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2007年1月10日 (水)

太陽がいっぱい

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:Max François、作曲:Nino Rota、日本語詞:永田文夫

1 あなただけが 私の恋人
  思い出して あの浜辺を
  ふと見交わす あなたの瞳に
  紅い太陽が 満ちあふれて
  夢を見てたよ 明けの海

2 あなただけが 私の望みよ
  忘れないで あの口づけ
  いつまでもと 誓いを交わして
  燃える太陽を 見上げながら
  愛しあった 若いふたり

   Plein Soleil

T'aimer, t'aimer, toujours
Comme on s'aimait en plein soleil
Sous le ciel d'Italie
Tout était si joli
Tes yeux devant la mer
Avaient le reflet sans pareil
D'un bonheur sans nuages
Aussi bleu que le ciel
Et nous étions d'un âge
A le croire éternel

《蛇足》 1960年制作のフランス・イタリア合作映画『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン監督)の主題曲。

 ニーノ・ロータはイタリアの作曲家。『交響曲第1番ト長調』『交響曲第2番ヘ長調「タランティーナ」』などの優れた作品を書いていますが、一般には映画音楽の巨匠として知られています。『戦争と平和』(1956)、『甘い生活』(1959)、『山猫』(1963)、『ロミオとジュリエット』(1968)、『ゴッドファーザー(1972)、『ナイル殺人事件』(1978)など、多くの人たちの記憶に残る傑作を数多く残しています。

 映画『太陽がいっぱい』は、簡単に言うと、イタリアで遊び暮らしているアメリカの大富豪の息子(モーリス・ロネ)を連れ戻しにきた青年(アラン・ドロン)が、彼を殺して、その恋人(マリー・ラフォレ)と財産を奪ってしまうというストーリーです。

 原作はアメリカの作家パトシリア・ハイスミスの『リプリー』。この小説は、1999年に小説と同じタイトルで再映画化されています。
 『太陽がいっぱい』は、ミステリー仕立ての青春映画といってよいと思いますが、映画『リプリー』は、原作と同様、自己のアイデンティティを認識できない青年につきまとう「存在の不安」といったものがテーマになっています。

 つまり、原作に忠実なのは『リプリー』ですが、両方見た私には、『太陽がいっぱい』のほうがより印象が強烈でした。50年近く経っても、まだ細部まで思い出すことができます。
 これは、『太陽がいっぱい』を見たのが、高校3年の夏という多感な年頃で、しかも喫煙のかどにより無期停学中だったせいもあるでしょう。

 とくにラストシーンが衝撃的でした。ラストを知ってから見ると、おもしろさは半減します。

(二木紘三)

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コメント

この曲を聴くといつも、もの悲しい気分になります。
映画「太陽がいっぱい」では、主人公の貧乏青年が友人である金持ちのドラ息子を殺して、その恋人と財産を奪うのですが、根底には貧乏人が抱く金持ちへの嫉妬、憎しみといった感情が流れています。
それをアラン・ドロンが演じたわけですが、その甘いマスクに陰のあるもの悲しい風情が、なんとも言えない“共感”を誘ったようでした。
殺人はむろん良くないことですが、主人公の悲哀といったものがこの曲を通して伝わってくるようです。しかし、「エデンの東」の主人公が最後には父親の愛に救われた形で終わっているのに対して、この主人公は「救われないまま」終わっているところに人間の罪業の深さを感じます。
もっとも、それぞれ主人公を演じたジェームズ・ディーンが24歳の若さで夭逝したのに対して、アラン・ドロンは女性関係など好き放題をしながら今も健在だそうですから、現実の世界は皮肉なものですね。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年3月21日 (金) 17時28分

矢嶋武弘 様
 『太陽がいっぱい』。この曲もそして映画も…文句なしに良いですよね。ジェームス・ディーンの『エデンの東』『理由なき反抗』などと並んで、「永遠の青春映画」でしょうね。
 私は20代の頃、休日は暇だったものですから、小田急線で新宿に行って、よく映画を観ていました。いつ頃かは忘れましたが、この映画もリバイバルで観ました。

 あのラストシーン。二木先生もおっしゃっておられるとおり、『あっ』と驚くような衝撃的なものでした。あの結末に、「青春のせつなさ」のようなものが、すべて凝縮されているようで、深く印象に残りました。
 そして、そのラストシーンにかぶさるように、今聴いているこの曲が流れていたのだったでしょうか?(ハッキリとは覚えていませんけど。)
 とにかく『太陽がいっぱい』は、アラン・ドロン、一世一代のはまり役でしたよね。(同じく「アラン」の、アラン・ラッドにとって『シェーン』がそうであったように。)

 矢嶋様は『早春賦』や『浜辺の歌』などの叙情歌が、特にお好きなようですが、私も全くそうなのです。実は『早春賦』のコメント。私もひそかに狙っておりました。しかし、矢嶋様、くまさん様が、先に出されて…。そして、お2人とも見事なコメントで…。私は断念致した次第です。(『浜辺の歌』の方は、機会がありましたら、コメントさせていただくかもしれません。)
大場光太郎拝

投稿: 大場光太郎 | 2008年3月21日 (金) 19時35分

大場光太郎様
早速のコメント、ありがとうございます。
この二木先生のサイトは、本当に素晴らしいものです。皆で盛り上げていきたいと願っています。
政治的・イデオロギー的な意見は出来るだけ慎んで、純粋に音楽に関するコメントを期待したいと思います。
もし、政治的な偏りがあるコメントでしたら、管理人である二木様によって遠慮なく“削除”して頂きたいと思います。もともと、そう願っていました。
今後とも、この『うた物語』の発展と進化を祈って大いにコメントしていきましょう。 矢嶋武弘拝


投稿: 矢嶋武弘 | 2008年3月21日 (金) 22時29分

この曲を聴くと、はじめて見たアランドロンの美貌にびっくりした記憶がよみがえります^^
ルネ・クレマンはアランドロンの演技力などどうでもよく、ただただその美しさを最大限にカメラに収めることに終始したと聞きました。私は美貌の男優よりマーロンブランドなど個性派が好きでしたが、アランドロンは別格です。
最近テレビで見かけましたが、年相応の健在振りをみせていますね。

投稿: おキヨ | 2008年7月17日 (木) 00時44分

 監督ルネクレマンはアランドロンの演技力はどうでもいい、彼の甘いマスク、その魅力を前面に押し出して見事成功しました。
 ラストシ-ンの、幌(シ-ト)に包まれた物体から人間の片腕が露出! 衝撃的でした!!
 DVDを何度も何度も繰り返しみています。挿入曲、印象的です。

