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2007年1月20日 (土)

あずさ2号

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一、唄:狩人

明日(あした)私は旅に出ます
あなたの知らない人と二人で
いつかあなたと行くはずだった
春まだ浅い信濃路へ
行く先々で想い出すのは
あなたのことだとわかっています
そのさびしさがきっと私を
変えてくれると思いたいのです……

さよならはいつまでたっても
とても言えそうにありません
私にとってあなたは今も
まぶしい一つの青春なんです
8時ちょうどのあずさ2号で
私は私はあなたから旅立ちます……

      (間奏)

都会のすみであなたを待って
私は季節に取り残された
そんな気持ちの中のあせりが
私を旅に誘うのでしょうか……

(*)さよならはいつまでたっても
   とても言えそうにありません
   こんなかたちで終わることしか
   できない私を許してください
   8時ちょうどのあずさ2号で
   私は私はあなたから旅立ちます……
(* 繰り返す)

《蛇足》 学生時代から今日に至るまで、新宿・松本間を何度往復したかわかりません。私の学生時代には、「あずさ」だけでなく、特急自体がありませんでした。新宿・松本間は、急行で4時間あまりかかったと記憶しています。

 4時間以上の乗車というと、これはもうりっぱな「旅」です。帰省の前夜には、明日の夜は自分の家で寝るのだと思うと、うれしくて眠れず、休暇が終わって帰京する前夜には、都会の雑踏が恋しくて、わくわくしたものでした。

 特急「あずさ」が初めて走ったのは、私が大学を卒業した翌年の昭和41年(1966)12月12日のことです。このときは1日2往復だけでしたが、その後逐次増発され、終点も松本から大町へ、さらに白馬へと伸びました。現在、「あずさ」のなかで最も速い「スーパーあずさ」は、新宿・松本間を2時間30分前後でつないでいます。

 狩人の『あずさ2号』がヒットした昭和52年(1977)までは、「あずさ2号」は、まさしく新宿8時ちょうどの出発でした。
 しかし、その翌年、ダイヤ改正により、新宿8:00発は「あずさ3号」になってしまいました。これは、上り・下りとも発車順に1号・2号……と数えるそれまでの方式から、下り列車には奇数番号、上り列車には偶数番号をつける方式に変わったためです。現在、8時ちょうど新宿発の特急は「スーパーあずさ5号」です。

 平成14年(2002)2月2日、『あずさ2号』を偲んで、新宿~松本間に「懐かしの特急あずさ2号」が運転され、多くの鉄道ファンや狩人ファンが集まりました。ただし、出発は8時ちょうどではなく、8時2分でした。
 上の写真はこのイベントにおいて、あずさ2号が松本駅に到着した際に撮影されたもの。

(二木紘三)

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コメント

こんばんは、初めてコメントいたします。

演奏にクリックしたら、『あずさ2号』が流れ、私が5年前に新宿で見たアノ列車の情景を思い出します。

私は『あずさ2号-ニューヴァージョン-』というシングルCDを持っていますが、再び、聴いてみたくなりました。そして、カラオケで熱唱したいですね。

投稿: 岸田法眼 | 2007年2月11日 (日) 01時37分

この歌は良い歌ですね。しかし後半の高音の部分が60才を
越えると残念ながら声が出ません。狩人はこの歌より、コスモス街道の方が好きだと言っていたのを聞いたことがあります。

投稿: M.U | 2008年5月21日 (水) 13時24分

「明日私は旅にでます。貴方の知らない人と二人で」これは
失恋でしょうか、無理やり失恋にもって行こうとしているの
でしょうか。唄は悲しい結末が多いがハッピーエンドもあって良い。(希望)

投稿: 海道 | 2008年11月11日 (火) 17時13分

二木先生の解説《蛇足》が微笑ましくて・・・帰省の前夜には、明日の夜は自分の家で寝るのだと思うと、うれしくて眠れず、休暇が終わって帰京する前夜には、都会の雑踏が恋しくて、わくわくしたものでした・・・先生の帰省は郷愁,帰京は満足感だったのでしょうね。このサイト訪問のみなさん ♪【山のロザリア】を開いてください。先生の素敵な青春が伺えますよ!!

