少年時代
(C) Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞・作曲・唄:井上陽水
夏が過ぎ 風あざみ 夏まつり 宵かがり 目が覚めて 夢のあと |
《蛇足》 平成2年(1990)、東宝映画『少年時代』(篠田正浩監督)の主題歌として制作されました。
映画は、芥川賞作家・柏原兵三の自伝的長編小説『長い道』と、それを漫画化した藤子不二雄A(本名は安孫子素雄)の長編マンガ『少年時代』に基づいて制作されました。
戦時下の昭和19年(1944)に富山に疎開した東京の少年と地元のガキ大将の物語です。2人の間に繰り広げられた葛藤と友情を詩情豊かに描き、いくつも映画賞を獲得しました。
上の写真は、主人公をいじめていたガキ大将が主人公が実家に帰る段になって見送りに駆けつけるラストシーン。
井上陽水の歌詞は、省略と隠喩が多く、ちょっと象徴詩のようで、歌詞としてはかなり異色です。メロディも、過ぎ去った少年時代への郷愁をかき立てる傑作です。井上陽水の代表作といっていいでしょう。
上の絵は2011年の年賀状用にPhotoshopで描いたものです。井上陽水の歌のイメージで描きました。
(二木紘三)
コメント
この歌いいですね。大好きです。
MP3の編曲もすてきです。
映画のことは初めて知りました。
投稿: sumakiru | 2006年7月 5日 (水) 06時59分
「歌詞としてはかなり異色」とのことで、分からなくても無理がないか、とちょっと安心いたしました。分からないところは想像で補い、歌って(草笛演奏して)おります。映画と原作に当たりたいと思います。ありがとうございました。
投稿: Leafman | 2006年7月14日 (金) 11時47分
私はこの曲に「風の又三郎」を重ねてしまっていました。 これか
ら原作の漫画を買ってみようと思います。 素敵な蛇足をいつもありがとうございます。
投稿: 成瀬 | 2007年9月21日 (金) 10時10分
高校生に。。。
「井上陽水はあの顔でもてるらしいよ」と言うと「へぇ」と。。。無茶苦茶驚いていますが
石川せりさんのような美しい方と結婚してるんだもの。。。
ホントなんですよね?
この歌詞は雰囲気で感じて、そのまま納得できる素晴らしいものですねぇ。
投稿: sunday | 2008年7月17日 (木) 10時30分
小生1934年生れ、73歳。1945年8月16日、縁故疎開先に”国民学校”代用教員の長姉が青酸カリを持ってきた。平壌の長兄、天草の次兄は帰ってこない、家族全員死のうと。父、次姉、小生、弟、なんとなく同意した。母が猛烈に反対した。その夜、皆が泣いた。私の少年時代。生きていたら「長い道」を読み、映画を見たい。
投稿: 束野間一平 | 2008年8月20日 (水) 17時06分
1973年ごろ、私はある語学校で、20歳前後の若者たちと混じって学んでいましたが、彼らの間で井上陽水の人気は、ダントツで圧倒的でした。この詩と曲からも、見かけによらない?陽水の感性のすばらしさが解ります。映画も良かったですね。
投稿: Bianca | 2008年8月21日 (木) 22時17分
この曲を聞くと。映画の場面を思いだします。木の電信柱、土の道、今はない風景です。雨が降っても雨水を吸収してくれたのでしょう。ぬかるむと足にはねて、靴下が、ぬれてつめたかった事、車が通ると、はねられて大変でした。
投稿: 昔の少女 | 2008年9月28日 (日) 13時03分
とても幻想的で不思議な味わいのある名曲だと思います。「風あざみ」という表現は、井上陽水さんが作った造語だと聞いたことがありますが、本当でしょうか?
