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2007年1月11日 (木)

駅馬車

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


アメリカ民謡、日本語詞:小林幹治

1 あの村この町を 今日また後にして
  走れよ元気よく みんなが待っている
  希望のせて馬車は行く はるかなふるさとを
  夢見て走れば 苦労などなんでもない

2 果てなく長い道 でこぼこのほこり道
  ゆられて歌い出す 楽しい馬車の旅
  希望のせて馬車は行く はるかなふるさとを
  夢見て走れば 苦労などなんでもない

3 さよならまたの日を 思えば遠い空
  丘越え野を越えて あなたの村里へ
  希望のせて馬車は行く はるかなふるさとを
  夢見て走れば 苦労などなんでもない

   Bury Me Not On The Lone Prairie
               (The Dying Cowboy)

1. "Oh, bury me not on the lone prairie,
    Where the wild coyotes will howl o'er me,
    Where the cold wind sweeps and the grasses wave,
    No sunbeams rest on the prairie grave."

2. He has wasted and pined 'til over his brow
    A shadow's slowly gathering now.
    He thought of his home with his loved ones nigh,
    As the cowboys gather to see him die.

3. Again he listened to the well-known words,
    To the wind's soft sigh and the song of a bird.
    He thought of his home and his native bowers,
    Where he loved to roam in his childhood hours.

4. "I've often wished that when I died,
    My grave might be on the old hillside.
    Let there the place of my last rest be;
    Oh, bury me not on the lone prairie."

5. "O'er me slumbers a mother's prayer,
    And a sister's tears will be mingled there,
    For I'm glad to know that the heart throbs o'er,
    And that its fountain will gush no more."

6. "In my dreams I saw ..." but his voice failed there,
    And they gave no heed to his dying prayer.
    In a narrow grave six feet by three,
    They buried him there on the lone prairie.

7. May the light-winged butterfly pause to rest
    Over him who sleeps on the prairie crest.
    May the Texas rose in the breezes wave
    Over him who sleeps on the prairie grave.

8. And the cowboys as they roam the plain,
    For they've marked the spot where his bones have lain,
    Fling a handful of roses o'er his grave
    With a prayer to Him whose soul He might save.

《蛇足》 1939年公開(日本公開は翌年)のジョン・フォード監督作品『駅馬車』の主題曲。西部劇史上に燦然と輝く傑作で、主役のリンゴー・キッドを演じたジョン・ウェインは、B級活劇専門の俳優から、一躍スターダムに上りました(写真)

 元歌はワイオミング、ニューメキシコ、モンタナ、テキサスあたりの牧畜地帯で歌われていたカウボーイソング"Bury Me Not On The Lone Prairie"(寂しい草原に埋めないでくれ)
 この曲の歌詞は非常にヴァリアントが多く、ほかに"The Dying Cowboy"
(瀕死のカウボーイ)、"The Dying Ranger"(瀕死の警備隊員)、"The Cowboy's Lament"(カウボーイの嘆き)、"The Lone Prairie"(寂しい草原)、"The Ocean Burial"(大洋の埋葬)ほか、さまざまな歌詞があります。

 これらのカウボーイソングには、さらに原曲があります。アイルランド民謡の"The Unfortunate Rake"(不運な道楽者)がそれで、1700年代後半から歌われ始めたという記録がありますが、起源はもっと古そうです。
 これがアイルランドから直接、あるいはイギリスを経由してアメリカに伝わったわけです。途中で船乗りの間でも歌われるようになったようで、"The Ocean Burial"などがそれを示しています。
 アメリカに伝わったのは1800年代前半と推測されます。

 ただ、"Bury Me Not On The Lone Prairie"のメロディは、現行版とは違っていたようで、 "The Trail to Mexico"のメロディで歌われるようになってから広まったとする説があります。

 "The Unfortunate Rake"も、その後裔であるカウボーイソングも、歌詞は悲しい内容で、メロディも非常にスローなテンポのバラードですが、映画では軽快なテンポに編曲されました。このため曲想が一変し、明るい希望に満ちた曲に変わりました。これが大成功で、アカデミー賞の作曲・編曲賞を受賞しています。
 元のスローテンポなカウボーイソングは、ブルーグラスやヒルビリーなどのカントリーソングとして今も歌われています。