投稿: 二人三脚 | 2009年5月19日 (火) 19時02分

ある暇な夫婦のブログより
とてもくだらない事なのですが、夫と意見が合わずに早15年。ぜひ第3者のご意見を聞かせてください。 狩人さんの名曲「あずさ2号」に登場する「わたし」は悪い女なのでしょうか?夫いわく男を捨て、勝手に違う男と旅に出たトンでもない女だというのですが、私にはそう思えない。2番の歌詞を読み解くと、つまり長すぎた春、もしくは煮え切らない男、自分の夢を追いかけ、なかなか戻ってこない男。もう待ちくたびれて、または年齢的な問題で別の男との結婚を選ぶしかなく、旅に出て行くような気がするのです。そんなに女だけが悪者になる内容でしょうか?作詞家の方に手紙を出そうかと思ったほど、毎回我が家では議論白熱になってしまいます。(平和だなぁ)
ぜひご一考ください。長岐に渡る夫婦の議論に終止符の回答をお寄せくださいませ。

投稿: 海道 | 2012年6月28日 (木) 08時24分

昭和40年代、彼女が、青春のお別れに旅をしたと言う木曽路を旅したことがある。彼女に逢えるような、そんな気持ちを抱いて、旧街道、古い町並みを、歩き続けた。
「あずさ2号」(作詞竜真知子、作曲都倉俊一)が、好きで、今でも、在りし日の彼女を偲びカラオケで歌うが、何故か、胸が熱くなる青春の悲しい歌である。柄にもなく、涙ぐむ・・・

投稿:  昭和の庶民史を語る会 | 2012年9月22日 (土) 15時36分

『あずさ2号』は、昔の恋人と行くはずだった信濃路へ、別の男性と旅に出るという歌ですね。東京を起点として長野県へ鉄道で旅行をする場合、中央線経由で甲府を経て松本方面へ向かうか、上越線経由で高崎を経て軽井沢・長野方面へ向かうことになります。狩人の『コスモス街道』は軽井沢・信濃追分付近をイメージしていますが、『あずさ2号』に乗った二人は何処へ行くのでしょう。私は高校・大学の頃信州への旅行が好きで、何度となく出かけました。あの頃は信州周遊券という切符もありました。貧乏学生のくせに、いや貧乏学生だからこそ、夏の避暑地にはロマンチックな雰囲気があると憧れていました。昭和30年代に大ヒットした『愛と死を見つめて』の主人公も信濃路への旅に憧れていましたが、飛行機で簡単に北海道や沖縄へ行ける現代でも信州は魅力的な旅行先です。

投稿: Yoshi | 2012年10月 2日 (火) 00時30分

「愛と死をみつめて」にまで言及されるとは信州人として感謝申しあげます。この実話の男性は伊那北高校を出て浪人中に「みこ」と知り合うのでしたね。

投稿: 海道 | 2012年10月12日 (金) 17時25分

ゼミの1年後輩が企業戦士として、一家庭人として不足のない実績を足跡として、終の棲家を信州・松本に定めたとの便りを耳にしました。旅では得られないであろう「何か」を知りたく鑑み、かのへの憧れが「うた」とともに逼ります。

投稿: 夏橙 | 2012年11月 7日 (水) 19時47分

私も高校時代松本に下宿していました。田舎は40km程度北の所でしたが最近田畑付きで売れましたので、終の住み家は神奈川県になってしまいました。松本はアルプスが見え、美ヶ原、上高地など自然の宝庫だと今でもそう思います。

投稿: 海道 | 2012年11月 7日 (水) 22時03分

ある暇な夫婦さんへ
やっと私と同じ意見のご主人がいると。周りに、この女はけしからん、二股掛け、一緒に行った男の傍で昔の男だけを思っているなんて、と意見を言っても ほとんどはこの女に味方し 可哀そうな純情な女だと 擁護する。
ご主人の意見に同感。

