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2007年2月16日 (金)

千の風になって

(C) Arranged by FUTATSUGI Kozo


日本語詞・作曲:新井 満、唄:新井 満/秋川雅史 他

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません
死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
あの大きな空を 吹きわたっています

《蛇足》 芥川賞作家・新井満が英詩を訳し、曲をつけ、自ら歌った作品。

 曲作りのきっかけとなったのは、彼の友人の妻が急逝したことでした。彼女の死後、仲間によって編まれた追悼文集のなかに、『1000の風』という詩がありました。それは、生者が死者を悼むのではなく、死者が遺された人たちに呼びかけるという、追悼の詩としては変わった詩でした。
 
元は西欧の詩ということでしたが、作者名も原詩も付いていませんでした。

 それに深く感動した彼は、寄稿者に問い合わせたところ、出典は南風椎訳『あとへ残された人へ 1000の風』(三五館、平成7年〈1995〉6月刊)であるとわかりました。これには訳詩も原詩も記載されていました。
 新井は、原詩
(下記)をもとに独自に日本語詞をつけ、自ら歌いました。それを私家版CDとして30枚作成し、妻を亡くした友人はじめ、親しい人たちに贈りました。平成13年(2001)のことです。

                                  a thousand winds

Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.

 平成15年(2003)8月、このことが『朝日新聞』の『天声人語』で紹介されると、問い合わせが殺到、同年11月には『千の風になって』というタイトルで詩集とシングルが同時発売されるに至りました。シングルは23週連続チャートインというロングヒットを記録しました。
 平成16年
(2004)7月には、同曲を主題歌とした映画『千の風になって』が公開され、さらに人気が高まりました。その後、新垣勉、スーザン・オズボーン、秋川雅史などがカバーしています。

 なお、"a thousand winds"は日本だけで使われているタイトルです。原詩にはタイトルがないので、この詩を示す際には、最初の行"Do not stand at my grave and weep"が使われています。

 原詩は、日本ではごく一部の人たちにしか知られていませんでしたが、英語圏ではかなり前から多くの人に愛されており、親しい人が亡くなると、よく朗読されていました。
 近年では、ニューヨーク世界貿易センタービルが2001年9月11日のテロで崩壊したあと、その跡地「グラウンド・ゼロ」で開かれた追悼集会で、父親を亡くした11歳の少女が朗読して、人びとの涙を誘いました。

 この歌が有名になったいきさつや原作者捜しの経緯について見てみましょう。

 イギリスでは、毎年9月下旬か10月上旬の木曜日に、『国民に愛される詩の日(National Poetry Day)』というイベントが行われます。これは、さまざまな文化団体や教育機関が協働して、詩集などの書籍に載ったことがある詩のなかから「好きな詩」をコンペ方式で選ぶという文化行事です。

 投票数が上位の作品は、国営放送BBCの番組内で朗読され、100位までの詩は、『国民に愛される詩(The Nation's Favourite Poems)』と題する書籍に収録されます。
 1995年の
『国民に愛される詩の日』では、投票総数は1万2000件で、1位はキプリングの『もしー(If-)』でした。

 また、イギリスでは毎年、第一次大戦が終結した11月11日に最も近い日曜日を『戦没者追悼の日(Remembrance Sunday)』として国を挙げて追悼行事が行われ、BBCで追悼番組が放映されます。
 1995年の
『戦没者追悼の日』では、その1コーナーで、"Do not stand at my grave and weep"で始まる詩が、24歳で落命したイギリス軍兵士の父、ジェフリー・カミンズ(Geoffrey Cummins)によって朗読されました。それは、彼の息子、スティーヴン・ジェフリー・カミンズ(Stephen Jeffrey Cummins―以下「カミンズ」と表記)の遺品のなかにあったものでした。

 北アイルランドでは、1960年代後半から、アイルランドへの統合を求めるカトリック系住民とイギリス残留を主張するプロテスタント系住民とが激しい抗争を続けてきました。1980年代後半には、沈静化の兆しを見せていたものの、いつ再激化するかわからない状態でした。

 1989年3月8日、カミンズは、ロンドンデリー郊外をランドローバーでパトロール中、カトリック系住民の過激派、IRA(アイルランド共和国軍)が仕掛けた地雷に触れて亡くなりました。
 翌9日、
ジェフリー&シェイラ・カミンズ夫妻は、遺体と対面したあと、以前息子から郵送されていた1通の封筒を開きました。それには、「私に何かが起こらない限り、この封筒は開けないこと」という注意書きがあったので、未開封のままだったのです。

 それを開いたところ、出てきたのが"Do not stand at my grave and weep"で始まる詩でした。それには、その詩が作者不明であることが付記され、さらに両親への感謝の言葉と署名が記されていました。
 北アイルランドで軍務についたときから、
カミンズは自分の運命を予感していたのかもしれません。
 3月10日付の大衆紙『デイリー・メイル』にこの件が報じられると、イギリスはじめ、英語圏で大きな感動を引き起こしました。のちに夫妻は、息子の遺した詩を読んで、どのくらい慰められたかわからない、と語っています。

 この事件が人びとの記憶から薄れかけた6年9か月後の『戦没者追悼の日』に、死者が遺された人びとを慰藉する"Do not stand at my grave and weep"が朗読されたのです。
 その反応は驚くべきものでした。詩のコピーを求めるリクエストが殺到し、その数は3万数千通に達しました。

