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2020年5月29日 (金)

浪曲子守唄

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:越 純平、唄:一節太郎

1 逃げた女房にゃ 未練はないが
  お乳ほしがる この子が可愛い
  子守唄など にがてなおれだが
  馬鹿な男の 浪花節
  一ツ聞かそか ねんころり
 
(セリフ)
そりゃ……無学なこのおれを
親にもつお前は ふびんな奴さ
泣くんじゃねえ 泣くんじゃねえよ
あんな薄情なおっ母さんを 呼んでくれるな
おいらも泣けるじゃねえか
ささいい子だ ねんねしな
 
2 土方渡世の おいらが賭けた
  たった一度の恋だった
  赤いべべなど 買(こ)うてはやれぬが
  詫びる心の 浪花節
  二ツ聞かそか ねんころり
 
3 どこか似ている めしたき女
  抱いてくれるか ふびんなこの子
  飯場がらすよ うわさは云うなよ
  おれも忘れて 浪花節
  三ツ聞かそか ねんころり

《蛇足》 昭和38年(1963)12月1日に日本クラウンから発売。独特の歌唱で注目を集め、平成11年(1999)までに200万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

 私は、一節太郎は三波春夫や村田英雄などと同じく、浪曲師出身だと思い込んでいました。三波春夫や村田英雄は、歌い方が演歌歌手の発声法に近くなっていたのに対し、一節太郎は浪曲師そのままのような塩辛声だったからです。
 浪曲は、節(唄)と語りを交互に行う、いわば”一人オペレッタ”ですが、『浪曲子守唄』は、浪曲の節のように感じられました。

 ところが、彼は浪曲師でなく、流しのギター弾きでした。作曲家遠藤実の最初の内弟子になり、芸名も遠藤実がつけたそうです。
 レコード・デビューするにあたって、注目を集めるために、遠藤実の判断で浪曲風の歌い方をすることになりました。おそらく声質が浪曲師風だったので、それほど無理することなく塩辛声が作れたのでしょう。

 デビュー曲の『浪曲子守唄』は、当初、セリフ部分を除いて美空ひばりが歌うことになっていたそうですが、遠藤実が、あえてセリフを入れて一節太郎に歌わせたとのことです。確かに、タイトルといい、歌詞といい、美空ひばりより一節太郎向きの楽曲だったといえるでしょう。

 この時代を知っている人には、説明するまでもありませんが、土方はダムや道路、河川などの工事現場で働く日雇い労働者で、飯場は彼らの宿泊施設、飯炊き女は飯場で食事を作る女性です。
 土方という言葉には差別感があるということで、いつ頃からか建設労働者とか土木作業員と呼ばれるようになり、飯場も、宿舎とか寄宿舎に変わりました。飯炊き女は、炊事担当者とか料理人になり、女性とは限らなくなりました。

 『浪曲子守唄』は、恋妻に去られてシングル・ファーザーとなった土方の嘆き節です。未練は断ち切れないものの、3番で新しい恋の芽生えが暗示されています。

 ロマンスは、干天の慈雨のように突然訪れ、乾いた魂を潤します。ロマンスは、その人の属する社会階層に関わりなく美しいものです。できれば、若いうちにその美しさを味わっておきたいものです。

(二木紘三)

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コメント

よく考えるととてつもなく不幸な主人公ですね。働いている時こどもはどうしていたのでしょう?

投稿: Hurry | 2020年5月29日 (金) 18時01分

CW-9の「浪曲子守り歌」「一発節」
一節太郎さんのダミ声は、歌の為に声を潰したとテレビで本人が言っていました。
他にも知っている歌がある筈とYouTubeに行ったら、
美空ひばりさんの歌も聞けました。

投稿: なち | 2020年5月29日 (金) 18時50分

「浪曲子守唄」幼い頃から長年にわたり、私が愛唱し続けてきたこの唄が「うた物語」にアップされて、私は今感激もひとしおです!

