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2020年6月28日 (日)

遠くはなれて子守唄

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:神坂 薫、作曲:野々卓也、唄:白川奈美

1 ねんねん坊やの 住む里は
  こがらし吹いてる 山の村
  あいにゆけない ママだけど
  まくらぬらして 見る夢は
  抱いて寝かせる 夢ばかり

2 ねんねん坊やの ほっぺたは
  真っ赤に燃えてる リンゴちゃん
  思い出すてた ママだけど
  だんだんにてくる 面影は
  今はあえない 遠いパパ

3 ねんねん坊やの おねだりは
  ジェット機 ミニカー 三輪車
  今は貧しい ママだけど
  約束しましょう がんばるわ
  喜ぶその顔 みたいから

4 ねんねん坊やの 朝が来りゃ
  誰にも負けない 男の子
  幸せうすい ママだけど
  すがる望みは ただひとつ
  一緒に住みたい 暮らしたい

《蛇足》 昭和46年(1971)8月にビクターから発売、80万枚を売り上げる大ヒットとなりました(どの時点までのデータかは不明)

 このころ、どのチャンネルか忘れましたが、毎夜、放送終了の前にこの唄が、きれいな切り絵とともに流れていました。私は、寝酒を飲みながら、この女性と坊やの運命をいろいろ想像したものです。
 2番に「だんだん似てくる面影は、今は会えない遠いパパ」とありますから、愛し合った夫とは死別だったのでしょう。

 高度経済成長の真っ只中で、人手不足の時代でしたが、特別な技能もコネもないシングルマザーが、普通の会社で働くのは非常に困難でした。祖父母など、子どもを見てくれる人が身近にいない場合は、子どもを施設に預けたり、里子に出したりして、水商売に身を投じる人が少なくなかったようです。

 いちばんかわいい盛りの子どもと離れて暮らさなければならない――これはどんなに辛いことだったでしょう。この歌が、キャバレーやクラブの子持ちのホステスに絶大な人気を誇ったといわれるのもうなづけます。

 このころから、すでに半世紀たちますが、小さい子どもを抱えたシングルマザーの生活は、むしろ悪化しているとしか思えません。コロナ禍でさらに追い詰められ、身を売る女性が増えるのを楽しみにしていると公言する男たちがいるのは、まことに残念なことです。

 里子といえば、『レ・ミゼラブル』のファンティーヌとコゼットを思い出します。

 ファンティーヌは、捨て子だったため、名も姓も洗礼名もなかった。ファンティーヌは、小さいとき、通行人がつけてくれた名前。15歳のとき、パリに出て、お針子に。年のいった大学生と恋愛関係になり、夫婦同然の生活を2年続け、コゼットを産むが、不実な大学生は姿を消してしまう。

 生活に窮したファンティーヌは、コゼットをテナルディエ夫婦に預け、北フランスの故郷の町に帰る。そこでは、マドレーヌと名前を変えたジャン・ヴァルジャンが事業に大成功して市長になっていた。
 ファンティーヌは、彼の工場で働き始めるが、同僚たちの偏見からトラブルを起こし、クビになってしまう。仕送りに困った彼女は美しい髪の毛と前歯を売るが、それでは間に合わず、ついに娼婦になって養育費を送り続ける。

 無理に無理を重ねたファンティーヌは、肺病に侵され、とうとう寝たきりになってしまう。その床で彼女が考えるのはコゼットのことばかり。

 そのころ、マドレーヌは、ジャン・ヴァルジャンであることがバレて、逃亡しなくてはならなくなっていた。逃亡の途中、死の床にあったファンティーヌを見舞い、従業員の言い分を鵜呑みにしてファンティーヌをクビにしたことを謝り、コゼットを必ず守ると囁いた。それを聞いたあと、ファンティーヌは息絶えた。27歳だった。

