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2007年2月28日 (水)

喫茶店の片隅で

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:矢野亮、作曲:中野忠晴、唄:松島詩子

1 アカシヤ並木の黄昏は
  淡い灯がつく喫茶店
  いつもあなたと逢った日の
  小さな赤い椅子二つ
  モカの香りがにじんでた

2 ふたり黙って向きあって
  聞いたショパンのノクターン
  もれるピアノの音につれて
  積んでは崩しまた積んだ
  夢はいずこに消えたやら

3 遠いあの日が忘られず
  ひとり来てみた喫茶店
  散った窓辺の紅バラが
  はるかにすぎた想い出を
  胸にしみじみ呼ぶこよい

《蛇足》 松島詩子が歌うシャンソン調歌謡の1つで、昭和30年(1955)にレコードが発売され、ヒットしました。昭和35年(1960)に再発売。

 昭和20年代から40年代末あたりまで、デートというと、だいたいがこんな感じでしたね。名曲喫茶にいくか、普通の喫茶店で、ろくにわかりもしないフランス文学だの実存主義だの、人によってはコミュニズムだのを論じたりしました。

 東京では「風月堂コミュニスト」なんて言葉もありました。風月堂は、新宿中央通りに面したところにあった喫茶店で、ここに集まって、生かじりの知識でコミュニズムを論じた左翼かぶれの若者たちを、軽侮のニュアンスを込めて表現したのがこの言葉です。
 理論的なレベルは違いますが、講壇派
(アカデミズム内の社会主義者)の若者版といったところでしょうか。

 10数年前、知り合いの女子大生に「学生のデートというと、今でもロマン・ローランやフロイトあたりから始めるの?」と訊いたら、「それって、何ですか?」と訊き返されてしまいました。

 最近の学生たちが背伸びして、つまり少々無理して読む本というと、どのあたりになるのでしょうか。それとも、無理しないで読める等身大の本しか読まないのでしょうか。

(二木紘三)

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コメント

 二木さんの文章に惚れました。
 昭和35年、私は早大の1年生(文学部フランス文学科)で、毎日のように喫茶店に行っていました。安保闘争の真っ最中で「ブントがどうの、革共同がどうの」と言っては、革命論議に明け暮れていました。“見果てぬ夢”を追いかけていたのでしょうね。
 憧れの女子大生もいましたが、奥手と言うか意気地なしと言うか、そちらの方はからきし駄目で、ついに一度も彼女らを誘うことが出来ませんでした。そういう意味では、この歌は羨ましいですね。彼女をきちんと喫茶店に誘っているのですから。
 革命論議の他にも「ロマン・ロランがどうの、サルトルがどうの」と言っては、夜遅くまで学友達と店にたむろしていたようです。そう見ると「風月堂コミュニスト」と何ら変わりありませんが、「喫茶店アナーキスト」と言った感じでした。
 この歌を聞くたびに、安保闘争や全学連に明け暮れた当時の思い出が蘇ってきます。 そして、憧れの女子大生を喫茶店に誘い出せなかったのが悔やまれます。

投稿: 矢嶋武弘 | 2007年11月11日 (日) 17時24分

私は、昭和35年は浪人の身でありながら、大毎対大洋の日本シリーズを観に行っておりました。帰途、浅沼稲次郎殺傷事件を聞いたことが思い出されます。

映画「青春の門」(田中健出演)に、「ふう月堂」が出てきて懐かしく思いました。

中国の大蓮でアカシア並木を見ましたが、日本にもあるのでしょうか。

投稿: 景山 俊太郎 | 2008年5月 2日 (金) 23時14分

景山俊太郎様
 松島詩子の出身地・柳井市にある松島詩子記念館の資料に「昭和30年発売」とありましたので、それが正しいと思います。訂正しておきました。歌の雰囲気、というより、歌詞に歌われているデートの雰囲気は、確かに昭和30年前後のものですね。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年5月 3日 (土) 18時55分

私の年齢や育った環境からして、この歌を聴いたはずはないのですが、何故か懐かしい歌です。こんな歌はもう生まれないのでしょうか。「黄昏のビギン」「或る雨の午後」「いつもの小径で」等々、夜一杯やりながら歌います。

投稿: 中村恵寿 | 2008年6月20日 (金) 22時24分

松島詩子さんの歌では、戦前の「マロニエの木陰」と並ぶ名曲だと思います。
前者はタンゴのリズムが新鮮で、こちらは長調にしているのが、しみじみ感をよく伝えていると思われます。
賠償千恵子さんがカバーして、美しい声で歌っていますがオリジナルの歌詞を一部変えています。
 ♪聞いたショパンのノクターン
のところろ、語呂が悪いのか
 ♪聞いたショパンのセレナーデ
と。
ショパンの曲には、確か「セレナーデ」と呼ばれるものは無い、と思うのですが・・・。

投稿: | 2008年8月 7日 (木) 11時58分

A面かb面か判りませんがSP盤大事に採ってあります。
裏面は林 伊佐緒さんの高原の宿 松島詩子さんの喫茶店の片隅で には当時昭和30年戦後10年の思い出が沢山ありました。小学校5年生でした。良いものは何度聞いても良いですネ

投稿: 稲葉 武 | 2008年8月11日 (月) 16時07分

このうた大好きです。

私は30代ですが、生まれる時代を間違えてしまったのでは?
と思うほど小さな頃から祖母や母の歌う戦前戦後の頃の歌に惹かれていました。

この「喫茶店の片隅で」は灰田勝彦さんの「新雪」と並んで私のカラオケでは欠かせない1曲です。

こんな素敵なサイトに出会えるなんて。
今日はなにかいいことありそう・・・

投稿: nekonikiss | 2009年2月25日 (水) 10時43分

「マロニエの木陰」はなかなか覚えられないのですが、この「喫茶店の…」はメロディラインの美しさもあってか、とても
すんなりと入っていけますね。 あの「おーい中村君」の中野忠晴さんの才能の幅の広さを感じさせる名曲かと思います。
このような雰囲気の名曲喫茶で想いを寄せる人と語らいの時間が持てたら、どんなに素敵でしょうね。名曲喫茶もとんと少なくなってしまいました。淋しい限りです。

投稿: かせい | 2010年1月23日 (土) 11時37分

昭和30(1955)年頃,近所の女性が,当時の「NHKのど自慢全国コンクール」において,この歌で歌謡曲部門の全国優勝を果たしたことがありました。私はまだ中学生でしたが,そのときの印象が強くこの歌をすぐ覚えてしまいました。その後10年以上たち社会人になって駆け出しの頃,今のJR御茶ノ水駅近くの名曲喫茶でクラシックに耳を傾けながら,仕事の疲れを癒していたことがたびたびありました。このシャンソン風の叙情歌を聴くと,若かりし当時の様々な思いが彷彿と湧き上がってきて,込み上げてくるものがあります。

投稿: nobuchan | 2010年2月13日 (土) 21時15分

 本欄最後のコメントから丁度一年の今日、朝刊に「学生街の喫茶店」の記事を見かけました。松島詩子の喫茶店から20年後、歌に用いられる言葉も随分と変わって、まるでケータイでのお喋りを音符に乗せたような言葉遣いと感じました。松島詩子の「マロニエの木陰」から「喫茶店の片隅で」までが約20年、言葉(文体)は余り変わっていないと思います。同じ20年間でも、単に後の時代ほど変遷の加速度が急増していると云うだけでなく、質の転換のようなものを感じます、即ち、詩から散文への。

投稿: 槃特の呟き | 2011年2月12日 (土) 23時54分

歌を料理に例えると素材は曲と詞、調味料は編曲・演奏者、料理人は歌手といえるのかとも思っています。
美味しく戴くにはそれに加えて、店の雰囲気と食する本人の料理に合った年代もあるかと・・・。
次のステップに夢中の20代には関心のなかったこの曲、定年を迎えて今聞くと、なんと心に触れるメロディー・歌詞なのかとつくづく感じます。
ネット社会の有難さにも感謝です。

投稿: 山ちゃん | 2012年6月 7日 (木) 19時19分

何かの拍子にメロディーと「アカシア並木」と「たそがれ」という歌詞を思い出して検索したら、このサイトに着きました。以前から時々訪問して、二木様のアレンジに聞きほれてはいたのですが、題名を知らない歌が多く、この曲が入っているとは知りませんでした。私にとっては宝の山のようなサイトです。ありがとうございます。

