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2007年2月 4日 (日)

君待てども

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:東 辰三、唄:平野愛子

1 君待てども 君待てども
  まだ来ぬ宵 わびしき宵
  窓辺の花 ひとつの花 蒼白きバラ
  いとしその面影 香り今は失(う)せぬ
  諦めましょう 諦めましょう
  わたしはひとり

2 君待てども 君待てども
  まだ来ぬ宵 朧(おぼろ)の宵
  そよふく風 冷たき風 そぞろ身に泌む
  待つ人の影なく 花びらは舞い来る
  諦めましょう 諦めましょう
  わたしはひとり

3 君待てども 君待てども
  まだ来ぬ宵 嘆きの宵
  そぼ降る雨 つれなき雨 涙にうるむ
  待つ人の音なく 刻む雨の雫
  諦めましょう 諦めましょう
  わたしはひとり

《蛇足》 港が見える丘』のコンビが昭和23年(1948)に放ったヒット曲。

 松本市の中心部から見て北西側に、昔砦があったと伝えられる城山(じょうやま)が横たわっています。私は、その城山から松本市街へとなだらかに下る中腹に立つ高校で学びました。
 高校時代、私はときどき授業をさぼって、城山を彷徨(さまよ)い歩きました。

 その美しいひとは、白いススキの群落を縫って走る小径の曲がり角に、1人たたずんでいました。だれかを待っているようでした。周りに人家はなかったので、当時その近くにあった国立結核療養所で病を養っているひとだろう、と私は想像しました。
 そのひととは、そのあと2度出会い、2度目には目礼を交わしましたが、その後は姿を見なくなりました。

 この歌は春の歌ですが、この歌を聞くと、秋景のなかで人を待つそのひとのはかなげな姿が浮かんできます。

(二木紘三)

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コメント

この歌は君を待っているのは女性と解釈しましたが、逆のバージョンもあるのでしょうか。

投稿: 海道 | 2011年9月13日 (火) 16時38分

私は子供の頃からこの歌は戦地へ行った恋人の帰りを待つ女の人の事を歌った歌だと思っていました。携帯や電話などの連絡手段の無い時代、相手の消息を知るのは大変なことでした。別れればそれきり消息不明になった人たちも多かったでしょうね。それにしても何と詞が美しい事か。日本語をきちんと知っている人が作った歌詞は美しいですね。伊藤久男が歌った「たそがれの夢」の中に「白き薔薇は愁いにゆれつつ」という一節があります。こういう歌詞を読むともっと国語の勉強をしておけばよかったと後悔します。

投稿: ハコベの花 | 2011年9月13日 (火) 22時16分

詞の美しさといい、、曲の構成の妙といい、素晴しい楽曲だと思います。
「港が見える丘」もそうですが、平野愛子の歌唱、東辰三のメロディにはどこかアンニュイ的なところがありますね。そこがとても魅力的な要素にもなっているのでしょうか。 東辰三は歌い手を目指していたそうで、コーラスグループでバスを受け持ってたということですから、シンガー・ソング・ライターの魁となれたかもしれません。  その後グループ解散、作詞家の道に進み。作曲もこなして。寡作ながら名曲を残してくれました。
 50歳で逝去。長生きされてたら、沢山のいい歌を世に送り出してくれたでしょうに。 その分、息子さんの山上路夫がヒューマニズム溢れた詞を数多作ってますね。 

投稿: かせい | 2016年5月11日 (水) 00時43分

 戦後、疎開先の母の実家(福岡県)で、30歳ごろだった母が口ずさんでいて、1941年生まれの私も意味もわからず、つい覚えてしまった歌です。母は63歳で、私が40歳のとき亡くなりました。別に、父が戦死で帰らなかったわけではありません。その頃は母の実家でよく夫婦げんかしていましたから。夕暮れの農家の窓辺に立つ母のたたずまいが、なぜか歌とともに浮かぶのです。
 この6月、仕事から解放されます。28~33歳まで新婚も含めて過ごした松本を40年ぶりで訪ね、明科に眠る友を訪ねようと思っています。

