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2007年2月14日 (水)

山のロザリア

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


ロシア民謡、日本語詞:丘灯至夫

1 山の娘ロザリア いつも一人うたうよ
  青い牧場日昏れて 星の出るころ
  帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ
  涙ながし別れた 君の姿よ

2 黒い瞳ロザリア 今日も一人うたうよ
  風にゆれる花のよう 笛を鳴らして
  帰れ帰れも一度 やさしかったあの人
  胸に抱くは形見の 銀のロケット

3 一人娘ロザリア 山の歌をうたうよ
  歌は甘く哀しく 星もまたたく
  帰れ帰れも一度 命かけたあの夢
  移り変わる世の中 花も散りゆく

4 山の娘ロザリア いつも一人うたうよ
  青い牧場小やぎも 夢をみるころ
  帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ
  涙ながし別れた 君の姿よ

《蛇足》 「アレキサンドロフスキー」というロシアの舞曲に丘灯至夫(おか・としお)が作詞したもの。

 昭和31年(1956)に『牧場のロザリア』の題名で売り出されましたが、このときはさっぱり売れなかったそうです。
 昭和36年
(1961)になって、歌声喫茶から歌われ始め、ヒットの兆しがあったので、『山のロザリア』と改題し、スリー・グレイセスの歌で売り出したところ、大ヒットしました。

 この歌が流行っていた大学2年(昭和37年〈1962〉)の夏、1か月間、上高地にあったタクシー会社の出張所で飯炊きのアルバイトをしました。1日3回、駐在員や運転手たちの食事を用意する仕事でしたが、電気釜で飯を炊き、缶詰と漬け物を添えて出すだけで、あとはブラブラしていてもよいという、楽な仕事でした。

 当時は、食堂や売店などが入った鉄筋コンクリートの建物はなく、むきだしの広場があるだけでした。その広場の梓川寄りの端に板張りの粗末な小屋がいくつか並んでいました。それがタクシー会社の出張所や売店でした。

 そのとき、出張所の隣りの売店で働いていた地元の村の少女と仲良くなりました。当時私は喫煙していましたが、すぐ売り切れてしまう人気銘柄を、いつも私のためにとっておいてくれました。
 2週間に1回、上高地バスセンター近辺で働く人たちのために下界から理髪師がやってきました。私が散髪をしてもらおうと列に並んでいると、彼女は、学生なのにお金がもったいないといって、閉店したあと、売店の裏でカットしてくれました。

 私が東京に帰る日、彼女は売店から小走りに出てきて、上高地の地図がプリントされたハンカチを餞別にくれました。私は、「ありがとう」といっただけで、格別な言葉もないままに別れました。

 東京の下宿に2度ほど手紙をもらいましたが、そのあとは音沙汰がなくなってしまいました。たぶん結婚したのでしょう。この歌を聞くと、いつもその純朴な「山の娘」のことが思い出されます。

YouTube=https://youtu.be/v6fbB2zoT34

(二木紘三)

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コメント

ついに「山のロザリア.mp3」になり、連続して何度も聞いてしまいました。
そもそも、このサイトのファンになったきっかけは、ネット検索で"山のロザリア"と、探したところから始まりました。数件の音源がヒットしたのですが、こちらのメロディーが一番自然に聞く事ができました。その後何度となくこの曲を聴くために「MIDI歌声喫茶」へ訪れました。
《蛇足》にある上高地も、まだ若かった頃に十数人のグループでキャンプをした楽しい思い出のある、日本で一番好きな場所です。

投稿: kisimojp | 2007年2月15日 (木) 21時23分

「山のロザリア」がヒットした頃、私は高校三年生まさに青春の真っ只中でした。
それまでは大人の歌謡曲を、意味もよく分からないまま、「平凡」か「明星」の付録の歌詞集を級友が持ってきて皆でそれを書き写して覚えるのが普通でした。
そんな私たち若者の気持ちを掴んだのがこの曲だったように記憶しています。
クラスの女子生徒Oさんが、この曲をフォークダンスに振り付けして、他の女子生徒に休み時間に教えていた風景がまだ瞼に残っています。

投稿: 越山 洋平 | 2007年8月22日 (水) 22時04分

山のロザリアはいいですね。ロシアの人は日本人と心が通じ合う感じが

します。

投稿: 白川賀博 | 2007年10月 8日 (月) 02時57分

この曲を聴いたのはスリー・グレイセスが唄って流行る前です。私が高校時代スクエアーダンスのときにかかる曲でした。
もう一つの曲と交互にかかっていたのですが、そちらのほうは、曲ははっきりおぼえているのに題名がわからないのです。
二木先生のブログで何とか探し当てようと試みるつもりでおります^^

