明治一代女(その1)
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1 浮いた浮いたと 浜町河岸に (台詞) 2 怨みますまい この世の事は 3 意地も人情も 浮世にゃ勝てぬ |
《蛇足》 昭和10年(1935)に日活=入江プロ映画『明治一代女』の主題歌として作られました。この映画は、川口松太郎の同名の小説に基づいています。
日本橋浜町の待合茶屋・酔月楼の女将だった花井お梅は、明治20年(1887)6月9日の夜、大川端、すなわち隅田川のほとりで箱屋の八杉峯吉を刺殺し、無期徒刑(現行刑法の無期懲役)に処せられました。上記の映画・小説は、この事件をテーマとしています。
箱屋は、箱に入れた三味線をもって芸者のお供をする男衆ですが、芸者置屋でのさまざまな下働きも仕事の1つです。
たちまち売れっ子芸者に
花井お梅は元治元年(1864)、下総国(千葉県)の貧乏侍・花井専之助の娘として生まれました。慶応3年(1867)、一家は江戸に出府、お梅は、明治5年(1872)、9歳のとき、日本橋吉川町に住んでいた岡田常三郎の養女になります。
『妖婦列伝』の著者・田村栄太郎は、おそらく食い詰めた専之助がなにがしかの金と引き替えにお梅を譲ったのだろうと推測しています。ていのいい身売りです。
常三郎のほうでも、自分の子としてかわいがるのではなく、年頃になったら芸者に出して稼がせる目論見だったと思われます。お梅は当時すでに、彼にそう思わせるだけの容貌をしていたのでしょう。
その証拠に、15歳で芸者になった彼女は、18歳のときにはすでに一本、すなわち置屋から独立した自前の芸者になっています。一本になるには、芸者置屋への前借金を返済しなくてはなりません。それだけ彼女が売れっ子だったということです。
自前となったお梅は、最初は元柳町十番地で、のちに新橋日吉町に移って置屋を営むとともに、自分も芸者として座敷に出ました。
このころ、お梅には三十三国立銀行の頭取・河村伝衛というパトロンがついていました。河村はお梅に深く入れ込んで、いわれるままに大金を出していたようです。
20歳のとき、彼女は養父と離縁し、花井姓に戻りました。どんどん稼ぐようになったお梅を養父が手放すわけがありません。おそらく、なにがしかの手切れ金を渡して、お梅のほうから強引に離縁したのでしょう。
お梅は、花井姓に戻るとともに、車夫になっていた実父専之助を引き取りました。
待合「酔月楼」を開業
明治20年(1887)5月14日、お梅は貯めこんだ金を元手に、日本橋浜町に待合茶屋・酔月楼を開業します。どういうわけか、彼女はその営業鑑札の名義人を父専之助にしました。
男の名義人のほうが世間の通りがいい、とでも専之助に言われたのかもしれません。実質的な経営者は自分だから、名義はどっちでもかまわないし、父親を名義人にすれば親孝行になる、とお梅が考えた可能性もあります。
ところが、これがお梅の不幸の始まりでした。
田舎育ちの堅物だった専之助は、水商売の特殊な風習がなかなか飲み込めず、しかも、士族に多い父権意識の強い人物だったようです。
そのため、お梅の商売のしかたが気に入らず、使用人に対する態度から金の使い方まで、ことごとく文句をつけたといいます。当然、親子の間には争いが絶えませんでした。
のちにお梅は、このころの様子を次のように語っています。これは、無期徒刑から減刑されて、15年ぶりに出獄したお梅が『国益新聞』の記者に語った回顧談の一部です。
「……私がお客の注文の物、お座敷で女中の働き方、それについて色々言うと、お前のように一人でばかり威張り散らし、勝手なことを言ったって、利きはしないって言うんです。その上、父は乱暴でした。酔月楼については、片肌を脱いでかかったのは私なのに、私が何か言うと、『酔月楼の名義人は俺だ、何事も俺がいいようにするから、かまってくれるな』と言うんです。
私は父と衝突して、毎日のように言い合いをしましたが、親には勝てぬから、しまいには黙ってしまいますが、腹ん中の虫は納まりやしません。じりじりすると酒なのです」
明治20年(1887)5月26日、お梅は、酒を飲んで専之助と激しく口論した末、着の身着のままで家を飛び出してしまいます。
すると、専之助は27日の朝、突然休業の札を出すとともに、鍵をかけて、お梅を閉め出してしまいました。
家に入れなくなったお梅は、知り合いの家を泊まり歩きながら、店を取り戻す方策をあれこれ考えます。(その2へ続く)
(二木紘三)
コメント
花井梅の事歴については、芝居講談歌謡曲の誤ったイメージが先行してしまい、実像をこの解説で初めて知りました。中年のころの写真を見たことがありますが、若い頃はさぞかしと思わせる、驚くべき美人が写っていました。後年『お汁粉屋』を開業するが、好奇心のかった世間ではうまく行かず、落魄した人生を送ったとか・・・。ひとしお哀れを禁じえない。
投稿: 川本 誠 | 2007年6月27日 (水) 10時38分
久世光彦さんの小説 <陛下>の中に、2番・3番の歌詞がありました。1番の歌詞が知りたくて、ヤフーで
(題名の明治一代女は知っていました)検索したら、一発でわかりました。ただただ、素晴らしいの一語です。
じっくり拝見して、また、投稿します。久世さんには
歌を扱った、マイラストソングという、著作もあります。まだでしたら、御一読下さい。
投稿: ユートピアATS | 2008年7月18日 (金) 21時07分
素晴らしい演奏です.DVD を発注しました。
入江たか子のお梅を是非見たかったのですが
木暮実千代も期待しています。川口松太郎の
小説も是非読むつもりです。神楽坂浮子の歌
も素晴らしいですね。先日浜町あたりを散策
しましたが期待はずれでした。
投稿: 岸本雅夫 | 2008年9月21日 (日) 02時23分
この歌は私の最も好きな曲のひとつです。メロディと言い、歌詞と言い、もうメロメロです。
1978年12月5日年に放送された「藤田まさと作詞生活50周年記念番組」で,由紀さおりが歌った動画をyou tubeで見たのですが、実に良かった。この動画のコメントとしてある外国の人が、この歌に寄せる私の切なる想いを見事に代弁してくれました。
The composers and lyric writers are so talented that they have liftedJapanese arts to an unparalleled level; it is really a pity that nowadays we see no more similar talents from Japan entertainment circle.
