« たそがれの旅愁 | トップページ | こげよマイケル »

2019年1月 5日 (土)

かるかやの丘

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:星野哲郎、作曲:遠藤 実、唄:島倉千代子

1 かるかやの 丘にきて
  かるかやの穂をかめば あふれる涙よ
  ああ この道を 西へとぼとぼ
  母さんは 泣いていったよ
  ふりかえり ふりかえり ふりかえり

2 かるかやの 丘の春
  かるかやの穂を踏んで 星をかぞえたね
  ああ なにひとつ 知らぬ妹の
  待ちわびる 母はふたたび
  かえらない かえらない かえらない

3 かるかやの 丘のはて
  暮れ渡る西空に 伏し拝む夕日
  ああ 別れても 母は母です
  しあわせに なってください
  お母さん お母さん お母さん

《蛇足》 昭和36年(1961)、コロムビアから発売。

 物語性のある歌で、さまざまに想像をかき立てられます。
 歌謡曲の主流である恋うたにも、多かれ少なかれ物語性はありますが、失恋とか未練、思慕など、いくつかにパターン化されて
おり、意外性の強い歌詞はそれほどありません。
Karukaya この歌のように、母子の別れをテーマとした歌はあまりないように思います。

 いいかえれば、歌謡曲の本流からはずれているわけで、それが星野哲郎・遠藤実というゴールデンコンビの作品であるにもかかわらず、中ヒットに終わった原因かもしれません。

 カルカヤはイネ科の多年草で、かつては茅葺き屋根の材料としてよく使われました。メガルカヤとオガルカヤの総称ですが、通常は前者を指します。秋の七草の1つ(上の写真)

追記:Kobayashi様のコメントに従い、プレイヤー横の写真を差し替えました
ついでながら、右上の絵は20%ほどぼかした風景写真に私が3人の人物を描き込んだものです。

(二木紘三)

« たそがれの旅愁 | トップページ | こげよマイケル »

コメント

ほんとうに何があったんでしょうね。
母を見送って手をつないでいる幼い女の子ふたりの
背中が寂しそうで辛いです。
お母さん、帰ってあげて。

投稿: yoko | 2019年1月 5日 (土) 21時38分

「かるかやの丘」私がこの唄を初めて聴いたのは1994年に島倉千代子40周年記念として発売された25枚組CD「愛歌心」の中の10枚目の4番目に収録してあるこの唄を聴いた時でした!

最初、歌詞カードのこのページを開いた時に、この唄の作詞者が「思い出さん今日は」の作者星野哲郎だと知った時の驚きを憶えています。
上記にある母の後ろ姿を見つめながら、手を繋いだまま佇んでいる、幼い姉妹の悲しさや淋しさを見事なまでに描いた、この絵をみながらこのメロディを聴いていると、この詩のもつ切なさがさらに心に沁みてきます。
また、子どもにとって何が一番辛いのかと云えば、今も昔も変わることのない、それは母親との別れだろうと思い出させてくれます。
「かるかやの丘」は昭和36年3月に発売されていますが、この年の島倉千代子は同年すぐの5月に「襟裳岬」そしてまた同年11月には「恋しているんだもん」のヒット曲があり、この唄が中ヒットに終わったのは、蛇足に記してある母子のテーマに加え、代表曲とも云える上記の二曲がヒットしていたその影響があるのかも知れません。

早いもので島倉千代子が他界して五年の月日が経ちますが、今こうして昔のアルバムのページをめくりながら、しみじみ思うのは、二十代のころのお千代さんは本当に綺麗な人でした。

投稿: 芳勝 | 2019年1月 5日 (土) 22時14分

何があったのでしょうね。 
歌は知っていましたが、改めて歌詞を何度も読み返しては絵を見つめていました。

島倉千代子さんは、千切れそうな声でもう少しゆっくり唄っておられるので、
余計に涙を誘います。
http://v.youku.com/v_show/id_XMjI3NTgxMzUy.html?debug=flv