投稿: 本田雅生 | 2009年8月12日 (水) 18時19分
藤子不二雄Aは週刊少年マガジンに「少年時代」を連載していましたが
連載しているときは読者からの反響はなく
連載が終わると、それまで無言だった読者から
とても心に残る漫画だったというファンレターが殺到したそうです。
原作柏原兵三のことを、やはりプロの作家だと藤子不二雄Aは誉めていました。藤子もやはり疎開して似たような体験をしたらしいです。体験したことを文章にまとめるには表現力が必要ですから。
柏原兵三は独文学者で、ドイツとアメリカにそれぞれ留学しました。
投稿: みやもと | 2010年6月 2日 (水) 21時21分
このコーナーで歌を覚え、それが映画でどう使われているか知りたくて、ネットでDVDを買い、見ました。
主題歌というのは全編を流れているのかと思ったら、ただ一か所、最も印象的に出て来ました。
いい歌と、美しい映画をご教示いただき、感謝します。
投稿: 大坂一義 | 2010年6月 6日 (日) 21時03分
読売新聞7.13朝刊に載った藤子不二雄A氏の述懐抄録です。
「少年時代」夢の映画化――僕はプロデューサーで…主題歌だけは作りたかった。…井上陽水氏がいい、とひらめいて。…「安孫子さんが詞を書くなら曲を作る」と言うんです。…2か月ほどかけて詞を書いて、送りました。「あの時 ぼくは きみと 出会った 山のふもとの あの長い道の 途中で――」と、なかなかいい詞か゛出来たんです。
ギリギリになって…まさにイメージ通りの、あの名曲が出来上がっていた。でも、僕の詞は1行も使われていない。陽水さんは…コンサートを延期して、3週間、スタジオにこもってつくってくれたんですって。
投稿: 大坂一義 | 2010年7月16日 (金) 19時19分
私は勝手に、曲は篠田正浩監督が井上陽水に依頼したものと思っていました。詞についても安孫子さんの詞がどうこうではなく、もはや陽水の詞しか考えられない気がします。
投稿: 周坊 | 2010年7月17日 (土) 22時09分
イメージ画拝見しました。
歌詞が難しくて、胸がモヤモヤしていましたが、この絵一発で理解できました。どう理解したか言葉では説明できませんが、とにかくああそういうことかと胸に落ちました。絵を見ながら、三回繰り返して聞きました。
投稿: コマツ | 2011年1月 4日 (火) 04時00分
十数年前『長い道』『まんが道』を同時ぐらいに読みました。『長い道』は疎開先で、ボスの座を守ろうとする少年に執拗ないじめを受け、それに耐え最終的には友情が芽生えるという話だったと思います。『まんが道』は漫画家という同じ道に進む少年の友情、少し明るさのある話だったと思います。この歌の感じと『長い道』とは少し違和感があります。疎開先でよそ者を排除する田舎の生活を体験された方は多いのではないでしょうか。歌は陽水の少年時代の感覚のように思われます。少年時代といえば戦後、小松崎茂の描く雑誌の挿絵の少年はきれいでした。子供心に挿絵の少年に憧れました。
投稿: ハコベの花 | 2011年1月 6日 (木) 13時22分
前のコメントの訂正をさせてください。藤子不二雄Aの「少年時代」と「まんが道」は別の内容だったのですね。混同していました。間違えていました。お詫びします。
投稿: ハコベの花 | 2011年1月 7日 (金) 00時16分
舞台になった富山県入善市の隣の黒部市に住んでいます。20数年前地元でも話題になった小説「長い道」を読んで感動し、後年マンガ「少年時代」を読んでさらに感動し、そしてさらに後年映画「少年時代」を観てこれまた深く感動しました。主題歌も実に印象的でよかったです。この歌は映画のために作られたとのことですが、映画の内容と少しかい離しており、私はむしろ、この曲と歌詞のイメージが先にあって、それを練りなおして映画に使用したのではないかと思っています。まさに、夢(歌)はつまり想い出(映画)のあとさきですが、、、。
投稿: SK-2 | 2015年7月26日 (日) 14時34分
今、映画「少年時代」の原作「長い道」を読んでいます。約半分読んだところですが、インターネットでその映画も先走って見てしまいました。田舎の村、山、海岸、学校の映像も配役も懐かしく素晴らしかったです。私の少年時代、昭和20~30年代が忠実に再現されているように思えました。
私も小学校1年生から2年生にかけて転校した経験があります。映画と重なる心象風景を理解することができました。
最後の列車での別れのシーンではこの歌の主題歌とあわせて感動して涙がこぼれてしまいました。
小説の「長い道」、残り半分も読むのが楽しみです。