 アメリカの牧畜業が開発途上だった頃、カウボーイたちは厳しい生活を余儀なくされていました。昼間は牛の駆り集めや見回り、焼き印押し、柵の補修といったきつい仕事にいそしみ、夜は大部屋の2段ベッドで休む、というのが普通の生活でした。

 寝るまでのひととき、彼らはよく歌を歌いました。それらは、子どもの頃に父母から教わったり、カウボーイになってから覚えたりした歌でした。
 それらのなかには、父母などの出身国であるアイルランドやイギリス、ドイツなどの民謡が数多く含まれていました。
 元の歌詞のまま歌うだけでなく、彼ら自身の経験や思い出、希望などを即興で詞にして歌うこともよくありました。音楽的センスのある者は、メロディもオリジナルで作曲しました。
 そうした歌が、彼らが牧場から牧場へと流れ歩くにつれて、各地に広まっていったのです。

 カウボーイソングには、慰安という効用のほかに、実用的な意味もありました。

 鉄道網が未発達だった時代、牧場主たちは、収入を得るために、鉄道駅のある場所まで牛を運ばなければなりませんでした。その距離は、数百キロから、ときには1000キロ以上にのぼりました。そうした長距離輸送を「キャトルドライブ(cattle drive 牛追い)といいます。

 キャトルドライブは西部劇の格好のテーマで、ジョン・ウェイン主演の『赤い河』(1948年)や、エリック・フレミング、クリント・イーストウッドが主演したTVシリーズ『ローハイド』(1959~66年)など、さまざまな作品に描かれています。

 砂漠など地形や気候が過酷な場所を長距離移動するわけですから、人間だけでなく、牛も疲れるし、神経もささくれ立ってきます。そのため、夜間、聞き慣れない音がすると、牛たちは驚いて暴走を始めます。
 そうすると、行方不明になったり、傷ついたりする牛が増えるし、人が巻き込まれて死ぬこともあります。
 ところが、見回りのカウボーイが歌を歌ってやると、不思議と牛たちの情緒が安定し、よく眠るようになるというのです。

 牛が音楽によく反応することは広く知られていて、日本でも、牛舎にモーツァルトなどのクラシック音楽を流している酪農家がよく見られます。きれいな音楽を聴かせると、乳の出が格段によくなるそうです。

 そういうわけで、歌を歌うことは、カウボーイにとって、投げ縄や射撃などと並んで必須の技術でした。慰安の歌であり、仕事の歌でもあったカウボーイソングが、今ではアメリカの代表的サブカルチャーとして、多くの人びとに楽しまれているわけです。

(二木紘三)

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コメント

今日、初めて二木さんのHPを知りました。
懐かしい曲がいっぱいでうれしくなりました。中でも「月見草の歌」に出会えて感激しちゃいました。またしょっちゅう来ます。

投稿: さよちん | 2007年1月15日 (月) 00時16分

昔しこのジョンウエンの映画を見ました。その頃は西部劇大好きでしょっちゅう映画館に通っていました。今でも軽快な主題歌と格好いいジョンウエンのカウボーイ姿が目に浮かびます。
今新たにカウボーイソングの歴史やこの駅馬車の本歌の調子のことなど大変興味深く拝読致しました。

投稿: 風来坊 | 2007年7月23日 (月) 10時38分

駅馬車の思い出 ・・・
40年ぐらい前でしょうか?小都市の映画館で上映される度に
足を運びました。BSなどで放送すると必ず見ています。
見る度に何か新しい発見をする気がします。
映画、テレビ放送、自画録ビデオを含め15回ぐらいは見ています。

このリズムがいいですねェ

投稿: グ・グロリア | 2007年10月 3日 (水) 21時21分

この歌の元歌が、悲しいカウボーイソングだと初めて知りました。映画「駅馬車」では明るいテンポの良い曲になっていたので、何か浮き浮きするような気分になります。
この曲を聴いていると、広大な草原に牛を追っていくカウボーイの姿を連想しますが、子供の頃、それがアメリカなんだと思っていました。
戦後、どれほど西部劇を見たか数えようもありませんが(多くの人がそうでしょう)、この映画で登場したジョン・ウェインは正にその大スターでした。彼は西部劇の至宝というよりも、後に“アメリカ人”の代表になった感があります。
それは「赤い河」や「黄色いリボン」「アラモ」など数多くの作品で、われわれ日本人の心に焼き付いたからだと思います。
ジョン・ウェイン伝説の起源となった「駅馬車」は、そういう意味でも忘れられない映画であり歌でもあるでしょう。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年5月 4日 (日) 16時08分