投稿: おキヨ | 2008年6月30日 (月) 22時03分

先生にはあっちこっちで女性の影がちらついていますが、持てた男のつらさは何だったでしょう。
この唄は山の娘ロザリアと歌い出すところが良いと思います。そこで清楚な女性がイメージされるから。

投稿: M.U | 2008年7月 4日 (金) 15時13分

山のロザリア。中学校の音楽の教科書は「空におもう」と掲載せれていた、と、記憶しています。
文化祭・音楽コンクールの主題曲「1年4組」見事に優勝。あれから42年。想い出の曲です。

投稿: 大戸彦吉 | 2008年8月30日 (土) 17時15分

女性の母性、純朴さへの憧れ。

投稿: t_u_shouta | 2008年10月19日 (日) 19時35分

若い頃 若い人が集まってる場所とかで 山のロザリアが歌われてるの聞きました 。。今 歌いたいと思ってるのですが カラオケを探してます カラオケあったら 頂けたらありがたいです

投稿: みみ | 2008年10月29日 (水) 22時23分

この歌を聞くと、大学2年の冬休みに、池袋の西武百貨店の地下売り場でアルバイトしていた青春の日々を、甘酸っぱく思い出します。まだ子供の私は楽しい事も悪いことも恋愛感情も、一度に経験したような気がします。

「山のロザリア」と「北上夜曲」もこの時の仲間から教えてもらいました。可愛い高校3年生の彼女とも友達になりました。2曲は私の青春の曲です。2曲ともレコード化される前でした。二木先生、選んでくださって感謝します。

投稿: 吟二 | 2008年10月30日 (木) 22時30分

 今まで一番好きだった女性を、この歌の背景にそっと置いてみたくなります。

投稿: レムリア悠 | 2008年12月19日 (金) 20時38分

「この世で愛した女は貴方一人」「嫁ぎ行くあの女と眺めた」自分に置き換えてみても、確かに忘れられない女は一人でないとお互いに不幸だと思います。(余談、私にもこうゆう女はいます。)

投稿: 海道 | 2008年12月20日 (土) 17時13分

都会の学生にちょっと憧れて煙草を取り置き、「学生なのに勿体ない」と髪をカット、ハンカチの記念品、昭和37年の空気がよみがえり、ホノボノとして来ました。私は二歳下なので、多分その娘さんと同じ年頃でしょうか。

投稿: Bianca | 2008年12月25日 (木) 19時03分

〔山のロザリア〕は、社会人になりたてたの頃流行った歌です。《蛇足》 から読み取れる先生の青春は/songs/のバックイメージそのままに受け取れます。この歌を知った瞬間、このような人がいてくれたらと念じたものです。その後、社用でスイスに出張の折、日本人観光客がめったに訪れない観光地(ヨーロッパの人々には有名)アローザ(AROSA)で週末を過ごす機会をえました。山岳鉄道の車窓からみる風景は、山の斜面に牧草地がひらけ、丸太小屋のそばには牛や山羊のために、きまって木製の水のみ場が用意されています。今にも、民族衣装を纏ったロザリアさんが飛び出してきそうな錯覚を覚えました。

投稿: 亜浪沙 | 2010年2月26日 (金) 11時53分

やっと見つけた・・・!
山のロザリアを歌って見ようと思っても
背景が読み取れず困っていました。
ロシアの歌には哀愁を感じるメロディが多く
その中でも日本の恋愛の歌詞がつき
コーラスでヒットしたのは、何となくですが
記憶にあっても実際歌ったわけではなかったので
調べていました。みなさんの青春の1ページに
悲哀を込めた歌詞が愛おしかったのですね。

参考にして歌ってみます。

ブログ なごみの想い のなごみより

投稿: なごみ | 2010年3月23日 (火) 14時45分

中学2年生の頃、担任の若い先生と、クラスの男女数人で、よくフォークダンスをしました。
異性の手を握る恥ずかしさ、何故か分からぬ胸のときめき、、、50年近い歳月を隔てても、この曲を聴くたび思春期のあの頃を思い出し今でも胸がときめきます。
歌は不思議な力を持っているものですね。
二木先生ありがとうございます、

投稿: きんちゃん | 2010年4月24日 (土) 20時13分

 おキヨさん 2008年6月30日
>この曲を聴いたのはスリー・グレイセスが唄って流行る前です。
>私が高校時代スクエアーダンスのときにかかる曲でした。
>もう一つの曲と交互にかかっていたのですが、そちらのほうは、曲ははっきりおぼえているのに題名がわからないのです。

昭和36(1961)年、スリー・グレイセスの山のロザリアの歌は
毎日北海道根室駅前の喫茶店から流れてきました。

その前の年、私は別の町の高校生でしたが
フォークダンスの曲は以下の曲でした。
  行商人 (コロブチカ:Korobushka)
http://www.youtube.com/watch?v=4dAkZmWjQSw