投稿: Hikoさん | 2008年8月 1日 (金) 19時53分

先生の解説でいつも思うのは最後の、きめ台詞が素晴らしい
ことです。笑ったり、泣いたり、叫んだり。この映画も初めて観た洋画です。音楽もストーリーも配役も良かったですね。

投稿: 海道 | 2008年12月10日 (水) 15時20分

この映画を見たのは、多分高校生の頃と思います。私は、ストーリーはあまり覚えていないのですが、映画のシーンではっきりと覚えているのは、近代的な高速道路に素敵な道路灯が、道の両側に延々と続いている景色でした。その頃、日本はまだ高速道路があまりなかったので、すごいな、やっぱりフランスは先進国だ、かっこいいなあと思いました。

それから何年かしたあと、日本でもあの映画のシーンと全く同じ形の高速道路と道路灯が、あちこちに出現しました。そのたびに、あのときのシーンを思い出しました。

それから何と言っても、この映画音楽! 現実にはそんなにドラマチックな出来事などなかったのに、なんだか青春の甘酸っぱい思い出があったようで、涙ぐむような名曲だと思います。

投稿: 吟二 | 2009年4月 8日 (水) 22時57分

 二木先生は高校3年の時、喫煙で無期停学とは・・・。
私は2年の時、学年対抗のバスケットで優勝しその勢いで近くの神社で酒で乾杯していたのを見つけられ、罰として夏休みの21日間校庭付近の草取り・農業課でしたので豚牛鶏舎の糞等の世話をさせられました。
 ブラスバンドの結成には顧問の先生が、多分脱落しそうだからとの思いがあったのか、私に「尾谷!ブラスバンドをやれ!」と・・・救って下さいました。
 1昨年5月、統合により校名が変わるときに開催された「最初で最後の同校会」で、その1年前からレッスンを始めたソプラノサックスでの演奏(Danny Boy)後、竹内先生(81歳)がステージに上がって来られ、“音楽を忘れなかったな”と抱き合いました。
 
 音楽は自分にとって心身共のエネルギーです。皆さんこれからもよろしく!  <いちゃりば ちょうーでー>

投稿: 尾谷 光紀 | 2009年4月16日 (木) 22時30分

小学校時代のこと。
放課後学校に残って遊んでいても、5時になると帰らなければいけません。 その際に流れるのがこの曲でした。
「太陽がいっぱい」なんて丸で知らず、「陰気なメロディだな」と思っていたものです。
ある時、それを家で口ずさんでいるとそれを聴いた母が曲の正体を教えてくれました。 (ついでに映画の内容も。「こんなに暗くて、なんで“太陽がいっぱい”なんだ」と思った。)

映画を見たのは、ずっと後のことでした。

投稿: takama | 2009年7月31日 (金) 02時36分

この映画を同級の女の子と見たのはもう50年前になります
女の子と一緒に歩くのが恥ずかしく私の3Mあとを彼女に 追従して貰い映画館に入ったのです。映画は確か2本立で
”ノートルダムのせむし男”が別の1本でした。
正直に記憶を話すと、”太陽がいっぱい”よりは
”ノートルダムのせむし男”のほうが強く印象に残っています。それはあの奇怪な男はともかく、ソフィアローレンの美しくもセクシーな容姿!!その残像は今で残っています

投稿: 黒原大雲 | 2010年6月27日 (日) 21時54分

「リプリー」と「太陽がいっぱい」を比べると管理人様のおっしゃるとおり、断然「太陽がいっぱい」に軍配を上げます。16歳の時は時間もお金もなくて映画が見られず、実際に見るまではずっとこの音楽で地中海の太陽を想像していました。

投稿: Bianca | 2010年6月28日 (月) 01時02分

黒原大雲様

〔太陽がいっぱい〕と〔ノートルダムのせむし男〕が二本立てとは今思っても凄い2本立てでしたね。
私も両方の映画を観ましたがもちろん別々です。どちらも二本立てだったとは思いますが、この2本の名作に圧倒されて2本目のほうはどういう映画だったか全く覚えがないのです。^^

〔ノートルダムのせむし男〕の主演女優はソフィア・ローレンではなく、ジーナ・ロロブリジダではなかったでしょうか。
どちらも妖艶で美しい女優ですが、ジーナはやや小柄で
カジモドを演じた大柄のアンソニー・クインとの対比を際立たせましたね。

投稿: おキヨ | 2010年6月28日 (月) 11時47分

当方、46歳です。この映画、私の世代ではリアルタイムでと言うよりテレビの「日曜洋画劇場」や「水曜ロードショー」の吹替版での印象が強い作品です。アラン・ドロンの吹き替えといえば、昨年お亡くなりになった野沢那智さんを思い出さずにおられません。繊細で壊れそうな、青春の苛立ちといったものを余すことなく表現された方で、アラン・ドロンの生声を、ダーバンのCMでしか知らない私にとっては、ドロン=野沢氏というくらいキャラクターと声が同化した方でした。

作品の素晴らしさ、画の美しさなどもさることながら、野沢那智さんの吹替えで見られないのは残念です。今となっては、この曲の物悲しさが、なおさら切なくなってしまうものですね。

投稿: にしやん | 2011年1月19日 (水) 00時36分

「主人公が殺人の後、魚市場を一人で歩くシーン
104秒間を自分の人生に重ねられない人は
救いがたいほど不幸であるか、あるいは滑稽なほど
幸福な人ではないだろうか」原寮<ミステリオーソ>は
また、「原作の女流推理作家パトリシア・ハイスミスは
犯罪が露見しない形で終わっている」とも書かれてありました。
だからラストが余計身に沁みますね。
私は、夏になると有線で毎日のように昭和歌謡と共に
必ずリクエストする曲です。
今日は「網走番外地」・「カスバの女」から、ここに
きました。書いてから竹越ひろこさんの「東京流れ者」に行きます。
「網走番外地」の琴の伴奏がいいですよね。
また、映画音楽「太陽がいっぱい」を聞いたから
アンジェイ・ワイダ監督「灰とダイヤモンド」のテーマ曲オギンスキー作曲「ポロネーズ・祖国との別れ」に行きます。映画音楽と言えばこの二曲が大好きです。
心が癒されます。