投稿: おじん | 2013年2月22日 (金) 19時38分

平成2年熊本から東京へ転勤しました。愛媛~熊本~東京と夏目漱石の転勤と同じです。次は、名古屋~東京~愛媛と10数回も引越しました。
 サラリーマン生活での転勤貧乏な時期でした。
そんな当時、吉祥寺から毎朝ラッシュアワーの満員電車に揺られて、新宿のホームに着くと、向かいのホームの「あずさ号」に乗り込む人達を眺めつつ、過去の山登りや、いろいろな出来事や思い出、これからのこと等、夢の広がるひと時でもありました。
あずさ号に逢える楽しみが励みでもあり、いつも、あずさ2号の歌を口づさんでいました。
 子育て真っ只中の多忙で貧乏な単身赴任でした。
あれから25年、子供達は東京、神奈川に在住、妻と瀬戸内の海辺の新幹線も走らない静かな田舎町で元気に暮らしています。
 私にとってこの曲は、知らない土地で、家族で助け合って過ごした思い出の懐かしい名曲です。
 時々ハーモニカでこの曲を吹き、皆に聞いてもらっています。来週は、盆で孫たちが帰ってきます。少しは賑やかになります。

投稿: ブルースカイあけちゃん | 2014年8月 9日 (土) 17時36分

ブルースカイあけちゃん さん

 ジャズの「ブルースカイ」もいいですが、湯川れい子作詞・杉真理作曲の『Blue Sky』(スリーグレイセス歌)はベリーベリーグッドでもう最高!是非聴いて歌って下さい。
1991年収録の際のコーラス譜とピアノ譜をいただき<みんなで700曲歌おう会さくら草>のオリジナルに了解を得て歌っております。

投稿: 尾谷光紀 | 2014年8月12日 (火) 11時04分

二木先生、初めて投稿します。先生のブログに何度も癒されています。また、蛇足のなんと魅力的なことでしょうか。皆様の物語にも時間の経つのも忘れます。この歌は東京で学生生活を送っていた頃によく歌われていましたが、わたしはできる限り歌わないようにしていました。「あなたの知らない人と二人で」なんてとんでもないですから。その頃私の彼女(今の家内)は山梨大学に在学中で、月に一度(私は当時、資格試験中であり、お金もないので月に一度がやっと)朝8時の「あずさ」で甲府へ向かうのが当時の唯一の楽しみでした。それが「あずさ2号」でした。私の青春の思い出の歌となりました。

投稿: 如海 | 2014年11月 2日 (日) 19時06分

ある暇な夫婦様やおじん様のご意見を読んで、私はこの女性は二股掛けたのではなく、前の恋人と別れてから新たに旅に出たのだと思います。なぜかと言うと私は、このサイトで歌詞を見るまで「さよならはいつまでたってもとても癒えそうにありません」と思っていたからです。「言えそう」ではなく「癒えそう」だと、恋は終結していると思われます。ですからこの主人公の女性はかわいそうな失恋した女性ということになります。歌っているうちに歌詞が間違われたということはないのでしょうか。

投稿: ぽん | 2015年6月 9日 (火) 16時17分

この時期、京都に行くか? 信州に行くか?と、問われれば、躊躇せず「信州」でしょうね。
祇園まつりもいいけれど、気温36℃の世界から逃れて涼風そよぐ白樺林をのんびりと歩いたり、千曲川沿いに藤村旅情に浸ったり、遙か浅間山を眺めながら「山のけむり」に想いを寄せ、その後 藤村ゆかりの懐古園近くの中棚荘でのんびりとりんご風呂にでも浸かって・・・想像するだけで涼しくなります。
「あずさ2号」(関西からは「ワイドビューしなの」ですが・・・)明日にでも飛び乗って行きたい⇒⇒。

投稿: あこがれ | 2017年7月20日 (木) 14時08分

あこがれさま
 
 ご無沙汰です   六甲で涼まれていたら 都会の暑さはーーー 我慢できないでしょうね  豊中は
 籠池問題も燃え続けていますしね

 京都から 信州へ あずさ2号で --
  いいですね

 加茂川 やや上にあがった 東岸に 狩人のご両親の経営する 喫茶店がありましたが   今もやっておられるのでしょうか?