 1996年、『国民に愛される詩の日』で選ばれた100の詩を収録した書籍が刊行されました。その序文には、こうありました。「"Do not stand at my grave and weep"は、コンペの対象外であるが、"国民に愛される詩"としてここに掲げる」。すなわち、序文の一部として収録されたのです。

 著名なソングライター、ジェフリー・スティーヴンス(Geoffrey Stephens)は、この詩に曲つけるとともに、原詩の作詞者捜しを始めました。名前がカミンズの父親と同じなので混乱しますが、別人です。また、両者とも、通常はジェフ(Geoff)という愛称で呼ばれています。

 アメリカでは、この詩は1980年代から知られており、原作者捜しが行われていました。
 その過程でさまざまな人物や伝承が浮かび上がってきましたが、検証の結果、有力とされたのはアメリカ原住民
(インディアン)由来説とメアリー・フライ説の2つでした。まず前者について。

 この詩がもつ汎神論的・アニミズム的イメージを考えると、確かにアメリカ原住民由来説は有力な考えに思われます。
 たとえば、アメリカで人生相談の回答者として知られているアン・ランダース
(Ann Landers)は、1986年10月19日付『ワシントン・ポスト』紙のコラムで、「この詩はマカ族(Makah Indian)の祈りだった」と書いています。

 しかし、アメリカ原住民由来説はすぐに崩れました。
 原詩を見ると、weep-sleep, blow-snow, grain-rain, hush-rush, flight-night, cry-dieとみごとに脚韻を踏んでいます。これは、相当教養のある人でないと困難です。アメリカ原住民にも教養のある人物はいるでしょうが、この説の可能性はかなり低くなります。
 また、この詩が有名になったとき、「わが部族の文化遺産だ」と主張する者が1人や2人いてもいいはずですが、いまだに1人も現れていません。

 ランダースのマカ族説は、アメリカ議会図書館の文献検索の専門家、デイヴィッド・クレシュ(David Kresh)が否定しています。彼がマカ族の友人から聞いたところでは、マカ族の居住地には雪は降らないし、穀物畑はなく、やさしい秋雨も降らない、そうです。
 それより何より、アメリカ原住民は死者の魂を生者から少しでも早く遠ざけたいと考えるのが通例で、この詩のような、死者がいつも生者の回りにいるというイメージは考えられないといいます。

 これに対して、メアリー・フライ説は相当信憑性が高いといっていいようです。

 "Do not stand at my grave and weep"が有名になってから、そのルーツを探し求める何人かのジャーナリストや詩の研究者が、相前後してアメリカ・メリーランド州バルチモアに住む1人の女性にたどり着きました。それがメアリー・フライ(Mary Frye)でした。
 イギリスの『タイムズ』紙によると、彼女の経歴は次のようになっています。

 1905年11月13日、オハイオ州デントンでクラーク夫妻の子どもとして生まれ、メアリー・エリザベスと名づけられる。3歳で孤児となり、12歳のとき、バルチモアに転居。
 1927年、同地で洋服屋を営むクラウド・フライと結婚。1女をもうけるが、1964年、夫と死別。
 2004年9月15日、99歳で没。
 メアリーは高い教育を受けていなかったが、記憶力がよく、読書家だった。"Do not stand at my grave and weep"のあと、いくつか詩を書いたが、出版されることはなかった。

 カナダのラジオ局『CBC』が"Do not stand at my grave and weep"を書いたいきさつについて彼女にインタビューした放送テープが残っています。番組名は『A Poetic Journey』で、放送されたのは2000年5月。インタビューは、その前年の1999年に行われたようです。

 インタビューが行われたとき、メアリーは94歳で、自分の誕生祝いの席でインタビューを受けました。以下の記述は、その際の彼女の談話に基づいています。

 1932年、メアリーはドイツからの亡命者マーガレット・シュワルツコップ(Margaret Schwarzkopf)という女性と親友になっていました。
 ドイツでは、第一次大戦の敗戦後、ナチスの主導によるユダヤ人排斥・攻撃が激化していました。多くのユダヤ人が続々と国外に脱出しており、マーガレットもその1人でした。

 彼女の母親も脱出したがっていましたが、高齢のうえ手足が不自由で、過酷な脱出行は無理でした。やむなくマーガレットは1人で脱出したものの、母親を残してきたことでいつも自分を責めていました。
 まもなく母親からの便りが途絶えました。八方手を尽くして調べた彼女に届いたのは、母親の死の知らせでした。彼女は神経がまいってしまい、毎日泣いてばかりいました。

 ある日、2人はいっしょに買い物に行きました。帰宅後、茶色の紙袋から買い物を出して仕分けを始めたとき、メアリーが買ったあるものを見て、マーガレットは、「それ、母が大好きだったの」といって泣き崩れました。
 メアリーが慰めても泣きやまず、「何より辛いのは、母のお墓に行ってお別れを言えないことよ(……I never had the chance to stand at my mother's grave and say goodbye.)」と言って、泣きながら2階の自室に行ってしまいました。

 そのとき、メアリーの手には買い物チェックのために鉛筆が握られていました。突然、彼女の頭に詩の言葉が浮かびました。彼女は茶色の紙袋を破いて、それを書き留めました。それは、メアリーが初めて書いた詩でした。

 しばらくして、マーガレットがいくらか落ち着きを取り戻して降りてきました。メアリーが書いたばかりの詩を示すと、それを読んだマーガレットは、メアリーを抱き寄せ、「この詩は一生大事にするわ」と言いました。それから、彼女は泣くのをやめました。

 マーガレットがその詩を職場で同僚に見せたところ、連邦政府印刷所に勤めている人を紹介してくれたので、そこで何部かのコピーを作ってもらいました。彼女は、それを友人や知人に配ったようです。
 このときから、その詩は独自の生命をもち、独り歩きを始めました。
 以下は、CBCのインタビュー番組でメアリーのオリジナルとして紹介された詩です。

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there, I do not die.