投稿: 西村節一朗 | 2011年3月 5日 (土) 12時49分

在外の身ゆえに記憶を頼りに書いております。似たタイトルでドロンの出る映画に「太陽はひとりぼっち」というのがありました。あの旋律は今でも思い出せます。昭和三十年代後半に岩波から現代シリーズという書物が出て、大学生の兄から借りて読みました。その中の(現代の問題性)という巻に、「太陽はひとりぼっち」の街角の水栓から水の漏れる場面が引用され、”愛の不毛”という問題が論じられていたと記憶しております。実際の映画は旭川で数箇月後に観賞しました。高校生の自分にはなんとも共感の湧かない映画でした。ただ株式取引所の喧騒のシーンとテーマの旋律は強烈でした。原題は「日蝕」というものでしたが、この原題のままのほうがよかったように思います。

投稿: イサコフスキー | 2011年8月26日 (金) 22時41分

この映画を見たころは、当時のBFと毎週洋画の上映館に通っていました。彼の兄弟が新聞社の社員で『ただ券』が手に入ったので、映画を見たあとは喫茶店で粘って、いたって安全なデートを繰り返していました。年を経て彼があの「ただ券」を手に入れるには、それなりの気苦労があったでしょうに、身勝手な私は当時は気遣う余裕もなく、後々申し訳ない気持ちが残りました。
名作と言われる映画を、あの頃ほとんど見つくしたと思います。題名を見聞きするたびにあの彼のことを、思い出してしまいます。50年経った今もです。
kazuhiroさん、本当にありがとうございました。
いつまでもお元気で、御暮し下さいませ。

投稿: mitsuto | 2015年3月12日 (木) 22時24分

最近話題になる映画は殆どがアメリカ製ですが、私が高校生の頃(1970年代)はフランス映画がよくロードショウの看板に掛かりました。印象に残っているのは『セシルの歓び』、『個人教授』など。恋愛映画ですが、いずれも最後は別れで終わります。娯楽大作中心のハリウッド映画と異なり、フランス映画は映像に暗示を込めていることが多く、見る人によって受け取り方が異なる点で文学に近いものがあると思います。
『太陽がいっぱい』の前半は主人公の青年(アラン=ドロン)の、恵まれた境遇の同世代の青年に対して嫉妬や反感を抱いていく様子が描かれています。淀川長治さんは二人の青年の関係に同性愛的なものを感じると仰っていましたが、それもまた見るものに投げかけられた脚本の演出効果でしょう。
最後のシーンは、引き上げられた簀巻きの死体から片手のみが出ている衝撃的なシーンですが、その直後に殺害した青年になりすました主人公が『手』にしたグラスで飲み物を口にするシーンに変わります。
陰影の濃い映像にニーノ=ロータの哀愁を含んだ音楽が良く合っています。マンドリンを使っているのも効果的でした。

投稿: Yoshi | 2015年3月14日 (土) 04時47分

美容院で会話が途切れると「世界で一番ハンサムな男は誰だと思う」と聞いてみます。高齢者ばかりだからいつも結果は「太陽がいっぱいの時のアランドロン」になります。好き嫌いは別にと前置きしておきます。2番はグレゴリーペックですね。今はハンサムとは言いませんが、イケメンはかなり不細工でも言いますので私は使いません。「音楽も良かったねぇ」とほとんどの人が言います。画面も美しかったですね。「太陽がいっぱい」のすり切れたCD、たまに聴いて青春時代に戻っています。yoshiさんの言われるようにマンドリンの音色も良いですね。映画を観ておいて良かったと思います。

投稿: ハコベの花 | 2015年3月15日 (日) 20時55分

当時はラジオのリクエスト番組で人気抜群の映画音楽でしたね。「鉄道員のテーマ」と双璧だったと記憶しております。又アラン・ドロンはハンサムの代名詞でもありました。遥かな青春時代が偲ばれます。

投稿: りんご | 2015年3月16日 (月) 17時04分

私は間違えてCDと書きましたが、ドーナツ盤のレコードでした。A面は「太陽がいっぱい」でB面は「アフリカの太鼓」です。何十年もよくもっているものだと感心してしまいます。レコードにはレコードの良さがありますね。「鉄道員」は映画は観ましたが音楽は全く覚えていないのです。音楽に全く興味がなかったせいです。「太陽がいっぱい」は気持ちがぴったり合ったのでしょう。青春時代に出会ったハンサム君たちは今も私の心の中でハンサムのまま生き続けています。頭脳明晰、容姿端麗、品行方正、勝手に私が作り上げているのでしょうね。りんごさんはいかがですか。あの世に逝くまで恋に恋したままでいたいと思っています。

投稿: ハコベの花 | 2015年3月16日 (月) 22時03分

ハコベの花様
お迎えの来る日まで恋に恋して生きたいものです。「誰にも迷惑はかかりませんものね。
アラン・ドロン程に魅了されたハンサムはおりません。と言いつつも「哀愁」のロバートテーラーにも魅了されました。
DVDを購入(10年ほど前)何が無し切ない気持ちになりたい時に観ております。ラストシーンに流れる「♪蛍の光」~日本名~に泣けて泣けて切なさに溺れるのです。日本の俳優では佐田啓二がハンサムの代名詞でした。(私の中では)彼亡きあとは児玉清かな?今は銀幕のスターと呼べる雰囲気のある貌には出会ませんね。

投稿: りんご | 2015年3月17日 (火) 07時44分

ラジオなどから流れる「太陽がいっぱい」の演奏は、「サントラ盤」よりも「フィルム・シンフォニック・オーケストラ」のものが概して好く使われてるようですね。 映画のシーンで好きなのは、ドロンがプロジェクター(スライド機)を使ってサインの
練習をするところです。一所懸命なドロンの表情がとても素敵です。大事な場面ですものね。
 さてハンサム度についてですが…、1位ドロン2位ペック3位が
なくて‥4位クーパー5位テーラー…、というのが私のランク付けです。日本の俳優では私も佐田啓二かなぁ…と。
 私には、グレゴリー・ペックと佐田啓二は、甘いながらもシャープな顔立ちが似てるような気がします。 ジェラール・フィリップも美男子ですね。近年は、尺度が違って来たというべきなのでしょうか。

投稿: かせい | 2015年3月18日 (水) 23時21分

アラン・ドロンで盛り上がっていますが、アラン・ドロンが当時人気の三人の美女ミレーヌ・ドモンジョ、パスカル・プティ、ジャックリーヌ・ササールとからむラブコメディ映画「お嬢さんお手柔らかに」をご覧になった方はおられるでしょうか?私は、ジャックリーヌ・ササールが大好きで、この映画以外にも、彼女が主演したイタリア映画「芽生え」、「三月生まれ」を観たことがあります。ササールはイタリア映画に出演しているので、当然イタリアの女優だと思っていたのですが、本当はフランス人なんですね。この事実を最近知りました。