 『Les Misérables』と複数形ですから、この物語には不幸な人びとが大勢出てきます。そのなかでも、ファンティーヌの運命は際立って哀切です。
 この部分を読むとき、私は「ユーゴーよ、あなたはどれだけ人を泣かせれば気がすむのですか」とつぶやきます。

 ジャン・ヴァルジャンは、居酒屋を営んでいる悪辣なテナルディエから強引にコゼットを引き取ります。ここで、私は、
 「よかったね、ファンティーヌ。コゼットはもう安全だよ。そして大きくなったら、ポンメルシー男爵夫人として、このうえなく幸せになるんだよ」
 と彼女に呼びかけるのです。

(二木紘三)

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コメント

 初めて聴きました。今、この世相でこの歌が選曲された意味を考えてしまいました。
 昭和46年というと第一子である長女が1歳10ヶ月です。山上憶良の子を想う気持ち「白銀も金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」娘が成長していく姿は和歌の通り実感していました。彼女の初アルバムの1ページに誕生写真とともに書き添えました。 ーーー 「遠くはなれて子守唄」こんなに切なすぎる歌が歌われ大ヒットとは露知らず、育児家事の日々でした。

 でも考えてみたら、それは厚い氷上か薄氷上かの生活だったかもしれません。高度成長期は過労死が珍しくなかったです。建築ラッシュでの事故死、交通事故死で歌詞のような生活をどのくらい、残された家族が歩んでいかなければならなかったでしょう。現在の日常生活も同様で、何かのきっかけで片親になり、またそれに付随して様々な問題が起きています。

 『蛇足』から、作詞者、神坂氏は巷で数多くのホステスの話を聞いて書いたのではと思いました。ホステスだけではなく結婚と同時に家庭に入ることが当たり前の時代だからこそ大ヒットに繋がったのでしょう。それにしても悲しく切ない歌ですね。

 「瓜食めば 子供念(おも)ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ 何処(いづく)より 来たりしものぞ 眼交(まなかい)に もとな懸りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ」 ーーー これは山上憶良の子を想う長歌で「白銀は・・・」返歌です。

 『蛇足』に『レ∙ミゼラブル』があります。ファンティーヌのコゼットを想う気持ち、ひたすら哀れです。
私が小5の時、給食の時間早く食べ終えた児童のため担任の先生は『ああ無情』を毎日朗読していました。私はすっかりその世界に入り切り、毎日食後の朗読が楽しみでした。それまで漫画が一辺倒だったのに、すっかり読書に目覚めたきっかけの物語でした。

投稿: konoha | 2020年6月28日 (日) 10時30分

仲宗根美樹さんのような少し憂いのある唄い方で、切ない歌詞とメロディーですね。
ヒットしたので歌は知っていますが、
歌手、作者、歌手のことは知らないので調べていました。

発売の時は、私もkonohaさんと同じ年で、娘も1才10ヵ月でした。
小学生の時に母が買って呉れた「レ・ミゼラブル」何回も読んでいました。

投稿: なち | 2020年6月28日 (日) 13時16分

初めて知りました。切なくて、物悲しい歌ですね。

この歌がヒットする1年前の昭和45年4月 転勤で大阪の地を踏んだ当時のことを、思い出しています。
世相は、まさに高度成長期 夜討ち朝駆けなんて当たり前、帰宅は毎晩のように日付けが替わってから・・・睡眠不足で目を腫らしながら、一番乗りで会社の正門をくぐりぬけてた当時に、世間ではこんな物悲しい歌が歌われていたことなんて全然知る由もありませんでした。
S43年生まれの長男と丁度この歌がヒットしたS46年生まれの次男の世話は ひたすらかみさんの手に委ねて、私はただ外を走り回っている戦士のようなものだったのかも知れません。

次男が生まれて間もない頃、かみさんの体調を考えて長男を浜松の妻の実家に1ヶ月間預けたことがありました。
私は、深く考えたこともありませんが、恐らくかみさんの胸中には、この歌の歌詞のような想いがあったかも知れません。
妻の実家に長男を迎えに行った時のことは、今もはっきりと覚えています。久しぶりにパパの顔を見た時の嬉しそうな長男の顔・・・胸が詰まりました。
“すごく いい子してたよね!”と、涙顔で孫の頭をさすり私のもとに可愛い初孫の背中を押してくれた おふくろと親父の寂しそうな顔も忘れられません。

