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2007年1月13日 (土)

夜のプラットホーム

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:奥野椰子夫、作曲:服部良一、唄:二葉あき子

1 星はまたたき 夜ふかく
  なりわたる なりわたる
  プラットホームの 別れのベルよ
  さよなら さようなら 君いつ帰る

2 ひとはちりはて ただひとり
  いつまでも いつまでも
  柱に寄りそい たたずむわたし
  さよなら さようなら 君いつ帰る

3 窓に残した あのことば
  泣かないで 泣かないで
  瞼(まぶた)にやきつく さみしい笑顔
  さよなら さようなら 君いつ帰る

《蛇足》 都新聞学芸部の記者だった奥野椰子夫(やしお)は、昭和14年(1939)の正月早々、作詞家としてコロムビア・レコードに入社します。

 初めて作品を書くことになったとき、彼の脳裏に浮かんだのは、前年の暮れ、東京・新橋駅で目にした出征兵士を見送る光景でした。
 歓呼の声を上げる群衆から少し離れて、1人の若妻が柱の陰から夫とおぼしき兵士を見つめていました。
 その光景をモチーフとして書き上げたのがこの詞です。服部良一作曲、淡谷のり子唄で吹き込まれましたが、即、発売禁止にされてしまいました。

 戦時中、出征する兵士は、見送る家族や近所の人たちに対して、「行きます」と別れの挨拶をするのが常でした。
 これは、生還を期さない、すなわち戦死して英霊となって帰ってくる、という意味です。生還を意味する「行って参ります」「行ってきます」は、卑怯未練な言葉として非難されました。
 見送る家族のほうも、少なくとも人前では「りっぱに死んで帰ってこい」などといったようです。

 しかし、ほんとうに息子や夫の死を望む者がいるでしょうか。陰では「必ず生きて帰ってこい」「きっと帰ってきてください」という親や妻が少なくなかったといいます。
 この歌は、哀愁漂う歌詞とメロディが兵士の士気をそぐものとして糾弾され、発禁になったのでした。

 作曲した服部良一はあきらめきれませんでした。昭和14年(1939)に自分のオリジナル曲『夢去りぬ』を、"Love's Gone"という外国曲としてリリースしていたことを思い出し、それと同じ方法で売り出そうと考えたのです。

 そこで、タイトルを"I'll be Waiting"、邦題を『待ち侘びて』とし、R. Hatter & Vic. Maxwellによる下記のような英語の歌詞を作りました。演奏はVic. Maxwell and His Dance Orchestra、歌手はVic. Maxwellとしました。
 
R. Hatterは服部良一、Vic. Maxwellはファクトマン、Vic. Maxwell and His Dance Orchestraは日本コロンビア専属楽団のそれぞれ偽名です。
 ファクトマンは綴りもフォアネームを不明ですが、実在の人物で、日本コロンビアの社長秘書をしていた日独のハーフです。

 こうして洋盤の体裁を整えた『夜のプラットホーム』は、検閲を通過、無事発売されました。
 検閲官をペテンにかけたともいえますが、検閲官も案外気がついていて、歌詞が英語なら一般国民への影響は少ないと考えたのかもしれません。
 2年前に発売された
"Love's Gone"が洋楽ファンに熱狂的に迎えらたので、同じ作詞・作曲者によるこの曲も、かなりのヒットとなりました。

 苦労して英語版を作った効果は、ほかにもありました。タンゴの本場アルゼンチンで、ミゲル・カロ楽団演奏によるレコードが発売されたのです。ミゲル・カロは、1940年代を代表するアルゼンチン・タンゴの指揮者の1人でした。

      I'll be waiting

Soon I will be all alone,
Soon you will be gone.
How sad each long day,
How dark a long night.
I will be waiting here, dear !
Counting the hours you're away.
Good-bye, my love,
Though we must part now.
Please send back your steps to me.

 『夜のプラットホーム』が恋の歌として蘇ったのは、敗戦から1年半後の昭和22年(1947)2月のことです。ただ、歌手は淡谷のり子から二葉あき子に変わっていました。

(二木紘三)

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コメント

当時は軍の検閲が厳しい時代でしたので
日本語の歌詞は反戦的と見られ発売禁止になるので 友好国ドイツの音盤と紛らわし変えて ビッグマックスウェル作詞
ファクトマン唄として 発売したそうです 何かの本で読んだことがあります
うろ覚えですので間違いがあるかもしれません