投稿: KeiichiKoda | 2015年3月19日 (木) 07時20分

美男、美女の話は楽しいですねぇ。今日の様な雨の降る日には持って来いの話題です。気持ちが明るくなります。「哀愁」の時のテーラーは少し年をとっていましたから私が好きだと言ったら「あんな人が?」と言われました。昔、文芸誌のグラビアでクォヴァディスのテーラーの横顔を見たとき綺麗な人だと思いました。品が良かったですね。そのころ、ハムレットに扮した芥川比呂志は今もって私の理想の男性です。女性は「哀愁」のヴィヴィアンリーでしたが、映画雑誌で見たデボラ・カーが一番美しいと思っています。でも実際には映画での彼女は観ておりません。ご覧になった方が居られましたらお教え下さい。音楽とは少し話題がずれてしまいましたがお許し下さい。でも、良い映画には素敵な音楽が付いていますね。もう一回ロマンあふれる素敵な映画を観たいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2015年3月19日 (木) 13時42分

ハコベの花さんは、「風とともに去りぬ」ではなく、「哀愁」のヴィヴィアン・リーなどとおっしゃる「通」なんですね。私も、映画館ではなく、テレビで放映された「哀愁」を見たことがあります。ヴィヴィアン・リーのご亭主(このときはまだ結婚前だったか?)のローレンス・オリビエ(ネルソン提督の役)との共演でした。ネルソンはトラファルガーの海戦で戦死し、ネルソンの愛人だったヴィヴィアン・リーは売春婦に身を落として寂しい晩年を送る、といった筋立てではなかったでしょうか?私生活のヴィヴィアン・リーも、ローレンス・オリビエと離婚した後は寂しい晩年を送ったと記憶していますが。。。
ミュージカル映画「王様と私」でユル・ブリンナー(王様)と共演するデボラ・カーを見たことがあります。気品のある家庭教師役でした。今度、ブロードウェーのミュ-ジカル「王様と私」に渡辺謙が王様の役で出演することになり、現在稽古中だという記事を最近NY Timesで読みましたが、日本の新聞でも報道されているでしょうか?この記事へのリンクを示しておきますので、興味のある方はどうぞ。

http://www.nytimes.com/2015/03/15/theater/ken-watanabe-moves-from-samurai-to-the-king-and-i.html?ref=theater&_r=0

投稿: KeiichiKoda | 2015年3月19日 (木) 16時44分

美男美女の話いいですね。
私もハコベの花様同様
「哀愁」のヴィヴィアンリーに魅かれました。
役どころいうのも影響しますね。
「風と共に去りぬ」のスカーレットと「哀愁」の踊り子マイラが同じ女優と思えませんでした。
可憐なマイラ。屈指の恋愛映画は観るたびに涙を誘われます。こんな悲運があっていいのかと青春時代の私は胸が張り裂けそうでした。今でも観るたびに涙がこみ上げてきます。

投稿: りんご | 2015年3月19日 (木) 19時25分

KeiichiKoda様 「王様と私」の家庭教師役がデボラ・カーがだったのですね。映画で綺麗な人だと思って見ていました。写真も沢山パソコンに入っていて美女とはこういう人の事なのだと自分まで綺麗になるような気がして見ました。有難うございました。彼女の白皙の額が良いですね。美女を見るのは女でも楽しいものです。
りんご様は感激家なのですね。ご主人様もお幸せだったと思います。私は皮肉屋で冷たい目で夫を見ているので夫は太れません。夫は歌いますが、私はけなすだけで歌いません。どっちが幸せなのでしょうかねぇ。

投稿: ハコベの花 | 2015年3月19日 (木) 23時56分

かせい様の投稿を読んでジェラール フィリップを思い出しました。映画は多分1つも観ていないと思うのですが、美しい容姿を何かでよく見ていたような気がします。『赤と黒』の映画の宣伝かも知れません。容姿、知性、品性すべてが整っていたように思います。私の中では1位になったかもしれません。1度映画を観てみたいと思います。役者としては私はフェンリー フォンダが好きなのですが・・・遠い昔に戻りたくなりました。皆様に感謝しています。

投稿: ハコベの花 | 2015年3月21日 (土) 18時00分

ハコベの花さま、デボラ・カーが「王様と私」の中でユル・ブリンナーと"Shall We Dance?"を踊る場面はここ(↓)

https://www.youtube.com/watch?v=QgVPnWmUqd4

にあります。(このリンクをマウスの右クリックで青に塗りつぶしたら、それを左クリックし、あらわれた項目の中からGoogleで検索をクリックすると、この映画の場面のURLがあられるので、それをクリックしてください。)残念ながら、このShall We Danceの歌は、デボラカーではなく、マーニ・ニクソンによる吹き替えです。なお、このニクソンという歌手は映画「マイフェアレディ」のイライザ(オードリー・ヘップバーン)や映画「ウェストサイド物語」のマリア(ナタリー・ウッド)の歌の部分の吹き替えも担当しています。
スタンダールの「赤と黒」は学生時代に読んだのですが、下層階級に生まれながら、才気があって、上昇志向が強く、野望のある(そしておそらく美男の)主人公ジュリアン・ソレルのイメージに合う俳優は、「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンにおいてほかにないなあ、と思いながら読んでいましたね。

投稿: KeiichiKoda | 2015年3月22日 (日) 09時25分

曲から離れた話題での投稿が、続きすぎています。 それに数人の方の投稿が、繰り返し行われています。 
そろそろ打ち止めにしては、如何でしょう。


    

投稿: 寒崎 秀一 | 2015年3月22日 (日) 18時11分

私も寒崎様(でよろしいでしょうか、間違えていたら御免なさい)のご意見と同感です。話題と個人間のやり取りが多いように思います。二木先生からの素敵な音楽に素直な気持ちで想い出等意見交換が出来ればと思います。

投稿: 一章 | 2015年3月22日 (日) 19時26分

皆さまのコメントも含めて大変有意義なサイトに出会えて幸運です。管理者の二木先生には感謝と敬意の念を禁じ得ません。懐かしの曲を聴いて、越し方に思いを馳せ、内容の濃いコメントに共感したり、くすっとしたり。
又皆様の交換も私などは面白く拝読致しております。
これからも時折訪問しては人生修行の一助に致したく存じます。

