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2020年2月 1日 (土)

山男の歌

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:神保信雄、作曲:不詳、唄:ダークダックス

1 娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ
  山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ
  山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ

2 娘さんよく聞けよ 山男の好物はよ
  山の便りとよ 飯盒(はんごう)のめしだよ
  山の便りとよ 飯盒のめしだよ

3 山男よく聞けよ 娘さんにゃ惚れるなよ
  娘心はよ 山の天気よ
  娘心はよ 山の天気よ

4 山男同志の 心意気はよ
  山できたえてよ 共に学ぶよ
  山できたえてよ 共に学ぶよ

5 春夏秋冬 山行く人の心はよ
  山にあこがれよ 親しい友とよ
  山にあこがれよ 親しい友とよ

6 娘さんよく聞けよ 山男に惚れたらよ
  息子たちだけはよ 山にやるなよ
  息子たちだけはよ 山にやるなよ

7 娘さんよく聞けよ 山男の心はよ
  山できたえたよ 男意気だよ
  山できたえたよ 男意気だよ

《蛇足》昭和37年(1962)2月、ダークダックスの唄でキングレコードから発売されました。

 ちょうど高度経済成長が始まったころで、人びとの生活にゆとりができたためか、戦後最初の登山ブームがピークを迎えていました。この時期に大学生だった私は、夏に帰省するたびに、キスリングという大型のザックをもった登山者たちに列車の通路からデッキまで占領され、往生した記憶があります。

 こうした世相を背景に、この歌は大ヒットし、登山者たちだけでなく、若者たちに広く愛唱されるようになりました。ダークダックスのシングルでは、いちばん売れた曲だそうです。

 この歌が世に出たいきさつについて、「ゲタさん」の愛称で親しまれたダークダックスの喜早哲(きそう・てつ)は、次のように語っています(『週刊朝日』昭和37年3月2日号)

 レコード発売の前年、群馬県前橋市でコンサートを行った際、ファンの1人から「山男よく聞けよ……」で始まる歌を歌ってほしいとリクエストされました。メンバーはだれも知らなかったので、歌うことはできませんでしたが、楽しそうな歌なので、帰京後すぐ楽譜を探してもらい、レコーディングすることになりました。
 キングレコードは、吹き込みに先駆け、日本音楽著作権協会などを通じて作詞者を調べたましたが、なかなか見つかりません。結局わからなかったので、供託金を出して発売許可されたそうです。

 レコードがヒットしてから、作詞者がわかりました。専門学校生の神保信雄で、彼は敗戦後間もない時期、南アルプス(赤石山脈)を縦走中に、『巡航節』に替え歌をつけました。これがこの歌の始まりです。『巡航節』 は、広島県江田島にあった海軍兵学校の生徒たちの愛唱歌で、メロディはよく知られていました。
 『山男の歌』の1番と2番は、『巡航節』の終わりのほうの2聯をベースにしています。

 『巡航節』を軍歌とする記述も散見されますが、これは軍歌ではなく、「兵隊節」というジャンルに属する曲です。
 『ズンドコ節』の蛇足にも書きましたが、軍歌は国民を戦争に駆り立てるための戦意高揚歌、兵隊節は兵たちが慰安や親睦、あるいは団結を固めるために歌った歌です。
 そのため、だれかが歌い始めたものに次々と新しい歌詞が付け加えられるという形で成立したものがほとんどです。作詞者・作曲者がはっきりしているのは、『同期の桜(海軍小唄)』と『ラバウル小唄』ぐらいです。

 『山男の歌』も、神保信雄が作った歌詞はおそらく3番か4番までで、そのあとはほかの山男が付け加えたものではないでしょうか。この点、軍歌『雷撃隊出動の歌』(古関裕而作曲)に歌詞をつけた『穂高よさらば』と似ています。

(二木紘三)

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コメント

大体覚えていますが確かに終りの方は無理やり引き伸ばした感じもしますね。

投稿: hurry | 2020年2月 1日 (土) 23時05分

いやあ なつかしくも、そのとおりだとおもえる歌詞がいいですね、名曲です。
私は職場の友人を介して、石川県の白山を皮切りに登山を始めて、山形県の月山、屋久島の翁岳なども遠出しましたが、気に入った山は愛媛県の石鎚山で、この山は6回ほど登りました。
この詞をよむと「娘さん、山男にかまうなよ」と言いながら娘さんのことばかり考えているような男のだらしなさがうかがえ、おもしろいです。
私にとって、今や山登りは過去の夢物語で、西方寺というベトナムの古刹に登った時、息が切れそうになりました、71歳ですから・・。
妻の死を機に、ベトナムに移住して10年目をむかえる2020年、二木ファンの皆様方のご健康をお祈りしています。

投稿: 越村 南 | 2020年2月 1日 (土) 23時14分

「愛しのクレメンタイン」が元歌にあるのでは、と思ったりします。小生この歌を歌っていた頃、松山にもいて、四国山脈を歩るき、石鎚の春つつじに感傷したことが思い出されます。あの頃、ひなびた四国の山並みの避難小屋に泊まると足元に騒ぐのはネズミばかりで妙齢の女性にはついに巡りあえませんでした。
出会いも縁がなければ結実しません。思い出が残ると言われても、別れは辛くこの年になっても耐えがたいです。

投稿: 樹美 | 2020年2月 6日 (木) 19時18分

ごめんなさい。「雪山賛歌」と混同してしまいました。

投稿: 樹美 | 2020年2月 7日 (金) 20時40分

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