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2020年4月13日 (月)

アルプス一万尺

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞者:不詳、曲:アメリカ民謡

1 アルプス一万尺 小槍の上で
  アルペン踊りを 踊りましょ ヘィ!
   *ランラララ ララララ ランラララ ラララー
     ランラララ ララララ ララララ ラーン

2 お花畑で 昼寝をすれば
  蝶々が飛んできて キスをする ヘィ!
  (* 繰り返す)

3 一万尺に テントを張れば
  星のランプに 手が届く ヘィ!
  (* 繰り返す)

4 槍や穂高は かくれて見えぬ
  見えぬあたりが 槍穂高 ヘィ!
  (* 繰り返す)

5 命捧げて 恋するものに
  何故に冷たい 岩の肌 ヘィ!
  (* 繰り返す)

6 ザイル担いで 穂高の山へ
  明日は男の 度胸試し ヘィ!
  (* 繰り返す)

7 まめで逢いましょ また来年も
  山で桜の 咲く頃に ヘィ!
  (* 繰り返す)

《蛇足》 アメリカの古謡『ヤンキー・ドゥ―ドゥル(Yankee Doodle)』のメロディーに、山にまつわる歌詞をつけたもの。

 『ヤンキー・ドゥ―ドゥル』は、17世紀初頭、オランダの農民たちが、今日のニューヨーク北部あたりに入植した際に持ち込んだ小麦の収穫歌が原型とされています。しかし、その淵源はさらに古く、中世に西欧各地で歌われていたナンセンス・ソングにまで遡るようです。

 現在まで歌い継がれている歌詞は、フレンチ・インディアン戦争(1755-1763)中に、イギリス人軍医、リチャード・シャックスバーグ(シャクスバラとも Richard Shuckburgh)が作ったものとする説が有力です。フレンチ・インディアン戦争は、北米における植民地獲得をめぐって、インディアン諸部族を巻き込んでイギリスとフランスが戦った戦争。

 歌詞は、イギリス軍側につくために各地から集まった現地民の服装がばらばらで泥臭かったことをからかったもの。Yankeeは、イギリス軍が植民地アメリカの軍隊を指して使った言葉で、Doodleとは「まぬけ」といった意味。

 つまり、アメリカ現地民を馬鹿にした歌詞だったのですが、その意図に反して、彼らはこの歌を楽しんだと伝えられます。独立戦争が始まると、このメロディにさまざま反英的歌詞をつけて、戦意高揚につなげたといいます。現在はコネティカット州の州歌になっています。

 『ヤンキー・ドゥ―ドゥル』が日本で初めて演奏されたのは、嘉永6年(1853)7月14日(和暦では6月9日)で、ペリー提督が大統領の親書を江戸幕府の代表に手渡すため、兵を引き連れて久里浜に上陸した際、軍楽隊により演奏されました。

 この『ヤンキー・ドゥ―ドゥル』がいつから、どんな経緯で山の歌になったかは定かではありませんが、日本で近代登山が一般に広まってからでしょう。

 近代登山は、宗教性を帯びた日本伝統の登山と違って、山登り自体を楽しむスポーツ登山です。
 明治中葉、アメリカ人牧師ウォルター・ウェストンが、北アルプス(飛騨山脈)や中央アルプス(木曽山脈)の高峰に登るようになってから、日本人にも近代登山を行う人が増えました。ウェストン以前にも、高峰に挑んだ欧米人はいましたが、近代登山の普及に最も影響力があったのは、やはりウェストンでしょう。

 やがて、山岳部ないし登山部を置く大学や高校、専門学校が増え、縦走時や宿泊時に歌う歌がいくつかできました。
 『ヤンキー・ドゥ―ドゥル』はメロディが軽快なうえ、
日本伝統の歌謡形式である甚句に合わせやすかったため、次々と新しい歌詞が付け加えられました。甚句は、7・7・7・5音を基本とする歌謡形式。
 記録に残っている歌詞は30番前後ありますが、上の歌詞欄では、とくによく歌われる7聯にとどめました。

 この歌は、徐々に一般にも広まり、子どもの手遊び歌や、青少年のレクリエーション歌としても歌われるようになりました。
 戦後は、敗戦ショックが少し収まると、登山ブームが起こり、歌声運動の隆盛などと相まって、『山男の歌』や『雪山讃歌』などとともに、盛んに歌われました。

 歌詞に何度か出てくる槍ヶ岳は、東側の表銀座と西側の裏銀座という代表的な縦走コースが交わる地点にあり、北アルプスのなかでもとくに人気のある秀峰です。
 標高3180メートルで、尺貫法ではほぼ1万尺になります。頂上は4畳半ほどの広さしかなく、夏の最盛期になると、頂上への鉄ばしご
の下には、順番待ちするアルピニストたちが列を作ります。
 小槍は、"本槍"の西側に立つ尖峰。訓練を積んだクライマーでなければ登れず、踊るのは無理。