さて、それから月日は流れ
1999年夏
中央アジアのシルクロード、中国新疆ウイグル自治区のウルムチのレストランで
日本に留学して帰国してから偉くなったウイグル人たちと一緒に食事をしているとき
隣の部屋から流れてきた曲がコロブチカだったのです。
どうやら結婚披露宴でロシア民謡の舞曲を演奏していたらしい。踊りつきで。

投稿: みやもと | 2010年7月 9日 (金) 20時23分

みやもと様
この曲です!間違いありません。有難うございました。
〔コロブチカ〕当時の女子高生ならどなたでもご存知のダンス曲ですね。高校時代頻繁に聴いていた曲なのに題名を確かめもしなかったのです。

50年以上も経っているのにパソコンから流れる音楽に合わせて踊れそうな気がしました。
考えると曲を聴くのも50数年ぶりかも知れません。

わざわざお知らせ頂きまして感謝いたします。


投稿: おキヨ | 2010年7月12日 (月) 12時29分

いい歌ですね!
スリー・グレイセスのこの歌が入っている『四季の詩情』(132曲のセット)を平成1年50歳の誕生日に子どもと妻からプレゼントされ今も大切にしています。
昭和31年の「牧場のロザリア」は、「夜が笑ってる」や「君の名は・シリーズ」で人気があった織井茂子が歌っており、2.の「黒い瞳~~笛を鳴らして」と、3.の「一人娘~~星もまたたく」を男性コーラスが歌っております。
グレイセスのほうはテンポがゆっくりでやさしく、ハモリと、当時ジャズの女性グループではピカイチで、そして何んといっても歌の終わりの「~~よ/ ^」をオクターブグリスアップしたことが、心地よい余韻として聴く人々に共鳴したのではと思います。

投稿: 尾谷 光紀 | 2010年10月 1日 (金) 22時44分

昨日レコド・CD・テープを整理していたら
 『Three Graces The Three Graces and Merry Friends』(1991Sony Music)とのタイトルのCDが出てきました。
その中の「Blue Sky」にメロメロになりました。
  この空の下にあなたがいる それだけで今日が楽しくなるの
  雪国の空はそまる青さで なくした夢さえうつりそう
    Blue Sky carry my Love to you 伝えて Blue Sky carry my Love 遠くの人へ
     (省 略)
  はるかな空から眺めたら 地球は小さな青い星くず
  だからこの生命大事にして 悲しみは海へ捨てましょう
    Blue sky carry my Dream to you 未来へ  Blue sky carry my Dream 涙をこえて
     (繰り返し)
3/4拍子のシャンソン風で明るくお洒落なこの歌を是非ボランティアでのコーラスで歌いたく、ご存知の方はこの歌の楽譜の出版社を教えて下さい。
20年近くなるのに何故こんないい歌が流行らなかったのか私だけが知らなかったのか不思議です。

投稿: 尾谷 光紀 | 2010年10月 3日 (日) 15時49分

尾谷さん、
何方のコメントもありませんね。

同じ曲名は100曲以上あるようなので、
作者や歌手名が書いてあれば検索してみてください。
http://www.gakufu.ne.jp/GakufuNet/index.phtml
http://www.gakufuya.com/

投稿: なち | 2010年10月 5日 (火) 16時17分

山のロザリアは私の好きな曲です。二木先生の《蛇足》に「アレキサンドルフスキー」というロシアの曲が原曲とあり、初めて知りびっくりしました。というのはたまたま、昔のレコードを整理していたところフォークダンス曲ばかりの全集があり、それを懐かしく聞いていたところ「アレキサンドルフスキー」というフォークダンス曲(哀愁の漂ういい曲です)があり確かにその曲の途中に「山のロザリア」のワンコーラス部分が流れました。改めて、原曲も「山のロザリア」も大好きになりました。ありがとうございました。

投稿: 哀愁曲 好男 | 2010年11月 5日 (金) 00時32分

なち様
何時もご教示有り難う御座います。
httpへトライしてみましたが譜面有無の確認はできませんでした。
しかし「Blue Sky」は、湯川れい子作詞・杉真理作曲(CM作曲家)ということがわかりました。
出来ればピアノ譜とカラオケが見つかればと願っています。

投稿: 尾谷 光紀 | 2010年11月14日 (日) 10時37分

2010年もあと1日、私も来年は77歳「つまり爺爺」

好きな曲、歌詞多くありますが「山の娘ロザリア」大好き
白髪の老人が帰り来ぬ遠い日を思い出して口ずさむ姿を想像してください。 至福な顔をしてると思います。
二木様のうたに癒されます
いつまでもお元気で幸せのパワーを皆様に与えてください
                  秋の山