投稿: solong | 2012年6月14日 (木) 18時33分

吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」と同レベルの寒村で生まれ育ったので、高校は下宿でした。ある日オバチャンが姪を呼んでくれキッチャテンにでも一緒に行って来いと言うので喫茶店の片隅で何かを話しました。男子校だったので美人とは吉永小百合か松原智恵子とかたくなまでに信じていました。可愛い娘でしたが美人の先入観には勝てませんでした。自分が高望みをしていたと気付くまでにそう時間を要しませんでした。

投稿: 海道 | 2012年7月13日 (金) 20時42分

nobuchan さんの投稿に、のど自慢全国コンクール優勝のコメントがありますが、この放送は私が小学生の確かな記憶としてあります。近所の方とは驚きました。

こ歌は学生時代からサラリーマン時代に通った喫茶店の情景が想い出されます。
時代が変わり、当時の名曲喫茶や純粋においしいコーヒー・お茶を楽しむお店が少なくなったのは寂しい思いがあります。

投稿: タケオ | 2013年1月25日 (金) 22時12分

2008年風さんの投稿に賠償千恵子がカバーした際、ショパンのノクターンを語呂が悪いのかセレナーデにかえている。ショパンにセレナーデがあるのか、と疑問を呈していらっしゃた。私も最近歌声喫茶の歌本でセレナーデとありました。
そこで、わたしのCDのショパン特集をノクターンを除いて16曲ありましたがセレナーデはありませんでした。それではとセレナーデの曲からショパンを探すと所有のCD三枚にセレナーデが11曲ありそこにもショパンはありませんでした。知人のピアノの先生もショパンでは見かけないと言ってました。
賠償はなんで勝手にに矢野亮の作詞を変えるのか彼は多分この歌の発表から今59年月日がたちもう鬼籍の人と思えますが、かれに失礼も甚だしく、歌手としてマナー悪いと思います。(賠償のフアンですが)
森進一の”おふくろさん”でも直して作詞家川内康範に同曲を歌うのを一時止められています(後同氏が鬼籍で復活)。また最近民放で吉幾三が同じ事をしたようで五木ひろしに諌められていました。
歌手は私が思うに作詞家/作曲家から預かりまたは委ねられて歌っていると思います。やたら直す事はマナ-違反であり、作詞、作曲家に大変失礼です。最近その風潮が強いですね。

投稿: 高橋 良完 | 2014年2月20日 (木) 14時51分

私見ですが“ショパンのノクターン”は1830年頃に「夜想曲(ノクターン)第2番」としてF.ショパンが作曲、この曲をテーマに1955~6年(?)E.デューチンの半生をJ.シドニー監督がタイロン・パワー主演の「愛情物語」の中で、ノクターンを『To Love Agein』としてT.パワーの代理演奏をカーメン・キャバレロに依頼、抜群のテクニックとフィーリングで映画と共に圧倒的な人気を得たことを覚えています。
この曲がソチオリンピックでも浅田真央君の演技を盛り上げましたが、もしC.キャバレロの演奏のものだったらもしかして?メダルを・・・。 ショパンの思いをキャバレロがさらにグレード・アップした『ツウ ラブ アゲイン』は必聴です。

「喫茶店の片隅で」・・・遠い日の思い出が胸にしみじみとよみがえるいい歌ですね。

投稿: 尾谷光紀 | 2014年2月22日 (土) 23時01分

 「セレナーデ」(小夜曲)・「「ノクターン」(夜想曲)。
 ショパンの作品には「セレナーデ」」はありません
従って倍賞千恵子はレコーデングのときにウッカリミスをしてしまったのでしょう。確かに、「セレナーデ」の語感が良かった事もあったかもしれません。たざ悪意は無かったと思います。
 倍賞さんは他のカバー作品においても歌詞の唄い間違いは意外と多いのです。あれほどお上手な方ですから大変な数のカバーをしておられますのでね。菊池章子が唄った「星の流れに」でも
(ひと〜は見返る、)を(ひと〜は見送る))等々‥‥。
 
「愛情物語」カーメン・キャバレロのピアノ素晴しかったですねー。タイロン・パワーのお相手はキム・ノバクでしたかね。悲しい別れでした。

投稿: かせい | 2014年2月23日 (日) 01時00分

ノクターンをセレナーデと賠償千恵子さんが唄っていることについて、「一杯のコーヒーから」の二番の歌詩の中に、
“歌は南のセレナーデ”という文句がありますが、
若しかして同じコーヒーの歌なので、無意識に(混同して)唄われたのでは、、

投稿: 春の里 | 2014年9月 2日 (火) 17時35分

いい歌ですね~。
学生時代からサラリーマン定年退職まで、喫茶店には数えきれないほど通いました。朝、出社する前に、そして会社を退けてから。もちろん土日も・・・。僕は酒も煙草もゴルフもしないのだからこのくらい贅沢しても良いだろう、と言い訳して入り浸ってました。だけど女性と一緒だったことは一度もありません。勇気もないし自信もなかったですしね。”どうせ僕なんか・・・”って自虐評価してました。あの娘を誘うことができてたらなぁ、と今思い出したりもするのですが、もう、人生、後の祭りですね。最近、喫茶店は少なくなりましたね。

投稿: yoko | 2014年9月 2日 (火) 21時03分

スタバで、ひとりぼんやり、最近は、ファミマやセブンイレブンのコーヒーも「なかなかいける」と思っている私は どうなるんでしょう? コーヒーの香りと音楽のペアリング、いろいろですね。

投稿: taka-shiz | 2014年9月 3日 (水) 22時16分

しみじみと胸に沁みる名曲です。
歌詞を謎っては涙が込み上げてきます。
よいサイトに出合えて幸せです。

投稿: りんごちゃん | 2015年1月22日 (木) 19時39分

喫茶店にはいろいろな思い出があります。高校までは喫茶店は出入り禁止だったので、卒業すると同時にわっと友人たちと喫茶店めぐり、憧れがあったのですね。何と言ってもあんみつ、コーヒーは女ばかりでしたから飲みませんでした。卒業の時学校から5千円の寄付がきました。いつまでも払わなかったら半分でもいいから払えと言われ、2千5百円を払い、あとの2千5百円は全部喫茶店に消えました。今のお金で言えば5万円、2万5千円はアンみつに消えたわけです。当時は1杯50円でした。家には内緒にしていました。楽しかったですねぇ。あれこそ青春でした。毎日あんみつを食べながらおしゃべりしていました。夢一杯の春でした。人生で苦労のないひとときは本当に貴重な時間でした。57年が経ちました。でも思い出せば今でも青春です。

投稿: ハコベの花 | 2015年1月23日 (金) 21時06分

最近、久し振りで私の住んでいる中心市街地を約1時間ほどウオーキングしました。
ビックリしたことに、喫茶店と思われる店は2軒ほどでした。
今から半世紀ほど前の独身時代、外回りの仕事の合間を縫って時折、油を売りに喫茶店でコーヒータイムを過ごしたことを・・・
今、思い出すだけでも20軒近くの喫茶店があったように記憶しています。
特に音楽専門喫茶店では、高級音響設備により、客層に合わせたレコードによる演奏。
また、珍しい喫茶店では、クラシックレコード専門店で、常に、お客様のリクエスト曲を中心に聴かせてくれるお店で、今想えばほんとに懐かしい限りです。

投稿: 一章 | 2016年6月26日 (日) 22時59分

一章様のコメントにもあるように喫茶店は少なくなりましたね。
この歌は時折聴くレパートリーに入っています。
少し切なくなります。
数年前のことです。
再会した高校のクラスメィトと入った高校前の喫茶店。
喫茶店とは言い難い、高校生相手の菓子パンや飲み物を売る店なのに場違いのように「キーコーヒー」の旗が掲げられているだけ。
「高校生の入る店よ」「いいじゃないか高校生の頃に還って話をすれば」
彼は密かに憧れていた委員長でした。舞い上りました。やがて、昔からあった喫茶店で珈琲タイムを供にする仲となりました。夢かとも思える日々でした。
辛い日々に一筋の光を見る思いでした。しかし向こうの事情でつかの間の疑似恋愛は終わりました。
その程度は亡夫も許してくれていると思っています。
最初に入った喫茶店最寄りに月二回ほど行く、ボランティアの施設がありその都度胸が痛みます。

カフェや喫茶店は旅情を濃く彩ってくれます。
京都のイノダ珈琲や神戸の喫茶店、
3年前は近江八幡の氷室ヴィレッジの倶楽部ハリエまで足を延ばしました。一人で旅情に浸るのもいいものです。

