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2007年2月 8日 (木)

初恋のひと

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:有馬三恵子、作曲:鈴木 淳、唄:小川知子

1 そよ風みたいにしのぶ あの人はもう
  私の事などみんな 忘れたかしら
  のばらをいつも 両手に抱いて
  朝の窓辺に 届けてくれた
  なぜだか逢えなくなって 恋しい人なの

2 麦わら帽子のような 匂いをさせて
  私を海辺へつれて 走った人よ
  光の中を もつれるように
  はずんだ胸は 熱かったわね
  懐かしがっても遠い 夢の人なの

  小麦色した あの日の笑顔
  私一人が 知っているのに
  今なら恋だとわかる はるかな人なの

《蛇足》 昭和44年(1969)のヒット曲。この年は、東大紛争で安田砦の攻防戦があり、アポロ11号の月面着陸という人類史上画期的な出来事があった年でした。

 このころ、芸能界では小川知子とカーレーサー福沢幸雄との恋愛関係が噂になっていましたが、その福沢はヤマハのコースでテスト走行中に事故死してしまいます。
 その直後にフジテレビの生放送「夜のヒットスタジオ」に出演した彼女は、この歌を歌っている最中、「なぜだか逢えなくなって 恋しい人なの」のところで突然泣き崩れ、テレビ界で大きな話題となりました。

 俳優の林与一と結婚しましたが、のちに離婚。

 「キンツマ」という流行語を生んだTBS系列のTVドラマ『金曜日の妻たちへ』のパート1とパート3では、色っぽい人妻を演じました。

(二木紘三)

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コメント

この歌が流行っていた当時は、私は高校一年生。
異性に興味が出てきた年頃でした。

学生運動に熱くなっていた大学生の彼。
のちの彼が言っていました「オレ、流されていただけだったんだろうな」と。

この曲を聴くと、その時代にタイムスリップします。

投稿: あや子 | 2006年12月26日 (火) 23時04分

一言お礼申し上げます。
はじめまして。宮城の大森と申します。2年ほど前に還暦を迎えた団塊の世代のオジンですが、貴サイトを最近知りました。
青春時代に耳にした懐かしい曲や流行した曲など沢山あり、カラオケで口ずさむことが出来、大変気に入りました。
また、フリーで利用できると言うのも助かります。
その時代ごとのコメントも素晴らしいです。
お作りになった二木様には心からお礼申し上げます。
ありがとうございます。

投稿: 大森英俊 | 2008年1月13日 (日) 12時47分

この歌は、今から思うと信じられないぐらい未熟なわが青春の、にがいにがい思い出の歌です。つきあい始めてまだ間もないのに、相手の気持ちも考えず、粋がって機動隊のジュラルミンの盾が立ち並ぶ街頭デモに引っ張り出していた自分の前から、彼女はまもなく去っていきました。この歌を残して・・・。茫然自失の小生の頭の中を「アポロ11号月面到着」の大ニュースが通り過ぎていました。39年、過ぎれば早いものですね。

さて、目下のアクセス数が09973969件。あと2,3日で1000万件突破ですね。凄いことですね。偉業ですね。

投稿: Snowman | 2008年2月 6日 (水) 23時43分

独身時代、青春の真っただ中でこの歌をよく歌いました。その頃はテレビ局の記者をしていたので、解説にあるように東大闘争や日大闘争、全共闘運動の取材などでめちゃくちゃ忙しかったのですが、夜は寸暇を惜しんで新宿辺りの酒場で仲間とこの曲などを歌っていました。
その頃は小川知子はもちろん、伊東ゆかり、園まり、青江三奈、黛ジュン、奥村チヨといった魅力的な歌手が輩出したので、彼女らの曲を片っぱしから歌いましたが、この「初恋のひと」は特に好きでした。ロマンチックな歌詞がとにかくいいですね。
仕事に遊びに恋愛に失恋に見合いにと、目いっぱい忙しかったのですが、エネルギーだけは充満していました。
その頃に比べると、今や自分は“枯れすすき”のような年寄りになってしまい、この歌を聴く時、遠い青春の「挽歌」を聞くような思いがします。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年5月18日 (日) 13時58分