投稿: なち | 2019年1月 6日 (日) 18時52分

「かるやの丘」・・・しっとりと緩やかで心に染み入る素敵な曲だと思いますが、ジ~と聴いていると・・・心寂しい思いに誘われます。
私は東京(現在の三鷹市ですが)生まれで、終戦の年和20年の夏に母のふるさとである佐賀の地に家族もろとも移り住むことになりました。
戦後の動乱の時代・・・食糧難は当然のこと・・・父が病弱であったため母が一家を支えるために、夜遅くまで田舎の方に食料品等の行商に慣れない自転車に乗り出かけていました。
母が留守の間、妹の手を取り自宅周辺を歩き回った記憶が昨日のように蘇ってまいります。
二木先生の二人の女の子が手をつないでいる後姿を見ていると、私と妹の二人の後姿を見ているようで、一抹の寂しさとともに母が子どものことを思い歯を食いしばりながら頑張っていた姿が目に浮かぶようで、今更ながら亡き母に感謝の気持ちでいっぱいです。


投稿: 一章 | 2019年1月 6日 (日) 21時34分

 初めて聴きましたが、哀しくもやさしい旋律で、何度でも聴きたい歌です。
親子の別れや親子の再会は日常生活では、おおいに感動するものですが、歌謡曲やお芝居では、単なる親子の別れや再会では、観客が集められないのでしょう。
そう思えば『番場の忠太郎』も『傾城阿波鳴門』も別れていた親子がせっかく会っても、親子の名乗りができない事情があって、観客をやきもきさせます。芝居好きは、このやきもきが好きなんでしょう。歌謡曲では、短い言葉の制約があって、こみ入った事情というか、ストーリーのひねりなど盛り込みにくい。『岸壁の母』などは戦争という悲惨な大状況が背景になっているから、単なる母子の別れと再会にはならず、事情のある別れと再会になり、観客の許容するところとなります。

<蛇足>に「(母子の別れをテーマとした歌は)いいかえれば、歌謡曲の本流からはずれているわけで、それが星野哲郎・遠藤実というゴールデンコンビの作品であるにもかかわらず、中ヒットに終わった原因かもしれません」とありますが、この名解説に、なるほど!と膝を打ちました。
『惚れた女が死んだ夜は』という名曲がありますが、作曲家杉本真人氏は母親が亡くなって、気の毒なくらいに気落ちしていたそうです。友人のみなみ大介が、彼を励ますために作ったのが『惚れた女が死んだ夜は』です。何かの記事で読みました。
私は<なんで母親が死んだのに、歌詞を恋人の死に変えたのか>と不思議に思ってましたが、<蛇足>の解説のように、母親の死では、歌謡曲の本流から外れてヒットしないだろうということを、杉本、みなみ両氏が予測して歌詞を恋人の死に変えたのかもしれません。

 しかし、男女間の恋愛の歌は、パターン化されていても、ヒットすることが多いというのもおかしな話です。一種のパターンの中で喜怒哀楽をしている人間って、とても寂しい・・いや人間ってその程度でしたね。それでいいんですね。

投稿: 越村 南 | 2019年1月 7日 (月) 19時00分

 <蛇足>また越村南さまのコメント、そうですよねと思いました。男女の思慕の歌詞に比べると、肉親への思いを描いた歌詞は胸の内に沈んでいきます。それだけその思いには普遍性があるのでしょうね。

 とっても哀しい歌詞です。私はうた物語に出会い、改めてそれぞれの歌詞を「詩」として読んできました。<かるかや>ってなんだろう、またどんな思いを秘めた歌詞なんだろうと思いました。星野哲郎に興味が湧き、Wikipediaを検索してみると「自分の実体験をベースにした独特の世界観を持つ作風で知られる。」(抜粋)とあります。越村さまのコメントの中に作曲家杉本真人氏のお話がありました。星野哲郎が描いた「かるかやの丘」の裏には一体なにがあったのだろうと、様々な憶測が飛んでいきます。