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年7月20日 (木) 17時43分

『あずさ2号』のメロデイと歌詩、そしてこれに関わる皆さんのコメントを拝聴、拝読していると信州の情景がたまらなく目に浮かび、我が家の本棚の中から井上靖の一冊『氷壁』を取り出し、久し振りに開いてその〔一章〕に目をやりました。「魚津恭太は、列車がもうすぐ新宿駅の構内へはいろうという時眼を覚ました。《中略》時計を見ると八時三十七分、あと二分で新宿へ着く。《中略》ピースの箱を取り出し、一本くわえ、窓の方へ眼をやった。おびただしいネオンサインが明滅し、《中略》いつも山から帰ってきて、東京の夜景を眼にした時感ずる戸惑い《中略》再び都会の喧噪の中に引き戻される・・・」これは「氷壁」の書き出しですが、朝の新宿駅八時発「あずさ2号」とは真逆の、昭和三十年頃の夜の八時半すぎ新宿駅到着シーンです。随分前に読んだこの小説に、これから始まる穂高での出来事や切ない恋愛感情をおぼろげに思い起こすと、また読返してみたくなり、そのまま頁をめくる羽目になった私の読書の秋です。
          迷える古羊

投稿: 迷える古羊 | 2017年10月 5日 (木) 14時53分

あこがれ様
 「坊がつる讃歌」で投稿し、貴兄とお話させて頂いた「迷える老羊改め迷える古羊」です。この度はこの「あずさ2号」にも前述のとおり投稿してみましたので拙文をよろしくご覧ください。上記貴兄の投稿も読ませて戴きました。小生も「伊藤久男:山のけむり」は大好きで、一番から三番まで外さず唄える数少ない歌の一つです。先日「山のけむり」でも投稿しようと原稿を書いてみたのですが、どうしても長文になってしまって只今ペンデイングの状態です。
 ところで小生と同い年の妹様は御元気ですか。あこがれ様も寒向の折からどうぞご自愛ください。
                   迷える古羊                   

投稿: 迷える古羊 | 2017年10月 6日 (金) 00時51分

迷える古羊 様

なんだか不思議な気がします。
2~3日前からの秋冷が、このまま秋をさらっていってしまいそうな寂寥感で、少しふさぎ気味な時を過ごしていました。いっそのこと、もう少し名残りの秋を追っかけて『あずさ2号』で黄金色の信州に旅に出たいな~と思っていたところでした。信州への旅にいざなって頂き、ありがとうございました。

私はS19年生まれの運動神経の塊のような妹と違って、どちらかと言えば読書や音楽に関心を抱いていた普通の男でしたが、昔から山に対する憧れは、今も変わりません。
残念ながら、穂高も常念も近くまでは行くものの、ただ見上げるだけの憧れの山でした。

半世紀以上も前、社会問題にまで発展した切れる筈のないナイロンザイル切断の謎を巡り、雄大な自然(前穂高の東壁)と都会を対応させ、恋愛と男の友情を描いた大作「氷壁」の、ストーリーは今でも鮮明?に記憶していますが、本当にもう一度読み返してみたくなる本ですね。
井上靖といえば、信州同様 京都大好き人間の私の書棚には、彼が作家として立つ原点となった出世作「猟銃」は、ありますが、「氷壁」はありません。転居の時にでも失くしたか・・?また得意の古本屋漁りでもしてみます。

長くなりましたが、ついでの思い出につき合って下さい。
あれはS45~6年頃のことでしたが、電車で信州への出張の帰り、特急だったのか急行だったのか、はっきりとはしませんが、私の前の席に明らかに登山からの帰りと思われる髭もじゃの、それでいて目の澄んだ私より2~3才は年配な感じの青年が大きなリュックを、こともなげに棚の上に乗せるとおもむろに胸のポケットから煙草を取り出して~丁度私も一服したい感じで煙草とライターを出して口にくわえ様とした時、目の前からガチャッとZIPPOのライターが~無言で差し出され、一瞬驚いた私を見つめてにこっと微笑みかけた顔が印象的で、今でもふっと思い出します。それが特急あずさだったかどうかは分かりません。


投稿: あこがれ | 2017年10月 6日 (金) 22時25分


迷える古羊 様

貴兄と同じ年の私の妹も、数年前までママさんバレーの監督をしていましたが、今は旦那共々 家庭菜園に
うつつを抜かしながら楽しく過ごしているようです。
貴兄のことを話したら、楽しそうね!と笑っていました。

