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2019年7月17日 (水)

あゝ青春の胸の血は

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西沢 爽、作曲:遠藤 実、唄:舟木一夫

1 あふれる若さ あればこそ
  未来に向かい われら立つ
  海の太陽 山の雲
  輝け生命(いのち)の 歌声に
  ああ 青春の胸の血は
  夢ひとすじに 燃えるもの

2 親しき友の かなしみを
  励ます言葉 尽きるとも
  光れ銀河よ 友情の
  涙を夜空に ちりばめて
  ああ 青春の胸の血は
  夢ひとすじに 燃えるもの

3 まぶたに淡き 花すみれ
  行きずりの君 今いずこ
  虹は消えても 若き日の
  はかなき思い出 忘るまじ
  ああ 青春の胸の血は
  夢ひとすじに 燃えるもの

《蛇足》昭和39年(1964)1月、日本コロムビアから発売。

 舟木一夫のデビュー曲であり、最大ヒット曲である『高校三年生』から『修学旅行』『学園広場』『仲間たち』へと続く”高校時代ソング”の1つ。
 高校時代ソングとはいうものの、これらの歌に描かれている感覚は、後期アドレッセンスにも通じるものであり、広く青春讃歌といっていいでしょう。

 何ものとも知れぬものへの憧憬に胸を膨らませ、永遠の友情や愛を信じ、将来への野望をもち、挫折し、ときに裏切られ、鬱屈し、失望の底から希望を復活させるといったふうに、あらゆる感情をフル稼働させていた青春時代。

 『あン時ゃどしゃ降り』で、感情を伴う記憶は時間が経っても想起しやすい、と書きました。それはそのとおりですが、残念なことに、歳を重ねるに従って、髪の毛が抜け落ちていくように、記憶に結びついていた感情は薄れ、淡くなり、やがて消えてしまいます。
 感情という衣を失った記憶は、歴史の年号や元素周期表のように、事実だけの味気ない記憶に変わります。そうした事実だけの記憶も、やがておぼろになり、最後は白紙になって人生を終えるのです。

 惚けや認知症にならないために、記憶力の強化訓練などが推奨されていますが、過去の事実を想起しやすくするには、感情が擦り切れないように努めること、すなわち感性を常にリフレッシュするほうが効果的ではないでしょうか。それには、何をすればいいかと訊かれても答えに窮しますが。

 たとえば、青春時代に強烈な恋愛をした場合は、それを思い出すたび、そのときと同じ感情がまざまざと蘇るように心を駆り立てるというのはどうでしょうか。
 かなり高齢になっても、青春時代の何かのできごとを鮮烈な感情とともにリコールできる人が、たまにいるようです。

 ただ、歳とともに感情が淡くなるのは、悪いことばかりではありません。辛いできごとを想起しても、辛い感情を蘇らせずにすみますし、感情に惑わされずに冷静な思考ができるようになります。黒澤明『七人の侍』で水車小屋の長老の「侍を雇うだ!」といった適切な判断ができるようになります。

(二木紘三)

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コメント

”あゝ青春の胸の血は”は私が高校一年生の時、
”高校三年生”は私が中学三年生の時、青春まっただ中でした。
昨年、一昨年と都内での高校同期会に出席できませんでした。
今年の暮れは是非出席して皆で歌ってみたいです。

投稿: yoko | 2019年7月17日 (水) 22時11分

舟木一夫が「高校三年生」でデビューした昭和38年は私が小学3年生でしたが、私は今日に至るまでこれほどの凄まじい人気を博した歌手を知りません!

当時ラジオから舟木一夫の歌声を聴かない日はなく、月間平凡・明星など雑誌の表紙には必ず彼が載っていてその人気の凄かったことを憶えています。
あれから56年が経ち74才になった現在もリサイタルの各会場を埋め尽くすという大車輪の活躍をし続けている舟木一夫の存在を、私は幼いころからのファンの一人として大変嬉しく思っています。
また、舟木一夫がデビュー5年を過ぎたころから時代の変わり目で、彼の低迷の時期がしばらく続き、その間にはファンにとって寂しい事もいろいろありましたが、1992年に日本コロンビアより「歌手生活30周年記念・舟木一夫大全集・陽射し・旅人」CD10枚組が発売された時には大変感激した事を憶えています。

数ある舟木一夫のヒット曲の中でも「仲間たち」そして「あゝ青春の胸の血は」この二曲は特に好きで一時はカラオケでもよく私は歌いました。二曲とも西沢爽・遠藤実の作品ですが、同コンビによる作品では「仲間たち」のB面「はるかなる山」と「あゝりんどうの花咲けど」のB面「待ってる人」という唄が私は今でも好きで時々口ずさむ時があります。
最近のコメント欄で「あゝ青春の胸の血は」のタイトルを目にした時、私は思わず幼かったその当時にタイムスリップしたようでした。

投稿: 芳勝 | 2019年7月17日 (水) 23時28分


気分が落ち込みそうな時でも、こんな明るい歌を聞くと、思わず知らず元気が回復します。

それは間もなく傘寿を迎えんとする私にとってさえも、半世紀以上も前のアドレッセンス時代を彷彿とさせてくれる催眠導入剤みたいなもので、呆けかかった脳にフレッシュな血流の渦を巻き起こしてくれます。

二木先生の蛇足 末尾の2行は、まるで私のことのような・・・? 思わず、笑っちゃいました。
(或る雨の午後 2019.6.30 コメント)