投稿: konoha | 2019年1月 7日 (月) 20時13分

ああ この道を 西へとぼとぼ
母さんは 泣いていったよ
ふりかえり ふりかえり ふりかえり

 1番のこの歌詞を聴いた時、パッと脳裏に浮かんだ光景があります。
ぴったりしすぎるほどの光景です。室町時代後期のある歴史的風景ですが・・

 浄土真宗・本願寺の8代法主を蓮如といいます。彼が布袋丸と呼ばれた6歳の時に、生母と別れる体験をします。父である7代法主・存如が正式の妻を迎えることになって、身分の卑しかった母は、故郷の備後国尾道に帰らねばならなかったのです。応永27年(1420)12月28日、布袋丸は、追い立てられるように西国へ去っていく母親を京都・大谷から見送ったのでした。
「西へとぼとぼ・・泣いていったよ」という歌詞に、この母子の別れの光景が記憶の底から蘇ってきました。

話の続きですが、
生母は「我はここにあるべき身にあらず」と自分のおかれた立場を述べ「御流を興したまえ」と我が子に本願寺の将来を託しました。そして、布袋丸に鹿の子絞りの小袖を着せて、その姿を絵師に描かせました。忘れ形見となった絵は、現在福井県の超勝寺に残っています。
 本願寺は、この布袋丸、後の蓮如が8代法主となり、北陸、関東をてはじめに教線を驚異的な勢いで拡げ、やがて全国的な宗門勢力になりました。蓮如以前の本願寺は、破れ寺とも呼べる逼迫した状態で、彼が本願寺中興の祖と呼ばれる所以です。
 蓮如は母親の愛情を十分受けることがなかった生い立ちにもかかわらず、多くの人に細やかな思いやりの心で接し、人々の心をつかむ僧侶になりました。また、生涯5人の妻を持ち、子供は13男、14女というギネス級の精力家でもあり、その子供たちを本願寺勢力の拡大に使いました。オルガナイザーとしての力も人並みはずれていました。

 私は真宗の門徒ではありませんが、若い頃、蓮如の「わかりやすく、おもしろく、深く話す能力」に興味をもち、いろいろ調べたことがあり、きわめて個人的な思いをコメントして、もの言わねば腹ふくるる心地を発散・解消させていただきました。

投稿: 越村 南 | 2019年1月10日 (木) 23時19分

とても感動的なお話です。

節の抑揚に「折り鶴」に共通した部分があり心惹かれました。

投稿: りんご | 2019年1月11日 (金) 13時32分

ときどきこの絵をみながら懐かしいなぁ、と思っていました。
そして気が付きました。電信柱がないな~。自動車もないな~。道も舗装されてなくて・・・。そして二人の少女のちょっぴりくすんだ白いシャツを見ながらこの頃って電気洗濯機もなかったなぁ、と思いました。川でジャブジャブ洗ったり、タライにお湯を入れてごしごし洗ったり、私も手伝いで少ししたことがあります。小学校の低学年の頃、昭和三十年代初めの頃です。