二木さんの HP 今日はじめてです。私も5ー60年ほど前、この映画を見たことが有りますが、当時、全編に流れた Melodyは "Bury Me Not On The Lone Prairie"じゃない"Stagecoach"(Our stagecoach runs for many miles, to get the town............Go on in full speed for the long long way...)だった様な記憶がします。私も懐メロ好きで、いろんなサイトを訪れていますが、とくに二木さんの《蛇足》に興味がありました。今後もよくお願いします。 

投稿: 異人 | 2009年2月 1日 (日) 22時29分

初めてこのサイトに出会い、嬉しくなって、まず、たまたま見つけた「駅馬車」に投稿します… 今頃~?との声が聞こえてきそうですが… ともかく、よろしくお願いします。
中学1年の時に、父親(既に他界、ゲーリー・クーパーのファンでした)にせがんで、「駅馬車」と「シェーン」の2本立て(今から思えばすごい!)を観に行きました。多分、洋画を観るのは初めてだったと思います。「駅馬車」の途中で館内にはいったのですが、正に、リンゴー・キッドが、まるで拳銃のごとくにライフル銃を片手に、駅馬車の前にたちはだかるところだったのです。強烈でした。J.ウェインの独特の声と、巨躯、背景のモニュメント・バリー、疾走する駅馬車、かぶさるテーマ曲…すっかりとり付かれてしまいました。この時は「シェーン」は全く印象が薄かった、父親が帰っても、独りでもう一回「駅馬車」を観てから帰宅した…これが、私の西部劇→西部劇映画音楽→カントリーミュージックへと傾倒していく原点でした。今でも、あのメサの林立する風景写真でも見れば、ワクワクしてきます。そのどこかから、淋しげなJ.ウェイン演じる西部男が現れそうな気が…(もっとも、ここでの撮影が度重なったために、ネバダの核実験の放射能を浴びてガンで亡くなったというのは、云わばアメリカのヒーローであった彼には皮肉なことでしたが) ああ、懐かしい… 西部劇映画は作られかたが安易だったり、インディアンを一方的に悪者として描いてあったり、問題も多かったようですが、やっぱり好きです。J.フォード監督のJ.ウェイン主演が何と言っても抒情豊かでいいですね。
テーマ音楽の原曲が古いカウボーイソングであったこと、ごく自然だと思います。他にも同じような例がありますから… これから読み進めていって、何に出会うか楽しみです、まだ門を開けたばかりですから。

投稿: ば~ばとど | 2010年7月10日 (土) 01時17分

古い話ばかりで申し訳ありませんが、これも25年も前になろうかと思いますが、毎月の会議で東京本社への出張の折、
六本木の交差点のアマンドの向かいの小さな階段を下りた地下1階にある「Mr.James」に通いました。
ドアーを開けると、もうもうと煙草の煙がたちこめる中、激しいギター音、カーボーイハットにジーンズ、ウエスタンブーツ姿の
プロ歌手が体を揺すり喧騒と興奮の中 カントリーソングを歌い、私達はバーボンとコーンを小さな籠に盛ってもらい口笛や
手拍子のなか酔いしれました。そこでは100円券20枚綴りを買い、つまみやウイスキーのおかわりができました。
特に面白かったのは、ウエスターンソングを演歌調で歌うのですが、それがすごい演歌ウエスタンで、抱腹絶倒でした。
寺本圭一やジミー時田さん等の歌も聞きました。 今でも あるのかな~。

投稿: あこがれ | 2017年3月31日 (金) 14時55分

 昭和30年前後にかけて、、隣家が同好のウエスタンクラブになっていました。美人3姉妹のお宅で、カーボーイハットにジーンズ、ウエスタンブーツのお兄さんやお姉さんが集まっていました。冬にはクリスマスパーティーがあったりしました。私は小5でしたが、その雰囲気が好きでお邪魔虫していました。

 今思うとずいぶん迷惑だったろうなと思います。月刊の映画雑誌『スクリーン』や『映画の友』があり、ハリウッドの銀幕はあこがれの世界でした。

 駅馬車の映画はリバイバルでしたが、リンゴ役のジョン・ウエインの若々しいこと、歳をとったジョン・ウエインしかスクリーンで見たことがなかったので、こんなに美青年だったとは驚きました。