投稿: まだ夢見る男 | 2007年3月17日 (土) 19時54分

解説文を読んで、そうだったのか!と思いました。
戦前の歌謡曲にしてはずいぶんとバタ臭いところがあると感じていました。
コンチネンタルタンゴの雰囲気があります。

投稿: 朝倉 由則 | 2007年3月27日 (火) 09時03分

夫を乗せ去って行く汽車に柱の陰から君いつ帰ると願った
新妻の心の内が強烈に伝わってきます。

投稿: M.U | 2008年5月31日 (土) 15時18分

「さよなら さよなら 君いつ帰る」これは新妻の心情を
表しているからこう言う詞になるのでしょうか。

投稿: M.U | 2008年9月 9日 (火) 12時55分

先生の解説には度々ユーモワが出てきますが、これがまた見事。服部良一もクレバーな作曲家ですね。日本語で駄目なら
敵国語、当局に対する皮肉だったかも(ひねくれ者の発想)。

投稿: 海道 | 2008年12月 1日 (月) 12時51分

夜のプラットホームをききましたが 喜びも悲しみも幾年月の曲がながれましたので書き込みさせていただきました。何かの間違いですよね。楽しく聞かせていただいております。ご連絡まで。

投稿: 伊藤 光春 | 2009年1月 1日 (木) 22時16分

伊藤光春様
 リンクミスでした。お知らせありがとうございました。何度かサーバーを移動したため、リンクのつけ間違いが生じました。まだリンクミスがあると思います。お気づきの方はお知らせください。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2009年1月 1日 (木) 23時53分

 濱野成秋がまた書かせて頂きます。この「夜のプラットフォーム」は、明らかに反戦ですね。当時の軍部がストップを掛けたのももっともで、歌詞に「君いつ帰える」ってありますが、この、君・・というのが、ちょっと、前後関係からも目立っていて、あの、与謝野晶子の、「君死にたまふことなかれ」と同じ、反戦ムードに結びつく。これに気づいたのは、何十回と聞いたあとでした。
 この歌詞の情景は、じつは、アメリカ人のハートでもあって、プラットフォームで兵士を送る淋しい気持ちは同じです。このタンゴは戦後、トリオ・ロス・パンチョス辺りが編曲して、いい線で演奏しています。結構、聞かせます。
 ちなみに、JR横須賀駅にいらしてごらんなさい、この歌と同じ、ほぼ、戦前のままですから。この軍港、このプラットフォームだけ、半世紀まえをちゃんと、とってある。もちろん、たまたまそうなったんですが。

投稿: 濱野成秋 | 2009年10月 2日 (金) 11時31分

この歌は古くて新しいと言いますか、歌手の力量にも因りますけど、今歌っても充分通用する歌だと思っています。
デジタルサウンドでは絶対ダメですけど。
今の歌手に表現力が欠けているので、出来るか判りませんが・・・

投稿: カト | 2009年11月20日 (金) 09時04分

「水森かおり」が歌っていますが、「二葉あき子」にはかなわないとしても、聞くに耐えないものでは無いと思います。何故日に当てないのか解りません。

投稿: 海道 | 2009年11月21日 (土) 18時57分

二葉あき子は、初期のころ冒頭の部分を“星はまたたく”と歌っています。しかし後年には“またたき”と歌っているようです。
淡谷のり子は“またたき”です。
歌詞は、少数派ですがサイトによっては“またたく”とあります。
私は“またたく”の方が好みです。この辺の事情が判れば嬉しいのですが。

投稿: 周坊 | 2009年11月21日 (土) 22時09分

世の中が便利になり、車や飛行機での移動などのせいか、プラットホームでの別れの場面に出会うことが無くなってきましたね。昭和37年6月、別れは駅のホーム、彼に眼鏡をはずしてもらい、お互いの顔を忘れないように見詰め合って見送った人、せめて握手ぐらいすれば良かったと今でこそ後悔しますが、昔は見つめるのが精一杯、楽しかった私の青春の終わりでした。この歌を聴くたびに思い出す駅のホームの情景です。悲しいというより、なぜか甘美な思い出になっているのが不思議です。

投稿: ハコベの花 | 2010年5月15日 (土) 00時27分

戦後生まれで戦争を知らない世代ですが、そんな事は全く関係ない。当に情景が浮かんできます。夫に生きて帰って欲しいという、本当の気持ちを大声で言えない戦時下、新妻の気持ちが痛いほど伝わってきます。勝手な想像で申し訳ありません。思い浮かべるだけで泣けてきます。素晴らしい曲をありがとう御座いました。

投稿: 赤城山 | 2013年4月24日 (水) 13時13分

夜のプラットホームという曲名は、少々、ダサい気がしますが、昭和14年ならハイカラだったでしょうね。鉄道が、省線とよばれていた時代です。しかしこの歌の内容は、防人の歌にも通じる古風な大和撫子の心情です。
作詞家の奥野椰子夫は、略歴をみると反軍思想の持ち主でもなく、単に、当時の空気が読めなかっただけのようです。
ですが、この空気が読めないということが、社会にとって、きわめて有益になることってありますね。