夜のヒットスタジオのその場面は見ていた記憶があります。司会の前田武彦が「泣かせよう」としているような様子だったので、可哀想なことをすると思っていました。当時、大学生で東京にいました。巣鴨の大学近くの下宿のテレビで見ていたように思います。

投稿: 陽ちゃん | 2008年5月28日 (水) 22時55分

 年に2~3回出張で飛行機を使いますが、A社は機内放送として斎藤安弘(アンコー)さんがパーソナリティーを勤めるオールナイトニッポン=クラシックスを提供しています。テーマ曲もあのビタースウィート=サンバで、我々の世代には懐かしい曲を掛けてくれます。先月は大阪へ出張しましたが、機内でこの『初恋のひと』を聞きました。深夜放送を聞きながら受験勉強をするのがオールナイトニッポン放送当時のスタイルでしたが、空の上でしばしのタイムスリップを楽しみました。なかなか心憎いサービスです。

投稿: Yoshi | 2013年2月16日 (土) 18時18分

TVを見ていてはっきりと覚えていますが、泣いたのは、2番の「麦わら帽子を~」のところからだと思います。

投稿: 伊藤 | 2017年7月 4日 (火) 08時50分

「初恋のひと」・・・ほのぼのとした素敵な曲との出会いは初めてです。
この曲が流行ったころは28歳の頃で、社交ダンス・山登り・オーディオ(クラシック音楽)に夢中だったように思います。

 二木オケの華麗な演奏に誘われながら中学時代の同じクラスだった彼女のことを懐かしく想い出しています。
 
彼女とは一度も私的な話はしたことはありませんでしたが、当時の彼女の笑顔が目に浮かんできます。
お互いに後期高齢者・・・お元気でお過ごしのことをお祈りしています。

投稿: 一章 | 2020年3月14日 (土) 11時11分

学生時代、三畳の部屋の壁に小川知子さんのグラビア写真を週刊誌から切り抜いて貼り付けていました。古今東西僕がそんなことをしていたのはその時だけです。彼女の中学生のようなボーイッシュなヘアスタイルと笑顔が好きでした。彼女とは生年月日、一日違いです。小川知子さん、お元気で・・・

投稿: yoko | 2020年3月14日 (土) 20時36分

蛇足にあった「夜のヒットスタジオ」は生で見ていました。当時中野区上高田にあった大学寮の談話室のテレビで皆で見てました。恋人と言われた福沢幸雄さん(レーサーで福沢諭吉の子孫)が事故死した後だったので、しかたないことでした。そんな状況で歌った小川知子さん、泣き出してもしかたないことだと思ってました。

投稿: 江尻陽一 | 2023年2月17日 (金) 22時40分

(文中敬称略)
「夜ヒット」(白黒放送時代)における小川知子の号泣歌唱のシーン(更に補助に入ったいしだあゆみと中村晃子にも伝染して3人揃って号泣)、私は生まれたばかりなのでリアタイでは知りませんが、テレビ何周年の傑作選みたいな番組で何度も見たことあります。
それで思い出したのですが、小川、いしだ、中村の3人は令和の現在活躍している1990年代生まれの3人の女優に何か通じるものがあるな、なんて私的に思ってしまいます。

いしだ→小芝風花(大阪出身、フィギュアスケート姉妹の次女)
中村→小松菜奈(切れ長の目、アゴにホクロ=但し、中村は右側、小松は左側)
小川→清水富美加改め千眼美子(理由はお察しします)