 今日に伝わっている"Do not stand at my grave and weep"と比べてみると、最初の2行と最後の2行しか残っていません。正確には、最後の行のdoがdidに変わっているので、改変されなかったのは3行だけです。
 にもかかわらず、メアリーが最初に提示したイメージはいささかも損なわれていません。これは、詩の中核になっているスピリットがいかに美しく、気高かったかを如実に物語っています。

 ただ、CBCの主張にもかかわらず、上の詩はメアリーの完全なオリジナルではなく、何人かの手を経たあとのものではないかと私は思います。
 上の詩はきちんと脚韻を踏んでいますが、詩作の経験のない者がわずか数十分のうちに、詩として高いレベルを保ちつつ、韻律の整ったヴァースを連ねるのは困難ではないでしょうか。
 実際、これより前のヴァージョンがいくつかあると主張する人は、何人もいるようです。

 しかし、メアリーのオリジナルが詩形の整っていない素朴な詩だったとしても、人びとが受ける感動は変わらないでしょう。
 むしろ、素朴だったからこそ、マーガレットの心にストレートに届き、何人もの人たちに新しい詩句を加えたいという気持ちを起こさせたのではないかと思います。

 ところで、この詩の汎神教的・アニミズム的感覚は、キリスト教という一神教の教義とは背馳するのではないかと思います。にもかかわらず、この詩が多くのキリスト教徒の心を打つのはなぜでしょうか。

 キリストが鮮明な教理をもつ宗教を始めたのは、2000年ちょっと前のことにすぎず、その前の数十万年間、人類は汎神教的・アニミズム的な精神風土のなかで生きてきました。それはもちろんキリスト教の(ユダヤ教やイスラム教なども同じですが)基層にも残っているはずです。
 心のDNAに刻まれたそうした記憶が、この詩に人びとを感応させたのではないか――というような埒もないことをふと考えました。

(二木紘三)

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コメント

この歌を聴くたびに作者不詳ということは
気になっていました。
今の人類の知るよしもない数十万年前の
スビリットがこういう意識で生きていたと
言うこと・・納得です!

投稿: none | 2007年2月16日 (金) 23時37分

二木さまのHPのお世話になって5年は経ったでしょうか。
私「童謡、唱歌を歌う会」で歌っていますので「予習、復習」で「歌声喫茶」のお世話になっております。パートはソプラノです。
今回「千の風になって」を拝聴いたしました。
MIDIより何か「音」が大変綺麗に思えます。

とても奇遇なことですが私の長野県の「メル友」(女性)の所属するコーラスグループのご指導の先生はそちらさま、二木さまと高校の同級生でいらっしゃる由です。
メル友に私が「二木さんのいう方のHPで歌を学習している」・・・から解かった次第でもう、それから何年か経ちました。
今後もどうぞ、よろしくご指導お願いいたします。
HPのご発展をお祈りいたします。

投稿: 石田 順子 | 2007年2月17日 (土) 16時09分

昨年の紅白歌合戦で初めて「千の風になって」を観ました。
始めはこんな佳い歌があったのかと驚き、途中からは涙ポロポロ…
この歌の世に出た経緯を知って、あの時の感動を思い出しています。

投稿: 川島 邦子 | 2007年2月18日 (日) 23時19分

私は紅白で始めてこの歌を聞きました。
秋川さんが歌う前にアナウンサーが千の風の意味を説明された瞬間、心を打たれてしまいました。単なる言葉の羅列でどうしてこんなにすばらしい詩ができるのか、心を揺さぶれるのか、ありがとう。ただ、それだけです。
5年前に妻を亡くした私は早速この歌を練習し皆様に聞いてもらっています。

投稿: 小串正彦 | 2007年2月20日 (火) 18時59分

何時もお世話になっています。陰ながら感謝致しております。日頃のご活躍には頭が下がります。一時接続出来ませんでしたが,今日は接続出来ました。有り難く色いろの思い出の歌を拝聴させて頂き深く感謝致します。
「千の風になって」恥ずかしい事ですが今日初めて知りました。
素晴らしい詩、そして曲と、世界中の人びとに歌い継がれて欲しいと感じました。
今のすさんだ時代にこそ、盛んに「千の風になって」が歌われることが望まれると思います。健康なご活躍をお祈り致します。
失礼致しました。

投稿: gren1212 | 2007年2月23日 (金) 12時52分

今日の「クローズアップ現代」でも今取り上げています。
爽やかな旋律ですね。

投稿: 草木 | 2007年2月26日 (月) 19時34分

私の弟は1月20日に天に召されました。
昨年の夏、末期ガンで半年の命と宣告され、
半年間、病魔と戦いましたが、力尽きて旅立って行きました。51歳でした。弟は、「千の風になって」の歌が“自分の思いを語っている”と言って友人達にCDを送ったそうです。
いま、私は、ハーモニカでこの歌を練習しています。納骨の日に、参会者達が献花をしている時に演奏したいと思っています。