投稿: りんご | 2016年6月27日 (月) 23時29分

最近は喫茶店に行く回数もめっきり少なくなりました。昨日、久しぶりにマクドナルドでコーヒーを一杯飲んでいた時、隣に小さな女の子を連れた若いご夫婦がいらして、女の子はお父さんにまとわりついて、「お姫様抱っこして、お姫様抱っこして、」と甘えていました。私は可愛いなぁと思い頬も緩んで見ていたのですが、そんな私に気がついてご夫婦もにこにこされていました。しかしそんな日ばかりではないですね。先日エレベータの中で乳母車に出会いました。側には背の高いイケメンのお父さんが。私は、赤ちゃん可愛いな、と思い乳母車に近付き覗き込んだのですが、その時頭上から、「触るな!」と一喝の声。頭の毛も薄く、しばらく床屋へも行ってなかった私なので虫けらのような汚い老人に見えたのかもしれません。一瞬、教室の隅で小さくなっていた学生時代の自分がフラッシュバックしました。高校同期会の季節が近づいてきました。”惜別の歌”の余韻も覚め止まぬ中、例年にもまして、級友に会うのが楽しみです。

投稿: yoko | 2016年11月 5日 (土) 10時24分

はるか昔、チョンガーの頃は会社の同僚とたまに喫茶店でグータラグータラしてましたが、今は家でインスタントコーヒー飲むのが関の山です。
これまた昔、デパートのエスカレーターで、若い母親が連れた小さい男の子の足がもつれて危ないように見えたので“大丈夫かい”と声をかけたら、その女性は(余計なことをするなという顔つきで)さっさと子供の手を引いて降りて行ったので、傍らのカミさんと“近頃の若い母親は…”という愚痴になったものです。他人の子供への“声かけ”や“乳母車の覗き込み”はなかなか難しいものです。

投稿: 焼酎百代 | 2016年11月 5日 (土) 12時54分

心とは裏腹に体は年齢を如実に物語るのもですね。
軽度の脊柱管狭窄に目を瞑っている間に古希を迎えました。古希の誕生日を期に、これからは体を労わって生きるほかないと悟りました。隣接の市まで毎日整体通いです。
ミスドのモーニングタイムに(11時)に間に合えば得をしたような気持ちになれます。スマホや文庫本を手に一杯の珈琲をお代わりするのが至福のひとときです。
広い店内には3名ほどしか見当たりません。
十分に贅沢な気分になれます。

yok0様 焼酎百代様
お気の毒ですね。
少数の不心得者の為に心優しい紳士までが不審者扱いにされる世相は悲しいですね。
その点、女性(婆さんといえど女)は得ですね。
大抵は好意的に受け取られます。
のみならず
「まあ、可愛い」に「ありがとうございます」の言葉が返ってきます。
先日の学校読み聞かせで一年生担当になりました。
教室が飛ぶほど元気な声が返ってきました。
「ありがとうございます」
担任もいたので思わず「まあ。可愛い」と言ってしましました。これも男性ならNGかもしれませんね。

投稿: りんご | 2016年11月 7日 (月) 09時22分

 そうです。最近は男性だとNGのことが多いです。りんごさん、読み聞かせに行かれたのですか。一年生はほんとに可愛いものです。
 最近は可愛い場面に出会ってもブスッとしていることがありますが、気をつけたいと思います。一度だけ読み聞かせをしたことがありますが、ほんとにあれでよかったのか後になって気になっています。

投稿: 今でも青春 | 2016年11月 7日 (月) 17時55分

yokoさま「さわるな」の声かけにはさぞおどろかれたことでしょう。子供の数がどこの家庭でも少ないからでしょうか?でも目に入ってくる子供のニュースは【哀しい事件】があふれているようですが・・・・・。
国や地方自治体も、野菜が高騰したからという理由で「給食」のない日が公表されたり、理解出来ません。後進国からの訪問には【大判振る舞い】が目に余るような光景も目立つのに、未来を託す子供たちのために、もっと「手を差し伸べて欲しいです。
私は小さい子供さんに声をかけるときは、まずどこか長所を見つけて褒めることにしています。ベビーカーのなかの赤ちゃんにでも。最近の赤ちゃんや子供さんは、なかなか表情豊かで、社交性があるように見えるのですが・・・・。
大きな団地に地震後、越してきて嬉しかったのは。朝から我が家(八偕)の前にブランコがならんでいるので、子供さんの声とブランコの出す音に、随分「癒されて」おります。訪ねてきた友人は有名な「高級住宅地」にすんでいるかたで「子どもの声がこんなに一度に聞くのは、何年ぶいかしら」とベランダから、弾んだ声が聞こえました。
みなさま、子供さんにはふれずに「声かけ」だけをおねがいします。思いがけない「返事」が帰ってきて、驚くこともあり楽しく暮らしています。

投稿: mitsuko | 2016年11月 7日 (月) 23時51分

倍賞さんの「セレナーデ」問題ですが、倍賞さん自身の主体的な判断によるのか、別の人の考えによるものか、どちらでなのしょう。松島さんの歌は子供の頃に耳にしていたもののうろ覚えでした。歌詞を明確に聴いたのは倍賞さんのほうが先で内容的には「セレナーデ」は極めて自然なので全く違和感はありませんでした。ショパンにセレナーデってあったかなあ?とそこはかとない疑問はありましたが。後から改めて松島さんを聴いて「ノクターン」という言葉を聴いた時かなり違和感がありました。ノクターンでは恋の感情は希薄です。これでは二人は既に安定した恋人関係にあり、ノクターンを聴いた後は心安らかに満たされた思いでで楽しい夜の夢を共有するといったイメージになってしまう、というのは下司のカングリでしょうか。そこで私が考えたのは「セレナーデ」は間違いではなく確信犯的な改変だったのではないか、ということです。それならば3番の「遠いあの日が忘られず」という喪失の悲哀にも素直につながります。「セレナーデ」に変えてしまったのは誰なのか分かりませんが、よほど曲の感情世界を掴んでいた人と言えるのではないでしょうか。事実を無視して歌の真実を大切にしたのでしょう。

投稿: セザールフランク | 2016年12月17日 (土) 23時39分

カラオケで時々歌います。マロニエの木蔭もそうですが、むずかしいですね。気分は、松本市の女鳥羽川沿いにある『まるも喫茶』に座ってるイメージで歌います。

投稿: ザジ | 2016年12月18日 (日) 00時53分

セレナーデ:南欧の風習として男が恋人の家の窓の下で歌い,または奏する叙情的な楽曲

ショパンとは全く無縁のようです。ショパンはもともと病身で、美しい顔立ちなので女性ファンも多く、とても求愛のセレナーデを奏でるような興味もひまもなかったでしょうね。ジョルジュ・サンドの愛におなかいっぱいだったし、祖国の命運こそ彼の第一の関心事だったことでしょう。彼の心臓は今も祖国にあるそうですね。

投稿: Bianca | 2016年12月18日 (日) 21時48分

二木先生の素敵な演奏を聴きながら目を瞑ればここは素敵な喫茶店。様々な思い出が浮かんでは消え少し涙が込み上げてきます。以前は喫茶店(今どきはカフェというのかな)に1000円以上払うならランチができると出費をためらっていました。この頃は一食抜いても雰囲気の良い喫茶店で過ごすのがささやかな贅沢です。
東京の「椿山珈琲」仙台の「星山珈琲」に行くのが来年の夢です。分を超えた贅沢とは思うが冥途の土産にと思っています。 ミスドやドトール、サンマルクカフェ、ベローチエ、イタリアントマトなどは普段使いで分相応と思っています。スタバも加えて。
旅先のイノダコーヒ( 今秋は余りの混雑に清水店を敬遠)三条店や3年前の近江日牟禮ビレッジ、「クラブハリエ」ガーデンテラス「日牟禮カフェ」での至福の思いを反芻。私同様に一人旅と思しき白髪のご婦人に親近感を覚えながら敢えて距離を置きます。
(一人旅の上級者と自画自賛)

高校最寄りにあった小さな喫茶店がいつの間にか閉店、
そこはかとない侘しさを感じました。

投稿: りんご | 2016年12月19日 (月) 12時13分

Biancaさま ご無沙汰いたしております  しばらく お名前 拝見できなかったので どうされているかと案じておりました  お元気にされていますか  投稿されておられ 少し安心しました