投稿: kawano sumi | 2010年12月30日 (木) 18時14分

 約1年間、CDの『Three Graces』関連の連絡先へ問い合わせをしましたがダメで、ひょんなとこからT.Fさんを知り、1週間後スリーグレイセスの「Blue Sky」の20年前にレコーデイングした時のものという手書きのピアノ譜とパート(ハーモニー)譜を、昨日 リーダーの森本政江さんが送って下さいました。
昨年の10/19《ありがとう50年!》のコンサートでもこの歌を歌い、3/11以後のライブには必ず歌っているそうです。
 今日半日間、“みんなで700曲歌おう会・さくら草”(18名)に合うキイに2/3書き直しましたが、素人では難しいですね。
完成したら友人にピアノで録音して貰いさくら草のレパートリーにしようと思っています。
森本さんは関西へ行った時には、相次ぐ災害の被害に遭われた方へ1日も速い再生を願って一緒に歌いましょうと・・・。
アドバイスを頂いたなちさんもご一緒に如何ですか?

投稿: 尾谷光紀 | 2011年9月29日 (木) 23時35分

楽譜をご本人が送ってくださって感激されたことでしょう。
メーバーに、妹さんがおられるのですね。
試聴は見つかりませんでしたが、書かれている歌詞は良いですね。
スリーグレイセスの皆さんと、一緒に唄われる日が早く来ますように。
その時は聴かせて戴く側になるでしょう。

投稿: なち | 2011年9月30日 (金) 07時24分

ロザリア(Rosalia)は、ヨーロッパ系の女性名だそうですが、この歌にぴったりの名前ですね。形見とは死んだ人や別れた人を思い出すよりどころとなるものとの事です。形見の銀のロケットと言われると憧れた彼はこの世の人ではないと思ってしまいますが、遠くへ行ってしまっただけの別れた彼氏のものなのですね。だから帰れ帰れもう一度と。優しいこの歌にはどちらにでもとれる魅力があります。ただの読解力不足からくる考え過ぎということもあるので偉そうに語れない自分がいますが。

投稿: 海道 | 2012年9月17日 (月) 22時07分

先生のアルバイト時代、地元の村の優しい少女との出合がこの歌を一層印象深くしたのでしょうね。
歌謡曲と思っていましたがロシア民謡だったのですね。

投稿: とらじろう | 2013年7月 2日 (火) 22時30分

何時も懐かしい曲を聞かせて頂いています。有難うございます。アレキサンドロフスキーはいつも「山の娘ロザリアー」と、口ずさみながら踊っています。ゆったりとしたワルツに乗って、若かりし頃の彼女を思い浮かべながら。

投稿: 瑛之祐 | 2013年7月16日 (火) 15時28分

二木先生の思い出に揺さぶられ、私の学生時代を思い出しました。旅先である方に親切にしていただいたことがあります。その方には小学校に上がる前でしょうか女の子がいました。私は可愛いなぁと感じていて、彼女は楽しそうに私の周りを駆け回っていたと思います。その後、数年、年賀はがきをやり取りし、彼女にも送っていました。就職した翌年の年賀はがきには彼女から子供らしい筆跡でつぎのコメントがありました。
「おにいちゃんあのねわたしかぜひいちゃったの」
愛おしくて、おもわず彼女を抱きしめたくなりました。
年賀のやり取りもそれきりなのですが、ときどき思い出します。もう45年も前のことになりました。

投稿: yoko | 2015年1月 3日 (土) 08時27分

昭和36年入学の出身高校は男女共学で、毎年秋の体育祭の頃は、フォーソングの練習がありました。
コロブチカ, オクラホマミキサー等の定番に加え、山のロザリアも演目に入っていたと思います。
このダンスはパートナーが曲の進行に合わせ変わるので、好きな女の子の番になるとなんとなく照れくさかった思い出があります。
同窓会で出会う当時の花咲く乙女たちも古稀を迎え、おばあちゃんになりました。

投稿: タケオ | 2016年4月 4日 (月) 21時20分

チャペルの鐘 さざんかの歌 の流れにのり 人の世のこと しみじみと思い出しています
 この山のロザリアは そう 最初はあまり好きな曲ではありませんでした 別に殊更な理由はありませんが
 しかし 二十年ほど前に 古い中学 高校のアルバムをみているとき 高校の摩耶山のヒュッテで写っていたセピア色の一枚に目がとまりました 大好きだった初恋の方が写っており ふっと この時に 彼女が山のロザリアを歌っている姿が 思い出されたのです そうでした 指導者講習会と云う名の集まり 合宿だったのです  記憶など 時間のずれ 人の間違い いろいろ起こってきます
 ひどいときは 事実にないことも都合よく 頭に刷り込まれることもありますね  ですから どれくらいの信憑性があるかは ??? といわざるをえません  でも 同じ合宿に参加していたのは事実です