やっとの思いで連れ帰った自宅の玄関近くで、“ママ~ ママ~っと、叫ぶ長男の声を聞くやいなや、裸足のままで飛び出してきて “○○ちゃん!ごめんね!”と、泣きながら抱きしめて いつまでも離そうとしない母親の姿に、なにごとがあったのかと、不審そうに表にでてきたお隣の奥さんも思わず もらい泣き・・・

S46年生まれの次男の保育園時代の父親参観日のこと、わが子を見つめる どこの父親もみんな一緒・・でれ~っとした優しい笑顔で、平和そのもの。 こども達が粘土でつくった父親へのプレゼントを喜色満面に受け取る時のおやじ連中の顔は、まさしく幸せの絶頂でした。

そんな中、たった一人のお母さんがハンカチで顔をおさえながら、ママ!と呼ぶ こどもの前に歩み寄りながら、手作りの大切な粘土の車を押し抱くように受け取る姿に、みんなもらいなき・・・
その子だって・・・ほかのみんなと同じように“パパ!”と、呼びたかっただろうに・・・と、思うと、今のこの幸せがみんなのものであって欲しいと願わずにはいられませんでした。

ねんねん坊やの おねだりは
ジエット機 ミニカー 三輪車
今は貧しい ママだけど
約束しましょう がんばるわ
喜ぶその顔 見たいから

この歌は、半世紀近く経った今でも尚、いろんなことを思い出させてくれる。
懐かしくも切ない思い出とともに・・・・・

投稿: あこがれ | 2020年7月 3日 (金) 09時48分

「遠くはなれて子守唄」先日この曲が最新のコメント欄にアップされて以来、その懐かしさもあり私は今毎日このページに訪れては、その当時の自分のことを色々と想い出しています!

そして『蛇足』の解説を読みながらこメロディを聴いてるとまた格別な感があります。
娘コゼットの行く末を案じながらも身体を患い27歳の若さでそのあまりにも短い生涯を閉じたという、シングルマザーのファンティーヌ、そのあまりにも切なさが込み上げてくるその逸話をここで初めて知りましたが、そのことでこの唄のメロディにしんみり感がより増してきます。

実は私は白川奈美のこのレコード(パイオニア)を持っています。買ったのは17歳の時でした。当時の私は勤務会社の独身寮にいましたが、自分のプレーヤーは未だ持っておらず、レコードを買った時には寮長の部屋に行きレコードをかけさせてもらってました。
寮長の部屋でこのレコードをかけていた時「君はこんな歌謡曲が好きなんだ」と、意外そうな顔をされたことが妙に印象に残っています。
このレコードは当時400円でした。その前に買った小柳ルミ子の「私の城下町」そして「瀬戸の花嫁」も400円でした。

その数か月後にようやく念願だった自分のプレーヤーを買いました。その日に買った三善英史の「雨」と牧村三枝子の「少女は大人になりました」のシングルレコードは500円に値上がりしていました。その当時は全国のシングルレコードが一斉にどの店も100円の値上がりをしましたが、当時、僅かな小遣いのほとんどをレコードに費やしていた私にとってその100円の値上がりは大変ショックが大きかったことを憶えています。

「遠くはなれて子守唄」今そのレコードを手元に置きタイプしてますが、ジャケット表紙の裏にはA面のこの唄の歌詞とB面「ふるさとの雨」の歌詞が両脇に、そしてその中央にはコード付きのこの唄の楽譜が記載されています。そう云えばその譜面を見ながらギターを弾きながら何度もこの唄を歌っていたことを想い出しました。

投稿: 芳勝 | 2020年7月 3日 (金) 18時21分

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