 りんごさま 思い出の 思い入れの喫茶店 いいですね

僕にも懐かしさのこみ上げてくる 小さな喫茶店があります  宝塚に逆瀬川という川があります  下流で武庫川に合流し西宮と尼崎の境をくだり瀬戸内海へつながります
 今から二 三十年も前でしょうか  阪急逆瀬川から上流 六甲山系の東端ーー甲山 の方角にすすむと 川沿い左側に奥ゆかしい住まいがあり そのお庭を一部改造してフランスの農家風の納屋を喫茶店とされている 老夫婦がおられました リタイアされてから趣味のコーヒーとケーキを提供していただいてたのだと 勝手に考えていました ご主人は 少しお足が悪かったと記憶しています    素晴しく ゆっくりできる 空気と時間をあたえていただける空間でした  バイトの女の子は 必ず一人 品のいい 落ち着いた 神戸女学院の子達ばかりでした 小さな いす席はひとつ カウンターで四人ならべれば やっとの大きさ  駐車スペースも一台だけ   駐車できて入れたら 今日は幸せ 有り難う というような気持ちになれる いいところでした  ゆめのような喫茶店は また幻のように消えました  老齢になり 東京の親戚にみてもらうための転居だったようです   もの  こと はいつまでも同じ状態では続かないですね  

 いまの 僕の逃げ場所は 武田尾です これも川沿いなのですね  武庫川の上流です  友人の隠遁所で 週二回は行ってしまいます  アンティーク好きの彼が集めた物物で 異空間ができあがっています  集まるのは 大抵三人 東大数学科入学の彼と 京大法科出の女史と 僕との三人  東京 京都 大阪 神戸 どこからみても三都物語  面白い仲間たちです  彼は 飲食 コーヒーのプロ   軽食と マンデリン100のコーヒーと 主にチェロの曲をききながら 議論したり 愚痴を言い合ったり 至福の場所であり 自分の地獄の時代をささえてくれた 有り難い方たちです

 学生街の喫茶店で書かせていただいた 法然院の朝ぼらけに訪問し その足で産寧坂のいのだコーヒーでモーニングを食べる   未だ はたせていない夢です

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年12月19日 (月) 19時45分

続けての投稿をお許しください。

能勢の赤ひげ様の  秘密の隠れ家のような思い出の喫茶店~素敵ですね。あれこれ好みの俳優をちりばめた映画の場面が想像されます。

また三都物語さながらのメンバーが集う小さな喫茶店
夢のような空間ですね。アカデミックなメンバーですね。

草深いみちのくの田舎町では本来の喫茶店は立ち行かず
のみならず  ミスド、スタバ、ドトールもありません。
県都 山形やお隣の仙台に行った折に利用しております。

今秋  神戸のヴォーリズ建築の素敵な喫茶店をスマホ案内を頼りに探したが、地図の見方もわからぬ方向音痴のゆえに一時間も彷徨して 結局ドトールで済ませました。
神戸北のホテル、生田神社付近も彷徨 再度の挑戦を
企んでいます。
小さな喫茶店は  経営上も 昨今は幻化現象ですね。
それに  我が田舎町にも一軒 あるにはあるが
決まったメンバーが集うので敬遠。退職教員、自営業者
と田舎でもゆとりのある爺さんのオアシスになっています。誰一人知る人がいない空間こそが癒しになります。

二木先生はじめ、このサイトに集う皆さま、良いお年をお迎えください。

投稿: りんご | 2016年12月20日 (火) 08時35分

能勢の赤ひげ 様

宝塚~逆瀬川上流~宝塚ゴルフクラブ~西ノ宮カントリー甲山から県道16号~六甲山頂は、私の管理する山荘への登山道ですが、そんなに素敵な喫茶店があったのですか?一度行ってみたかったですね~。
最近は本当に文庫1冊持って素敵な音楽を聴きながら、ゆったりと落ち着けるような喫茶店はなくなりました。

失恋の痛手に耐え切かねて二人で過ごした思い出の喫茶店を訪れ、ひょっとして会えるかも…と、淡い望みを抱きながら一人淋しく苦いコーヒーを飲んだ広小路通りの「パーラー小林」一晩中煙草のけむりのなかで身体を揺すりながら聞いた、錦通りからちょっと路地に入ったジャズ喫茶「コンボ」(いずれも名古屋)今はもうないでしょうが…青春時代の思い出の詰まった喫茶店です。
京都に行くと、時々ぶら~っと平安神宮から西へ疎水沿いに歩いてすぐのジャズ喫茶「YAMATOYA」にいきます。
五木寛之の馴染みで年配のご夫婦の顔を見るだけで癒されます。(勿論、私は昵懇ではありませんが…)
五木寛之の「燃える秋」の背景をなぞりながらのモカの香りを~と、いったところですかね。
イノダコーヒー清水店には、とてもミステリアスな怖い思い出があります。7~8年前の春、妻と二人で醍醐寺からの帰路、一度山村美沙のお墓を見てみたいと泉涌寺の塔頭 雲龍院を訪ね、本堂裏手の竹やぶのちょっとした小高い所に1mX80cm位の御影石に「美」と一文字だけ、フアン専用ポストには1通だけ手紙がありました。
その夜は、東山のホテルりょうぜんに泊まり、夕食後二人で歩いて清水寺の夜桜見物をする予定が、妻が疲れたのであなた一人で行ってきて…となり、私一人で出かけることにしましたが、ホテルの仲居さんに聞いて近道を教えて頂きいざ!っと言う時、この時間にあの道を一人で歩いてですか? 私は怖くてだめです…。えーっ、なんで? でもしゃーないわ!行きます。と、腕まくりしてホテルを出たのが、8時過ぎ、向かいが霊山歴史館、右隣りが霊明神社、霊山護国神社山手には坂本竜馬や勤皇志士の墓、左手は急な坂道で勿論真っ暗闇、暗闇を下ると覆いかぶさるような大きな雑木林、風にゆられてざわざわ~と気持ちの悪い音!その道沿いは興正寺霊山本廟上がり口坂のところに荒縄に白い紙 注連縄がぶら下げてあり、気色の悪いことこのうえなし~。走りました!
やっと三年坂の灯りが見えてきた時は、ほっと! 見ると、そこはイノダコーヒーの清水店! なんだ、ここか! 帰りも走りましたが、気がつくとホテルの坂を下りきった所の一軒家の玄関口にあかあかと灯りが…、えー
こんなところに灯り? 近ずいて表札見たら、「山村美沙」隣の一軒家の表札は「西村京太郎」…!!!

イノダコーヒーの庭側から、清龍苑を眺めながらのモーニングは正に至福のひと時でしょうね。私もまだ未経験です。
長々とすみません。

投稿: あこがれ | 2016年12月20日 (火) 16時39分

昨日久しぶりに私用で大手町ビルに出かけました。時間待ちで地下のコーヒーショップでいつものようにモーニングセットを注文しました。若い店員さんや出入りする若いサラリーマン諸君を眺めながら僕もずっとこのようにサラリーマンだったんだと懐かしく思いました。いまでも気分はまったく変わりません。「さあ、これから出勤だ」、と腰を上げたい気分でした。

投稿: yoko | 2016年12月21日 (水) 11時30分

今宵はクリスマスイブですね。
珈琲の香りと二木先生の演奏。
目を瞑って小さな喫茶店の気分に酔いしれております。

さて現実の喫茶店~カフェのひとときyoko様同様に人生模様に思いを巡らすのも至福です。
現役(とは言え。身分はパート)時代は時間調整でよく会社最寄りのミスドを利用。これから仕事という時のあの若かりし頃の気分が甦りますね。

あこがれ様
十数年前  私もあの妖気漂うような 「山村美紗~西村京太郎邸」をわざわざ見に行きました。
途中誰とも会わず 昼なお深閑とした場所でした。

投稿: りんご | 2016年12月24日 (土) 10時21分

あこがれさま

 逆瀬川 川沿いの喫茶店 ほんとうに 素晴しかったです  なくなって 心から残念に思い 跡地を訪れてみたくなる場所の一つです
 
 青春近くの残影を求めてーー ということでしょうか

 あこがれさまの 霊霊霊の 霊の三乗の恐怖 身に迫りました  人を惹きつける文章の巧みさ 頭を下げて ひれ伏しております 

 りんごさま

 ヴォーリズ建築の素敵な喫茶店を 神戸で探索されたとかーー

 どこのことをいっておられるのでしょう  フロインドリーブもヴォーリズ建築ですが これは教会を 改築されたものですし 有名すぎるので 他の 北野のあたりの喫茶店でしょうか  北野生まれの僕でも 知らないお店でしょうか   つい 少しまえに話題にさせていただいた神戸女学院も ヴォーリズ建築で 何ともいえず穏やかな趣のある建物です