投稿: 村山 文作 | 2017年6月16日 (金) 13時17分

この歌を聞くと、4年前のあの日のことが、ふっと思い出されて「あの人はあれからどうしただろう?」と、なんだか感傷的な気持にさせられます。
何ヶ所か嵯峨野の紅葉名所を散策し、最後に二尊院をさらっと歩いて夕暮れの紅葉の馬場で何ヶ所かシャッターを切りながら妻と二人でのんびりと歩いていました。周囲の人影もまばらになり始め、「そろそろ引き上げようか?」「そうね、だいぶ歩いたから、私疲れちゃったわ」と、話しながら ふと前の方を見ると、(妻には悪いけど)なんとも魅力的な妙齢の女性が私達に軽く会釈をし、申し訳なさそうに「あの~ すみません…」と、言いながらカメラを片手に遠慮気味に「おねがい 出来す?」勿論私は「あ、いいですよ!」と言いながら、えらそうに何枚かシャッターを切らせて頂きました。
それを機縁に妻とも少し打ち解けた様子で「どちらから~?」「‥福岡です…」「そうですか。じゃ今夜は京都泊まりですね?」「のんびりとお一人で…羨ましわ。」「でも…そんなんじゃないんです…」見ると うっすらと目に涙を浮かべて、淋しそうな言い方で、それ以上こちらから話しかけるのは憚れる感じの力ない妻との会話で、傍で興味深く聞いていた私も一瞬戸惑いを感じ妻に目で合図して、さりげなく話題を楽しい方に向けましたが、余程 つらい別れをしてそれを断ち切る為の『京都』だったのでしょう! 二尊院の門をくぐり嵐電の駅近くまで、私と妻はその人を労わるような気持で寄り添いながら歩きました。
最初から、なにか訳ありのような感じはしましたが、帰りの車中で『少しは気持ちが紛れたかな~」と、話しながら帰路に着きました。
私も経験者ですから、よく判ります! 時間がすべてを解決してくれるでしょう。ひょっとしたら二尊院の前に『直指庵』で思いの丈を大学ノートに書き綴ってこられたのかな~?と、妻と話し合っています。

投稿: あこがれ | 2017年6月16日 (金) 23時37分

 「君待てども」は、同じコンビ(東辰三 作詞・作曲、平野愛子 唄)による「港が見える丘」(S22)や「白い船のゐる港」(S23)と並んで好きな歌で、どれも、女性側から歌った失恋の歌であろうと思っております。
 原曲を女性が歌っていることもさりながら、歌詞の末尾♪…諦めましょう 私はひとり♪から、やはり、女性側の心情を表す言葉として受け取るのが自然な気がするのです。
 なお、私なりに失恋の過程を歌詞から読み解くと、次のようになります。
1番では、室内を舞台として、窓辺の花が色褪せていくように、我が恋を失いそうな予感を歌い、2番では、屋外を舞台として、まだ少しは望みもありそうであった恋も、花びらが散っていくように、散ってしまったとの喪失感を歌い、3番では、それでもなお一縷の望みを託していたのに、我が恋は終わってしまったのだなあと、雨と涙をかけて、諦めの境地を歌っている、というものです。
 「君待てども」、「港が見える丘」、「白い船のゐる港」は、いずれも、失恋の歌なのに、短調ではなく、長調の美しいメロディで作られていることに、ハイカラさを感じるとともに、作詞・作曲者の非凡さを思う次第です。

投稿: yasushi | 2017年12月 3日 (日) 17時16分

待つ人が来ない歌なのにあまり女々しくなくて、さっぱりしていて、いいですね。歌詞もメロディも泣き歌でない所が好きです。でも、心の中には何十年も素晴らしい人だったと面影が棲みついているのです。《待つ人の音なく 刻む雨の雫・・・⦆今度、雨の日に静かにこの歌を聴きながら面影を忍んでみます。

投稿: ハコベの花 | 2017年12月 3日 (日) 19時55分

「君待てども」についての前回の投稿(’17-12-3)から、早くも、2年余りが経ちました。この歌は、歌詞・メロディとも素晴らしく、いつ聴いても、何度聴いても、いい歌だなあと感じます。

歌詞を眺めていますと、想像の世界へと引き込まれていきます。
歌詞1~3番とも、♪まだ来ぬ宵…♪とありますので、時刻は”宵”=夕方、夕暮れどきでしょう。
そして、歌詞1番では、♪わびしき宵♪や、♪蒼白きバラ♪から、季節は秋であろうと想像します。春のバラより、秋のバラの方が歌詞にマッチすると思うのです。
歌詞2番では、♪朧(おぼろ)の宵♪や、♪花びらは舞い来る♪から、季節は春で、花は桜を思い浮かべます。
歌詞3番は、♪そぼ降る雨♪、刻む雨の雫♪、そして、歌詞1、2番を踏まえますと、夏・梅雨時ではないでしょうか。
つまり、この歌は、秋~春~夏にわたる失恋の、夕暮れ時の情景を謳っているように思います。
なお、歌詞1~3番とも、♪諦めましょう 諦めましょう わたしはひとり♪で終わっていて、”私ひとりが諦めればいいのだ。誰も恨むまい。”との、諦念と相手をおもんばかる気持ちが込められているようで、心に優しく響きます。