投稿: あこがれ | 2017年10月 7日 (土) 11時35分

あこがれ様
いつも胸が熱くなる様な暖かいご返事を頂き、有難うございます。妹様もお幸せにお過ごしのご様子何よりでございます。大変嬉ししく存じました。皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
また、昨日は坊がつる讃歌欄で小生宛に(2017/10/07の21時00分付)コメントを頂き、ご丁寧にすみません。先ほど.気がつきました。S・Hさんが貴兄の後輩と言うことは、あこがれ様は某舟入高校卒と言うことですか、彼女の実名を言えば同窓会名簿などで判るかも知れませんね。仮に結婚していても旧姓は記してありますからね。  
 世間は本当に狭いですね~50年以上過ぎているのに胸きゅんの自分がいます。恐いですね~笑うしかありません。有難うございました。                           迷える古羊

投稿: 迷える古羊 | 2017年10月 8日 (日) 19時35分

 お笑い下さい。
この歌が流行っていた1977年頃は仕事が忙しく、朝早くから夜遅くまで仕事(残業)をしていて歌を覚える(聞く)
状態ではありませんでした。只、「あずさ二号」と「狩人」の文字は(単語として)知っていました。

 ある時期まで 「あずさ二号」 が 「狩人」 という唄を歌っていると思っていました。(歌詞はほとんど知りません)

 というのも、中学の音楽の時間に聞いたクラッシクの「狩人の合唱」の題名だけが頭の中に残っていました。
また長じてから、コント55号が活躍していたので、の二つの概念から 歌手名=あずさ2号、 曲名=狩人 と
思い込んでしまった次第です。

後年、この話を家内にしたら 「あんたらしい」 とお褒め??の言葉を ・・

投稿: グ・ゴロリア | 2017年10月15日 (日) 18時54分

内田康夫さんが亡くなりましたね。3月13日だったそうです。

この歌を聞いていたら、そうか~ 内田康夫さんがな~
信州が好きな人だったな~ 軽井沢に転居されてからは、執筆業以外に警察関係で講演されたり、浅見光彦クラブの活動なども、活発になさっていたとかの噂を聞いてはいましたが・・・。83才 うーん ちょっとまだ早いような、 そんな感じがします。

松本清張・黒岩重吾・内田康夫は、大好きで片っ端から読み耽りましたが、浅見光彦も 信濃のコロンボ も、これでさよならということだと、ちょっと寂しいな。

今年の夏は、文庫本片手に ぶら~っと、信濃の旅にでも出掛けたい気分です・・・。 合掌

投稿: あこがれ | 2018年3月18日 (日) 15時41分

私が名古屋栄のビル街で勤務している頃、昼食をすませ、栄地下街の交差点からオリエンタルなかむら百貨店(後に三越百貨店に変る)へ出る(昇る)階段の途中で、ポシェットが落ちているのを見つけたので、すぐ近くにあった地下街の警備室にそれを届けたことがあります!
その時に警備の方と、その中身の確認をするとのことで、届けた私も立ち会うことになりました。するとポシェットの中には、少しの化粧品と白黒のツートンで、エナメル質の財布が入っていたのですが、財布の中を確認した時に、数枚のお札と、おしゃれな便箋を4等分に折りたたんだ、1枚の何かをメモした紙も出てきました。
警備員がその紙を私の前で広げると、一番上に「あずさ2号」と書いてあり、それに続けてこの歌の歌詞が綺麗な文字で一面に綴ってありました。
その時はそれほどでもなかったと思いますが、この歌はその後、たちまちヒットして行きました。
そして私が届けた翌日、警備会社から、知らせていた私の勤務先へ連絡があり、落とし主は、栄地下街交差点角にあった、化粧品のムラサキヤの女性店員の方だったそうです。お礼がしたいとの本人からの申し出による伝言があったそうですが、私は丁重にお断りしました。
その当時は気にもしなかったのですが、あれから40年が経った現在の今、思ってみれば、「あずさ2号」の、淋し気なこの歌詞を綺麗にメモして折りたたみ、財布にしまっていた、この女性の当時の心理が、少し気になったりはします。

投稿: 芳勝 | 2018年3月19日 (月) 14時58分

昭和40年頃だったような気がしますが、名古屋から夜行列車に乗って朝早く松本駅に着き、待合い室のだるまストーブを囲んで冷えた身体を温めながら、時間調整をしていたことを思い出します。