I hope all the Japanese modern artists can take this subject seriously.--Peter
投稿: くまさん | 2009年4月19日 (日) 23時08分
上記の素晴らしい台詞入りの歌を、昔聞いたような気がするのですが、現在、U-チューブに掲載されている動画では、たくさんの歌手が歌っているのですが、誰の歌もも台詞入りがありません。新橋喜代三のものも台詞はありません。
昔台詞入りで歌った人は誰でしょうか。また、現在インターネットで聞く方法はないものでしょうか。どなたかご存知の方がいらっしゃったら教えてください。老人施設で披露したいのです。お願いします。
投稿: いさちゃん | 2012年5月30日 (水) 00時15分
「明治一代女」
天津羽衣さんで良ければ同じ台詞のがあります。
「明治一代女 歌 天津羽衣」で検索すると、
韓国?の字のページがあります。
投稿: なち | 2012年5月30日 (水) 07時56分
なちさん、教えていただきましてありがとうございます。
実は私もここに投稿する前に、天津羽衣の明治一代女の動画をユーチューブで見ました。上と下がありますね。下のほうに「ア、巳之さん、危ない! 危ない!」というような台詞がありますが、この歌の台詞通りではありません。「韓国?の字のページ」というのは何でしょうか。
投稿: いさちゃん | 2012年5月31日 (木) 09時16分
歌のサイトは沢山あるので、アドレスを入れておきますね。
管理人さん、
リンクはご迷惑かも知れないので、
見に来られたら消してくださって結構です。
↓
投稿: なち | 2012年5月31日 (木) 12時55分
曲名でなく「 天津羽衣 」で検索してください。
http://cafe.daum.net/Pcho
投稿: なち | 2012年5月31日 (木) 12時56分
検索とは、ホームの右上(風車の下)の窓のことです。
「 天津羽衣 」を入れてください。
投稿: なち | 2012年5月31日 (木) 13時04分
なちさん、ご親切にありがとうございます。記載があったメルアドをクリックし、風車近くの枠に天津羽衣と入力して検索すると、確かに韓国語の翻訳付きで同じ台詞入りの明治一代女の歌詞が見えました。でも、これは聞くことはできないのでしょうか。何回もすみません。
投稿: いっちゃん | 2012年5月31日 (木) 14時46分
聴けるので最初アドレスを控えていたのです。
聴けないのですか? ?・・
投稿: なち | 2012年5月31日 (木) 19時18分
なちさん、いっちゃんさん 横から失礼。
上記のアドレスを開いたところ、「恋港」の画面がでました。「アドオン」をクリックしたら、音が出ましたので、指示通りに、当曲を開くことができましたが、音がでません。「アドオン」を指示する表示がでたので、またクリックすると、「恋港」にもどってしまいました。
やり方を変えて、歌手の名前をクリックして、画面に天津羽衣の表示を出して、もう一度、検索欄に名前を入力してクリックしたらうまくいきました。
本当は、もっと簡単にいくのでしょうが、パソコンの扱いが不得手なため、手間取りました。
投稿: マエダ | 2012年5月31日 (木) 23時40分
「明治一代女」大好きなこの唄のページを時折開いては、<蛇足>(その1・2・3)に詳細に記された解説を読み返していますが、まさに波乱万丈を絵に描いたような、不幸な道を辿っていくという、主人公お梅のその胸中を思うと、私は同情を禁じ得ません!
多分、あらゆる器量を持ち合わせていたであろうと思われる、そんなお梅の不幸の始まりは、そもそも専之助という毒親を持ったがため、私は解説を読むうちにそんな気がしてきて、時に腹腸が煮えたぎるような思いになることがあります。自分でも元々根が単純だとは思っていますが(笑)
怨みますまい この世のことは
仕掛け花火に 似た命
もえて散る間に 舞台が変わる
まして女は なおさらに
昭和10年の映画の主題歌だというこの唄を心の芯から気に入っている、戦後生まれのまだ若いこんな私は、どこかが古いのでしょうか・・・そしてまた、上に記したこの唄の特に二聯の詞にも並々ならぬ魅力を感じる自分がいるのです。
『・・・特に藤田の詞は、人名を一つも出さずに、女心を見事に歌い上げています。発売された時は、「明治一代女の唄」とレーベルに書かれていたのですが、いつの間にか「の唄」が取れていました。・・・』(昭和の流行歌・保田武宏氏解説より)
「明治一代女」私はこの作品にプロの作者の並々ならぬ実力の凄さを強く感じています。
投稿: 芳勝 | 2023年4月20日 (木) 18時17分