初恋のひと
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:有馬三恵子、作曲:鈴木 淳、唄:小川知子
1 そよ風みたいにしのぶ あの人はもう 2 麦わら帽子のような 匂いをさせて 小麦色した あの日の笑顔 |
《蛇足》 昭和44年(1969)のヒット曲。この年は、東大紛争で安田砦の攻防戦があり、アポロ11号の月面着陸という人類史上画期的な出来事があった年でした。
このころ、芸能界では小川知子とカーレーサー福沢幸雄との恋愛関係が噂になっていましたが、その福沢はヤマハのコースでテスト走行中に事故死してしまいます。
その直後にフジテレビの生放送「夜のヒットスタジオ」に出演した彼女は、この歌を歌っている最中、「なぜだか逢えなくなって 恋しい人なの」のところで突然泣き崩れ、テレビ界で大きな話題となりました。
俳優の林与一と結婚しましたが、のちに離婚。
「キンツマ」という流行語を生んだTBS系列のTVドラマ『金曜日の妻たちへ』のパート1とパート3では、色っぽい人妻を演じました。
(二木紘三)
コメント
この歌が流行っていた当時は、私は高校一年生。
異性に興味が出てきた年頃でした。
学生運動に熱くなっていた大学生の彼。
のちの彼が言っていました「オレ、流されていただけだったんだろうな」と。
この曲を聴くと、その時代にタイムスリップします。
投稿: あや子 | 2006年12月26日 (火) 23時04分
一言お礼申し上げます。
はじめまして。宮城の大森と申します。2年ほど前に還暦を迎えた団塊の世代のオジンですが、貴サイトを最近知りました。
青春時代に耳にした懐かしい曲や流行した曲など沢山あり、カラオケで口ずさむことが出来、大変気に入りました。
また、フリーで利用できると言うのも助かります。
その時代ごとのコメントも素晴らしいです。
お作りになった二木様には心からお礼申し上げます。
ありがとうございます。
投稿: 大森英俊 | 2008年1月13日 (日) 12時47分
この歌は、今から思うと信じられないぐらい未熟なわが青春の、にがいにがい思い出の歌です。つきあい始めてまだ間もないのに、相手の気持ちも考えず、粋がって機動隊のジュラルミンの盾が立ち並ぶ街頭デモに引っ張り出していた自分の前から、彼女はまもなく去っていきました。この歌を残して・・・。茫然自失の小生の頭の中を「アポロ11号月面到着」の大ニュースが通り過ぎていました。39年、過ぎれば早いものですね。
さて、目下のアクセス数が09973969件。あと2,3日で1000万件突破ですね。凄いことですね。偉業ですね。
投稿: Snowman | 2008年2月 6日 (水) 23時43分
独身時代、青春の真っただ中でこの歌をよく歌いました。その頃はテレビ局の記者をしていたので、解説にあるように東大闘争や日大闘争、全共闘運動の取材などでめちゃくちゃ忙しかったのですが、夜は寸暇を惜しんで新宿辺りの酒場で仲間とこの曲などを歌っていました。
その頃は小川知子はもちろん、伊東ゆかり、園まり、青江三奈、黛ジュン、奥村チヨといった魅力的な歌手が輩出したので、彼女らの曲を片っぱしから歌いましたが、この「初恋のひと」は特に好きでした。ロマンチックな歌詞がとにかくいいですね。
仕事に遊びに恋愛に失恋に見合いにと、目いっぱい忙しかったのですが、エネルギーだけは充満していました。
その頃に比べると、今や自分は“枯れすすき”のような年寄りになってしまい、この歌を聴く時、遠い青春の「挽歌」を聞くような思いがします。
投稿: 矢嶋武弘 | 2008年5月18日 (日) 13時58分
夜のヒットスタジオのその場面は見ていた記憶があります。司会の前田武彦が「泣かせよう」としているような様子だったので、可哀想なことをすると思っていました。当時、大学生で東京にいました。巣鴨の大学近くの下宿のテレビで見ていたように思います。
投稿: 陽ちゃん | 2008年5月28日 (水) 22時55分
年に2~3回出張で飛行機を使いますが、A社は機内放送として斎藤安弘(アンコー)さんがパーソナリティーを勤めるオールナイトニッポン=クラシックスを提供しています。テーマ曲もあのビタースウィート=サンバで、我々の世代には懐かしい曲を掛けてくれます。先月は大阪へ出張しましたが、機内でこの『初恋のひと』を聞きました。深夜放送を聞きながら受験勉強をするのがオールナイトニッポン放送当時のスタイルでしたが、空の上でしばしのタイムスリップを楽しみました。なかなか心憎いサービスです。
投稿: Yoshi | 2013年2月16日 (土) 18時18分
TVを見ていてはっきりと覚えていますが、泣いたのは、2番の「麦わら帽子を~」のところからだと思います。
投稿: 伊藤 | 2017年7月 4日 (火) 08時50分
「初恋のひと」・・・ほのぼのとした素敵な曲との出会いは初めてです。
この曲が流行ったころは28歳の頃で、社交ダンス・山登り・オーディオ(クラシック音楽)に夢中だったように思います。
二木オケの華麗な演奏に誘われながら中学時代の同じクラスだった彼女のことを懐かしく想い出しています。
彼女とは一度も私的な話はしたことはありませんでしたが、当時の彼女の笑顔が目に浮かんできます。
お互いに後期高齢者・・・お元気でお過ごしのことをお祈りしています。
投稿: 一章 | 2020年3月14日 (土) 11時11分
学生時代、三畳の部屋の壁に小川知子さんのグラビア写真を週刊誌から切り抜いて貼り付けていました。古今東西僕がそんなことをしていたのはその時だけです。彼女の中学生のようなボーイッシュなヘアスタイルと笑顔が好きでした。彼女とは生年月日、一日違いです。小川知子さん、お元気で・・・
投稿: yoko | 2020年3月14日 (土) 20時36分
蛇足にあった「夜のヒットスタジオ」は生で見ていました。当時中野区上高田にあった大学寮の談話室のテレビで皆で見てました。恋人と言われた福沢幸雄さん(レーサーで福沢諭吉の子孫)が事故死した後だったので、しかたないことでした。そんな状況で歌った小川知子さん、泣き出してもしかたないことだと思ってました。
投稿: 江尻陽一 | 2023年2月17日 (金) 22時40分