 そろそろ 今年のクリスマスも 終了に近くなっています  今日は京都におりました 哲学の道の 叶 から ようじやまで 暖かい冬空のもと 歩いていました  何度歩いても 新しい発見はあるもので  直下の豪邸のお庭に 曲水の宴のできそうな 水の流れをみつけました
 若いころ どういう家に住みたいか と考えたこともありますが 夢と現実は大きく異なります  これが人生でしょうね  ついで 白河経由で 帰ってきましたが 五条を西進するのに 大変でした  ロームのクリスマスイルミネーションの大渋滞に巻き込まれたのです   ロームは頭にははいっていたのですが これほど人が集まるのかと 唖然 呆然    朝は この道を東進していたのですが 今日は 都大路を走る 全国高校駅伝の日 交通規制もあり 丁度 女子最終ランナーたちが 西京極競技場に 向かっている姿が見られました  薫英 西脇工の
 一位 二位だったのですね   イルミネーションの渋滞を含め 今日は とても印象深い一日でした

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年12月25日 (日) 22時16分

ミスタードーナツは良いですね。
もう30年以上にもなりますが、藤沢で毎日のように通いました。いつも注文するのはコーヒーとハニーディップでした。

ドーナツ(ハニーディップ)ののほんのりした甘さとふかふかとした柔らかさ、コーヒーの酸っぱさがぴったりと合いました。大きな分厚いカップも口に当てると唇が温かく寒い日に手にくるむと手が温かくなりました。

残念なことにわが街にミスタードーナツはないのです。
ミスタードーナツ! 来てください!

投稿: yoko | 2016年12月26日 (月) 14時44分

皆様今年も残りわずかですね。
ここにおじゃまして二木先生の演奏を聴きながら蛇足に感銘、また皆様のコメントに共感しております。
ここにコメントを寄せる方は皆様心清らか、とりわけ紳士諸君の純情とハコベの花様の一途な思いには心打たれます。

能勢の赤ひげ様
正に フロインドリーブです。
旅先のスマホ頼りが仇となりました。
帰宅してパソコン検索したら三の宮からの簡単な道順が出て苦笑しております。しかも 元教会ということもあり
かなりのスペース。今では北野坂の「にしむらコーヒー」の方が魅力です。ロームイルミネーションは10数年前行きました。一企業でよく続けておられますね。
yoko様
我が町にもミスタードーナツはなく隣町の大型ショッピングセンター内の店を利用しております。
10年ほど前に建築途上の「マグドナルド」の看板の{M}に反応、娘に「ミスタードーナッツがついに来た」と勇み足のメール。失望の経緯があります。
「ミスタードーナツ!来てください!」

投稿: りんご | 2016年12月27日 (火) 12時03分

昨日のコメントに表現の誤りが有りました。マグドナルドをミスタードーナッツ待望の余りに早合点と書くべきところを、勇み足とは、お恥ずかしい限りです。訂正させて下さい。

投稿: りんご | 2016年12月28日 (水) 04時31分

りんご様

そうですか。”早合点”が正しいのですか。僕は”勇み足”が良いと思うのですがねぇ~。

高校時代は劣等生でした。母は先生から私はクラスのビリだと聞いてきました。特に国語は苦手でした。試験のたびに「やったぜ、今度こそ80点」と思うのですが、答案が返されてみるといつも50点以下です。特に、作者の考えを選びなさい、とか、正しい語句を選びなさい、という選択問題は軒並みバツでした。あるとき先生が壇上から生徒一人一人に採点された答案用紙を戻されました。生徒一人一人に何かをつぶやかれていました。私の番になりました。壇上から私を見下ろし、一言、「だめね。」のお言葉でした。

蔑むような憐れむような先生の目が思い出されます。当時はおばあさん先生だと思っていましたが、今の私より10才以上もお若い方だったのですね。そしてもしご存命であるなら、もう100歳を超えてらっしゃる。懐かしいです。

ところで、やっぱり、”勇み足”って間違っているのかなぁ~。

曲の題から外れてしまいましたが、こんなことを喫茶店の片隅で思い出していた、ということでご容赦ください。

投稿: yoko | 2016年12月29日 (木) 08時05分

能勢の赤ひげさま
(この場を借りて個人的に挨拶を交すのもネ~と躊躇しており遅くなりました)思いがけず自分の名前を見てびっくりしましたが、気にかけて頂きどうもありがとうございます。
所でこの歌のページにいつまでもコメントが絶えないのは、「喫茶店」という単語そのものに魅力があるのでしょうかね。今は消えた過去のある時代の文化ということで。

投稿: Bianca | 2016年12月30日 (金) 11時27分

 味気ない話ですが、振り返れば、私にとって喫茶店とは、主に、所用などで出かけてときに時間調整するための休憩所や、或いは、同窓会等の2次会で談笑するための社交場のような存在でした。残念ながら、この歌詞にあるような、行きつけの喫茶店で、二人連れでのデートや、独り静に雰囲気を楽しむという経験がありませんでした。
  とは言え、想像は自由で、「喫茶店の片隅で」を聴きますと、矢野・中野コンビによる歌が傑作で、独り喫茶店の片隅に座って、楽しかった遠い昔のデートことを思い出している情景は、十分心のうちに思い描くことが出来ます。
  これに対して、少し前に出た、同じコンビの作になる、♪たそがれの鐘の音(ね)が 流れゆく 銀座裏…♪の「マロニエの並木道」(松島詩子 唄 S28) は、いわば、現在進行形の恋愛を讃える歌で、歌詞もメロディも素晴らしく、私の愛唱歌の一つです。

投稿: yasushi | 2018年2月18日 (日) 14時10分

先日、用事があって久しぶりに街中を歩きました。すっかり様変わりしてしまい、喫茶店なんてしゃれたものは1軒もないのです。ビルが立ち並び、道路ばかりが広くなり、人間の姿もないのです。
喫茶店でコーヒーか紅茶をなんていう雰囲気が全く無くなっていました。小さな喫茶店で、思いがけない人からコーヒーでもと誘われて愛の告白を受けたこともありました。遥かに遠く、思い出だけが私の脳裏に残っているのみとなりました。コーヒーの湯気の向こうに涙が滲んだことを私は覚えています。哀愁と喜びが喫茶店から幾つ生まれたことでしょう。小さな喫茶店を聴きながら面影を思い浮かべています。貴方は生きておられるでしょうか。

投稿: ハコベの花 | 2018年2月18日 (日) 21時26分

二木先生 
   こんばんは

 今日は 曲の通り  芦屋の精道にある

   喫茶  花  の片隅で

     家族で話していました

 静かでおちついていて また おしゃれときています
  カップなどもセンスがいいです  壁の飾り物も
  今  芦屋に出向くときは 許す限り よるようにしています 
  スフレを焼いていただけます
  (一週間前に 新聞が取材にきて 割と大きく紹介されていました   
 お母さん と 娘さんが ほとんど二人でやっておられます
 かわいそうに 年齢が暴露されていました   
 こんなのこそ 秘密保護法ですよね???)