投稿: 花子 | 2015年3月22日 (日) 20時47分

横道にそれた投稿をした私に責任があります。不快な思いをさせた方々にはお詫び申し上げます。以後気を付けたいと思います。お教え下さった方々にはお礼申し上げます。

投稿: ハコベの花 | 2015年3月22日 (日) 22時16分

これのフランス語版ってだれが歌っているのでしょうか。
調べてみたのですが一向に判らず、youtube等でも流れていないようで、どうしたものかと思っています。

投稿: 通りすがりの男 | 2015年3月22日 (日) 23時29分

アラン・ドロンは本当にハンサムでした。当時友人の飼っていた小型犬の名前がアランとドロンでした。みんなが認めるくらい彼はハンサムでした。
今使われる「イケメン」という言葉は、使いたくありませんね、やはりハンサムと表現したいです。ところでそのハンサムですが、息子たちに「この人、ハンサムだ」と言っても【え~、どこが?】と、返ってきます。時代の差を感じてさみしいです。ところでアラン・ドロンですが、ケーブルTVでフランスの刑事ものに出ていました。お腹が出ていて太っていましたが、お腹を突き出して犯人を追っかけてはしっていましたよ。頑張っていました。顔のほうはしわが増えていて、それはそれで良い感じでした。番組の解説に息子と共演と紹介されていて、可愛い少年が出ていました。あの美貌は確実に受け継がれているようです。

投稿: mitsuko | 2015年3月24日 (火) 05時54分

KeiichiKoda 様
おそいレスですですみませんが、「お嬢さんお手柔らかに」はアラン・ドロンがこてんぱんのやられるの、と妹が大笑いしていたので、観ました。「当時人気の三人の美女ミレーヌ・ドモンジョ、パスカル・プティ、ジャックリーヌ・ササール」のうち、とりわけポピュラーになったのは「悲しみよこんにちは」のミレーヌでしょうか。KeiichiKoda 様はジャクリーヌ・ササールが大好きとのこと。私は「芽生え」は見ていませんが、「サレムの魔女」にミレーヌとも一緒に出ていたパスカル・プチにぞっこん惚れ込みました。主演のイヴ・モンタン、シモーヌ・シニョレは原作の重い主題を見事に演じきって名演だったと思います。パスカル・プチは脇役であり、やはり脇役のミレーヌの悪女ぶりに比べても軽い役でしたが、下女役の純情な田舎娘が素敵だった。そのお告げをまたやって見せろと命じられて、黒いスカートを翻してくるくる回るのだけれど、呪縛の解けた少女にはもう魔女の手先になれない。当惑して「できません」とうずくまるところ。当時若い女性の同僚にそう言ったら、彼女も映画館へ行って来て、「あんなの、どこがいいの?」という批評でしたが、なぜでしょう。
惚れ込んだので「危険な曲がり角」も見ました。けれども実は「お嬢さんお手柔らかに」では映画も美男美女を揃えただけのドタバタ、という印象だけで、パスカル・プチがそこで何をしていたのかは、全く記憶がありません。「サレムの魔女」の方が先の公開でしたが、見たのはTVでもっと後でした。

投稿: dorule | 2016年2月 2日 (火) 11時59分

dorule様
あの映画「お嬢さんお手柔らかに」をご覧になった人からのお便りは嬉しい限りです。最近、NHKプレミアムで放送された映画「悲しみよこんにちは」の主演はミレーヌ・ドモンジョなんですか!録画してはあるのですが、まだ見ていません。早速見てみることにします。三人の中では、パスカル・プチが私には印象が薄く、あの映画でどんな演技をしていたのか覚えていません。ジャックリーヌ・ササールを「三月生まれ」(1958年)ではじめて見て、ついで「お嬢さんお手柔らかに」(1959年)を見て、ずっと後になってから「芽生え」はTVの名画劇場(フジテレビだったか?)で見たのです。ササールは、「三月生まれ」のあと日本でも人気が高かったようですよ。ジャックリーヌ・ササールのWikipediaによると、「彼女が『三月生れ』(1958年)で着ていたコートにヒントを得て、日本のアパレルメーカーがこの名前で提案し、1950年代末頃から流行した、幅広のテーラードカラー、肩章、ベルト付のダスターコート(Duster Coat)の事をササール・コートという」らしいですから。このWikiによると、ササールは来日したこともあり、フジテレビ「スター千一夜」にも出演しているようです。この三本のうちのどの映画でもよいから、もういちど見てみたいと思うこの頃なのですが、室生犀星ではないが、「ふるさとは遠くにありて思うもの。。。」なのでしょうか?

投稿: KeiichiKoda | 2016年2月 3日 (水) 08時24分

「悲しみよこんにちは」の映画に出てたのはジーン・セバーグでした。スリムな体形で顔を別にすればオードリーヘップバーンの体形の女優さんでした。あの頃はボーイッシュな服装にこだわっていたので、記憶しています。原作は父親の愛人を嫉妬か、ほかの理由かで死に追いやる男の娘役だったような・・・・・。その後北海道の女流作家が同じような小説を発表しました。どちらが先か後か確かではありませんが、小説は読みましたが全く同じだと感じた記憶があります。映画の方は死に追い詰められる役のデボラ・カーが綺麗でした。人をほめないので有名だった母親が、【きれい!キレイ!】とベタホメだったので、家族が唖然としてたので憶えています。デボラ・カーは今では見られないくらい綺麗で清潔な女優でした。ジーンセバーグは薄命で、何か不幸な死に方だったように覚えています。

投稿: mitsuko | 2016年2月 5日 (金) 04時36分

ミレーヌの「悲しみよこんにちは」のエルザは脇役でしたから、引きあいに出すなら「女は1回勝負する」などの方がよかったでしょうか。パスカル・プティは「サレムの魔女」の端役で私を魅了したのでしたが、一般にはミレーヌの方が脚光を浴び、授賞もしましたね。でも私にとってはパスカル・プティ、そうして私のプティはあの1作だけで十分です。1作だけと言えば、「シベールの日曜日」のパトリシア・ゴッジもそうでした。「かもめの城」も名演だったようですが、私は「シベールだけでいい」と思って、まだ見ていません。

投稿: dorule | 2016年2月 7日 (日) 12時53分

dorule様、mitsuko様
録画しておいた「悲しみよこんにちは」を見てみました。主役(セシ-ル)はジーン・セバークでしたが、ミレーヌ・ドモンジョも父親の若い愛人エルザの役で出ていました。この映画(1954年)はフランソワーズ・サガンの有名な小説の映画化で、当時日本でも評判だったので、名前だけは知っていたのです。ジャックリーヌ・ササールもこの映画の出演をオファーされたけれど、英語ができなかったために取りやめになったと、ササールのウィキには書いてあります。ササールだったら、エルザよりもセシールの役のほうが似合いそうなので、主役のオファーだったのでしょうか?それにしても、フランス人の原作で、映画の中の登場人物(俳優ではなく)もフランス人のように見えるのに、なぜフランス映画ではなく、ハリウッドのアメリカ映画(したがって、登場人物は全員英語をしゃべる)なんでしょうか?