 北アルプスというと、山にあまり縁がない人でも思い浮かぶのが穂高連峰と槍ヶ岳。ほかの名峰は、「俺たちだって凄いんだぜ」と焼き餅"焼ヶ岳"といったところ(正式名称は焼岳)
 私にとっての北アルプスは、春夏秋冬見て育った有明山(信濃富士)です。あと安曇野の象徴ともいえる常念岳でしょうか。

(二木紘三)

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コメント

ヨーロッパの歌の翻訳だとばかり思っていました。小槍、は固有名詞だったのですね。

投稿: hurry | 2020年4月14日 (火) 17時13分

この歌は何と言っても替え歌です。
50年以上前の山でも座敷でも大いに歌われました。
著作権切れています。

お花畑で 昼寝をすれば 蝶々が出てきてキスをする
*ランラララ ララララ ランラララ ラララー
     ランラララ ララララ ララララ ラーン

橋の上から だら便すれば 下のメダカは卵とじ
*ランラララ ララララ ランラララ ラララー
     ランラララ ララララ ララララ ラーン

色の黒いのを 女房にもてば カラス鳴く度思い出す
*ランラララ ララララ ランラララ ラララー
     ランラララ ララララ ララララ ラーン

〇○するのを 横から見れば パイプ加えた髭紳士
*ランラララ ララララ ランラララ ラララー
     ランラララ ララララ ララララ ラーン

投稿: 仙風 | 2020年4月14日 (火) 21時40分

貴ブログを毎日拝見をしていながら投稿は数十年ぶりです。二木様の記事にある”有明山”に心が反応しました。
私は長年絵を描いているもので、スケッチをするため信州にはよく出かけていました。信州ほど美しい地方は他にないと思っています。しかし最近は高齢のため出かけられなくなった今となっては、池田町から見える有明山の風景をたくさんスケッチをしていてよかったと思います。それをもとに安曇野の空気を思い出しながら描けますので・・・。
信濃路はプロ、アマを問わず絵描きの最も好む地方ではないかと思います。

投稿: おキヨ | 2020年4月26日 (日) 13時19分

数十年ぶり? おキヨさんのコメントを拝読するのはそんな久しぶりではないと感じるのですが、そもそも私の見るのがいつも大昔の歌ばかりだからでしょうか?
戦前「小学生全集」というシリーズがあって「海へ山へ」の巻を繰り返し読み、中学生時代には近くの赤城山に何度か登りましたけれど、敗戦後間もなく遊学した松本時代は、いくつかの理由から、アルペンには縁遠いままで過ぎました。その反動か、東京で就職してからは暇さえあれば丹沢などへ出かけましたが、土曜日も定時は午後5時というころであり、若い友に誘われてようやく槍穂高に登ったのは30歳過ぎてからでした。そんなころいつも歌った「アルプス一万尺」なのですが、国語の先生として松本に住み着いた音楽好きの友人に「アルペン踊りというのがあるようだが、どんな踊りかね」と訊ねてみたことがあります。どうも具体的な説明は得られませんでした……。

投稿: dorule | 2020年4月29日 (水) 22時31分

dorule様
十数年ぶりのコメントですのに私宛の書き込みをあるとは意外でした!大変うれしく読ませていただきました。
此処にもまた私には馴染みの”赤城山”が書いてありますね。
赤城山もまもなくつつじの美しいシーズンになりましょう。この度のコロナウィルス騒動でせっかくの季節の花々が人に愛でられもせずに散るのが惜しくてなりません。
穂高を仰ぎに4度ほど上高地に出かけましたが、高齢のためもう近くの浅間山に行くのがやっととなりました。
遠方からよく槍ヶ岳を観ることがありますが、小槍もくっきりと見えるときには思わず”小槍の上でアルペン踊りを”
と歌ってしまいます。

投稿: おキヨ | 2020年5月 3日 (日) 13時45分

おキヨ 様

学生の頃から、憧れていた上高地に始めて行けたのは、40才を過ぎてからでした。 
河童橋から眺める大パノラマ 穂高の大雪渓や澄み切った梓川の流れに感動し、二度目はゆっくりと時間をとり、明神池・嘉門次小屋辺りまでトレッキングをしました。
若い頃から、山に対する憧れは(身体がゆうことをきかなくなった今も、ずっとありますが・・・)ありましたが、今となっては山をやれなかった私とカミサンにとって、信州旅行の中でも一番思いでに残る場所であり時間でした。
三度目は、上高地に入ってから大雨に襲われ、梓川の濁流に驚き、間一髪で帰りのタクシーを掴まえ脱出しました。