 そのあと  クリニックにもどり オリンピックを素直に見ていました

   昨日 今日と  連続の金メダル
   我々の 若いころでは 考えられないような
   ことがおこっています


 昔は  ほんとうに  クーベルタン氏がいわれた

   
   参加することに意義がある

 
      そのような時代でした

 日本人が 冬季オリンピックで普通にメダルをとるようになるとは   
    信じられないですね

 (札幌での  日の丸飛行隊 金銀銅 メダル独占は
   神風にまもられたかのようでしたがーーー)

 今回のは  全体のレベルがあがっているなかでの
  素晴しい活躍でしたね  屈辱に耐え また 怪我
 を克服とーー  良き日本人をみせていただきました
 ほんとうに ありがとうございました

  出場した すべての選手に感謝 感謝です 

 また 小平選手に 表彰セレモニーで人形を手渡されたのは 平松 純子さん
(旧姓 上野純子さん  1950年 代後半に日本をリードされた 
フィギュアスケートの美人アイドル的な方) 
  面識のある方でした  知っている方が ぬいぐるみを渡されている  
    これも感無量でした   

 喫茶店のおちついた時間の中で
 これから前を向こうと している娘に対し 
 どう協力するかの  何ができるのか 
 自問自答していました

 彼女が 普通に生きれるよう  どうささえるのか
 金や物ではない 何か  難しいけれどーーー
   また  僕にあたえられる試練ですね

 オリンピックのテレビ報道からえられた 純粋な感動
 この心をもって  明日からまた
    諸事に向かっていこうと思います

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年2月18日 (日) 23時42分

能勢の赤ひげ 様

昨日は、私も芦屋 精道の近くを通って東灘区魚崎にある教会の礼拝に行ってました。
夕方 帰宅してから、楽しみにしていた小平選手の勇姿を見ることができて感激しましたが、昨日は私達の50回目の結婚記念日でもあり、昨晩は二人だけでささやかにシャンパンで乾杯をしました。 家内の体調が良ければ、どこか洒落たカフェレストランあたりで・・とも思いましたが、家内の体調も完璧ではなく、また日を改めてということにしました。
三宮のフロインドリーブで、モカの香りを嗅ぎながらの美味しいローストビーフサンドイッチが似合う年でもありませんが・・・。
暖かくなったら、イノダコーヒー清水三年坂店でのモーニングを体験したいと密かに計画してます。

ところで、能勢の赤ひげ様(Dr.N様)初めて娘さんのことに触れられましたね!  私も娘が欲しかったな~。
1m83cmもある大きな息子2人(もっとも、体重は75~6kgですから、それほど厳つい感じはしないのですが・・・)だと、味気なくていけません。
「愛ちゃんはお嫁に」で、思い切りコメントしたかったな~。

投稿: あこがれ | 2018年2月19日 (月) 09時54分

あこがれさま

 いやいや 昨日も ニアミスだったのですね

 残念 残念
  一度  お会いしたいですね

 以前 バブテスマに言及されていて  どこの教会だろうと考えていました 
 狭義でいうと バプテスト教会だし  広義でいうと 新教の洗礼のことをさすしーーー

 山本通りのバプテスト教会なら 近しく 
60年ほど前  祖母が水槽につかる洗礼儀式を目の前で見ています
 何故か 母につながる 親族の葬儀はここが多いです

 と考えてはいましたが  魚崎の教会でしたか
  これは少々  見当違いでしたね

 子供のこと あまりふれたことなかったですね
  長女 と 次女 の二人です
 男子だと 放っておいてもいいのでしょうが
  どうも 世を渡っていく彼らのことは気になります

 女の子は勉強しなくてもよい  医者にはしない
  などと 僕が云ってたものですから
 二人とも 同じ 女子中 高 大学 という具合でした  
 今から思うと 一人は医師にしておけばと後悔はあります   

 能勢は よく知っている よくできる 患者さんの身になれる 
 先生にバトンをわたすつもりで動いています

  次女は 司会業にはまり込んで 楽しそうにやっています  
 僕の母方の従姉(同い年ですが)がアナウンサーだったので  
 そこらのつながりがあるもかもしれないです

 ちなみに 昨日は 長女と家内の三人でした

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年2月19日 (月) 13時07分

あこがれ様
ご成婚50周年おめでとうございます。

小さな喫茶店ではないが三宮のフロインドリーブに一度は行きたいものです。一昨年スマホを頼りに一時間彷徨して
もたどり着けず(方向音痴の為)ドトールで間に合わせました。

イノダ珈琲産寧坂店いいですね。あの雰囲気。狭い厨房に数人ものコックさんがいて目を見張りました。
本店、三条店も行きましたが、観光シーズンは何処も混んでますね


京都の方々にある進々堂もお気に入りです。
ここには生活感も感じられ  それ故にエトランゼの気分が高まります。外に用意されたテーブルを囲んで犬連れのお客さんの談笑も街の喫茶店ならではの光景です。(丸太町)

太秦の進々堂は広々として趣がありました。
北山の進々堂もいいです。
二木先生の演奏聴きながら思いを巡らせば旅心が募ります。

投稿: りんご | 2018年2月19日 (月) 13時22分

 二木先生の『蛇足』にいつも触発されています。
「フランス文学だの、実存主義だの」に思い出しました。高校を卒業してから浪人生、短大生、専門学生、大学生、就職者などそれぞれ進路は違いましたが、高校時代に結成された読書会はそのまま続きました。誰かがサルトルの『嘔吐』をしようよと言い出しました。私たちは『嘔吐』を読みながら、これこそ嘔吐ものだとワイワイ言いながら読み続けました。『嘔吐』を最後まで読んだかは定かではありませんが、ほかの本より思い出にのこっています。みんな青かったです。

投稿: konoha | 2018年2月19日 (月) 13時54分

立て続けてのコメント、お許し下さい。

能勢の赤ひげ 様
私の教会は、やっと35周年を迎えたばかりのコイノニヤゴスペルチャーチ(福音教会)で、教会員600名程の神戸で最も勢いのある(10代~40代までの若い人達が半数以上)教会で、賛美の時間がたっぷりです。
私も3~4年前まで、クワイヤーのアルト(バス)のリーダーらしい奉仕をしたり、教会ホールのパワーポイントにナレーター役で とかの奉仕をさせて頂きましたが、今は礼拝だけで精一杯です。

りんご 様
ありがとうございます。
あっという間の50年でしたが、最近しみじみと来し方を振り返り 残された僅かばかりの人生で 一体何が出来、何を残せるのだろうか?と、考えることが多くなりました。
自分だけは、まだまだ若い!と、信じきって がむしゃらに突っ走ってきましたが、気がつけば いつの間に周囲から 大事にされ(年寄り扱い)当然のようにPriority seatに腰掛けている己の姿に愕然とします。もう一度、今が青春だ!の気持ちを忘れないようにしたいものです。

それにしても、りんごさんの古都逍遙も並みではありませんね。私も入ったことのない喫茶店も、ことごとく制覇され、能や美術館の鑑賞とすごいパワーですね!
また、いろいろと教えて下さい。 有り難うございました。


投稿: あこがれ | 2018年2月19日 (月) 16時38分

昨日までの鬱陶しい雨も上がり、今朝からは抜けるような青空が広がっています。
さすがに、まだ風は冷たく感じますが、ぼちぼち京都散策の時節が来たな!と、気分が高揚してきました。

何年か前、先ず 春先の京都文学散歩は、渡辺淳一著「化粧」の足跡巡りからと、 小説の舞台となった料亭「蔦乃屋」のモデルとなった老舗料亭「土井」の下見に、二年坂~三年坂辺りをぶらぶらして、その後、原谷の桜と見てまわりましたが・・・。

三年坂から清水道への階段途中、ちょうど竹久夢二の碑があり、目の前に八坂の塔がちらっと見える所の向い側の軒先に、傘を広げて およそ、そこが喫茶店だとは余り気づかずに通り過ぎてしまいそうな、喫茶店がありました。

私達も、何気なく入ったものの、店内は狭いカウンターの奥に70才くらいの男の人と息子さんくらい(40才代)の方が二人で・・・・。
イステーブルは、使い古した応接セットと、ちぐはぐな椅子が無造作に置いてある感じで、あまりお客さんもいない状態・・・。

私達も、なんだか きまり悪い感じで、メニューを見ながらウインナーコーヒーと手作りシホンケーキを注文しましたが・・・。

びっくりと同時に、感動しました!
ウインナーコーヒーと手作りシホンケーキの美味たること! まさに今までで一番美味しいと思えるくらいの味と香り。
その後、その辺りに行ったときは、その店ばかりですが、お店の名前を気にしたこともなく、今だに知りません。
ただ、いつも傘のあるお店と家内は言ってます。

後日談、近所で聞いたら、知る人ぞ知る目立たない名店だそうです。
一度、騙されたと思って 寄ってみて下さい。

投稿: あこがれ | 2018年3月10日 (土) 15時48分

konoha様
「嘔吐」はうんざりしながら読んだものですがそれで読書会を開こうとは、さすが東京ですね。それで思い出すのは「第二の性」の読書会を看護婦2人と女子学生2人でしたことがあります。博多の畳の部屋でした。あれは九大に米軍機が墜落したり、第七艦隊が佐世保に来たりした年でしたか・・・。