投稿: KeiichiKoda | 2016年2月 9日 (火) 18時13分

「悲しみよこんにちは」が、ハリウッド映画だったんですね。ずっと自分勝手な思い込みで、フランス映画だと思い込んでました。ハリウッド映画だったとは・・・・。最近見た映画情報では、フランス人でも映画が話せる俳優はハリウッド映画にも呼ばれるとか。ジュリエット・ビノチェが例に上がっていました。日本だけでなく外国映画の俳優も美男美女は少なくて・・・・。何年も映画館に足を運ばなくなったのは、年のせいだけでしょうか?昔友人のご主人がイタリア人で、アランドロンが好きなのは日本人だけで、ヨーロッパではそれほどの俳優でないとの発言に違和感を覚えたのを、記憶しています。
あれほど強烈な記憶を残してくれた映画は数すくないと!今も思っています。そして悪役であるはずの主人公に、なぜか肩入れしてしまって、同情したというか、殺された友人役の記憶が全くないのです。あの時の女優さん、何かほかの作品に出ていましたでしょうか。不思議な雰囲気の女優さんでした。

投稿: mitsuko | 2016年2月10日 (水) 19時55分

二木様初めまして大分の佐藤と申します。
太陽がいっぱいを聞いて二十代の私のころを思い出しました。あの頃、カメラマンを目指していたころで羽田空港の夕日がまだ焼き付いています。その頃は修学旅行生徒に付き添う写真屋でした。

投稿: ようちやん | 2016年4月 7日 (木) 23時57分

 やっぱりというコメントが続いていますね。あの頃の映画は全盛期でしたね。数々のコメントを拝読しながら、色々の映画の場面を思い出します。「太陽はいっぱい」のテーマ曲をハミングすると、なぜかサイレンの音も入ってくるんですよね。いつもそうなんです。あのなんとも言えない哀愁に満ちたサイレンが一緒になるんです。

 そう「鉄道員」のテーマ曲なんです。この二つの曲の哀愁に満ちた哀し気なメロディー。(体言止めですいません) 記憶が間違っていなければ、「鉄道員」の後に「太陽はいっぱい」が上映されたと思っているのですが。どこか似ていません?ともに切なさで一杯になります。私だけでしょうか。

投稿: konoha | 2017年2月24日 (金) 10時18分

アランドロンが引退するそうですね。大写しになった現在の顔を見たら、なるほどと納得しました。何と言っても「太陽がいっぱい」の時が一番美しかったと思います。私たちの年代では「永遠の美青年」だと思います。「美しさを有難うございました」

投稿: ハコベの花 | 2017年5月10日 (水) 23時53分

ニーノ・ロータ作曲の「太陽がいっぱい」のメロディが流れると、上半身をやや赤銅色に灼いて、操舵を握って虚ろな視線をして、気怠そうに立っているアラン・ドロンの容姿がこれからもずーっと目に浮かんで来る事でしょうね。
 ドロンも81歳。涼しい瞳は未だ衰えてはいないように思えるのですが、顎辺りの線の……が。50年〜80年までの作品をそして「ドロン」をリアルタイムで観る事ができた私たちは幸せだったのですね。素敵なシーンを有り難うございました。

投稿: かせい | 2017年5月11日 (木) 01時34分

ジェラール・フィリップに触れられているコメントを見た気がして読み返したらなんとハコベの花様でした(決して投稿ストーカーした訳ではありません)。懐かしい俳優の名です。1958年のフランス映画「モンパルナスの灯」で悲運の画家モディリアーニを演じています。監督はジャック・ベッケル、モディリアーニの妻(?)ジャンヌ・エビュテルヌをアヌーク・エーメ、モディリアーニの画才を認めていながら生存中は世に売り出さず死後売り出して大きな利を得た悪徳画商をリノ・ヴァンチェラが演じました。絵はディフォルメされたいますがエーメが演じたジャンヌ・エビュテルヌはまさに「青い目の女」として我等の胸の奥底に今も深く残っています。

投稿: 林 滋 | 2017年5月11日 (木) 11時39分

アランドロン引退の報に一抹の寂しさを禁じ得ません。今時のイケメンが束になってかかっても叶わない魅力がありました。ハンサムの代名詞がアランドロンでした。紳士の皆様方にはわかりえない喪失感を味わった女性がどれだけいることでしょう。HNKで来日の折のインタビューが放映されじっと見入った記憶が甦りました。
以下 私事ですが
本来の感想から逸脱の投稿に苦言があり
明らかに 私も指弾されてておりました。
コメント依存症に陥っていた私は
小賢しく 「花子」なる偽名を使ってまでコメント続投  我ながら呆れて 又笑いが込み上げました。
その節は大変不快な思いをさせた方々にお詫び申し上げます。

投稿: りんご | 2017年5月11日 (木) 17時49分

「太陽がいっぱい」は映画も何度か観ましたし、テレビ放映も観ました。その映像も良かったですがやはりこの音楽がたまりません。気だるい哀愁のこの曲。私は躁鬱病ではありませんが躁の時も鬱の時も胸に沁みてきます。歌詞は知りませんでしたがメロディーだけで十分です。むしろ歌詞なしの方がこのメロディーに合っている気がします。
ご婦人方はアランドロンの引退をひどく嘆いていらっしゃるようですね。紳士の方には別らないだろう喪失感と言っておられる方もありますね。紳士ではありませんが、一昨年永遠の処女原節子さんが亡くなった時我らが感じた喪失感と同様でしょうか。もう鎌倉に興味はなくなってしまいました。

投稿: 林 滋 | 2017年5月12日 (金) 09時42分

アランドロンの引退で「自分の青春が遠くへ行ってしまった」という喪失感に襲われたのだと思います。あの美しい海の風景と美青年と哀愁のメロディが私たちに素晴らしい青春の憧れをもたらしてくれていたのです。朋友が失われたような感慨です。もう2度と会えないあこがれが消えたと言っても良いでしょうね。でもメロディはしっかり残っていますから、これからも過ぎ去った青春を音楽と一緒に楽しみたいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2017年5月12日 (金) 14時18分

暑いです!!太陽がいっぱいです。若い日のあの弾むような心の恋を思い出しましょう。夏休みになるとあの人が帰省する、あの青みがかった美しい瞳でじっと私を見つめてくれる。それだけでいい。何という幸せ・・・遠い青春。太陽はいっぱい!