投稿: マリーゴールド | 2007年3月 6日 (火) 20時21分

 たった数回聴いただけで歌えてしまいました。
それだけ詩から深い感銘を無意識に受けていたのかも知れません。
恥ずかしながら、二木さんのおつくりになったmidiを聴きながら深夜だと言うのに自室で聴きながら歌っていました。

 詩に纏わるバックグラウンドに戦争が絡んでいること。そしてニューヨークの同時多発テロの鎮魂の手向けに読まれたこと。
人の死や諍いを源に産まれた詩だからこそ、かくも心に響く詩が産まれたのかも知れませんね。
midiを聴きながら、ふとそのような不謹慎な事を思ってしまいました。
良い詩だからこそ良い歌になり、良い歌だからこそ、midiになってもやはり心に響くのでしょうね。

投稿: | 2007年3月10日 (土) 01時04分

二木さま、ありがとうございます。
この曲のルーツを知って、ますます、この曲が好きになりました。・・・・世界中の人の感情は、みんな同じなんだなと。

投稿: nonko | 2007年3月24日 (土) 17時16分

このような素敵な歌の由来を知ることができてうれしく思います。

今年、なくなった何人かの友人を思い出すたび、この歌を思い、空を見上げ、風を感じます。
原詩の変化も興味深く感じました。最初の頃より、韻や表現が変化しているのがわかりましたし、キリスト教とアニミズムの世界観ももっともだと感じました。

投稿: vi0x0il | 2007年4月17日 (火) 22時00分

秋川さんのこの歌は紅白で聴きました。また二木さんのサイトでも聴いています。素晴らしい歌詞ですね。この歌を聴いて、生まれて初めて涙が出ました。死者が生者を慰める。この発想が誰も思いつかないことですね。新井さんの作曲もいいですね。明るくて未来がある。私は今年中に墓を建立しますが、俗名を「千の風五吉」と彫ることにしています^^。
「五吉」は碁狂ちの当て字です。

投稿: 三瓶 | 2007年7月18日 (水) 08時46分

決して歌詞に文句をつけるつもりは無いのですが、私は、「吹きわたっています」という言葉に違和感を覚えます。

「行き渡る」という表現は聴いたことがありますが、「風が 吹きわたる」というのは聴いたことがありません。 もちろん、「吹く」と「わたる」を組み合わせればこうなるのでしょうが、問題は言葉の組み合わせではなくて、そのような表現が一般的に通用しているかということだろうと思います。

その意味で、歌っていてこの部分に来ると何時も何か変だなあと思ってしますのです。

皆さんはこのように感じないのでしょうか?

投稿: 吉原 秀光 | 2007年8月10日 (金) 01時44分

先の紅白歌合戦で大変な人気の歌になりました。歌詞がいい、メロディーもいい、秋川さんの歌もいいですね。こんな立派な歌が作詞家不詳とは分かりませんでした。
コメントの「風が 吹きわたる」のことですが、「風が 吹いて+行き+わたる」と言う事ではないかと考えます。ポエムでしょうから省略もあるでしょう。ちなみに俳句では省略法を用います。拙い俳句愛好家のたわごととご笑覧ください。

投稿: 波路 | 2007年8月10日 (金) 20時38分

はじめまして、こんな良い曲を初めて拝聴して、泣きました。
 まるで、亡くなられた方から、メッセージを受け取って(大阪の言葉で大変恐縮で御座いますが…。『どないしたんや!!元気出さんかい!!何時までも辛気臭い顔してメソメソしよって!!ワシの事は、しんぱいせんでええ!!じぶんらは、ワシの分まで生きるんや!!生きて、生きて、生き抜くんや!!』と言われている気がしました。)
 五月に私事で恐縮で御座いますが、義理の叔父が病没しています。何もしてあげられない無念さを痛感しています。

投稿: 粟飯原 広 | 2007年8月15日 (水) 11時31分

私は幼少(ロザリオ少年合唱隊)の頃から歌と歌詞の原詩を愛し、今はギリシア語(詩)の研究をしています。引用の原典の英詞(詩)の脚韻・来歴のすばらしさに感動しました。古代ギリシア人もμετεμψύχωσις(メテンプシコーシス)[魂の転移]としてエジプトの「死者の書」の伝統を受継ぎ、霊魂の不滅を信じていたようです。すばらしい英詞(詩)とMIDIの高質に感慨無量です。ありがとうございます。頓首。

投稿: 八木橋正雄 | 2007年8月18日 (土) 08時37分

この歌と、死んだ女の子、聞くたびに涙が出て心の中を寂しい風が吹き渡ります。
(吹き渡る、は普通に使いませんか?小説などでもよく見ます。辞典にもありますね。)
最近友人が千の風になってしまいました、悲しい、くやしい、でもお墓には行きますまい。

投稿: 亀田 楽 | 2007年8月21日 (火) 01時11分

久しぶりにこのコーナーに入らせてもらいましたが、素晴らしい音質になっているのにビックリしました。とくに高音部がすがすがしいですね。二木様のご尽力にただただ感謝です。

