2020年2月27日 (木)

あいつ

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:平岡精二、唄:旗 照夫

1 ゆうべあいつに 聞いたけど
  あれから君は 独りきり
  悪かったのは 僕だけど
  君のためだと あきらめた
  だからあいつに 言ったんだ
  もしも今でも 僕だけを
  想ってくれて いるならば
  僕に知らせて ほしいんだ

2 どんなに君に 逢いたくて
  眠れぬ夜も 幾たびか
  逢いに行けない 今の僕
  思い浮かべる 君の顔
  あいつもゆうべ 言っていた
  悪かったのは お前だと
  あいつに言って もらいたい
  僕を許すと それだけを
  それだけを

《蛇足》 昭和35年(1960)、東芝音楽工業から発売。

 平岡精二はジャズ畑のプレイヤー・ソングライターですが、この歌や『』は、私はシャンソンだと思います。歌詞をフランス語にして歌ったら、多くの人がそう思うでしょう。

 シャンソンは、フランス語では「歌」で、民謡・唱歌から大衆歌謡、クラシック系の声楽まで、歌詞にメロディがついた曲は、すべてシャンソンです。日本の『浪曲子守唄』や『唐獅子牡丹』なんかも、フランス語でいえばシャンソンです。

 しかし、日本人は戦前から、シャンソンを歌一般ではなく、人生の哀歓や時代風潮をエスプリの効いた歌詞で歌う、かなり狭い範囲の歌と受け取ってきました。『ラ・マルセイエーズ』をシャンソンといったら、そりゃちょっと違うだろう、と感じたものです。

 親戚にクラシック以外は受け付けないという男がいて、その連れ合いがかけているCDのシャンソンを聴いて、「こんなフニャフニャした曲のどこがいいんだ」といったそうです。
 たぶん、エディット・ピアフかジュリエット・グレコあたりが語るように歌うシャンソンを聴いたのでしょう。

 シャンソンは、基本的には言葉です。演奏は、歌手の歌い方に合わせて奏でるアコンパニーで、そのときどきの歌手の歌い方によって雰囲気が違ってきます。ですから、言葉への関心が低く、演奏にしか反応しない人は、「なんだ、これは」と思うかもしれません。
 演奏用にアレンジされたシャンソンを聴いたら、また違った感想になったかもしれません。

 ところで、『あいつ』が発表されたころ、仲間内では、これは、喧嘩別れした恋人・ペギー葉山への平岡精二のメッセージではないか、という噂がささやかれたそうです。真偽はわかりませんが、曲を聴くと、確かに特定の人へのメッセージ・ソングのように思えてきます。

(二木紘三)

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