当時の私は大阪に本社のある(それから10年後くらいに東京本社・大阪本社となりました)メーカーに努めており、信州松本は名古屋支店のテリトリーでしたので、月に1回 1泊2日の予定で松本を中心とした南信地区を巡回していました。

待合い室のストーブで身体が温まった頃合いを見計らって、近くの食堂で暖かい味噌汁と卵焼き、魚の干物の朝食を済ませ、そこからタクシーで得意先まで行きました。

辺り一面真っ白な雪景色の中、雪を纏った北アルプスの偉容が、まるで油絵のような景観を醸し出して、忘れられない 春まだ遠い 初春の風景でした。

地元の大手建材店の前でタクシーを降りると、社名入りの法被をきたお店の番頭さん(専務)が、竹箒で店先一帯の雪を掃き寄せながら、おはようございます!今朝着いた?と、元気のよい声をかけて下さいました。私も慌てて おはようございます!ご苦労様です。いつもお世話になります!と、お答えし鞄を置いて 雪かきのお手伝いをしました。
その後、事務所の一角の応接コーナーで、大きなお寿司屋さんで出てくるような湯飲みと電気ポットにたっぷりのお湯と茶こし器、それに大きなお皿に山盛りの漬け物が出され、ぼりぼりと漬け物をかじり、湯飲みたっぷりのお茶を飲みながら ゆっくりと近況を話しあいながら商談したものです。

信州のどこに行っても、湯飲みのお茶が半分くらいになると、すぐお茶を足して いつも満杯にされてしまいます。
それに 沢庵だけでなく、かりんや白菜、人参、柿 等と各家庭により いろんな種類の漬け物が山盛り出され遠慮無く頂きながら1時間もいれば、お茶と漬け物で腹一杯になり、お店の外に出たら、漬け物の臭いげっぷが出まくって参った思い出があります。
そんなお付き合いで、1日3~4軒のお得意先まわりをするのですから、夕方ホテルに着くころには、漬け物の顔も見たくない!状態で、遅めに 控えめなあっさりした夕食を済ましたものでした。

それこそ、漬け物のお化けの夢を見そうな、信州の出張旅行でした。

今、JRの時刻表で中央線のダイヤを見ても、夜行列車なんて もう走ってないのですね。

東京からは、あずさ2号・・関西からは、特急しなの、それなりに夢がありますが、夜行列車で信州の旅に出てみたいな~と、夢見ています。

投稿: あこがれ | 2018年4月21日 (土) 01時21分

芳勝様
名古屋市の栄界隈のお話懐かしく、また、興味深い後を引くお話、有難うございました。私もその「先見の明」がある謎の女性に会ってみたいですね。
私は、昭和50年に神戸から名古屋へ転勤になり、名東区の社宅から、それこそ当時、オリエンタルなかむら百貨店の斜め前にあった日生ビルの支社まで通勤していました。ムラサキヤの前はいつも通っていましたので、ひょっとしたら時々 貴兄ともすれ違っていたかも知れませんね。
最近、名古屋も駅前が高層ビルで大きく変わりましたが、今度は栄地区が変わるそうです。高層ビルは落ち着かないし、面倒くさいので、あまり好きではありません。したがって、栄界隈はこのままにしておいて欲しいと思っています。何よりも丸栄百貨店が無くなるのが淋しいですね。
 すみません・・「あずさ2号」にあまり結びつかず、
彼女が幸せなら良いですね・・
 「コスモス街道」も良い歌で好きです。
               2018.6.9 迷える古羊

投稿: 迷える古羊 | 2018年6月 9日 (土) 23時14分

迷える古羊様

お便りを拝読しながら、懐かしく40年前を想い出させてもらいました!
迷える古羊様がお勤めになられていたという、栄地下街入口付近あった日生ビルも覚えています。

確かに丸栄百貨店が無くなるのは、私も淋しい気持ちです。「あずさ2号」この歌がヒットしていた昭和52年当時は、丸栄スカイルにもよく行きましたが、特に印象に残っているのが、カネボウ化粧品サンケーキのCMで有名になられた当時19才だった夏目雅子さんの、日に焼けた水着姿の大きなポスター写真パネルが、スカイルビル表に展示されたことがあり、その美しさに目を見張った事と、不思議ですが、彼女は大スターになると直感した覚えがあります。