 それ以後 この曲は K I さんの歌となってしまいました
 中学 高校と 一年下の方でした 僕が中2の夏ごろから彼女を意識しました
  清楚で 右に少し頚を傾け歩く姿 何度もみたのでしょうね 意志強く まっすぐ少し早足で歩いてゆかれる姿 純情無垢 美しい姿でした 彼女が人に混ざって騒いでいるのをみたことがなく 学年が下だったから 当然なのかもしれませんが 総務会に出席しても 寡黙だったのを記憶しています

 そのころ 女の子を恋する 男たちは ノート一枚に ぎっしり相手の名前を書き詰めたり 千回名前を呼べば 気持ちが伝わるといってみたり--ごく幼い行動をとっていました
 僕も チャレンジしようか と思い悩んだこともありましたが 3年になり 心にあることは打ち明けておこうという気になりました
 そうでした 授業が終わり その後 総務委員会のあった日 決行しました でも 一人ではできず親友についてきてもらいました 彼女も友人と二人 あいている教室に入ってもらい 手紙 ことば?? これも定かではないのですが 好きですともいえず 写真がいただきたいと 伝えました 幼い気持ちが一番強くもりあがった瞬間でした のちに お母さんに話したら写真あげてもいいといわれたとの返事もいただきました
 でも チャンスがなかったのか まだまだ晩生だつたのか その後押すこともなく 終わってしまいました

 高校のオーバーラップしている時代にも 話すこともなく 一度だけはフォークダンスで手を 触れ合った記憶があります いろんな会合 合宿で 何故もう少し動けなかったのか 胸が詰まってきます  
 彼女がK外大にはいり その大学祭には行ったのですが 遠くからながめただけなのか 話せたのか 記憶にありません

 後日談があります
 それ以後 二回 彼女の夢をみました どうしても気になり いたたまれず 住んでおられた東京まで電話しました 一度目のことは よくおぼえていないのですが 二回目のときには 電話いただいて 涙が出るほどうれしい といっていただけました 外大でお目にかかって 50年 人生終わるまでに どうしても 会っておきたい唯一の方です  どれだけかわっておられるか 怖いです でも 今の君に会いたい 書きながら また 涙です   
 どうしても 会いたく思い 同窓会名簿等であたり出しましたが-ー 一本 二本とつながりそうな糸がきれていってしまいます 次の打つ手をどうするか 過去は過去 よい思い出のままがよいのか 思い悩む2017年です

 僕の記憶にあるのは 彼女の実際の姿だったのか 虚像を捉えていたのか わかりません 断片的な遭遇が 有意な形となっているのです
 心から彼女の立ち位置を知り案じ 話すことができなかったこと 残念です

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年2月 9日 (木) 20時21分

 能勢の赤ひげ様
 はじめて、コラムを書くような気がします。清純な感じのコラムと思いました。こういう体験はありませんでしたが、近い感じはありまた。いくつになっても青春時代を回顧できることはすばらしいことと思います。
 

投稿: 今でも青春 | 2017年2月10日 (金) 15時15分

 今でも青春さま
   お返事有り難うございました

 初恋 ほんとうにきれいなものです

 帰れ帰れも一度 忘れられぬあの日よ
         やさしかったあの人
         命かけたあの夢

   ほんとうに もう一度帰りたいです

 舟木一夫 さんの 君たちがいて僕がいた  の冒頭のセリフ

  清らかな 青春   さわやかな 青春
  大きな夢があり   かぎりなき喜びがあった
  はかないのぞみがあり つらい別れもあった
  そんな時はいつも 母にも似たやさしいまなざしの
  君たちがい   そして 僕がいた

  丘灯至夫さん作詞ですね   堪らなくなります

   二度とはこない青春

   恋愛 学問 何につけても 多くのものを積み残してきた青春   残念です

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年2月12日 (日) 00時50分

 能勢の赤ひげ 様
 積み残したものは、学問があります。忘れていました、大変なことなので今からでもやろうと思います。青春時代は田舎の勤め先で、すぐに過ぎ去ってしまいました。
 随分、無駄な時間を費やしました。やはり歴史です。五代友厚に焦点をあててみようと思います。

投稿: 今でも青春 | 2017年2月12日 (日) 18時07分

 おおいに賛成です。テーマを定めて掘り下げていくも良しですね。私は「知らない事」、また「へえ⁉️知らなかった」ということを学びたくて「gacco」というサイトに登録しています。「科学」「歴史」「哲学」「美術、デザイン、芸術関係」「文学」「ビジネス」「IT,AIなど」、あらゆる分野の講座があります。ペーパーテストがあり、小論文提出があります。とても勉強になります。ご参考になればと思います。わたしは只今「うた物語」に夢中になりすぎて、三つの講座の小論文提出期限に間に合わず、しばらく休講中です。

 「うた物語」に寄せられる恋の思い出はアドレッセンス時代(二木先生の蛇足から拝借)のものだけにいいですね。一つ一つのコメントのその時代の空気感に私も一緒に浸っています。

