春まだ浅く
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作詞:石川啄木、作曲:古賀政男、唄:有馬通男
1 春まだ浅く 月若き 2 「自主」の剣(つるぎ)を 右手(めて)に持ち 3 そびゆる山は 英傑の 4 勇める駒の 嘶(いなな)くと 5 雪をいただく 岩手山(いわてさん) |
《蛇足》 昭和11年(1936)3月12日公開の日活映画『情熱の詩人啄木──ふるさと篇』(熊谷久虎監督)の挿入歌。
歌詞には、啄木の短編小説『雲は天才である』に出てくる5聯の詩が使われました。
原作には、第1聯の5行目と6行目、第5聯の5行目の後半と6行目が書かれていません。そこで、映画制作にあたって、助監督の安達伸男が補作し、各聯6行になるように整えたそうです。
作曲は古賀政男ですが、寮歌のような感じがしませんか。それもそのはずで、原曲は、古賀が以前作曲した彦根高等商業学校偲聖寮(しせいりょう)の寮歌『眼もはろばろと』なのです。
彦根高等商業学校は滋賀大学経済学部の前身校で、『眼もはろばろと』 は、古賀がいくつも作った寮歌・校歌のうち最も気に入ったものなので、『春まだ浅く』に合うようにアレンジして使ったそうです。歌詞も寮歌調なので、よく合っています。
映画は、フィルムがだいぶ損傷しているようですが、こんな粗筋。
郷里の渋民村で代用教員(正規の教員資格のない教員)になった主人公(啄木)は、校歌を作って生徒たちに歌わせるなど、自由で進歩的な教育を志すが、しきたりにこだわる校長や村の役員たちの反対にあい、ついに郷里の村を追われる。去っていく主人公を、生徒たちが『春まだ浅く』を歌って見送る。
映画に『ふるさと篇』という副題がついているので、『東京篇』とか『流浪篇』といった副題で後篇が作られたのではないかと思って探しましたが、データが見つかりませんでした。
少なくとも、企画はあったようで、島田磬也(きんや)作詞、古賀政男作曲で、『啄木の唄』という挿入歌が作られています。楠木繁夫の唄でレコードも作られましたが、歌いにくいメロディのせいか、ヒットしなかったようです。
「病みて哀しや」「夢も通えよ ふるさとの空」「旅に死すとも」など、啄木の後半生を描いた歌詞なので、後篇の挿入歌として作られたものだろうと思います。
『春まだ浅く』は、1番・3番・5番の歌詞が採用されて、盛岡市立渋民小学校の校歌になっています。ただし、5番の最後の1行は「学びの道に進めかし」に変えられています。作曲は、クラシック系の作曲家・清瀬保二で、古賀作品とは別曲。
『雲は天才である』については、いろいろ意見はございましょうが、啄木の名がなければ、とうてい後に残るような作品ではなかったと私は思います。
主人公が作った校歌を巡ってダラダラと職員会議が続いているところへ、主人公に合力を求める食い詰め男(乞食)が闖入してきます。その身の上話を聞いて、主人公や女教師が同情の涙を流すというところで、唐突に終わっています。題名と何の関係もない内容です。
啄木は、生徒たちとの交流など『雲は天才である』に合う内容にするつもりだったのが、突然書くのが嫌になったのではないでしょうか。このへんの経緯は、啄木の研究家に訊くしかありません。
(上の写真は啄木が学んだ渋民尋常高等小学校)
(二木紘三)
コメント
♪春まだ浅く は、森繁久彌さんの歌で知りました。
JASRACに有馬通男の名前が無いと思ったら、
動画サイトには有島通男で唄っていますが? 初めて聴きました。
盛岡市ではチャイムが流れているようです。
故郷の青空(文顔の里) → 防災行政無線
https://trafficsignal.jp/~fmdhappa/fumi_fukei0001/
渋民小学校の校歌
https://blog.goo.ne.jp/takuboku1511/e/6e1f940a8bab3f78e8fbeba44df8522f
滋賀の歌のページがありました。
♪彦根高等商業学校偲聖寮々歌 作曲 古賀政男 水野康孝
http://otogibanasi.main.jp/siga-sp.htm
JASRAC 作詞 江崎三男 : 作曲 古賀政男
投稿: なち | 2020年9月12日 (土) 12時14分
この曲、何か似ている曲あったなぁ、しばらく考えていて思い出しました。与謝野鉄幹の”人を恋ふる歌”ですね。私はこの手の歌が嫌いです。男はかくあるべき、という押しつけがましさ、があって・・・、またお酒の匂いがプンプンして・・・、
私はお酒が嫌いで飲みません。そして、”人を恋ふる歌のような人はどうも私とはかなりかけ離れているようで近寄り難いですね。
投稿: yoko | 2020年9月14日 (月) 15時13分
初めて聴いた曲ですが、寮歌のようなメロディで心が落ち着きます。そしてなつかしい気分になります。「自主の剣」「愛の旗」「自由の駒」や「白羽の甲(かぶと)」「銀の盾(たて)」などの表現にずいぶん時代がかったものを感じます。
若いころは、あまり好きではなかった啄木ですが、自分が古希をこえて、静かに思うのに、当時の多くの若者の心を捉えた立派な歌人、詩人だったということです。
啄木は60人を超える人から借金をして、返さずになくなったとか・・
昔は、啄木はだらしない奴だなと思ってました。そんなところで自分の値打ちをさげるとは・・一人か二人のお金持ちからどっさり借りればよかったのに、60人以上の貧しい同輩から小額のお金を借りたんですね。馬鹿ですね。貧しい人はだいたいお金の恨みは深い。
しかし、今はそうは思わない。ま、いいじゃないか、当時の人々も、彼も貧しかったんだし、お金の借り方が少し下手だったんだ。いや、お金持ちの知り合いがいなかったのかも。
岩手県はまだいったことがありません。今度、ぜひ啄木の故郷へ行ってみたいです。
投稿: 越村 南 | 2020年9月25日 (金) 20時38分
石川啄木の小説は小学校教員ものと新聞記者ものが多いです。いずれも、だらだらした日常が描かれるばかりで、ドラマチックな展開に乏しいですが、私は優れた小説だと思います。胸の炎は燃え上がっても、実社会においては、とんとだらしない。小説家はそれでいいかと。
投稿: かず | 2021年1月13日 (水) 18時09分