この「千の風になって」の由来も、感動的な経緯があったのですね。私が初めてこの歌を聴いた時は、むしろ、日本古来の仏教的な死生観を強く感じました。ある禅宗の和尚さんから、

  日はまなこ 虚空はからだ 風は息
  海山かけて 我が身なりけり

という道歌(?)を聞いたことがあります。また、二宮尊徳の道歌に、

  音もなく 香もなく つねにあめつちは
  書かざる経を 繰り返しつつ

もありますね。日本人も、随分古くから、死後は自分の霊魂が大自然・大宇宙と一体化するのだという感覚によって、大きな安らぎを与えられてきたのではないかと思います。

投稿: Snowman | 2007年10月27日 (土) 23時40分

クラッシックのヒット曲自体が新鮮です。千の風になって、ちょっと意地悪な言い方ですがジャニーズの歌手の人たちに歌えますかね。詩に関してはいろいろ意見あるようですが。プロレス的に言うとテノール歌手出てこいや、ですね。クラッシックも応援したいね

投稿: 福田浩司将棋大臣 | 2008年1月25日 (金) 09時13分

3年前に夫を千の風に送った75歳の女性です。歌の会に入ってこの歌も習い、ピアノで夜は気分を紛らわしております。
新井満さんのふるさと新潟に住んでおりますが、今新潟は政令市となって、地震などマイナスイメージを払拭しようと、『千の風まちおこし』でアイデアを集めております。この歌に纏わる多くの薀蓄を拝見し、またこの詩の原点を知りました。二木様のHPは数年前からの愛読、愛聴です。愛読者の皆様どうぞ多くの卓見で新潟を応援してくださいませ。(詳しくは新潟市のHPにあります。)

投稿: ライス | 2008年3月 8日 (土) 17時39分

私も二木先生のこのすばらしい「蛇足」で、この歌の真価を知ることが出来た一人です。
昔からどうも日本人には、「人間も自然界の一部であり、死ねばまた自然に還るもの」という死生観があるようですね。
  「かたみとて なにか残さん 春は花
     夏ほととぎす 秋はもみぢ葉 」
という良寛の有名な歌がありますが、
この「千の風」が、割合すんなりと日本人に受け容れられるのも、そういった日本の精神風土にマッチしているからでしょうか。

投稿: くまさん | 2008年3月 9日 (日) 22時54分

ライス様。。。
新井満さんのふるさとが新潟とは知りませんでした。
私事ですが夫が新発田の出身で新潟へも1度行きました。
また行きたいですねぇ。神戸と違って喫茶店が少なかったような気がしました。(神戸が多すぎと言う人も居ます)

投稿: sunday | 2008年4月12日 (土) 07時46分

私も死んだら暗い墓石の下にじっと眠っていたくはありません。できることならこの詩のように大空を吹き渡っていたいものです。
宗教の尊い教えではなく、名も知れない人が我々の死後に夢を与えてくれたということがすばらしい。
歌唱は、新井満さんの声もいいと思いました。

投稿: 周坊 | 2008年4月13日 (日) 18時00分

不意に起こった風や、さっと襲う雨の中に、ふと故人の息吹を感じることがあります。なつかしい人々が自然の中に微塵になっているのを感じ、そして自分も死後はそうなることを、望む私です。今お盆ですのでお墓の掃除は一応やりましたが・・・

投稿: Bianca | 2008年8月13日 (水) 18時20分

7月12日に京都コンサートホールでロイアル・コンセルトへボウ管弦楽団のブラス・クインテットの演奏会がありました。金管五重奏団の演奏です。
プログラム通りの演奏が終わって、鳴り止まない拍手に応えてアンコールの演奏で、トロンボーン奏者のライエンが演奏曲を紹介しました。
「japanese song 千の風になってを演奏しまーす。」と。

この演奏が金管5重奏で見事な演奏でしたが、それよりもjapanese songと紹介してくれたことが心に残りました。
作詞はこの二木さんがお書きいただいているように作者が不明ですが、作曲と日本語訳は新井満氏であり、外国人から観るとなるほどjapanese songなんだなあと。終わっての帰り道、この事が心に残り楽しい思い出となっています。

いつも、二木さんのこのブログを同世代の一人として楽しませていただいてます。今日はお盆の16日です。

投稿: y.furuichi | 2008年8月16日 (土) 22時00分

この曲を聞くと、福井市内の丘に下から見上げれば、崖のような高い木が数本立っている場所に江戸時代初期からのお墓が、あります。お墓の前でお祈りしていると、ご先祖様方が、私の周りにいらっしゃるような感じを受けた事を思い出します。亡くなった方は、いつも思い出してくれる人のまわりに千の風に歌われているように、身近にいらっしゃるのだと思っています。

投稿: 昔の少女 | 2008年9月29日 (月) 12時11分

み~つけた
迷子のサイト
それは
神秘的で美しい発見でした。

投稿: 池田 和英 | 2008年10月13日 (月) 14時29分

Mr. 尹作為Wan Jock Wai
Sorry, I deleted your comment because of the character errors. Thank you.