 二木先生の演奏をいつも聴いていて、懐かしさとともに切なさが感じられてくるのはどうしてなんだろうと思っていました。たぶん、あの慎ましやかに刻まれくるドラムのリズムの素朴な音なのではと思ったのですが・・・
 メロディーの奥の方でシンバルの「シャー、シャー」というか、なんとも言えない響きがあるんですよね。奥の奥の方だったり、ちょっと前に出てきたりしていて、これが遠い昔を蘇させてくれる音かも知れないと思いました。テレビのBS4で毎週月曜日夜9時から「BS日本・こころの歌」があります。抒情歌、歌謡曲などを合唱しています。いいなあと思って聴いているのですが、「うた物語」のように昔を切なく懐かしむということがないんですよね。どんな歌も歌曲になってクラシック音楽を聴いているようです。
 
 「うた物語」はぐっと身近で曲を肌で聴いている感があります。皆さんが思わず胸襟を開いてしまうのが判る気がします。ずいぶん遅れて入ってきた者ですが、二木先生お身体おいといながら、ゆっくりで結構ですので歌のほうもよろしくお願い致します。

 
 
 

投稿: konoha | 2017年2月12日 (日) 22時04分

 私が大学2年の冬のアルバイト、私は池袋西武百貨店の文明堂コーナーでアルバイトをしていました。女店員のお姉さんの脚に箱を当ててしまった時など、「あっ、ごめん」とすぐお姉さんの脚をを擦るなど無邪気な子供でした。その頃アルバイト仲間の立教大学生から「山のロザリア」と「北上川夜曲」を教えてもらいました。両方ともとても良い曲で大好きになりました。女子高校生の子らとも仲間になって、昼食は西武の社員食堂でみんなでワイワイ楽しくおしゃべりをしました。一度、私が箸を落としてしまって、下へかがみこんで拾った時、広い百貨店の大食堂のテーブルの下に、デパート女子店員の無数の白い大根が連なっていて、目がくらくらしたのを覚えています。中学生の時、女子が体をくねらして照れた時のブラウスのぽちりを見てしまった時と同様、私の「ヰタセクスアリス」の思い出です。その百貨店でのアルバイト体験が私の本格的な初恋の序章となりました。
 しかし、それは今日のテーマではありません。後年マヒナスターズが歌って大ヒットしたこの「山のロザリア」と「北上川夜曲」のメロディは、私が習ったメロディと少し違っていました。どちらが正しいのかわからないけれど、私にはあの日習ったメロディが耳に懐かしく残っています。この2曲は私の甘い青春の思い出です。

投稿: 吟二 | 2017年7月28日 (金) 20時41分

吟二さんのような思い出はありませんが、「山のロザリア」「北上夜曲」は私年代にとっては青春時代にもどらせてくれる曲です。
コメントを読むのが楽しみで毎日クリック。

投稿: jiro.s | 2017年7月29日 (土) 20時43分

紘三先生

その時の山小屋の娘は、紘三さんのことを好きだったに違いありません。なぜ、なぜ先生は乙女心を汲んであげなかったのですか。私はその娘の純情を想うと胸がつまります。
……でも、それもお互いの青春の一コマだったのでしょうね。甘い青春の思い出を持っている方は幸せです。

投稿: 吟二 | 2018年11月27日 (火) 22時00分

「なぜ、なぜ(二木)先生は、乙女心を汲んであげなかったのですか」という吟二さまの投稿に、思わず声を出して笑いました。
年長者として、心のこもったお説教でしょうか、ご忠告でしょうか。
よけいなお世話のような気もしますが・・
しかも50年前の話。いまさら言っても詮無いことでしょうに。
「私はその娘の純情を想うと胸がつまります」
これも笑いました。・・え~、うそでしょう!!
やっと気づきました。上質のユーモアですね。

 この山小屋の売店の少女が「人目を引きそうな優雅な顔でありながら、とりすましたところがなくて、妙に人なつっこい温かい娘」だったのか、「単なる山出しの親切な娘」だったのかで、話は変わってくるように思います。
娘が前者なら、先生は、かりそめの出会いに拘泥しないクールな性格で、後者なら単なる面食いあるいは面倒くさがりの可能性もあります。私としては美少女であって欲しい。そのほうが、話に深みがでてくるように思います。

 その少女はまだ若かったから、想う気持ちは淡く、強い執着もなく、二度の手紙を出した程度で終わったのでしょう。
もう少し年が増すと電話で「女のこころを、少しはお汲みになってください、バカ!」くらいは言うかもしれない。

投稿: 越村 南 | 2018年11月28日 (水) 16時20分

私は吟二さまに加担します。といいつつ越村さまの鋭い指摘にも共感致します。
二木先生には悪いが男性の大半9わりは面食いです。
(当節は女性も面食いですが)
哀れ 山小屋の娘よ。

