このサイトは、二木先生はじめ、皆さん 優しくて心の広い方々ばかりです。ご無理のない範囲で、コメントを続けてくだされば, 楽しみにしておられる方もたくさんいらっしゃると思います。
コメント投稿するのも、心身とも格好の治療法かもしれませんよ。

時節柄、ご自愛お祈りしています。

投稿: あこがれ | 2018年6月15日 (金) 18時48分

nobara 様
ドンマイどんまい!!
私は誤字脱字の常習犯。
時折、投稿自粛を決意するが淋しくて訪問してしまいます。最高傑作は母さんの歌のコメントです。
キーボードが不具合で買い替えたはいいがケチして安いのを選んだので使い勝手が悪く誤字脱字のオンパレード。今からでも管理人様に削除をお願いしたいほどです。
体調の回復を祈っております。
尚、キーボードはその後買い替えました。

投稿: りんご | 2018年6月15日 (金) 20時09分

nobaraさま
始めてお便りいたします。
nobaraさまのコメントを毎回、楽しく拝読させていただいております「うた物語」仲間の一人です。
「小諸なる古城のほとり」・・・私にとっては、初めて聴く曲でもあり、正直言ってよく理解いたしておりませんが・・・
ご投稿ミスでお悩みのご様子ですが、この「うた物語」サイトの仲間の皆様からも励ましと続投のコメントも拝読いたしておりますので、暫くご休息いただき、是非、以前のような心温まるコメントを心からお待ちいたしております。
失礼がございましたら、ご容赦のほどよろしくお願いいたします。

投稿: 一章 | 2018年6月15日 (金) 20時40分

 小諸という地名は、藤村のこの詩によって、私の脳裏に記憶されました。この詩は、小諸を知名度全国版にした功績があるのではないでしょうか。千曲川を望んで小諸城が遠景として配置され、早春の川岸の風景と憂愁の情感を綴った名詩です。
小諸城は何か戦跡のある城かと、高校生の頃、勝手に想像しましたが、調べてみるとそういう事実もなく、「こもろ」という不思議な音の響きを糸口に、読者を藤村の世界に引き込む仕掛けのように思いました。

 古城と大河の対比表現といえば、李白の『早発白帝城(つとに はくていじょうを はっす)』を思います。
朝に辞す 白帝彩雲の間
千里の江陵 一日にして還る
・・・・・・・
というものです。
幾多の争奪戦で知られた断崖に立つ白帝城と激流で知られた長江の三峡付近の風景をうたったもので、男性的な雰囲気に満ちています。一筆でさっと書き上げた水墨画の風情があります。一方藤村の詩には川辺の風景をていねいに色彩をつけてスケッチする女性的な視線を感じます。

多くの皆様のコメントを読んで思うのは、教科書の力は強いなということです。多感な年頃にこの詩を読んで感化された人が多いようです。
昭和24年生まれの私の時代は中高生の頃、(主観的な感想ですが)藤村は感覚的に古いおじさんという感じで、教科書では、高村光太郎、三好達治、萩原朔太郎などに強い印象がありました。そして斎藤茂吉の歌には彼らの何十倍の印象、衝撃を受けました。

投稿: 越村 南 | 2018年7月 4日 (水) 23時10分

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