この曲をラジオで初めて聴いたのは私が小学三年生でしたが、当時子供ながらにも一節太郎の独特な歌声に度肝を抜かれたという憶えがあります。
この曲は今もギターの弾き語りでの私の定番ですが、意外にも歌手デビュー前の一節太郎が浪曲師ではなく流しのギター弾きだったことは、ここ『蛇足』で初めて知りました。

当時私が住んでいた故郷の田舎では、土方を職業にしておられた方たちが大勢おられました。また雨の日になると仕事ができなくなるため、機嫌が悪くなり昼間から酒を煽って怒鳴り散らす男衆の罵声が聞こえたり、そしてその日暮らしのご家庭も多くあり、そのために日銭が入らず夫婦喧嘩をされておられたご家庭もよく見かけたような気がしますが、今ではそんな光景も懐かしい良き想い出として残っています。


土方渡世のおいらが賭けた たった一度の恋だった

赤いべべなど買うてはやれぬが 詫びる心の浪花節

二つ聞かそうか ねんころり ♪ ♪ ♪

「浪曲子守唄」この唄が流行っていた頃の私は、幼心にも上記の二番の歌詞が大好きでした。この唄は何度聴いても私の心に深く沁みてくる名曲です!

投稿: 芳勝 | 2020年5月30日 (土) 09時20分

私がこの歌を聞いたのは中学二年生ごろでした、そして最近藤圭子さんの歌でまたこの曲と出会いました。私も58〜66歳まで土方(遺跡発掘作業員)として土にまみれた時代を過ごし、久しぶりに土方渡世と言う言葉も聞き、懐かしく思い出に慕っています。
カラオケ大会でぜひこの唄を歌いたいのですが、セリフのところがうまく言えるかが問題で、今の所保留中です。

投稿: jurian prabhujee | 2020年5月31日 (日) 19時48分

  この歌が出た年は、私が斎場建設の仕事をした年です。煙突のてっぺんからバケツでセメントを流し込む仕事です。命綱を着けていましたが、高1にはつらい作業でした(昭和38年で日当は両親が親方から直に受け取り、報酬額は不明)。また、以後にもビルの屋上の板枠上で一輪車(ネコ)を押し、セメントを運ぶ土方も経験しましたが、これもきつく恐ろしい仕事でした(昭和41年時で日当千円/日。同時期大学の授業料千円/月)。

  この歌『浪曲子守唄』を聴いても、経験した土方仕事ととは不思議と結びついてきません。歌詞と違い、人生の蓄積が未だ浅かったためかもしれません。疲れて寝るのが精一杯の記憶です。当時ニコヨンという言葉も死語ではありませんでした。一方、『ヨイトマケの唄』と『山谷ブルース』もほぼ同時代ですが、この二曲には自分の心を打つものがあり、携わった斎場の風景(20年後に祖母をcremate)が瞼に浮かぶことがあります。その違いは判然としません。

投稿: ザジ | 2020年6月 6日 (土) 13時08分

 中学生の頃、流行っていましたね。後年、カラオケでこの歌をうたう人が何人かいました。
しかし、当時は「薄情な」女と「無学」で「馬鹿な」男が別れたというけど、そんな状況でも、別れない夫婦はたくさんいるぞ、別れた理由がリアルじゃないなあ・・と思ったりしました。中学生の頃、この歌は好きではありませんでした。何回聞いても貧乏くさい雰囲気で、元気が出ませんでしたから。
 イチロー選手の「結婚はギャンブルみたいなもの」という名言がありますが、私も72歳の今、聞いてみると、若い時にどんなに思いのたけを込めて結婚してみても、先のことは誰にもわからないのだから、別れるカップルも出てくる。
最後まで連れ添える夫婦は、神様の導きのせいか、本人たちの相当の努力のせいだろな、とそんなことを考えながらこの歌を聞いていました。

投稿: 越村 南 | 2020年7月 1日 (水) 16時37分

越村 南さま
 掲示板[1706]をご覧ください。

投稿: konoha | 2020年7月 1日 (水) 17時31分

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