投稿: りんご | 2018年11月28日 (水) 20時07分

私が小学生の頃祖母が写真を持ち出して私に見せました。
この中のだれが私かわかるか、と聞きました。
分からなかったのですが一人特に器量が悪い女の人がいたのでふと「この変な顔の人、誰?」と聞きました。祖母は「私よ」と答えました。私は慌てました。子供心にも言ってはならないことを言ってしまったと思いました。その後しばらくは祖母に近づくのも怖かったです。お爺ちゃんは偉いなぁ、こんな顔のおばあちゃんをお嫁さんにしたんだから・・・と思いました。子供の頃お祖母ちゃんは言っていました。「お前のお嫁さんは私が見定める、女は怖いからね・・・」と。
とは言っても私もリンゴ様の言われる9割の男に属してしまいます。怖い女性に魅かれてしまいます。

投稿: yoko | 2018年11月29日 (木) 20時16分

二木先生 嘗ての常連イサコフスキーであります.お変わりございませんか.小生病となり,今日本で療養しております.ポーランドへ帰るにもコロナ禍ゆえに手段がありません.数年前南の小都市ジョールイで民族学博物館が新設されたおり,アイヌ民族展が催され,私と娘が開館式に研究者ということで招待を受けました.なんと松本先生と三十六年ぶりにお会いしました.お元気でした.ところで「山のロザリア」の旋律ですが,元歌は「アレクサンドロフスキーワルツ」ではないような気がします.小生レニングラードで勉強したこともあり,ドイツとフインランドによるレニングラード飢餓封鎖作戦の記録映画を数多く視ました.数日前Ладога-Дорога жизни「ラドガ湖―命の道」という大部のものを視ていたのですが,時間軸で1:46:20と 2:10:30の近傍に,深層の曲想が似ている旋律を発見しました.歌詞は"Крутится, вертится, шар голубой"クルチーツア,ヴェルチーツア シャル ガールボイ 「青い風船が舞い上がり,くるくる回る」というものです.この歌詞を手掛かりに調べました.1922年の映画の主題曲でした.老人の私の錯聴でしょうか.https://www.youtube.com/watch?v=ux0gb237ShY

投稿: Исак Исаковкий | 2020年7月20日 (月) 21時12分

イサコフスキー様
松本君とお知り合いでしたか。彼は、イサコフスキーさんとは逆に、コロナ騒ぎで帰日できなくて弱っているようです。

ご紹介の映画の該当部分を聴きました。雰囲気は『ロザリア』と似ていますが、メロディラインはあまり共通部分がないような気がします。

東大お茶FDC保有資料 Wiki=https://wikiwiki.jp/tofdc/Russia/Aleksandrovsky?cmd=search
に、「この曲(Alexandrovsky)の名の起源は明らかではないがアレクサンドル2世をたたえて作られたともいわれている」とあります。
アレクサンドル2世の在位は1800年代後半ですから、この記述に根拠があるとすると、お探しになった映画のリリース年、1922年より古いことになります。

ロシア人(たぶん)男女が『アレクサンドロフスキー』で踊っている動画を2つ探し当てました。メロディは『山のロザリア』と同じです。
https://www.youtube.com/watch?v=322kDlN0n-c
https://www.youtube.com/watch?v=zKJtPHgPPTw
 

投稿: 二木紘三 | 2020年7月21日 (火) 19時03分

二木先生 「山のロザリア」の解説を読み,舞曲をワルツと解し,上記のように検索したところ
https://www.youtube.com/watch?v=zN_W8cBfr58
Александровский Вальс Aleksandrovsky Waltz
というサイトに辿り着いた次第です.お教えいただいたフォークダンス曲は正に「山のロザリア」のものですね.イスラエルの方々が踊っているのでしょうか.
松本さんの来日は来年になるのではないでしょうか.当然私も.

投稿: Исак Исаковкий | 2020年7月22日 (水) 16時25分

再度の投稿おゆるしください.人名のAleksandrから地名Aleksandrovsk(1921年までウクライナのЗапорожьеザポロージェ市の名称)の形容詞形aleksandrovskiy「アレキサンドロフスク風の」が形成されることはありえないと思います.このアレキサンドロフスキーという名称は,「(ウクライナの)アレキサンドロフスク風の舞曲」というものではないでしょうか.
https://www.russian-records.com/details.php?image_id=24663
に非常に美しいバヤンによるものを見つけました.

https://www.russian-records.com/details.php?image_id=24663

投稿: Исак Исаковкий | 2020年7月22日 (水) 20時10分

イサコフスキー様
東大お茶FDC保有資料の記述は「といわれている」と伝聞体で書かれているので、「に根拠があるとすれば」という限定条件をつけて紹介しました。
この資料だけでなく、『アレクサンドロフスキー』の原曲に関するデータは、私が昔調べた限りでは、伝聞か推測ばかりでした。