投稿: Bianca | 2018年3月10日 (土) 19時29分

Biancaさま
 みんな途中で諦めたような記憶がのこっています。ただ私はちょっと悔しい思いがあったので、戯曲『蠅』(?), 『壁』など読みました。『嘔吐』以外は割と取っ付き易かった気がします。でも『嘔吐』は良い思い出になっています。ボーヴォワールの『第二の性』は面白かったですね。<なるほど>とおもいました。サルトルとの契約結婚には<ん?>と思ったり、もしかしたらボーヴォワールは無理してんじゃないのと思ったりしました。懐かしいです。
 
 そういえば、佐世保に原子力船が入港するしないですごいデモがありましたね。当時はデモ隊の盛んな時代でした。私はノンポリでしたけど・・・

投稿: konoha | 2018年3月10日 (土) 21時53分

この夏の小学校クラス会を機会に京都、大阪をぶらついてあこがれ様ご紹介の喫茶店にも入ってみたいです。

投稿: yoko | 2018年3月12日 (月) 13時06分

私もあこがれ様紹介の喫茶連を探しあて
美味しいシフォンケーキとウインナー珈琲を味わいたいものです。この度は二週間ほどの滞在になるので楽しみです。紹介、ありがとうございます。

勸修寺の睡蓮確かに良いですね。
規模は小さいが枝垂れ桜もいいですね。

投稿: りんご | 2018年3月12日 (月) 13時31分

yoko 様

是非 寄ってみて下さい。
ひょっとすると、噂に敏い若者や外国人で一杯になってるかも知れません。(SNSで拡販されたら、あっという間ですから・・・)

イノダコーヒー清水店は、そのすぐ手前です。
ゆっくりと京都を楽しんで下さい。

投稿: あこがれ | 2018年3月12日 (月) 13時37分

りんご 様

京都に2週間も滞在なさるのですか?

表ばかりじゃなく、裏道散歩もゆっくりできますね。

もし、ご存じでなければ 大徳寺塔頭 大慈院の敷地内の「泉仙」で鉄鉢料理(精進料理)を召し上がって見て下さい。 大徳寺山門 金毛閣の西側 興臨院~瑞峯院と風情のある庭風の道を進んだ一番奥にあり、座敷でも庭の縁台ででも食事できます。
女性好みの風情たっぷり、お値段もリーズナブルで、4~5000円です。

ご存じの通り、大徳寺は利休所縁の大寺院で、名だたる茶室がたくさんありますが、中でも「高桐院」、「龍光院」 「真珠庵」 「芳春院」 は、京都を代表するような名庭、名茶室のあるところです。

とんだ脱線コメントになり、すみません!

Have a nice journey!

投稿: あこがれ | 2018年3月12日 (月) 15時53分

あこがれ様
丁寧なご紹介ありがとうございます。
大徳寺界隈は行けば必ず訪れるが泉仙」は存じませんでした。和久傳同様に敷居が高く眼中になかったのかも知れません。HPでみたら3240円からありました。


高桐院は特に心惹かれる場所です。竹林の佇まいなど。

投稿: りんご | 2018年3月12日 (月) 20時09分

昔はよく喫茶店に通ったものだと思いこの曲が懐かしくなりスイッチオン・・・
流れてきました~二木オケの素敵な演奏が・・・暫く聴いているうちに、もう半世紀以上も前になろうともしているある出来事が想い浮かんできました。

その当時、私は独身で山登りと社交ダンス教授所通いなどで毎日を淡々と過ごしていた日々でしたが、ある日の職場での出来事が・・・

私が残業をしていた18時ごろ、同じ職場の別の課の女子職員?(以後~彼女)から電話があり、「私の話を是非聞いてほしい」とのことでした。

彼女とは、私が所属していた職場の登山部主催での「会員登山バスツアー」等で「山のうた歌集」のタイプでの原稿(当時の原稿作りはタイプで打つか、ガリ版刷りでしたがなかった時代でしたので)を依頼していたところでした。
彼女との約束の喫茶店に定刻より早めに行ったところ、彼女はすでに喫茶店の片隅の窓際に座り下うつむいていたように見えました。
暫くコーヒーを飲みながら雑談の後、彼女の話を伺うと・・・

私と同じ登山部の仲間の職員(以後~彼)に好意を持っており是非お付き合いをしたいとのこと・・・
彼女は、考え悩んだ末に、彼と親友であると思われる私に相談するしかなかったとのことでしたが・・・

私と彼とは高校の同級生ではあったものの彼の性格は分かっていたし心から打ち解けられるような親友的な間柄?でもなかったように思っていたので・・・

私もとっさのことで私なりに考えた末、彼女の切なる相談の返事としては、次のようなことしか言えませんでした。

「ほんとうに彼のことが好きでお付き合いをしたいと思っているのなら、私から代弁して彼に○○さんのことについて話をするよりも、直接彼に会ってあなたの気持ちを伝えられた方がいいのではないかと私は思いますが、どう思われますか?・・・と言ったところ・・・彼女は暫くして・・・そうですね・・・とよく考えてみます・・・と
彼女とは暫く雑談をして別れました。

その後、職場で彼女の姿を見かけたものの会話を交わすこともなく数か月が経ったある日、彼女を知る職員と会ったところ・・・彼女は先日辞められたとの由・・・それ以来消息も知れず・・・今日に至っていますが・・・

振り返ってみると、彼女と喫茶店で会った日、私の考えのようなアドバイスで果たしてよかったのかどうか?かえって彼女を傷つけたのではないかなどと・・・未だに思い出すことがあり・・・せめてこの曲を聴いて気をやすめるしかないように思う今日この頃です。       一章の独り言より

投稿: 一章 | 2019年3月28日 (木) 19時34分

寒くなってきました。師走は主婦には嫌な季節です。日常の生活が何倍にもなって襲ってきます。逃げる所があったら逃げていきたいです。でも、この歌を聴くと一瞬青春に戻ります。今は小さな喫茶店など見当たらなくなってこの歌の雰囲気に浸ることが出来ません。
遠いあの日、憧れの君が喫茶店に誘ってくれたら、私の想い出は何倍も楽しくなっていたのに、ただ黙って街灯のともる道を歩いただけでは少々ロマンに欠けているように思われます。最も私は全くお金を持たずに家を飛び出したのですから、恐らく苦学生の彼のポケットにもお金が無かったと思います。もう一度夢の様な青春を味わってみたくなりました。私にはほろ苦さと甘い恋心を思い出す素晴らしい歌です。

投稿: ハコベの花 | 2020年12月26日 (土) 15時48分

「喫茶店の片隅で」と「マロニエの木陰」をここ半年毎日聴いています。青春は遠くなり、恋した人たちはこの世で会えなくなってしまい淋しさが募ってきます。
喫茶店が街中から消えてしまっています。プロポーずしてくれた人、人生の厳しさを話してくれた人、色々の人の顔が浮かんできます。喫茶店は人生の勉強場だったような気がします。遠い昔の事なのに最近の事だったような気もします。良い歌ですねぇ。気持ちまでも青春に戻ってきます。

投稿: ハコベの花 | 2021年3月17日 (水) 14時15分

相変わらず、悲しみのどん底にある私の姿を見かねてなのか……? 「閉じこもってばかりいないで、たまには外界の空気を吸おうよ!」と、ここのところ しきりに2~3人の古い友人から声が掛かり、思い切って誘いに乗り里山作りの体験見学に行ってきました。

小高い丘を歩いていると、房状の真っ黄色な花をたわわに咲かせたアカシアの木々が晴れ渡った青空に鮮やかに映えて、それまで幾分沈みがちだった気分を和らげてくれ、思わず知らず “アカシヤ並木の~たそがれは~ ”と、懐かしい大好きな歌が口をついて出てきました。

一緒に歩いてくれていた件の友人が、そっと私の背中をさすりながら“天国の奥さんのためにも今日はがんばろうな!” と、涙まじりの私に囁きかけてくれました。

“いつも二人で逢った日の~小さな赤い 椅子ふたつ~”
いつも 向かいの席にいるはずの愛しい人は……あの広い空のどこかにいるのかな~

投稿: あこがれ | 2021年3月17日 (水) 20時24分

高校三年生の頃でした。夜中にふと目が覚めると父と母のひそひそ話が聞こえてきました。私のことを話していました。「あいつはとても社会では通用しないだろう。社会には出て行けないだろう、と話していました。それを聞きながら、私は布団の中で泣いていました。そして私は決意していました。
「わかったよ、俺は一人で生きて行く。お前らの世話なんかになるものか。お前らも勝手に生きて勝手に死ね。俺はもうこの家には戻らない、戻るものか」。