投稿: Adminisrator | 2009年5月 3日 (日) 22時42分

昨年5月に母が心臓マヒで急に他界しました。
当時、私は母の死を受け入れる事が出来ませんでした。
「千の風になって」も聴けなくなりました。
母の死から半年経ったある日、どこからか「千の風になって」が流れて来ました。
その時、母はもしかしたら千の風になったのも知れないと思うようになりました。
そして、私たち家族を見守ってくれていると思えるようになりました。

投稿: C,M | 2009年9月 1日 (火) 19時53分

2008年3月の投稿以来、久しぶりに二木様のページを開き蛇足の益々発展に感激、多くの薀蓄を先生から得ました。という私は夫を千の風に送った後、思いきって身辺整理をし、老人ホームに入居、(条件はインターネットができることが第一)新しい風とともに多くの仲間と人生の終章をすごしています。カラオケクラブで、いろいろ歌うとき、二木様の薀蓄がとてもためになります。そして、それぞれ違った70年、80年の過去の記憶を歌にこめてみんなでコーラスしたり、踊ったり・・・千の風はその意味で皆それぞれの連れ合いとの人生に思いをいたすのです。仁木様のすばらしい薀蓄がいつまでも続きますように。ありがとうございます。

投稿: ライス | 2010年6月23日 (水) 21時42分

一昨日は55歳以上のじいじ・ばあば合唱団が、出雲市役所のロビーコンサートに出演しました。聴衆は一般の人約50人、市役所職員が約40人でした。
プログラムは①春の日の花と輝く②ロンドンデリーの歌③
泣かせてください~歌劇「リナルド」より④上を向いて歩こう⑤マイ・ウエイ⑥山のいぶき⑦仲間の7曲でした。
泣かせてくださいのアリアの一部は、54歳の本職のオペラ歌手(現在体調をくずして休んでいる)が歌いました。流石に声質・声量とも格段の差を感じました。たまに皆の前で歌うのは、緊張感があっていいものです。

投稿: 三瓶 | 2010年6月24日 (木) 16時19分

日本語の詩がすばらしいのです。これから死んでいかなければならない、私たちの心の支えになります。何の論議も必要ありません。ただ、静かに思うだけです。

投稿: 羽田光利 | 2011年1月18日 (火) 00時10分

この歌が大好きです。この歌の歌詞が大好きだからです。7歳

投稿: はーくん | 2012年5月26日 (土) 23時12分

 前月ですが6歳の我が子の臓器を提供されたとのニュースに、ご両親の気持ちを察するにあまりある悲痛なご決意だったと思います。
そして第三者としてそのお気持ちを表す言葉も見つからなかったので、せめて私の思いをと読売新聞大阪本社へ投稿しました。
   ありがとう パパママぼくは 千の風

6/19のよみうり時事川柳欄に「秀」のマーク付で掲載されました。
駄洒落やサラリーマン川柳が流行っていますが、皆さん!あまり他人をコキ下ろさないような時事川柳は如何でしょうか?

投稿: 尾谷光紀 | 2012年7月 1日 (日) 22時21分

 この詩の中に「私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません」とあります。ということは私は「たまに墓を留守にする」のでもなく「たまに墓に戻ってくる」のでもなく「始めから終わりまで墓にはいない」といっているのです。実に不思議な一節です。(それなら墓参りに行く必要もなくなります。)

 実際、この一節に 石屋や墓苑業者が商売の邪魔になると怒ったそうです。(この歌がヒットした当時のテレビ報道で聞いたことがあります。)墓石の下に先祖の霊がいないとなれば、墓自体の意味がなくなり、当然、彼ら業者の死活問題になる。こんな良い詩が物議をかもすとは、、。

 この一節には”お墓は無用”という ある種ラディカルな考え方があるように思います。(私は大いに共鳴します。)その後、墓石の売り上げが落ちたとか聞かないから、石屋さんたちの心配も杞憂に終わったようです。
 完全な意味での 千の風になろうとしたら”お墓は無用”まで進むでしょう。ですが”お墓は無用”を実現するためには 種々のしがらみを絶ちきらねばならず、普通の人にはできないでしょう。結局は「まあ墓の中でがまんしよう」におちつくでしょう。
 
 私がなぜこんなことをいうのかを説明しましょう。
 歌人、土岐善麿(1885~1980)の歌に

  我がために 一基の墓も 建つなかれ
  歌は集中にあり 人は 地上にあり

というのがあります。墓など要らない、まして私の墓に私の歌などを刻まないでくれ、歌は歌集の中にあるんだから と歌っています。すばらしい脱俗の心境で みならいたいほどです。

 しかし、、!。土岐善麿の墓はある。なぜか?子どもや親類が そんな無謀なことを許すはずがなかったからです。本当の千の風になるのはたいへん難しそうです。
 最近、墓について考える私です。

投稿:  秋山 小兵衛 | 2012年10月28日 (日) 18時29分

“お墓無用”論───秋山様の卓見に諸手を挙げて賛同しますが、「言うは易く、行いは難し」で、これを実施に移すのは容易ではないでしょうね。何故かと言えば、秋山様もコメントされているように、後に残された者(遺族やその関係者)が世の「しがらみ」にからめ捕られてしまうからです。近年は散骨などがある程度許されてはきましたが、これとても、かなり条件が厳しく制限されているようです。
“お墓無用“論の難しさは、遺体や遺骨をかってに処理できないという、法律上の問題もありますが、究極のところ日本人(に限りませんが)の死に対する考え方や死者を弔う生活様式(文化)にいきつくからだと思います。