お説の「(ウクライナの)アレキサンドロフスク風の舞曲」に確かな一次資料があれば、この疑問は一発で解決するのですが。

これも推測、というより想像ですが、「アレクサンドロフスキー宮殿で演奏されたボールルームダンス系舞曲の1つ」というのはどうでしょうかね。

投稿: 二木紘三 | 2020年7月22日 (水) 22時39分

二木先生 フォークダンス曲「アレクサンドロフスキー」はミステリアスな曲のようですね.露語で様々に検索をかけても引っ掛かりません.ただイスラエルの高校や音楽サークルのものが見つかります.ご紹介いただいた二編のものも米国ユダヤ人のサイトですね.アレクサンドロフスキー宮殿での舞踏会だといいですね.曲には非常に優雅な雰囲気がありますから.話は飛びますが,十年ほどまえ,「はなかげ」でロシアでのこの曲のことを紹介しました.明けて三年前,ロシア極北のエヴェンキ族(ツングース・満州語系の方言を話す民族)の芸能祭に招待され,北極圏に近い村で夏至の一月を過ごしました.六十歳過ぎの狩猟者からテーブルに招かれ,トナカイの頭部の茹で揚げ料理をいただきました.そのおり,自分の祖父は大陸派遣軍の関東軍のもとで働き,日本敗戦後は対敵協力者ということでマガダンの金山で二十年矯正労働の刑を受けたという話をうかがいました.彼はスマホをもっており,ロシア女性の歌う「花かげ」を聞かせてくれました.歌詞はラブロマンスでしたが.この旋律ツングース・満州語系民族にもスラブ民族にも愛されてますね.これを最初にロシアに紹介したのは,ユジノサハリンスクの音楽学校校長のアレクサンドル・エゴーロヴィッチ・ギムロ(フランス系ユダヤ人))と奥さんのヤニナ(ポーランド系ロシア人)です.

投稿: Исаак Исаковкий | 2020年7月23日 (木) 22時45分

タイトルがこのままの【山のロザリア】だったかどうかすっごい昔の事なので記憶が不確かですが、映画だったようですね。
観た方はいらっしゃらないかなぁ(*^▽^*)ちっちゃい頃、実家の押し入れで見つけた古~い歌本には粒子の荒い女性の写真が掲載されていて、それがロザリアだったようです。
検索してみてもヒットしませんが、前述の歌本にはストーリーも紹介されていて、悲恋でした。
なのでそこはかとない哀愁を感じさせるメロディーなんですね。

投稿: 揚羽 | 2020年8月19日 (水) 21時19分

過去の拙コメント重大な訂正部分があります。興味を示され方は掲示板にどうぞ。

投稿: りんこ | 2021年6月17日 (木) 08時24分

「山のロザリア」私が小学一年生のころ、スリー・グレイセスが清らかに歌うこの曲がラジオからはいつも流れていたことを憶えています!

幼心にも私はこの淋し気なメロディが何故か当時から堪らなく好きでした。『・・・帰れ帰れも一度・・・』と、当時よく口遊んでいたことを今も想い出します。
また、この曲とともに今も私の心に強く残っているのが、やはり当時ラジオからよく流れていた松島あきらの「湖愁」です。今思えばこの曲にも「山のロザリア」と、どこか共通する淋しさを私は心の片隅に感じたのかも知れません。

スリー・グレイセスのこの曲が発売された昭和36年、ラジオから流れてくる流行歌を聴くこと、7・8歳当時の私にとってはそれが唯一の娯楽であり、また楽しみの一つでもありました。ちょうどそんなころにこの「山のロザリア」と「湖愁」はヒットし、そして何故か妙に幼かった私の胸を強く打ったのです。このそれぞれの曲は、62年という歳月が経ったにも関わらず、今もこうして私の胸の奥底に眠る歌となっています。

投稿: 芳勝 | 2023年6月15日 (木) 22時58分

なんというやさしいメロディー、比類のない旋律、何度聞いても飽きることがない。昭和36年のスリー グレイセスの歌で初めて聞きました。小学校6年生でした。あの頃の歌ってテレビのない、レコードのない我が家では、ラジオで聞くしかなかった。

よくそんな生活に耐えてたなあと75歳になった今思う。しかしそれでよかったのだ。そういう時代だったからこそ、曲が流れ始めると、聞き漏らすまいと気力を集中して歌を覚えたものです。ロシア民謡ということも後で知った。この歌は名作詞家丘灯至夫の手になるものであり、歌声喫茶からヒットしたものだとはずっと後から知った。
3番の歌詞「移り変わる世の中 花も散りゆく」が自然にわかるようになった75歳になった今、自信をもって言えます。この歌はしみじみ胸にしみる良い歌です。

投稿: 越村 南 | 2024年7月23日 (火) 17時12分

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