そして栄地下街交差点にあった。化粧品のムラサキヤ向かいにある、日産ギャラリー前で待ち合わせをしたり、通り付近にあった銀座ライオンでランチをしたりしました。

名古屋を離れて38年になりますが、「あずさ2号」この歌のおかげで、楽しかったその頃が一気に甦りました。


投稿: 芳勝 | 2018年6月10日 (日) 03時09分

 こんばんは。懐かしい曲のタイトルと見解を読みましてコメントしたく書き込みさせて頂きます。
 この曲は私が小学2年の年末、レコード大賞で狩人が歌っていたのを見たのがきっかけで知りました。メロは覚えていても歌詞は子供には理解できず、学生時代に友人がカラオケで歌っていたのを聴きまして、意味深な歌詞だなと思ったのを覚えています。

 冒頭で”明日私は旅に出る”、後半で”8時ちょうど”の部分が友人と議論になりました。手紙では出発が明日、時間は8時と告げてる事から、”私”は駅で”あなた”を最後のチャンスとして待ってる筈だろうという事からシーンを二人で想像しました。

 ”私”は出発の前日の朝、乗車する筈の2号を見に行ってから想いのこもった手紙を綴り、”あなた”の家のポストに投函した。”あなた”との都内での想い出の場所を巡った後帰宅し、信濃路を想像しながら旅の準備を整える。出発の朝、”私”は新宿駅で”あなた”を待ち続ける・・と想像。一方”あなた”の方は、
 出発の日の朝、夜勤明けだかで朝帰りで帰宅し、ポストの手紙を読んだ後、新宿駅にダッシュ。8時ちょうどのあずさ2号が到着する前に二人は逢え、抱き合った彼女の手から2号のチケットが落ちるシーンでエンディング。

 友人は「彼は恐らく来ないだろう」と言いましたが、「現実はそうかもしれんが、唄の世界の中だけでもハッピーエンドが良いんじゃないか」と私が主張しましたので、こんな感じの世界観が出来、友人が上記のイメージでビデオクリップに使えそうな短いシナリオを書いていました(残念ながら紛失してしまいました)。
 ただ、”あなたの知らない人と二人で”の部分は”あなた”を呼び出す為のハッタリじゃないかと友人の女性は申してましたが。

 その後LDカラオケなどで映像に注目しますと、殆どか信濃路を”私”一人で巡っている物が多かったので、やっぱり友人の意見の方が現実的なのかなと思いました。
 他のコメントされている方々の歌詞分析も興味深く拝見させて頂きました。作詞者の方が歌詞については詳細を語ってないので色んな想像が出来ますね。私達の分析もその中の一つとしてお読み頂けたら嬉しいです。長々と失礼いたしました。

投稿: s.n | 2019年6月13日 (木) 22時58分

「あずさ2号」私はこの唄のメロディが大好きなので、今でも時々ここへきては皆様から寄せられたコメントを読み返すことがあります!

そんな中でいつも気になっていたのが、2012年6月28日『ある暇な夫婦のブログより』という海道様のご投稿コメントでした。

>ぜひ第3者のご意見を聞かせてください。狩人さんの名曲「あずさ2号」に登場する「わたし」は悪い女なのでしょうか?・・作詞家の方に手紙を出そうかと思ったほど・・

私の答えは、この主人公が決して悪い女性だとは思えません。自信はありませんが・・(笑)
それは多分自分に対する彼の愛の弱さを心のどこかで仄かに察知してきた加弱い女性が、日々悩みながら思いつめた末に愛する彼から身を引くためにどうしようもなく決断した、彼女なりのやむにやまれぬとても辛い行動だったのでないのかと私は想像します。

さよならはいつまでたっても とても言えそうにありません。

こんなかたちで終わることしか できない私を許してください。

彼女の切なく悲しい気持(本心)が上記の詩にすべて表現されているかのような私はそんな気がします。

「あずさ2号」ちょうどこの唄がヒットしているころの私は、恩人の紹介で入社した大手装飾会社の名古屋市栄地下店に勤務していましたが、当時は昼の食事も忘れるくらいに仕事に没頭していた若かりしその頃の自分を想い出します。

投稿: 芳勝 | 2020年12月14日 (月) 18時31分

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