 秋山様の土岐善麿氏の歌について。秋山様は土岐氏があたかも自分の墓は無用のように解釈されていますが、歌の趣意は「墓」ではなく「碑」は建てるな、の意味ではないでしょうか。とかく「功成り名遂げた」成功者が亡くなった後では、関係者がその人の業績を石碑などに残して顕彰しようとしがちです。それを戒めた歌だと、わたしは受け取っています。

投稿: ひろし | 2012年10月29日 (月) 13時22分

 ひろし様
 お墓無用論に賛同していただき、ありがとうございます。おっしゃる通り実行するのは、天涯孤独の身ならともかく、至難の業です。また墓をめぐる問題は 日本人の死生観に根ざした問題ですね。私の理想を話したわけでして、この件に関しては”口だけ男”です。(笑)

 土岐善麿の歌、なるほど、歌碑はいらないの意味でとられてもよろしいかと思います。

 ただ歌の最後に「人は地上にあり」ということばがあります。ひとは生きている限りは、地上で活動できる。死んだら土の中に入る。死んだ後も、生前の栄誉などをひきずるのは愚かなことだ。
 地上の生者と地下の死者を対比させる表現があり、墓を連想させます。また碑ではなく、墓という文字を歌人である土岐善麿が 明確に使っていますので、私は墓だと思います。 

 作家の出久根達郎のエッセイに「人は地上にあり」というのがあり、土岐善麿の歌もその中に紹介されていたように思います。ずいぶん昔に読んだ 私のネタもとです。


投稿: 秋山 小兵衛 | 2012年10月29日 (月) 15時27分

「哀しみのソレアード」に曲がどうしてもかぶってしまいます。
「千の風になって」がヒットすればする程、賞賛されればされる程、引いてしまいます。

音楽を聞いてしらける・・・こんな悲しみ、はじめてです。
(私のここ数年来の割り切れない悩みです)

投稿: はるみ | 2014年4月 2日 (水) 08時37分

私はこの曲は大好きです。詩も素晴らしいですね。
愛する人、親しい人を失った人は本当にこの曲に慰められると思います。

私も死んだら、お墓に入るよりは光となって降り注ぎたいですし、小鳥となってさえずりたい、お星さまとなって瞬きたいです。ですから私の墓についてのみ言うのであればお墓無用論に賛成です。しかしお墓は死んだ人のためではなく生きている人のためのものなんですね。

人間を物と見れは、基本的に生きて行くのに必要なのは”衣食住”のみです。衣食住をもっと豊かに満たすため、もっと労働力が必要なので、今、移民を増やそうという考えがあります。

かってある首相は発言しました。
「日本は日本人だけのモノじゃない。」

グローバルな世界観、自由平等公平を正義とする思考からすれば、ある意味その通りですね。
日本は日本人だけのものじゃない。

しかし日本は、今生きている日本人だけでなく、ヤオロズの神様、仏様、神社仏閣、御先祖様の魂、お祭り、お墓、文化伝統、歴史など様々なものにより成り立っています。

お墓は生きている人がご先祖様に感謝し、尊敬し、懐かしむ心のよりどころです。自分が死んで休むだけの場所じゃない。

日本津々浦々にある童謡の歌碑も日本人の心を慰めてくれます。
しかし文化の多様性が進むとその童謡歌碑であれ将来日本的なものとして忌み嫌う人も生じるのではないでしょうか。

現にお地蔵様の首が切り落とされたりする事件も生じています。

文化の多様性そのものは理想として間違ってはいないと私は思うのですがそのために多くの国で民族間の衝突がおき争いが絶えていないようです。

”うた物語”も遠い将来、日本的なものとして一部の人たちから排撃されなければ良いのですが・・・

”千の風になって”、から、”お墓無用論”、そして”文化の多様性”、”うた物語”への心配、に話が飛びすぎてしまいました。

もちろん私は”うた物語”のフアンです。
そんな心配が空論であることを願います。

投稿: yoko | 2018年9月15日 (土) 13時41分

yokoさんが考えられたことは私も日頃思っていました。決して排他的ではありませんが、元来日本人として受け継がれてきたアイデンティティを失いたくありませんね。

投稿: konoha | 2018年9月15日 (土) 14時30分

「千の風になって」私は2006年にNHKで作成され放送された番組、最愛の父の死に責任を感じている女優・木村多江がこの詩に導かれ、日本、アメリカ、イギリス、アイルランドなどを巡って愛する人を失ったさまざまな人と出会うという内容の「ハイビジョン特集・千の風になって」を、つい先日YouTubeで視聴しました!

大切な人を失った人たちに否応なしに訪れる大きな悲しみ、そしてその喪失感に苛まれた人たちへの心境を尋ねながら、突然父を失なったあとの後悔が先に立ち、未だその蟠りの気持ちを消せないでいる、女優・木村多江の涙する姿がそこにはありました。
この番組を視聴しながら、私は先の紅白歌合戦で秋川雅史の熱唱を初めて聴いたその瞬間に、感極まって身体が震えるほどの衝撃を受けた時の自分を想い出していました。

亡くなった人が遺された人に語りかけるという、この「千の風になって」の唄を聴いていると、波乱万丈の道を歩いてきた私が、現在こうして幸せでいられるのは、もしかしたらいつも亡くなった両親に守られているのではないかと、最近は特に強く感じることがあります。
この番組の中で、ロバート・ブライズマンが作曲し、イギリスの少年合唱団・ボーイソプラノグループ・RIBERAが歌う「いつもあなたのそばにいるから」という、下記の訳詞で始まる優しさに包まれた曲が静かに流れてきます。