投稿: yoko | 2019年1月18日 (金) 22時34分

 この歌にすっかりはまってしまい、かるかやの丘をさまようような心地で、毎日聞いています。
 説教節に「苅萱(かるかや)」という話があり、高野山や信濃の善光寺にも「石堂丸と苅萱道心」の物語として伝わっています。この歌を聞いて、まずそれを思いました。
説教節とは鎌倉時代から江戸時代にかけて漂白の芸人によって口承で伝えられた作品で「山椒太夫」「しゅんとく丸」などは有名です。
「苅萱」のストーリーです。
 筑前国の加藤繁氏という武士が、桜の花びらの散る様子を見て、世の無常を忽然と悟り、高野山に籠ります。(異説もあります)
男の子は石堂丸といい14歳になった時、父に一目会いたいと母と一緒に高野山まで行きます。女人禁制の山ゆえ足止めさた母は病に倒れます。石堂丸が一人、父を訪ねますが、苅萱道心という僧があなたの父は亡くなったと伝えます。失意のまま下山して母に報告すると、母は悲しみのあまり亡くなります。
 行き場を失った石堂丸は、再び高野山に登り、縁のあった苅萱道心を師と仰ぎ、仕えます。実はこの道心が石堂丸の父でしたが、仏道修行の妨げとなると思い、父であることを最後まで明かさなかった。
 晩年になって苅萱道心はひそかに山を下り、信濃の善光寺で修行をします。臨終間近に地蔵尊を彫って完成させ、もう一体の地蔵尊を我が子石堂丸に彫ってもらいたいと言い残します。父の臨終の様子を夢に見て知った石堂丸は、善光寺に赴き地蔵尊を彫って、父の供養をします。

 大作詞家星野哲郎氏が、この話を知らないはずはないでしょうから、「かるかや」という悲しい父子の別離譚を、母子の別離譚に変えたのではないかと想像します。父子の別れは、大楠公のような、大義、忠誠を説く話は別として、どこか堅苦しくてぎこちなくて、歌謡曲としてヒットしないように思います。
それにしても、所帯を持ちながら、忽然と出家するという行為は、釈尊もそうですが、家族からすれば大迷惑なことですね。

投稿: 越村 南 | 2019年1月23日 (水) 22時53分

これも又哀切極まりないお話ですね。

[それにしても、所帯を持ちながら、忽然と出家するという行為は、釈尊もそうですが、家族からすれば大迷惑なことですね」
共感です。

投稿: りんご | 2019年1月24日 (木) 09時01分

「かるかやの丘」はどこかで聴いたのかもしれませんが、何か不思議な感じのする曲ですね。親子の別れを歌っていますが、そこには、かるかや(メガルカヤ)というあまりポピラーではない植物が登場します。この歌が作られた60年ほど前にはもっと生えていて目に付いたのかもしれませんが、今では限られた環境でしか見られなくなっている「あまり目につかない」植物です。コメント欄で越村さんは「石堂丸と苅萱道心」の物語との関連性を指摘しています。親子の別れ話という点ではそれもあると思いますが、星野さんにはメガルカヤという植物か、それが生えていた場所(丘)に何か思い入れがあったからこそ歌のタイトルが「かるかやの丘」になり、「穂をかんだり」「穂を踏んだり」という表現をしたのではないでしょうか。なお、メガルカヤの花穂は固くザラザラし、普通は噛んだりする植物ではないので、あくまで「詩的表現」です。
星野さんがどこでメガルカヤを目にしたのか、それはわかりませんが、山口県の出身ですから秋吉台あたりで見た可能性も考えられます。秋吉台には今でもメガルカヤが点々と生えているのを最近も確認しています。60年以上も前だったら群落をなし、「かるかやの丘」と呼べるような場所があったのかもしれません。また、ウィキペディアをみると、星野さんは20代半ばの頃、郷里周防大島で4年にわたる闘病生活を余儀なくされており、その頃の「想い」も「かるかやの丘」という形で表現したのかもしれないと想像したりしました。藤間哲郎の「おんな船頭唄」の中の真菰(マコモ)もそうですが、歌謡曲の中ではめったに登場しない興味深い植物の一つとして注目しています。
なおこれは蛇足ですが、「秋の七草の1つ」として載せられている写真ですが、メガルカヤではなく、メリケンカルカヤです。これは1940年頃に日本に渡来した帰化植物で、現在は、外来生物法により「要注意外来生物」に指定されています。星野さんの詩にある「かるかや」(メガルカヤ)ではないです。

投稿: Kobayashi | 2019年1月26日 (土) 22時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« たそがれの旅愁 | トップページ | こげよマイケル »