投稿: yoko | 2018年10月14日 (日) 21時47分
8月も今日で終わりなので、この名曲をじっくりと聴いています。
投稿: 矢嶋武弘 | 2021年8月31日 (火) 13時39分
毎年夏になるとカラオケ同好会で「少年時代」を歌ってきました。その時頭に浮かべるのは、麦藁帽子にランニングシャツ、半ズボンで下駄ばき、虫を獲る網を持つ少年の恰好です。
二木先生の描かれているのよりはもっと、ダサい恰好ですね。
私自身は病弱でそんな経験は皆無なので、この少年の姿は日本の少年の夏の日の原風景かもしれません。
こんな少年の姿を振り出しに頭の中で1人で歌う時、私の頭の中では連想が始まり、いつもお定まりのコースを芋づる式につながっていきます。
まず浮かんでくるのは「さようなら、あまりに短かかりしわれらが夏のきらめきよ」の詩句。
それから、加藤周一の「羊の歌」の「高原牧歌」という長い散文で書かれた抒情詩のような1章へと続きます。
夏のおわりをこれほど美しく描いた文章を他に知りません-ーと啖呵をきるほど他に沢山読んでいるわけではありませんがーー。上の詩句も加藤さんの訳です。
ここから連想は何故か、いつも次の歌に飛んでいきます。
山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
なぜこの歌にいってしまうのか自分でも訳が分からない。
その上しかも、「山鳥」が何時の間にか「蜩」に変わっているのです。蜩は夏の終わりに鳴いて人恋しさや終焉の悲哀を思わせるからかもしれません。
毎年今頃、近くの玉川上水の小径を散策すると蜩の声を聞くのですが、今年はまだ鳴いていません。
私の連想はここで終わるのですが、「少年時代」をきくことは、二度と戻らない遠い少年の日の思いをよみがえらせ、切ない郷愁にしばし身を委ねる甘美のひとときでもあります。
投稿: ナカガワヒデオ | 2021年9月 1日 (水) 16時32分
少年時代・・・、僕にも少年時代があった。永遠に続く日々であったように当時は思っていました。高校や大学などずっとずっと遠い将来のことだと。トンボや蝉も追っかけました。
夏の終わり、この名曲にひたっています。
投稿: yoko | 2021年9月 1日 (水) 23時09分
初めてこの歌を聴いた41歳の時から<ああ、これはいい歌だな、さすが陽水>と深く印象に残りました。
歌詞を見ると、井上陽水の造語が三つほどあって、そのために、象徴詩のような新鮮さやわかりにくさを感じるのではないでしょうか。
意味不明な言葉で辞書にのっていないので、陽水の作った造語というしかないのですが、少し調べてみました。
1、風あざみ・・・・あざみ、鬼あざみという植物と結びつけないほうがいいです。ここは、秋の気配を帯びてきた風です。
2、宵かがり・・・・宵の頃、ともされたかがり火。
3、夢花火・・・・・夢のような美しくも虚しい花火。
この三つの語葉は、曲を聴いた人からの質問が多いのだそうで、ネット上にいろいろな答えがあり、妥当なものを選んでみました。
例えば、風あざみを「あざみを押しのけて吹いていく強い風」という訳よりも「秋の気配の風」のほうがいいのではないでしょうか。
この歌は、自分の年齢が60歳、70歳になってから思い出す、50年ほど昔の少年時代の夏の思い出です。昭和23年生まれの井上陽水と少年時代がほぼ重なる私には、しみじみと心にしみる歌です。
投稿: 越村 南 | 2021年9月 2日 (木) 15時53分
りんご農園の脇路を走っています。だいぶ収穫されてはいますが、まだ沢山の赤い実がぶら下がっている木もあります。今日は暖かくて風もなく、いい日和でした。千曲川もゆったりと流れてのんびりです。
( 6週間程 前のことです )
そんな中で思い出していたのは
深緑の隙間から木漏れ日が輝き
途切れることなくつづく鳥たち
の囀り。 それがいい ・・
それでいい ・・
ついに忘れることができなかった。 もう二度と聴くことが出来ないであろうその声 ・・
時を同じくしてジョン・レノンもその地を訪れていたことを
後に知りました。この間発売された [ ナウ・アンド・ゼン ]
* 僕は時々に君に逢いたくなる。時々、君が傍にいて欲しいと思う。*
もしかしたら隣の小径を歩いて
いたかもしれませんね。
あの日採った1対の若葉は40年以上の間押し葉にされ、カサカサになりながらも原形を保ち、私を懐かしい世界へと誘ってくれます。そして瞼を閉じると、ほっ・・とする気持ちと共に涙がそっと押し上げてきます。
お元気そうで嬉しく思います
安心しました。そして お祝いいたします。
投稿: junko | 2024年1月 1日 (月) 11時13分