私のお墓のそばに立って 泣いてはなりません

私はそこにはいません そこに眠ってはいないのです♪♪♪

私は妻と結ばれた時、この人を生涯守って行く、そしてゆくゆくは自分が妻よりも先に逝き、死んでからも永遠に守り続けると、心の中に誓ったことがありました。
自分よりも大切に思っている人の死を受け入れることなど、私には到底できそうにもありません。だからこそ自分が一日でも先に逝って妻を見守り続けると固く心に決めています。

「千の風になって」この唄の詩とメロディが、そんな私には励ましにも似たまるでエールのようにさえ聴こえてきます。

投稿: 芳勝 | 2020年10月 2日 (金) 17時52分

李登輝前総統を追悼する”千の風になってーSaxRuby"さんの演奏も素晴らしいです。聞いてください。
https://www.youtube.com/watch?v=IoJbIztVKFQ

投稿: yoko | 2020年10月 4日 (日) 22時29分

yoko様ご推奨のSaxRubyの「千の風になって」この美女が奏でるサックスのやさしい音色は、聴いている私の心を和ませてくれました!

また、22才まで日本の占領下で育ち、日本人として教育され、日本人として生きた。『日本を愛し抜き、民主化の父』とまで称された李登輝前総統。

こんな方こそ「千の風になって」私たちをいつまでも見守っていて下さるだろう、私はそんな気がしました。


投稿: 芳勝 | 2020年10月 6日 (火) 13時04分

芳勝様、私は曲の最後に李登輝前総統が写真で現れ、
笑顔で手を振っていらっしゃる姿に感動しました。
いつまでも私たちを見守ってください、
という気持ちが生じました。

投稿: yoko | 2020年10月 6日 (火) 22時04分

私も秋川さんと同じ愛媛です。石鎚山を背景に広々とした素晴らしい田園や美しい鴨川の景色の西条が大好きで歌っていらっしゃる秋川さんが見事にマッチします。全国で最も住みたい町にも輝いた西条市です。お彼岸やお盆が来ると必ず演奏しながら歌っています。本当に美味しい水と風が自慢です。

投稿: 細川 和代 | 2022年8月27日 (土) 08時12分

新井満さんが逝去されてまもなく1年になります。12月3日。享年75歳。誤嚥性肺炎とのことでした。新聞の訃報欄をみた時「千の風になって」の歌そのもののような「臨終正念」で逝かれたことであろうと心の中で手を合わせました。

「蛇足」を改めて拝読。原作者の詮索もさることながら齢80歳に達した今の私の胸をうつのは、いくさで死んだ兵士がこの詩を家族に遺したというお話しです。

死と太陽は直視できないままで逝くのは些か拙かろうと考えることが多くなってきました。
現在も大抵の人は畳の上か病院のベッドの上で、時間をかけて死と対話、拒否と受容を繰り返しながら徐々に異界に歩み寄っていくのでしょう。
けれども時には、そんなゆとりもなく火災とか交通事故、犯罪等。非日常的には自然災害、伝染病、戦争、紛争等の中で、不意打ちに迫って来る死があります。死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れりです。
その時、人は死に必死に抵抗しつつ無理強いに押し付けられ、万斛の恨みを呑み無念の思いで死んでいく。
「千の風になって」は前者のような死には「有効」なれど、後者のような死にはどうか、と考えることがあります。
有効ではあるがそれには条件がある。そう思います。死生観を持つこと、です。

「千の風になって」は人に死生観を優しく問いかける厳しい歌だと思います。ことに後ろから不意打に迫る死には普段から心に備えが必要です。それをいくさで死んだ若い兵士から教えてもらいました。
この歌が後に遺った人の慰めの歌でしかないとしたら死んだ人は浮かばれません。

八十路を迎えた記念に死生観に資する言葉を漁ってみました。 
・Memento Mori 死を思え
・災難にあう時節は災難にあうがよく候、死ぬる節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法に候
・死を恐れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下って行く
これとは全く別の言葉もあります。
・この世をばどりゃおいとません香の煙とともに灰左様なら
斯様なざれ歌を読むと深刻な顔をしていたのが馬鹿みたいに思われてきますが、これも死生観の1つです。

ということで私も「千の風になって」の歌詞と、もう一つモーツァルトの「夕べの想い」K523の歌詞を十年日記の中に差し挟んでいるのです。

投稿: ナカガワヒデオ | 2022年11月20日 (日) 17時44分

今日は彼岸の中日の春分の日です。此の頃になると正三角形の大きな三角形をなす星座の【春の大三角形】が見えます。アークトゥルス・スピカ・デネボラでなす夜空の星です。数年前に知り始めて見た時とても感動を致しました。
お彼岸と言う事でこの歌【千の風になって】を見つけ2022.8.27日投稿の鴨川→加茂川に訂正しなくてはと思いつつ今日まで来てしまいました失礼を致しました。西条の方々にお詫びを申し上げます。加茂川は屈指の桜の名所でもあります。半月前に既に提灯が飾られていました。毎年大勢の花見客で賑わいます。

投稿: 細川 和代 | 2023年3月21日 (火) 15時53分

春の大三角形が見られるのは5月頃だそうです。
冬の大三角形と間違えました訂正いたします。

投稿: 細川 和代 | 2023年3月21日 (火) 17時16分

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