投稿: Black swan | 2024年2月10日 (土) 16時23分

(文中敬称略)
まずは本コメント欄において事実上連続投稿になってしまったことをご容赦願います。
本文中における小川知子と似たようなシーン、私も高校時代に見たことがあります。
それは「夜ヒット」と双璧と言われた伝説の歌番組「ザ・ベストテン」(1978~89、TBS・CBCテレビ・毎日放送系)の1986年4月10日放送分です(通算回数にして第424回)。
この回の第2位は前週まで7週連続1位だった中森明菜の「DESIRE-情熱-」(作詞:阿木燿子、作曲:鈴木キサブロー)でしたが(第1位は少年隊「デカメロン伝説」(作詞:秋元康、作曲:筒美京平))、当日の中森はミラードアから登場した瞬間から物悲しい表情で、また衣装も通常時のエキゾチックカラーではなくモノトーンと、異様な雰囲気が漂っていました。
もちろんそれが連続1位がストップしたからという理由でないことはど素人の私でも解っていました。
この2日前、中森の「スター誕生!」(1971~83、日本テレビ・名古屋テレビ→中京テレビ・よみうりテレビ系)出身者の後輩で、デビュー当時から可愛がっていた岡田有希子(本名:佐藤佳代、以降岡田の名前は本名で書かせて頂きます)が都内で自ら命を断ち、18歳7ヶ月という短い生涯を閉じました。
「DESIRE-情熱-」にはクライマックスに入る部分で♪まっ逆さまに、堕ちてDESIRE…♪という歌詞があり、当日の中森は佳代のことを思って歌いたくなかったのだろうと想像しますが、辛そうな表情ながらも、しっかりと歌い上げました。
そして、エンディング恒例の記念撮影のあと、本来なら司会の黒柳徹子が「また来週!」と言うところを「CMのあとも続きます!」と言ったので、私は「有希子さんのことだろうな」(番組中ここまで触れていなかった)と思って見ていたら、案の定そうでした。
CMが明けて、黒柳が下記のようなメッセージを述べました(一部省略)。

今日、仲の良かった歌手のお友達も、悲しみをこらえて歌ってくださったんです。
18歳でした。その悩みを分かってあげられなくて本当に申し訳なく、残念に思っています。
ファンの皆さん、それからご家族の皆さんにとって悲しみはどんなに大きいかと思います。
元気でいきいきとしていた時の有希子さんの姿をこれから皆さんとご一緒に見て、ご冥福を心からお祈りしたいと思います。
有希子さん、本当にありがとうございました。

この日のTBS旧局舎(現在は赤坂サカスが建っている)のGスタジオには前述の中森や少年隊の他、佳代とデビュー同期の荻野目洋子、佳代の堀越高校のクラスメートだった南野陽子もいましたが、全員が涙をためながら黒柳のメッセージに耳を傾けていたシーンが思い出されます。
佳代のひとつ下である私はファンではなかったにしろ世代的に近いせいかショックから立ち直れず、また彼女の名前すら思い出したくなかったのですが、それからようやく落ち着けた没後20年の2006年、西武ドームの西武×オリックスの開幕戦(ちなみに西武の先発は佳代が没した1986年に生まれた、現在も中日で現役の涌井秀章、オリックスの4番は佳代と同い年で西武のルーキー時代彼女の運命の日の3日前に当時は屋根のない西武ライオンズ球場でプロ初ホームランを放った清原和博でした)を観戦した帰りに最期の地・四谷四丁目交差点角のOビル脇にメッセージを添えた菊の花束を置いてきて、彼女の冥福を祈りました。
今年は岡田有希子(佐藤佳代)のデビュー40周年、そして明日は彼女が没してからちょうど38年になります。
佳代の没後に出生した松井玲奈、生見愛瑠、黒島結菜、雪平莉左、三上悠亜など愛知県出身の女性芸能人の活躍が目立つ今、その大先輩である佳代は天国から何を思うのでしょうか…。

投稿: Black Swan | 2024年4月 7日 (日) 21時08分

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