投稿: ハコベの花 | 2018年7月11日 (水) 11時37分

つきなみですが、私が幼少の頃から、天下の二枚目と言えば「アラン・ドロン」という世間での広い認識がありました!
「太陽がいっぱい」この映画は何度か観ましたが、その内容というよりもスクリーンに映る、特出した美男子の「アラン・ドロン」の姿と、何と言ってもバックで流れ出す、ニーノ・ロータ作の、哀愁漂うこのメロディが、映画の魅力を一段と高め、世界的に有名になった要因だと私は思っています。
私個人的には「ポール・ニューマン」や「ユル・ブリンナー」ファンなのですが、それにしても「アラン・ドロン」の魅力は凄いと感じます。
そして私がギターで初めて覚えた最初の映画音楽も「太陽がいっぱい」でした。今でも好きでよく弾いている曲でもあります。これを皮切りに「鉄道員」のテーマや「夜霧のしのび逢い」などの曲を憶えていきました。
それと日本での二枚目と言えば、私は「加藤剛」だと思っています。少年の頃から楽しみに観てきた、ナショナル劇場・テレビ時代劇「大岡越前」を見始めた時から、画面に映る彼のいでたちを観るたびに、そのように感じてきました。この度亡くなられましたが、大変残念に思っています。
そして「大岡越前」で流れ出す、山下穀雄作の重厚なテーマ音楽にも大変魅力を感じ、引き込まれていくものがありました。あと彼の作品では「七人の刑事」のテーマも素晴らしいものがありますね!
これは全くの余談ですが、先日自宅そばの図書館で、「グレース・ケリー」の写真集を観てきましたが、私の中においての女優列伝では、彼女が一番です。あの「オードリー・ヘップバーン」も、かの「カトリーヌ・ドゥヌーブ」も、彼女の魅力には及びませんでした。私のこの評価は独断と偏見そのもので笑われてしまいますね!
それにしても「太陽がいっぱい」このメロディには格調の高ささえ感じるものがあります。

投稿: 芳勝 | 2018年7月14日 (土) 13時09分

やっぱりこの曲を聴いていると、途中から物悲しいサイレンの音が聞こえてきます。なぜか「太陽がいっぱい」と「鉄道員」が並走して蘇ってきます。内容が全く違っているのですが、不思議です。

「太陽がいっぱい」のドロンはそれまでのただの甘ったるい二枚目とはまるで違っていましたね。美しさに凄みが加わり、赤銅色に焼けた肉体と、ボートを引き上げていく最後のシーンが忘れられません。モニカ・ヴィッティもよかった、この映画でしか彼女を見たことはありませんが、忘れられない女優さんです。

あの時代の映画は忘れられないものが多くあります。芳勝さまのポール・ニューマン、私も大ファンです。「ハスラー」佳かったですね。泣く映画ではないのに泣いてしまいました。ポール・ニューマンの映画はいい映画が沢山ありますね。

泉鏡花の作品『夜叉ケ池』、加藤剛と坂東玉三郎が美しかったです。こんな美青年がいるのかと思いました。また玉三郎の美しいこと、大蛇の化身の妖しいまでの美しさ、なまじ女優でなくてよかったと思うくらいの神秘的な美しさがありました。映画っていいですね。話が尽きません。

投稿: konoha | 2018年7月14日 (土) 19時38分

中学2年生のときM子さんの席が僕の隣の列、真左でした。嬉しかったですね。なにしろ綺麗で可愛らしい少女でしたから。

しばらくして気になることが生じました。昼食時彼女は牛乳のビンを持つその手の小指がいつも上に向かってピンと立っているのです。最初は女性らしい仕草だな、と好感してたのですがそのうち気になり始め、イライラし、怒りの気持ちに代わりました。”何でそんな持ち方するんだよ!” なぜだかわかりません。理由の分からない感情です。このイライラからは次の席替えがなされるまで解放されませんでした。可愛さ余って憎さ百倍ってこういうことなのでしょうか。

私の家は道路をへだてて砂浜があります。夏、砂浜は海水浴客でにぎわいます。そんなある日、砂浜を歩きながら、海水浴客のなかにM子さんを見出しました。僕は気づかぬふり、知らんぷりして、彼女の傍を通り過ぎました。彼女も気づいた様子は見せませんでした。彼女は数名の女友達と一緒で水着姿で砂浜に腰を下ろしていました。彼女の日に焼けていない白い肌がまぶしかった。

彼女が数名の女友達とおしゃべりしているところに出くわしました。彼女は部活の先生の家に遊びに行き赤ちゃんを抱っこしたと話していました。彼女のはじけるような笑顔が印象に残りました。

中学校も卒業に近い頃、クラスのG君の走っている自転車の荷台にM子さんが腰かけて乗っているのを見かけました。G君って女性に人気あるからなぁ・・・

*****

ところでyokoさん、あなたとM子さんの関係っていったい何?

そうなんです。実は何の関係もないんです。
すべては中学生時代の僕の脳内の独り相撲です。

独りで、喜び、舞い上がり、怒り、憧れ、落胆し、しぼんでいただけです。

今、名曲”太陽がいっぱい”をBGMとして上記の思い出をスクリーンショットとして思い浮かべています。
すばらしい曲ですね。M子さんも大女優に勝るとも劣りません。太陽がいっぱい、青春がいっぱい、です。

投稿: yoko | 2018年7月16日 (月) 07時02分

二木楽団の演奏する「太陽がいっぱい」のメロディをバックにyokoさんのコメント、素晴らしいです!! 