それから50年、私はやはり父の喝破した通りの男だったと思えます。社会で通用する男ではなかった。数限りないほど喫茶店には通いました。しかし喫茶店ではいつも一人でした。二人で向き合って、というようなことはなかった。

最近、よく父、母、祖母のことを断片的に思い出します。そして、心配かけたな~。でもなんとか会社を勤め終え、70才も超えたよ・・・と話しかけます。


投稿: yoko | 2021年3月18日 (木) 00時01分

テレビを消してこの歌を毎日聴いています。昨年の5月頃から体調不良が続いていて、年齢を悟りました。病気で入院などしたことが無かった私が1年の間に2度も入院して、実年齢を悟りました。青春時代に恋した男性はは殆どあの世の人になっています。でも、青春時代を語り合える女友達は皆、元気で生きています。夢の様に楽しかった青春時代をいつの日にか語り合いたいと思っています。美人だった友人たちの美貌が損なわれませんように願っています。

投稿: ハコベの花 | 2021年4月27日 (火) 23時07分

気が向いた掲示板をご覧ください。

投稿: りんご | 2021年4月28日 (水) 07時31分

ハコベの花様
お元気になって下さい。「喫茶店の片隅で」懐かしい曲ですね。私も朝9時からパークゴルフ(グランドゴルフと似たようなスポーツ)に行き韓国ドラマは家内が夢中(チェ・ジゥの頃は見ましたが)ですのでパソコンに向かって歌うのが常です、綺麗な歌ばかりです。たまに整体にも行きます。焼酎はドクターストップなので色んな薬を飲んでいます。「それは恋」森進一の歌です。男の歌ですがこれはいいです。Yサイトで聞いてみて下さい。

投稿: 海道 | 2021年4月28日 (水) 12時45分

「喫茶店の片隅で」を聴いていますと、詩情豊かでメロディも美しく、遠い昔の仄かな思い出の世界へといざなってくれるようで、好きな歌です。
同じ松島詩子さんによる、「マロニエの木蔭」(S12)、「マロニエの並木道」(S28)とともに、よく聴きます。

ハコベの花様には、体調不良とのこと、くれぐれも大事になさって下さい。
早期に回復され、元気に”うた物語”に復帰されますよう、お祈りしております。
<追記>ハコベの花様のコメント、いつも楽しく拝読しております。

投稿: yasushi | 2021年4月28日 (水) 14時08分

はこべの花 様

コーヒー一杯 50円の時代 17才の青春を謳歌したアンミツの味・・・(2015年 1月23日 コメント)

コーヒーの湯気の向こうに涙が滲んだ・・・
哀愁と喜びが 喫茶店から幾つ生まれたことでしょう・・・
(2018年 2月18日 コメント)

遠いあの日、憧れの君が喫茶店に誘ってくれたら 私の思い出は何倍も楽しくなっていたのに・・・
(2020年 12月26日 コメント)

ここ半年 毎日「喫茶店の片隅で」と「マロニエの木陰」を聞いています。喫茶店は人生の勉強場、遠い昔のことなのに最近のことだったような気がします。(2021年 3月17日 コメント)

永遠の乙女 はこべの花 さんの青春の軌跡・・・

今は亡き 妻の同郷の先輩でもあり親しくして頂いた、はこべの花さんのコメントを懐かしさで胸がつまるような想いで読み返しています。

投稿: あこがれ | 2021年4月28日 (水) 17時44分

あこがれ様の奥様の胸の中には貴方との楽しかった思い出がいっぱい詰まっていたと思います。思い出すと幸せの涙があふれていたのかも。この歌は年を取ると輝いていた若い日の自分の幸せが理解できる歌だと思います。片思いでも良い思い出になりますね。恋をすることの素晴らしさ!
遠いあの日の思い出はお金では買えません。この歌を聴くと心の底から幸せな気持ちになります。何回聴いても青春が甦ってきます。宝物を胸に秘めて明日も生きたいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2021年4月28日 (水) 23時35分

この歌物語のサイトでこの歌を知りました
メロディもいいですが歌詞も好きです
昔の作詞家は語彙が豊かですね
今の若い人たちの歌の歌詞には詩情は感じられません

遠いあの日が忘れられず散った窓辺の紅バラが
はるかにすぎた想い出をむねにしみじみ呼ぶこよい
まさに古希を何年も過ぎた今ふと立ち止まって
昔の想い出を懐かしむ日々を過ごしています

ハコベの花さまのコメントにはいつも胸を揺さぶられます
青春時代に恋した男性はほとんどあの世の人になっていますという言葉は
とても切なくて少し年下の私が恋した人も旅立ったかもしれないと思うと
ますます切なくなります

今ふうのセルフサービスのカフェではなく純喫茶が大好きなのでネット検索で
「純喫茶めぐり」を楽しんでいます
りんごさまの喫茶店のコメントをいつも楽しみにしています
昔、京都河原町の有名な喫茶店「ソワレ」では高瀬川を見おろして
レトロで不思議な雰囲気だったのを覚えています
大阪府下在住なのでその辺りのクラシックレトロな喫茶店「フランソワ」
「築地」などほかの素敵な喫茶店にもすぐ行けるのですが
コロナ禍の今は我慢していつか出かけたいなと思います
お気に入りの「喫茶店の片隅で」ひとり、はるか昔の過ぎた想い出に
浸りたいと思います


投稿: 夢見る薔薇 | 2021年4月29日 (木) 16時47分

夢見る薔薇様

交流掲示板をご覧ください

投稿: りんご | 2021年5月 5日 (水) 14時35分

札幌に住んで50年。「喫茶店の片隅で」を聴くと学生時代一学年上の北大生と毎日喫茶店でデートをしていたことを思い出し、懐かしさで「喫茶店の片隅で」を聴くたびに、またカラオケで歌うたびに鼻の奥がツンとします。私の青春そのものを歌っているようです。喫茶店で向き合っているだけで幸せだったのは本当ですね。幸せな時間と思い出をもらった彼には感謝するばかりです。

投稿: ナナカマド | 2023年2月23日 (木) 15時13分

ナナカマド様の喫茶店の思い出の御文章に感動して、高円寺の名曲喫茶ネルケンに20年ぶりに入った市原賤香というかたの短歌に最近感動したことを思い出しました。60年近く前高校生の頃によく行き、夫とよく行ったそうで、20年前に行ったのは、亡くなる前の病床の夫に「あの店に行って見てくれ」と言われて行ったのだそうです。「雪の夜の貧しきわれら一杯の珈琲熱きをよろこびし卓」「ジュピターの黄金の音色の波にのり春の胸処へ亡きひとよ来よ」とありました。

投稿: kazu | 2023年3月 1日 (水) 18時47分

今から約60年前下宿のおばあちゃんがキッチャテンと言っていたのを思い出し、懐かしい昔が頭を巡っています。そして1年が短く感じるようになりました。

投稿: 海道 | 2023年3月 4日 (土) 15時28分

『喫茶店の片隅で』は、歌詞もメロディも素晴らしく、愛唱歌の一つです。

独り喫茶店の片隅に座って、コーヒーをすすりながら、ずっと昔、若い頃、彼とこの喫茶店でデートしたことを懐かしく思い出す、そのような情景が浮かび上がります
尤も、♪夢はいずこに消えたやら♪(歌詞2番)や、 ♪散った窓辺の紅バラが…♪(歌詞3番)から、この恋は失恋に終わったようですが、…。

歌詞3番を眺めていますと、♪遠いあの日が忘られず♪、 ♪はるかにすぎた想い出を 胸にしみじみ呼ぶ…♪と、似たような情景が謳われていると受け取りますが、異なる(重複しない)言葉で表現されていて、”さすが作詞者”と、感嘆を憶えます。

ついでながら、♪ふたり黙って向きあって… ♪(歌詞2番)について、はて、どこかで聞いたことがあるようなフレーズ、と思い出しましたら、『小さな喫茶店』(E・ノイバッハ 作詞、F・レイモンド 作曲、青木 爽 日本語詞 S9 )の歌詞の末尾に、♪二人はただ黙って 向き合っていたっけね ♪とありました。
このようなスタイルの喫茶店デートにおける、時代背景やカップルの恋愛心情について思いを馳せるとき、興味は尽きません。

投稿: yasushi | 2023年3月 5日 (日) 14時42分

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