投稿: yasushi | 2020年4月20日 (月) 14時10分

『君待てども』は、同じコンビ(東辰三 作詞・作曲、平野愛子 唄)による『港が見える丘』(S22)や『白い船のいる港』(S25)とともに、大好きな歌です。
長調の明るい曲想の中にも、いとしの君を待ち続ける哀しい女性の心情が謳われていて、心に沁みます。

『港が見える丘』に比べると、『君待てども』をカバーして歌っている歌い手さんは意外に少ないようで、木佐貫裕珠さんによる『君待てども』以外は、思いつきませんでした。

そこで、このたび、改めて、YouTubeで、『君待てども』をどのような歌い手さんがカバーして歌っているのか、当たってみました。
その結果、二人の歌い手さんの歌声が心に留まりました。
一つは、これまで知らなかった、佐藤まゆみさんという方が歌う『君待てども』。丁寧で、端正な歌声に好感を持ちました。。
もう一つは、『霧子のタンゴ』などで知られるフランク永井さんが歌う『君待てども』。”魅惑の低音で聴く極上のカバー”と謳われているだけあって、フランク永井さんのオリジナリティが十分ににじみ出た、味わい深い歌声が、魅力的です。
男性が歌う『君待てども』も、なかなかいいですね。

投稿: yasushi | 2022年2月13日 (日) 13時59分

Yasushi様、

 うーん、小生と好みが似ているようで、いくつかの曲の投稿でご一緒しているようです…。今回は”君待てども”でした。

 小生は平野愛子さんのファンですが、ナツメロを歌う…という枠で言うなら、”ちあきなおみ”がナツメロを歌ったCD(2005年リリース)に挿入された本曲もとても気に入っております。同アルバムの中では、彼女は「カスバの女」「雨のオランダ坂」「悲しき竹笛」「星の流れに」「かりそめの唇」「逢いたかったぜ」「泪の乾杯」「どうせ拾った恋だもの」「フランチェスかの鐘」等々、彼女好みと思しき曲をチョイスしているようで、「ちあきの懐メロ」を堪能しております。流石の”ちあき唱法”による「君待てども」、いいなあ…、ついでに「雨のオランダ坂」も…

投稿: ジーン | 2024年11月26日 (火) 20時39分

ジーン様のお便り(’24-11-26)を楽しく拝読しました。
”うた物語”という場を通じて、歌を愛好する方々と交流できることは素晴らしいこと、と改めて感じている次第です。

ジーン様には”小生は平野愛子さんのファンです …”との由、私もその一人です。特に好きな歌を三つ挙げますと、いずれも東辰三 作詞・作曲による、『港が見える丘』(S22)、『君待てども』(S23)、『白い船のいる港』(S25)です。

ご教示ありました、ちあきなおみさんによる『君待てども』、YouTubeで聴いてみました。なかなかいいですね。

ついでながら、『君待てども』の歌詞については、ことさら、2番の
  ♪待つ人の影なく 花びらは舞い来る …♪
のところの情景の切なさが心に響きます。
風に舞い来る花びらは、やはり、桜でしょうか。

投稿: yasushi | 2024年11月27日 (水) 16時44分

yasusi様宛、

 11/27の投稿、有難うございました。もう、平野ファンがいると知っただけで涙モノであります。とりわけ「白い船のいる港」、いいですねえ…。「港…」に似てるんですけど、何か良いのです…、これが平野さんなんですよねえ…。それから、タンゴ調の「幻の港」、珍しい日本調の「お新恋い唄」等々も忘れ難いです…。
  
 音源としては、’76年にビクターから出された「オリジナル原盤による懐かしの歌声」シリーズでの平野さんの音源を所持しております。それによれば、最後の録音は「波止場の陰で」(26年)とされ、やはり退廃的な雰囲気が漂う曲でありました…。

投稿: ジーン | 2024年12月20日 (金) 22時12分

ジーン様からのお便り(’24-12-20)を楽しく拝読しました。
この歌のほか、”とりわけ「白い船のいる港」、いいですねえ… ”との由、嬉しいことです。
『港が見える丘』と『君待てども』が平野愛子さんの代表作(歌)とされるなか、『白い船のいる港』は、私にとって、代表作に引けを取らない、お気に入りの歌です。

平野愛子さんの他の歌について、ご教示頂き有難うございました。
幸いにも、手許に、『白い船のいる港』の歌声を聴きたくて、20年ほど前に買い求めましたCDが1枚:『昭和を飾った名歌手たち(10) 港が見える丘*平野愛子』(全16曲)がありますので、聴き直してみたいと思います。

投稿: yasushi | 2024年12月22日 (日) 16時26分

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