投稿: あこがれ | 2019年7月18日 (木) 22時33分

そうでした! この前奏は50年以上も昔、古い下宿の一室のトランジスタラジオで聴いた、あの歌です。
「あゝりんどうの花咲けど」と「山のかなたに」も好きな歌でしたが、確かこの頃でした。
二木先生の《蛇足》の末尾に、「青春時代の何かのできごとを鮮烈な感情とともにリコールできる人が、たまにいる・・・」
とありますが、私の場合、取りたてて何かがあったわけでもないのに、その頃の情景がいちいちリコールされるのは困ったものです。

投稿: すもも | 2019年7月19日 (金) 23時14分

“家の光”のラジオ番組「田園ソング」を聴いてから登校していました。
「あゝ青春の胸の血は」は就職していた時でゆっくり聴くことが出来ず、
寝ている方に聞こえないように、トランジスタラジオを耳に当てて、
あゝ今月はこの歌かとそっと聴いていました。
西沢爽・遠藤実コンビではB面の「夕月の乙女」しんみりしていて好きですよ。

御三家が青春時代でしたが、舟木一夫さんが一番好きです。

投稿: なち | 2019年7月20日 (土) 10時02分

『あゝ青春の胸の血は』がリリースされた頃は私は中学2年生でした。
鉄筋校舎の屋上への階段付近は、エコーが効いて歌を唄うには絶好の
場所でした。 『学園広場』や『仲間たち』など、舟木一夫の一連の
ヒット曲をそこでよく唄っていましたが、ある時下の方から「誰だ!
流行歌を唄っているのは‼」と怒鳴る声。慌てて屋上へ逃げ出しまし
た。 現在は公共放送の『のどじまん』で堂々と中学生が唄えます。
隔世の感ありですね。
 舟木一夫は幸せな歌手だと思います
『高校三年生』『修学旅行』『学園広場』『初恋』『絶唱』『あゝ青 
春の胸の血は』‥と6曲も持ち歌が『うた物語』に採り上げられてい
るのですから…。
同じ御三家のあとの二人、橋幸夫・西郷輝彦の持ち歌は悲しいかな1曲 もありません。『うた物語』に沢山ある、佐伯孝夫・吉田正コンビによる作品を最も数多く持ち歌としている歌手は橋幸夫です。『股旅歌謡』『青春歌謡』『リズム歌謡』など、ヒット曲はかなり多いと思うのですが…。吉永小百合とのデュエット曲『いつでも夢を』もないのもさみしいですね。
 西郷輝彦も、北原じゅん・米山正夫・浜口庫之助らによるヒット曲を多数持ち歌としています。                         『うた物語』が「歌手」ではなく、「歌」そのものをテーマとしてい
るのは重々承知しているのですが…。
 とにもかくにも、舟木一夫は幸せ者だと思います。

投稿: かせい | 2019年7月25日 (木) 13時02分

「あゝ青春の胸の血は」この歌がUPされてからと云うものこのタイトルに懐かしさを憶え、ここ数日間は舟木一夫大全集「別冊解説書」を見ながら、久しぶりにじっくりとヒット曲の数々を聴いてみました!

デビュー当時の舟木一夫の歌声は、当時の一連のヒット曲を聴いてみても、実にさわやかさを感じさせます。
そしてこの唄は昭和39年1月に発売されていますが、もう3月には「君たちがいて僕がいた」「涙の敗戦投手」さらに翌月4月には「東京新宿恋の街」6月「まだみぬ君を恋うる歌」8月「おみこし野郎」9月「花咲く乙女たち」とこの年の舟木一夫は私が今も口ずさめる歌だけでも、これだけのオリジナルシングルのヒット曲を出していることにも驚かされます。

またその当時を想い出してみると、左目上を少しカットした舟木一夫のトレードマークだったその髪型がかなり話題になっていましたが、私が住んでいた地域では不思議と誰一人その髪型を真似た人を見かけることはありませんでした。現在の風潮を思うと改めて時代の違いを感じます。

そして昭和39年2月には「君だけを」でデビューした西郷輝彦が「チャペルに続く白い道」「星空のあいつ」「十七才のこの胸に」「君と歌ったアベマリア」「我が青春」と連続ヒットを放ち、またこの年も「恋をするなら」「ゼッケンNO1スタートだ」「チェッチェッチェッ」とヒットを連発して絶好調だった橋幸夫が歌手御三家と呼ばれ、また「若い港」「すばらしき級友」「ごめんねチコちゃん」がヒットしていた三田明を加えては歌手四天王と騒がれていましたが、そんな中で、昭和40年になり「北国の街」「東京は恋する」そして「高原のお嬢さん」が大ヒットしているころの舟木一夫の人気はもうすでに一人抜きん出ていたような憶えがあります。

現在65才の私にとって青春歌謡が最も流行った昭和38年・39年という私の少年時代のこの二年間は、特に思い入れが強く感慨深いものがあります。そして長年を経た今でも、すぐにその幼い頃の光景がオーバーラップしてきます。その当時の私の家庭はまだまだ貧しい暮らしではありましたが、それでも将来の夢や希望を抱くことが出来てそして語ることが出来る時代だったようにも、今考えてみるとそう思えます。

「あゝ青春の胸の血」この歌が流行った時代を振り返ると、当時の各家庭には明治にお生まれの方や大正にお生まれになった方たちがお見えになり、その頃の暮らしには日本の秩序正しい生活背景とこれから始まる日本の高度成長を予感させるような何かがある、私にはそんなことを予感させる良き時代だったような気がしています。

親しき友のかなしみを 励ます言葉尽きるとも

光れ銀河よ友情の 涙を夜空にちりばめて

ああ 青春の胸の血は 夢ひとすじに燃えるもの♪♪♪

私の少年時代にラジオからいつも流れていた舟木一夫のこの歌、本当に素晴らしい歌だと思います。

投稿: 芳勝 | 2019年7月27日 (土) 16時34分

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