最近は、YouTubeで登山の動画をちょこちょこ拝見しては、登山の厳しさや素晴らしさを味わってますが、昨日辺りのニュースで人っ子一人いない上高地が映し出されていました。
このシーズン登山客で賑わう河童橋の閑散とした風景が、異常な感じでした。

おキヨさん 肩の骨折の後 右腕はどうですか? 多少は動かせるようになりましたか? 
絵筆が十分にふりまわせるようになれば、いいですね・・・。

投稿: あこがれ | 2020年5月 3日 (日) 22時08分

まず先にこのブログの持ち主二木様にお詫びを申し上げます。個人の通信に貴ブログを使用させていただいていることをお許し下さいませ。おそらく今拙ブログが不通になっているためかと思います。

あらためてあこがれ様
私も若いころには東北の片田舎で上高地の写真を観ては”一度はこういう場所に行ってみたいものと憧れました。それが1度ならず4回も・・・。
おそらくもう上高地まで出かけることはないでしょう。そう思うと長野の風景はどこをとっても懐かしく思い出深いものがあります。

ありがとうございます。
肩の骨折はだいぶ良くなってはいますがまだ痛みが残っています。この頃やっと絵筆が握れるようになりました。
私の至らなさで拙ブログの交信ができなくなってしまい申し訳ありません。
もう少したてばPCサポーターが来てくれるはずです。
またよろしくお願いいたします。

投稿: おキヨ | 2020年5月 5日 (火) 16時25分

 この歌の替え歌を大学生の孫娘が小学生だった頃に教えてもらって、気に入ってよく歌いました。一番は同じですが2番が替えてあります。この歌を歌って手遊びもしました。
  
 2. きのう見た夢 でっかい小さい夢だよ ノミがリュックしょって 富士登山 ランラララ・・・

 半世紀前に上高地に行くと言う計画がありましたが、尾瀬の後だったので学生だった私はお金がなく、今回行けなくても次は行こうと思っていました。でも次というのが30年後でした。ゴールデンウィークの時期で河童橋の混みように驚きました。小雨気味の中、梓川沿いを歩いて嘉門次小屋に着く頃は本降りになってしまいました。囲炉裏の火が暖かく、イワナの塩焼きが最高に美味しかったです。引き返す頃には小雨になりモヤがかかり先が見えづらくなっていました。先を行く夫の白いビニールの雨合羽の後ろ姿が仙人のように見えました。私が後から付いてくると疑わない彼はどんどん行きます。

 少し心配させようと思って、私は立ち止まってアルプス1万尺を歌って時間を稼ぎました。それで歩き出したら彼が振り返って待っていました。「どうしたの?」と言う彼、「歩くのが早いのよ」と言う私、少しおかしくなりました。

投稿: konoha | 2020年5月16日 (土) 11時44分

Konohaさま、こんにちは、梅雨の走りか、結構、雨が続きますね・・
 さて、前段のKonohaさまの頬笑ましい投稿を拝読し、そう言えば2.3日前の新聞に上高地のことが書いてあったなあと、新聞置きからその記事を見つけ出して読み直してみました。
 その2020/5/13(水)「中日新聞の夕刊」には、こんな記事がありました。
 見出しを拾いますと、 

   --- 上高地 静かな夏へ ---
  --- 宿泊施設、山小屋 苦渋の休業継続 ---
《コロナと闘う》--- 登山者と自然 守るため ---

 とあり、その主な内容は、
 
 新型コロナウイルス禍で迎えた山のシーズン。北アルプスの玄関口の一つ、長野県松本市の上高地にある一部の宿泊施設や周辺の25の山小屋は、春からの営業を断念して7月までの休業を決めた。(中略)
 例年だと四月末の開山祭から観光客や登山者でにぎわう上高地。連休中も河童橋付近は静まり返った。3月に開山祭の中止を決めた上高地町会長の(中略) 以下長文になりますので省略しますが、記事の終わりの方は、
 北ア北部地域の鹿島槍ヶ岳や白馬岳などの山小屋でつくる北ア北部山小屋組合によると、加盟する31の山小屋のほとんどが7月中旬まで休業する。
   で結ばれています。
 こうしてみますと、日本の美しい山々までコロナの影響はあるのですね・・あとは海、これも既に海水浴場の関係者はどうするかを決めておられるのでしょうか。お気の毒なことですね・・・
 ちなみに、河童橋付近で夫婦並んでプロに撮ってもらった写真が戸棚に飾ってありますので、貴方に刺激され、久しぶりによく見ますと、うそ!平成25年5月21日付で7年経っていました。早い月日にびっくりでした。


投稿: 迷える古羊 | 2020年5月16日 (土) 15時41分

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