 四頭立ての駅馬車(もしかしたら6頭立て?)がアパッチ(?)に追われるシーン、走る四頭の馬の間の下方からの映像がものすごい迫力でした。

 今BCでローハイドが放映されています。今見ていると、男とはこうあるべき、リーダーとはこうあるべきの「べき、べき」のドラマですね。
 

投稿: konoha | 2017年3月31日 (金) 15時57分

 我々の世代のほとんどは男は男らしく、女は女らしくと育てられてきました。母親になった私は息子に「男なら泣くな」と言ってきました。多分私と同じ年代それ以前もそれ以後の世代も、男の子に対してそう接してきたようです。河島英五の「酒と泪と男と女」の中で「俺は男、泪は見せられないもの」とありました。

 息子が小学生の時、何かで私が「男らしくしなさい」と言った時、「どうして、そう言うの?男も女もないよ」と反撃されてしまいました。私も「女らしく」に不満だらけでした。

 昔は昔で、今は今で「何々らしく、こうあるべき」などなど男も女もそして社会も生きづらいですね。

投稿: konoha | 2017年4月 1日 (土) 10時30分

「カウボーイが歌を歌ってやると、不思議と牛たちの情緒が安定し、よく眠るようになる」管理人さんのこの文章、よくわかります。牛は神経が繊細な動物で、犬に吠えられるだけで乳の出が悪くなるのでした。海外協力隊でシリアに駐在した若き日の見聞です。

投稿: Bianca | 2017年4月 2日 (日) 19時24分

 Biancaさんのコメントを拝読していますと、私と生年が同じ方と思われますが、素晴らしいお仕事をなさっていたのですね。TVで見ていますと海外協力隊の方々は日本人の特性を発揮して、現地にとけ込んで人々に喜ばれていますね。視聴者の一人として、隊員方々の前向きな姿勢に頼もしく誇りを感じさせていただいています。
 
 Biancaさんが行かれた当時は、まだまだ日本の海外協力隊の先駆者たちの部類に入るのではと思います。と言いますのも昭和40年代に新聞で読んだ記憶があります。とても困難で大変だったろうと思いを馳せてしまいます。勇気がおわりだったんですね。

 今のシリア内戦の報道を見るにつけ心を痛められていることでしょうね。
シリア問題はそれこそ世界を巻き込み、あまりにも複雑に思惑が絡み合っていますので、いつ平和が訪れるのか先が見えません。

 冷戦時代が終わり、これからの時代は民族主義になっていくのかなと漠然と思っていたのですが、危惧していたように世界が動きだしています。ナショナリズムが顕著になり、民族紛争があちらこちらで勃発して、治まり処が見えなくなっています。

 TVでリアルタイムで国際報道を見るにつけ、世界はどこに向かっているのかと心配せずにいられません。

 

投稿: konoha | 2017年4月 3日 (月) 11時27分

konohaさんへ
どうもありがとうございます。(1944生)同じでしたか?
私がシリアに行ったのは77年(昭和52年)で、途中泊したテヘランではイスラム革命の前で、近代的で女性が大いに働いていました。シリアはアサドの独裁政権下で治安が良く、女ひとりで旅してまわることも可能でした。自分の行った沢山の街が破壊され、人々が難民となり海におぼれ死ぬのを見ると胸がふさがります。

投稿: Bianca | 2017年4月 3日 (月) 14時43分

西部劇映画の関連で思い出したことがあります。今から55年前後前のことです。当時、淀川長治さんが編集長の洋画雑誌「映画の友」の愛好会が東京と横浜にあり、月一度の例会には淀川さんも出席され,参加者が前回以降に見た映画の感想を順番に発表するのがメインで、それに淀川さんが「付け加える」という流れでした。
 ある時、私がジョン・フォード監督初の70ミリ西部劇「シャイアン」について「期待が大きかっただけに残念だった…」といった感想を述べた際、淀川さんは小生におよそ次のように話してくれました。「あのね、あなたが言っていることは良~く分かります。でもね、フォードは歳を取って、もう昔のような緊張感を持って一本の映画を作ることが出来ないのね…。だから、許してやって下さいね…」
 ああ、何んと言う優しさ…。淀川さんは心底、映画を愛しているんだなあ…と私に思わせてくれました。

投稿: ジーン・大竹 | 2023年12月15日 (金) 16時13分

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