「いってきます」や「いって参ります」に帰ってくる、戻ってくることがふくまれているとは、<蛇足>を読むまで、気づかなかったですね。そしてその言葉を使うことが、卑怯だとされるとは、日本人ってやつは・・と思う。いや戦争ってやつは・・と思うべきか。

投稿: 屋形船 | 2013年4月24日 (水) 22時54分

 戦後間もなくこの歌が爆発的に流行り出した頃、各地のお祭りなどの素人のど自慢大会でよく歌われましたが、私が聞いた限りでは皆「星はまたたき」でした。二葉あき子が何故「またたく」としたのか推し量るばかりです。

投稿: 槃特の呟き | 2013年4月25日 (木) 00時00分

   また立ちかへる水無月の 歎きを誰に語るべき
   沙羅のみづ枝に花さけば かなしき人の目ぞ見ゆる
                  芥川龍之介
今朝、朝ドラの「とと姉ちゃん」の別れを見ていたら、思いがけず涙が頬を伝わりました。別れを告げた時の彼の泣きそうな顔を思い出しました。今は私のほうが泣いてしまいます。もう54年が経ちました。美しい思いでは涙とともにめぐってきます。彼との青春は沙羅の白い花のように美しかった。

投稿: ハコベの花 | 2016年6月11日 (土) 18時00分

>投稿: 周坊様 | 2009年11月21日 (土) 22時09分

二葉さんが「自伝:人生のプラットホーム」のページ38に記述されています。後年「またたき」と唄ったほうが自分の感覚に合うような気がして・・・」。
またたく・夜ふかく。韻を踏んでいるし、「またたく」のほうが俯瞰・客観の視点で作詞の意図にあっていると思います。二葉さんは歌い込んで自身が入り込んでいるとすれば、たしかに「またたき」のほうが主観的で、なるほどかと。

投稿: AtoQ117 | 2016年12月23日 (金) 20時11分

二木様。初めてメールさせてもらいます。いつも楽しく聴かせて、また読ませていただいております。さてこの「夜のプラットホーム」に関しては、私は聴くたびに少し複雑な気持ちになります。淡谷のり子の自伝にはこの曲は淡谷のり子がアメリカに行ったときにファンの作曲家から、プレゼントされた10曲のうちの1曲と書いてありました。時節柄、アメリカ人作曲ではまずいので、取りあえず服部良一作曲にしたと書いてありました。今となっては調べる術もありませんが一応お知らせいたします。

投稿: 鴨志田 哲三 | 2017年4月 7日 (金) 02時21分

二葉あき子さんによる「夜のプラットホーム」が世に出たとき、私はまだ10歳の子供で、歌詞の意味を深く考えることもなく、聴いていた記憶があります。

今、改めて、歌詞を辿りますと、二木先生による《蛇足》にありますように、夜の駅のプラットホームで、出征する夫を、若妻が心細く、辛い思いで見送る情景が浮かび上がります。
戦雲たちこめる重苦しい時代に、帰還が約束されない夫の出征に対して、♪君いつ帰る♪(あなたはいつ帰ってくるのだろうか)と謳う若妻の心情が伝わってきて、胸に迫るものがあります。

ついでながら、日常の会話のなかで、男性が連れ合いの女性に対して”君”と呼ぶことがあっても、女性が連れ合いの男性に対して”君”と呼ぶことはあまりないように思いますが(”あなた”と言うのが普通でしょうか)、この歌のように、歌や文章の世界では、ときどき目につき、面白く思います。「君待てども」(東辰三 作詞・作曲、平野愛子 唄 S23)における”君”も、この一例と言えましょう。

投稿: yasushi | 2019年6月 6日 (木) 10時58分

そう言えばyasushi様が言われる通りですね。「君は何の花が好き?」と訊かれて「あなたは?」と聞き返した事を思い出しました。相手に対して女性は「君」とは言いません。でも彼から「君」と言われると嬉しかったですね。もし結婚していたら「お前」と言われ「あんた!」と私が怒鳴っていたでしょう。美しい思い出だけで終わって良かったのかも知れません。58年前が夢のように蘇ってきました。もう一度だけ貴方に逢いたかった。

投稿: ハコベの花 | 2019年6月 6日 (木) 21時49分

悲しすぎます。「君いつ帰る?」が新妻の本当の気持ちでしょう。イヤ、誰でもそうです。戦争知らないこの愚老でさえ、ただただ、涙が止まりません。

投稿: 赤城 太郎 | 2020年2月22日 (土) 15時17分

 女性が男性を「君」と呼ぶことへの違和感が述べられていますが、万葉集などでは「背の『君』」という表現があるので、なんら不思議ではないと思います。

投稿: 菅笠 | 2025年6月 8日 (日) 19時37分

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