投稿: konoha | 2018年7月16日 (月) 10時51分

毎回お世辞抜きでyoko様の記憶力抜群の思い出話には感服しています。
映画館で洋画はマフィア物(ロバート・デニーロ)や刑事物(クリント・イーストウッド)など以外は観なかったですが、昔(昭和60年代)某民放がTV放映した「ショック療法」(1972年、アラン・ドロン主演)は一風変わった映画でした。
アラン・ドロンは若返り療法専門療養施設の“二重人格”医師という役どころで、アラン・ドロン医師の怪しげな療法を受けにきた美女の戦慄の体験(映画評)という粗筋でした。

投稿: 焼酎 | 2018年7月16日 (月) 12時11分

書き込みが随分盛り上がっていましたが、落ち着いたようなので自分も書かせてもらいたいとおもいます。二木先生のサイトはこの「うた物語」になる 前のものから知っていてよく利用(?)させていただき、これになってからも暇を見ては時折り訪ね楽しんでいました。皆さんが仰るように音楽好きにとってはいろんな情報とか薀蓄が得られ大変ありがたく貴重なサイトです。ずっと継続していただけるよう願っています。

さて、前置きが長くなってしまいました。映画「太陽がいっぱい」は私にとって青春時代の貴重な想い出の一つです。もう50年以上も前になりますが、大学受験に失敗し、親元を離れ京都のある予備校に通っていました。まだ通い始めたばかりの頃、ひょんな事から同じ予備校に通う女の子と知り合いになり、席を取り合ったりノートを交換する仲になりました。今はどうか知りませんが、当時の予備校のイメージは暗いモノトーンの世界です。その中にあって彼女がひときわ輝いて見えたのは、私が恋をしてしまったからでしょう。あるとき近くのD大学生会館で映画上映会があると聞き彼女を誘いました。それが「太陽がいっぱい」でした。題名も知らず予備知識もないままだったので内容がまるで頭に入りませんでした。でもストーリーとか俳優なんかどうでもいい。彼女と暗い中に一緒というだけで十分でした。ただスクリーンに映し出された紺碧の地中海と真っ青な空、そして疾走する優雅なヨット。それが自分にとって、もちろん彼女にとっても非現実の世界だったのは間違いなし、いっときにせよ受験勉強の重圧からの開放感を味わったのは事実です。
その後、お互いの恋愛感情は確認できましたが、何せ二人とも浪人生です。次第にちぐはぐになっていき、秋の終わりごろには別れました。
それから何年か後、どこか場所は忘れましたが場末の映画館にこれが掛かっていたので懐かしくなって入りました。今度は落ち着いてしっかりと観ることが出来ました。そしてあの時の彼女の端整な横顔を思い出しながら。ストーリーもアラン・ドロンも、マリー・ラフォレもニーノ・ロータの哀愁に満ちた音楽も堪能しました。
彼女は今どうしているか全く分かりませんが、私は今でも時々就寝前にサントラ盤で聴いたりしています。眼を閉じると京都で彼女と過ごした苦しくも楽しかった青春時代がメロディーに誘われるように浮かんでくるのです。

投稿: 野中の薔薇 | 2021年5月22日 (土) 14時25分

 昔からときどき二木様のこの『うた物語』を訪問していましたがコメントは初めてです。しかし、実は、これはコメントというより質問です。
 映画『太陽がいっぱい』のテーマソングで日本語歌詞というと出だしが「砕け散る銀のしぶき浴びて~」を思い出すのですが、残念ながら、その先は知りません。作詞者(訳詞者)の名前も知りません。
 ネットで検索したのですがヒットしません。1960年代に会津にいた兄の持っていた雑誌か何かで知ったのですが歌いやすい歌詞でふと冒頭だけ思い出しました。
 二木様または読者の方でご存知でしたら教えてください。
 (なおMark Watermanは本名です)

投稿: Mark Waterman | 2022年5月 8日 (日) 11時00分

曲ではなく、映画のことを語るコメントばかりですね

投稿: 夢童 | 2022年12月18日 (日) 02時32分

夢童様 私たちの年代では映画のアランドロンを思い出すと美しい曲が身体中に流れてくるのです。不思議な事ですが、今の若い人には理解できないほど映画の中に私たちが入っていたのだと思います。美しい何かが心の中までしみ込んでしまっているようです。映画の時代にすっぽりと生きていたのだと思います。幸せでした。

投稿: ハコベの花 | 2022年12月18日 (日) 16時56分

アラン・ドロンが遂に逝った。
惜しい俳優が次々に去ってゆく。

この「太陽がいっぱい」はまことに素晴らしい映画だった。 そしてアラン・ドロンならでは、この映画は命を与えられなかったであろう。 監督のルネ・クレマンの、まだ新人のアラン・ドロンを選んだ慧眼も素晴らしい。

この映画の前年頃だったか、「お嬢さんお手やわらかに」というアラン・ドロンが美女たちとチャラチャラ遊びまわる映画があった。 学友の軟派の友人に面白そうな映画があるよといって誘われたのだった。
(この「軟派」は悪い意味ではありません。 軟らかい方面が好きだというだけ。社交ダンスの名手で、武闘派を自認する私とはよく気が合った友人でした)
その映画はつまりはチャラチャラした愉快な映画でしたが、その時の彼の説明は、「このような美男子系の俳優は女の子にもてるんだけど、結局は俳優としては大成しないんだよ。日本のXXという俳優もそうだろう」と宣うた。
ところがドッコイ、次のこの「太陽がいっぱい」でのアラン・ドロンの凄みの利いた男性味、たちまち一流の俳優になってしまった。

後には彼の好い映画がたくさんありました。 ジャン・ギャバンとの「地下室のメロディー」、リノ・ヴァンチュラとの「冒険者たち」、チャールス・ブロンソンとの「さらば友よ」、etc. みんな素晴らしい映画だった。

それにしても、往時はアメリカでもイギリスでもフランスでもイタリアでも、日本でも、映画俳優はみな魅力的でした。 テレビ時代になって、「映画俳優」という存在が消えて行ってしまっているのでしょうか。 (私はテレビを見ないから今の若い人たちのことはよく知りませんが)

素晴しい俳優たちが次々に逝ってしまう。
ドロンさんさようなら。 安らかに眠りあれ。


余計な事を一言、
konoha さん、 上記の18・7・14 のコメントで、「太陽がいっぱい」に出てくる女性を、モニカ・ヴィッティと仰ってますが、これは マリー・ラフォレではないかと思います。 お二人、似たような美人ですが。


投稿: 田主丸 | 2024年8月18日 (日) 21時43分

田主丸さま、ご指摘ありがとうございます。カンヌ祭で『太陽がいっぱい』が賞を取った時、出演していた女優がギターを爪弾いていました。その印象も強く残っていて、映画の中での印象とちょっと違う印象を受けました。ありがとうございます。勘違いをしていたのですね。
いつもコメントを楽しみに拝読しております。時折反論したりしていますが、どうぞお笑いください。反論もまた楽しからずやの気持ちでおります。今後ともよろしくお願い致します。

投稿: konoha | 2024年8月19日 (月) 10時09分

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